師匠と聖女メルルの復讐。①


 高らかなメルルの勝利宣言を聞いたとき、俺の意識はほとんどなかった。だからその後で、メルルの影の中からもう一人の少女が現れたことにも気付かなかった。


 その少女は猫耳をはやした真っ白なフードを目深にかぶっている。その手には、こちらも真っ白の短いステッキのような杖を、しっかりと握りしめていた。


「めっ、メルル様……おししょーが、おししょー様がこのままじゃ死んじゃう……」


 舌ったらずな声で地に倒れている男のことをそう呼んだ少女は、今にも駆け寄りたそうにしている。


「はぁ?何を言ってますの、あなた。私はコイツを殺しに来たんだから、コイツは死ぬに決まっているじゃない」

「でっ、でも……おししょーが……」


 少女はメルルの背中の後ろで怯え、震えていたが、やがて意を決し、地に倒れ伏した男の下へ駆け寄ろうと一歩を踏み出した。


「セラフィ、私を裏切りますの?」


 そんな少女に、聖女メルルが背後から釘を刺す。


「ここから一歩でもあの男に近寄ったら、このペンダントは破壊しますわ」

「そっ……そんなッ!?」

「これはあなたにとって大切なものなのよね。あの男よりも大切なモノ。聖教会に殺されたご両親とあなたとの唯一のつながり。


 だから、あなたはここから一歩も前に進まない」


 瞬間、セラフィは動きを止めた。怯えた瞳からは恐怖が消え、すくんだ足はもうふるえてなどいない。


 そして、静かにこう言った。


「わかりました、メルル様」

「わかれば、いいのよ」

「マジョルカがもうすぐにここに来ます」

「そう、迎え撃つわよ」


 夜の帳、それとまったく同じからす色のナイトドレスを着た長身の女性が不意に闇の中から現れる。魔女らしいとんがり帽子をかぶった彼女の瞳はすでに漆黒に溶けこみ、そこには星空に似た景色だけが広がっていた。


「お師匠様、私のもとを飛び出してすぐに死にかけるなんて……次にお師匠様を拘束するときは鉄の鎖にした方がいいのかしら?」

「マジョルカ、よくも聖教会をいい様に利用してくれたわねッ!この裏切者がッ!!!」

「あら、聖女様……それにセラフィまで?あなたたちもこっちの世界に来ていたのね?そう、あなたもお師匠様を……」


 マジョルカは言いながら、瀕死のお師匠様の方ににじり寄った。しかし、聖女メルルがその道をふさぐ。


「メルル様、気を付けて。マジョルカは薬の瓶を投げようとしています」

「……そうね、セラフィちゃんにはこんなのバレバレよね?」


 セラフィは占星術を得意としている、だから彼女に隠し事は出来ないことをマジョルカは思い起こした。


 マジョルカは薬の瓶をあらぬ方に投げ捨てる。それは割れて、薬が飛び散るはずだった。


 それがマジョルカの狙いで、少なくともその場所にはメルルたちは足を踏み入れることが出来なくなる……はずだった。


 しかし、そうはならなかった。


「お前たち、遅刻よ。ショーはとっくに終演したわ」


 重そうな鎧をカチャカチャと鳴らした聖騎士の一人が、薬瓶が地面に落ちるすんでのところでキャッチした。


「もうアタシはここに用はない。後始末は任せるけれど、失敗したら次はお前たちを処刑してやる!」


 メルルはそう言うと、セラフィと共に姿を消した。


 残された聖騎士たちは、容赦なくマジョルカに刃を向ける。


「戦いは戦闘バカの妹弟子アリスの役割のはずなのに……あの娘はいつも肝心な時にいないのよね?」


 それくらいしか役に立たないのに……マジョルカは静かにそう呟いた。その間も、この状況をどうするべきか思考を高速で巡らせている。


 お師匠様は、おそらくまだ生きている。


 けれど、すぐに治癒魔法を使わなくてはいつ死んでしまうかわからない。もしもお師匠様が今、死んでしまえば、転生薬の調合は絶対に間に合わない。


「戦闘は苦手なのよ――」


 そう言って、マジョルカが服の中に仕込んだありたったけの薬の瓶を両手に構えたその時、


「助けて欲しいですか、マジョルカ?」


 死神の大鎌を構えたメイドが……違う、ギルドで寝泊まりしているアリスは今、暖かそうな寝間着に身を包み、あくびをした。


「アリス、それは違うわ。役立たずの妹弟子にお姉ちゃんが活躍の機会を与えてあげるのよ」

「マジョルカ、あなたはいつも偉そうでムカつきます」

「お師匠様を見限ったあなたのしりぬぐいを、私がしてあげたことを忘れないで」

「その件についてはまだ決着がついていませんからね、マジョルカ?」


 その時、雄たけびを上げて聖騎士たちが2人に襲い掛かる。 


「ですが、まずはマスターを助けましょう、マジョルカ」

「そんなことよりもお師匠様を助けるのが先よ、アリス」


 二人が聖教会の騎士を蹴散らすのに、それほど時間はかからなかった。

 

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