師匠、弟子に監禁される。②
頭が、ずきずきと傷む。
視界がおぼろげで、霧の中にいるみたいにひどく霞んでいる。反射的に体を起こそうとして、俺は何かがお腹の上に乗っていることに気が付いた。
それは柔らかく、生暖かく、そしてわずかに拍動していた。
その正体を探ろうと目を凝らしていると、やがて焦点が定まり始める。それが人であると気づいたのと、その正体を見破るのに成功したのは、ほとんど……いや、全くの同時と言ってもいい。
こんなことをするバカ弟子は、前世でも今世でもたった一人で十分すぎる。
「マジョルカ、どういうわけだ?」
体の上に乗っている彼女の肉体を押しのけ、ベッドから起き上がろうとした俺は、両手両足がロープで縛られていることに気付いた。
「マジョルカ、悪ふざけはやめろ。すぐに縄をほどけ!」
「だって、仕方なかったんですもの、お師匠様?こうするしかなかったんです?このやり方が絶対に他に選択の余地がない、唯一の手段だったんですもの?」
「いいや、俺は師匠としてお前に教えておく。他に手段はいくらでもある」
マジョルカの思い込みの激しさ。その怖さを、俺は文字通り死ぬ思いをして体験したはずなのに、何故、こんな事態に……とおもい返せば、まだこいつに説教をしていないことを思い出した。
「マジョルカ、ここから脱出したら、俺はお前の視野の狭さを矯正するための地獄の特訓計画を考えてやる」
「お師匠様が私のことをそんな風に思ってくれてるなんて、弟子としてこんなにうれしいことはありません?喜んでお付き合いします、お師匠様?」
「じゃあ、今すぐに俺を解放しろ。いろいろあって忘れていたけれど、お前に説教するところから始めないとな」
それは出来ません……マジョルカはそう呟くと、俺の上にぴったりと体を重ねた。胸の奥から響く、弟子の鼓動の音が、俺の音に重なった。
「聞いていただきたいお話があるんです?」
「こんな風に監禁しなくても、弟子の話なら、俺はいつでも聞いてやる」
「緊急事態ってヤツなんですよ、お師匠様?」
お師匠様は事態の深刻さにいまだに気付いていないようですが、話を聞いていただければきっと納得していただけます、マジョルカはそう付け加えた。
「お師匠様は私と出会った時のことを覚えていますか?」
「……そりゃあな。俺の師匠に初対面の少女をいきなり弟子に取る様に言われたんだ、忘れる訳もない」
「その後で、アリスとセラフィもお師匠様に弟子入りしました?その間も当然、聖教会から逃げ回る日々は続いていて……だから、お師匠様には時間がなかった?」
一体、何の時間だ?
「”恋”をする時間ですよ、お師匠様――」
”恋”……リモネに抱いていた不思議な気持ちに、もし名前を付けるならばそれなのだろうか。
「お師匠様は人を好きになったことがないし、恋をしたことがない。
弟子を守りながら聖教会から逃げ回ることに必死で、そんな余裕なんて少しもなかった。
だから、お師匠様は恋を知らない。」
「俺が告白しようとしたのを邪魔したのはそれが理由なのか?恋を知らないから、彼女を好きになるなとそう言いたいのか?」
「お師匠様の恋路を邪魔するつもりは少しもありません?全てはお師匠様の幸福のために?私の行動原理も、存在理由もそこ以外にはありませんよ?」
だから、お前は怖いんだ。俺がそう言おうとしたとき、マジョルカは更に俺に体を密着させる。お互いの足を絡めるように、肢体を艶めかしく動かした。
もちろん、俺はそうされても何も感じない。マジョルカは弟子で、家族みたいなものだから……。
「マジョルカ、もしかして寂しいのか?
確かに俺が万が一、リモネと付き合うことにでもなったらお前にかまってやる時間も無くなるかもしれない。
でも、もうお前も俺も大人になったんだし、親離れしないとな。
お前のおかげで転生したこの世界でこれからはお互い平和に暮らしていけばいいし、何ならお前だって恋をしたらいいし……」
きっと寂しさで一杯の弟子に、何を言えばいいのかわからず、俺は余計なことばかり口にしてしまう。寂しい想いはさせたくないが、ずっと一緒にはいられない。
「……寂しい?
まさか……違います、お師匠様。だから、私が言いたいのは……」
マジョルカは俺の耳元で何かをささやいたが、俺はその言葉の意味をすぐに理解できなかった。脳が理解を拒むほどの衝撃を、マジョルカのささやきは俺に与えた。
信じられない、いや信じたくない。そんなことがあっていいのか。いや、ありえるはずがない。
頭がパニックを起こし、薬を盛られたわけでもないのに天地がひっくり返ったような衝撃を感じた。
「マジョルカ、嘘だと言ってくれ。お前はまた俺を裏切ったんだよな。だから、そんな嘘をついているんだよな」
マジョルカの口から再び真実が明かされる。それは俺には耐えられそうもない事実だった。
「お師匠様、現実から目をそらさないでください。
リモネの顔は、お師匠様を処刑した聖女メルルの顔そっくりです。
あなたが彼女の顔をみてドキドキするのはそのせいです。
リモネと話すとき、ぎこちなくなるのは処刑のトラウマのせいです。
あなたはリモネのことを好きでも何でもないんです」
何が?何を?どうして?夢?異世界?転生?処刑?
訳が、訳が分からなかった。
監禁場所を飛び出した俺は、真夜中のマチをあてどなく放浪する。そしていつしか王都で二番目に大きい建物、すなわちギルド・銀の王国の本拠にたどり着いていた。
その建物の前に見覚えのある顔の女性が、ひとり立っている。
彼女に思いを伝えようとして、俺は失敗した。そして、その思いはそもそも勘違いに過ぎなかった。
もう彼女に合わせる顔がない。
だから、俺は逃げ出したかった。そうしなかったのは、本当にこの思いが偽物なのか確かめたかったからだ。
「リモネさん……こんな時間にどうしたんですか?」
「ようやく見つけたわ。ずっとあなたのことを探していたのよ」
「それはすみません……俺にもいろいろあって……」
不意にリモネがこちらに向かって駆け出す。俺の胸に飛び込んでくるリモネを、俺の初恋であろう、あるはずだった女性を、受け止めずに避けるなんて真似ができるはずもなかった。
「ぎゃはははははははははは」
だから、俺は気づかなかったのか。よく目を凝らせば、彼女に少しでも疑いの目を持っていれば……夜目が効く星瞳術師ならば、気付こうと思えば気づけたはずだ。
「聖女様に感謝と祈りを捧げなさい、腐れ術師!アンタを刺し殺すためだけに、みんなのアイドルが世界を超えてまで、アンタに復讐しにやって来てあげましたわーーー!!!」
リモネ?がその手にナイフを持っていたことに。
彼女の眼の横に氷の粒のような鱗が生えていないことに。
俺がリモネのことを少しでも警戒していたら、気付いたはずだった。目の前の女がリモネにそっくりの別人であることに。
「別の世界に転生した?ふざけないでいただけます?聖女様を騙すなんて、謀るなんて、嘘をつくなんて、許されるわけがありませんわッ!!!
みんなのアイドルは失敗なんてしませんのッ!たとえ異世界だろうとどこだろうと、アンタが生きているなんて、絶対に許されないことですわーーーッ!!!」
生暖かいものが口の中に溢れ出す。零れ落ちるそれはすくってもすくっても溢れ出して止まらない。
立っていられずに地に倒れ伏した俺の顔をリモネ?が踏みつけた。
「げふっ!?」
「そうやって地に這いつくばっているのがあなたにはお似合いですわーーー。星の瞳なんて、あなたには過ぎた代物ですわーーー」
キミは、お前は、コイツは一体、誰……!?
「みんなのアイドル、聖女メルル様が醜い星瞳術師の処刑の完了をお知らせいたしますわーーー!!!」
メルルが高らかに勝利宣言をする。俺はそれを無様に地に這いつくばって聞いていた。
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