師匠と蛇神の呪い。②


 カフェテリア・モノクロニズムの店内は、沈黙の魔法を誰かが唱えたみたいに静かだ。


 ルビーは救いを求め、しかし声をあげれば、その声に応えた誰かを”石化”させてしまう。石化した冒険者たちは、今も凍り付いたままギルドの一室で冷めない眠りについているのだという。


 まるで泥の中に静かに沈んでいくような恐怖と苦しみを与えるその呪いは、自分の縄張りに紛れ込んできた弱者をいたぶりたいという歪んだ願望を叶えるのに、最適な形をしているように思えた。


「でも、呪いはそれで終わりじゃないのか?つまり、クエストは封印されて石化する冒険者もいなくなったんだろう?」

「あの蛇神がそんなことを許すわけないわ。アタシもゆっくりと石化しているのよ。まるで生贄をよこせってメッセージを送っているみたいにね」


 ルビーが服をまくり上げて、白い腹を見せた。ざらざらとした灰色の石が彼女の脇腹に大きく食い込んでいる。


「そろそろアタシも限界みたい。だから、最後の足掻きにアイツを一発でも殴ってやろうと思って、アリスさんに弟子入りを頼んだのよ」


 ルビーの涙をリモネがハンカチを取り出してぬぐった。


「マスター、話は聞きました」


 ウワサをすればなんとやら、アリスが唐突に現れる。おそらくルビーの話を邪魔しないように物陰に隠れていたのだろう。意外とそういう気を使えるんだな、と変なところで感心していると、


「ルビーのことを助けましょう」


 アリスが真剣なまなざしでそう言った。


「なんだいきなり?」

「弟子が困ってるんですよ。助けるのはマスターの役目です」

「俺はルビーを弟子にしたわけじゃない」

「……じゃあ、見捨てるんですか?」


 そう言ったアリスはそして、俺の耳元に唇を寄せた。


「――マスターはサイテーです」


 ささやき声にぞくりとする。いつもはわざとらしいほどに幼いアリスが、時折見せる残酷さは果たしてどこから来るものなのだろうか?いや、それも子供らしさなのかもしれないけれど。


 まぁ、ここまで首を突っ込んでおいて突き放すのはどう考えても気分は良くない。気分は良くないが……


「なぁ、ルビー。アリスならその蛇神に勝てると思うか?」

「それはわからない。アタシが見た冒険者の中で一番強いのは間違いないけれど……そもそも依頼を受注した時点で、みんな石化したからアイツと戦うことさえも出来てないし……」

「じゃあ、依頼を受けないで蛇神を倒しに行ったらどうなるんだ?」

「さぁ、どうかしらね?試したことはないわ」


 その時、何か細長いものが視界の端を横切った……気がする。しかし、俺は気に留めずに話をつづけた。


「アリスはやる気みたいだけどな……」

「マスターの命令とあれば、その蛇神の胴体を真っ二つにしてあげます」

「そうだな……」


 俺は少しの間、考え込んで、


「じゃあ、アリス頼めるか……」


 最強の弟子に助力を願った。師匠としてあまりにも情けないけれど、今はこれがルビーにとっての最善なのは間違いない。


 その時、再び影が視界の端をよぎる。アリスもルビーも反応しているので、今度は気のせいではない。その影はみるみるうちに大きくなり、やがてモノクロニズムの室内すべてを容易におおいつくした。


 机と椅子の下、植木鉢の後ろ、照明の影、そのすべてをぐるぐる巻きにするような巨大な蛇の……いや、蛇神の幻影がすべてをおおいつくす。


「我が名はヴァイス、東の森を統治する神である。ルビー、久々の供物、ありがたく受け取ろう」

「ひッ!?」


 ルビーが短く悲鳴を上げた。イヤ、イヤと彼女は呟きながら後ずさりし、そして尻もちをついた。


「ごめんなさい、ごめんなさい」

「ルビー、今どんな気分だ?教えてくれよ、お前が救いを願えばどんどん呪いは広がっていくんだ。お前は今、どんな気持ちだ?絶望したか?それとも心の底でほくそ笑んだか?頼むからオレに教えてくれ、ルビー」


 頭を抱えたルビーに巻き付く様に蛇の幻影は動いた。


「答えてくれないのか、ルビー。お前ももうすぐ石化するんだ、ルビー。だから、オレのところに来るつもりなんだろ、ルビー。最期の足掻きをオレに見せてくれるんだろう、ルビー。俺はその時を楽しみに待っているぞ、ルビー」


 そう言った直後、巨大な蛇の影が溶けた。溶けて消えてなくなった……かに思われたそれは灰色の重い霧になって爆発した。


「みんな逃げてッ!」


 リモネがそう叫ぶまで、俺はぼーっとそんな悪夢のような景色を眺めていた。


「――マスターッ!!!」


 叫んだアリスが俺をカフェの外まで突き飛ばす。


 直後、カフェテリア”モノクロニズム”の中は石化の煙で一杯になった。そして、瞬く間にその煙は何事もなかったかのように消滅した。


 だが、その威力は明らかだ。モノクロのインテリアも、執拗なまでに置かれた観葉植物たちも、そして逃げ遅れた冒険者たちもそのことごとくが石化し、灰色でごつごつした触覚以外に何も伝えなくなった。


 俺はその中から一人を見つける。もっとも大切な一人を。


「アリスッ!?」


 俺はぐったりと倒れ込んでいる弟子の下へと駆け寄った。幸いまだ息がある……まだ間に合うかもしれない!


「よかった……今度こそマスターを守れました」


 しかし、俺の希望的観測も虚しく、アリスもすぐにカフェのインテリアと見分けのつかない質感となってしまう。


「くそっ!油断しすぎだ、俺はッ!!!」


 無力な師匠は、拳を地面を打ち付けることしか出来なかった。


「まずは落ち着きなさい」

「落ち着いている場合かッ!アリスがッ!!俺の大切な弟子がッ!!!」


 その時、動くものはみな石化したと思われたカフェの中に動くものがあった。倒れてきた店員の石化した体を押しのけて、彼女は立ち上がった。


 石化の霧を完全に浴びているのに、ルビーは何事もないように立ち上がり、そしてあたりを確認するとその場で崩れ落ちる。大声で泣き始めたルビーのことを見て、俺の怒りは行き場を見失ったようだ。

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