師匠と新しい弟子。①


 ギルド本部にあるカフェ”モノクロニズム”の中では、今日もゆったりとした空気が流れていた。なんだかんだ言って通いなれたこの店のことを、俺は少しだけ気に入り始めている。


 ここでウェイトレスとしてアルバイトをしているアリスは、俺の杞憂に反してトラブルを起こすこともなく、順調な日々を過ごしているらしい。


 だからこそ、俺に彼女の暴走の責任を押し付けるような噂が流れるのだが……。


 ギルメンから恨まれはしているものの、アリスの暴れっぷりをギルメンは知り尽くしていて、彼女に喧嘩を売るようなバカはいないらしい。愛想よく、気分良く、彼女はここでの生活を満喫しているという。


 俺の方は、今日も今日とてそんなアリスのおごりで飯を食っている。ギルドへの所属の件はとある障害のせいで棚上げされていて、今の俺には出来ることがないので、ぼーっと飯を食うだけの日々を過ごしている。


 そうこしていると、ちょうどリモネがカフェに入ってきたのが見えた。彼女は迷わずこちらに突っ込んでくると、迷わず机の上に突っ伏す。俺は、机の上から素早く食器を避難させ、食べかけのオムライスの無事をなんとか確保した。


「だばーーーッ、疲れたーーー」

「貴重な食料なんですから、危害を加えるのはやめてください」

「いつまでも弟子におごってもらってるんじゃないわよ、情けないわね」

「いつまでもあなたたちがギルドに加入させてくれないせいでしょ」

「いつもみたいに、あなたが持ってくる厄介ごとのせいで疲れたって言ってるのよ。だから、私の勝ちよ」


 よくわからない勝利宣言をしたリモネだった。


 リモネの言う厄介ごととはつまり、ギリオンがあの後で本当に王都から消えてしまったことだ。それはギルドの中で少しだけ騒ぎになり、”全ての黒幕”というありがたくない称号を得始めた俺の陰謀説まで流れ始めている。


 とにかくそのせいで俺はギルドに所属できず、クエストを受注することも出来ず、収入を絶たれ、弟子に奢ってもらい食をつなぐ情けない存在へと成り下がっていた。


 リモネがアリスを呼んで、注文(どうせこれも俺のおごり、つまりはアリスの給料から天引きされる運命にある)を済ませた。


「それで良い報せと悪い報せがあるんだけど、良い報せから言うわね」

「そう言うのってどっちから聞きたいって聞くモノじゃあないんですか?」

「別にいいでしょ。私が話し易い方から話すわよ」


 どこか横暴なリモネさんはやはり疲れているのだろう。ギルド勧誘の件で迷惑をかけている自覚もないわけではないが、基本的には何も言わずに隠居したギリオンが悪いに決まってる。


「良い報せってのはついにギリオンさんの居場所をついに突き止めて、引継ぎもろもろ完了したってこと。つまり、あなたは今日から正式なギルドメンバーよ、おめでとう」

「ありがとうございます」

「そう……嬉しい?」

「えぇ、嬉しいですけど……」


 それは本当にいい報せだ。これでようやく弟子のヒモから脱出できる。リモネさんが殊更に素敵な、輝く笑顔を作ってこっちを見つめたので、俺は心臓が飛び出すほどにドキドキした。


「それはぬか喜びよ。じゃあ、悪い報せの方を言うわね。ギリオンさんの居場所を突き止めたことで、彼の引退をギルドが正式に承認したわ」

「リモネさんはギリオンさんとお知り合いか何かだったんですか?それで残念な知らせだと……俺は彼とは少し話しただけであまり思い入れもなくて……」


 とにかくそれが悪い報せだとは思えない。ギリオンの隠居は予想外だったけど、それは予定外ではない。


 リモネさんは素敵な笑顔を崩さずに俺を今も見つめているが、その笑顔がどんどんとわざとらしいものになっていく。俺はついにその視線に耐えられずに目をそらした。


「いいえ、そういう意味じゃあないの。今日でクラン・”暖炉に投げ込め!ライブラリ・アウト”のクランロードが不在になったってことよ。次のクランロードを一か月以内に決めなければ、あなたたちはギルドから除名されることになるわね」

「あの俺……ギリオンさんからクランロードの地位を譲られたんですけど……」

「残念だけど、あなたにはその資格がないわね。クランロードになるには、A級以上のクエストをクリアする必要があるわ。


 一か月以内にA級クエスト攻略……言っててなんだけど、まず不可能だわ……」


 こうも完全に不可能だと断言されると、俺にも反発する気持ちがないわけではない。そのことをリモネさんは俺の表情から読み取ったらしい。


「不満そうね。でも、これはあなたの問題じゃないの。


 クランロードになる資格がA級以上ってことは、まともなクランならA級クエストは攻略可能ってこと。つまり、めぼしい近場のクエストはすでにほとんど消化済み。


 残っているのはどうしても時間がかかるモノばかり。だから、これはクエスト難度の問題じゃなくて、時間の問題なのよ」


 リモネの少しも隙の無い説明に、俺はぐうの音も出ない。


「あとで今、受注可能なA級クエストの一覧をあげるから取りに来なさい」


 ちょうどその時、リモネが注文したケーキセットをアリスが運んできた。ここのケーキセットは日替わりで3種類のケーキから選べるが、今日は砂糖が粉雪みたいに振りかけられた漆黒のチョコレートケーキのようだ。


「お待たせしました、お客様」


 そのチョコレートケーキが重力にしたがって落下した。アリスがいきなり銀のトレーをひっくり返したからだ。俺とリモネはあわててケーキセットを落下死から救い出す。


「あー、びっくりした。何をやってるんだ、アリス」

「いきなりどうしたのよ、アリスさん?」


 アリスはこちらの言葉に耳を貸さずに、ただ人の背丈ほどの植木の方を見つめ続けている。


「いえ、今確かに殺気を感じたんですが……」


 そうは言われても植木の後ろには誰もいない。


「こ、こ、こっちよ。アリス・ダブルクロス、あなたに用事があるわッ!」


 その時、別の方角からそんな声がして、俺達は一斉にそちらに振り向いた。しかし、そこにはやはり誰もいなかった。

 



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