師匠とリモネのティータイム。
その彼女は俺のことを見つけると、つかつかとこっちに向かって歩いてくる。そして、いきなりテーブルの上に突っ伏したので、俺は急いでティーカップとケーキを避難させた。
「だばぁーーー、疲れたーーー」
こちらの世界の数少ない知り合いのひとり、リモネは机の上でしばらく動きを止めていたが、おもむろに手を挙げると店員を呼び止めて注文する。
「ここはあなたのおごりよ」
「なんでっすか……」
「なんでってあなたのせいで疲れてるからよ。あなたとあなたの弟子のしでかしたクーデターの後片付けの事務処理を私とヴェルサで頑張ってるの。おごってくれてもバチは当たらないわ」
「そう言われるとおごりたいですけど、あいにく今は持ち合わせがなくて……」
「この上、無銭飲食までしようっていうのかしら?」
宝石を張り付けたような鱗の生えたその目で見つめられると、心臓が早鐘のようにうった。どうしてだかわからないが、彼女の顔を見ると胸が締め付けられるように苦しくなる。話し方もどこかぎこちなくなっている気がした。
「賠償金の件はどうなったのかしら?あれ、私も計算を手伝ったんだけど、とても個人で返せるような額じゃないわよね」
リモネはようやくきちんと席に座ると、真剣な顔をしてそう尋ねた。俺はそんな彼女にギルマスとの今朝の会話を伝えた。
「バカなことをしたものね。あなたの弟子がしたことなんだから、弟子に責任を取らせなさいよ。あの娘、あなたのいうことなら聞くはずでしょ」
「そうなんですけど……」
「私としてもその方が都合がいいのよ。あのね、あなたは異世界から来たからこっちの事情が呑み込めていないかもしれないけれど、この世界のギルドってクランの集合体に過ぎないの。所属しているクランの中でもっとも強いクランが他のクランを従えているってわけ。
そういうわけだから、クーデター騒ぎは日常茶飯事ではあるのだけれど、未遂でも起こされたということ自体がギルマスの権威とカリスマ性の陰りとみなされる。
……つまり、近いうちにまた”同じこと”が起こるかもしれないわ。クーデターは癖になる、なんていうわね」
そこで注文していたモノが届き、リモネは紅茶をすすった。
「強すぎるアリスさんがギルドに所属していれば、それだけで抑止力になる……だから、出来ればあなたに考え直して欲しいのよ」
さっきまで同じ場所に座っていた俺の弟子とリモネのあまりの違いに、俺は苦笑するしかなかった。年はきっと似たようなものなのに、この違いはなんなのだろうか。
「なんていうか、リモネさんってしっかりしてますよね」
「いきなりなんの話?」
「えぇと、さっきまでアリスがその席に座って……」
噂をすればなんとやら。その時、アリスが戻って来てこう言った。
「――ご注文をおうかがいします、お客様」
さっきまでとは違うデザインのエプロンを付けたアリスが、お盆と注文票をもってそこに立っていた。
「何をしているのかしら、アリスさん?」
「私、今日からここで働きます、マスター。ここのケーキのおいしさに感動したんですッ!」
目をきらきらと輝かせながら、アリスは高らかにそう宣言した。よく見るとエプロンだけでなく、いつものメイド服でもなく、このカフェの制服をアリスは身に着けていた。
「アリス、その制服どこから持ってきたんだ?」
「私は今日からここの店員です。それでマスター……じゃなかったお客様、ご注文をおうかがいします」
俺とリモネは、顔を見合わせた。
「どいうことか説明してもらえるかしら、アリスさん?」
「どういうことって、パティシエの方に雇ってくださいとお願いしただけです。そしてら、すぐに採用されましたッ」
「どうなってるの?ギルドはたしかに人手不足だけど、このカフェの求人募集はしてないはずよ」
歓びの極みにあるのか、アリスは嬉しそうにその場でくるりと一回転する。フレアスカートが柔らかく広がった。
「アリス、まさかパティシエのことを脅したりなんかしてないよな」
「まさかッ!!!ここのパティシエのことを、私はマスターの次に尊敬しています。ただ私は名前を名乗って、お願いしただけです。そしたら、すぐに雇ってくれました」
アリスはにっこりとほほ笑んだ。無邪気なその笑顔に少しだけ恐怖を感じ、オレとリモネは同時に苦笑いを浮かべる。
――アリス・ダブルクロス。
この名前の恐ろしさは、ギルドの全メンバーの脳みそに刻まれていることだろう。
やがて唖然としていたリモネが気を取り直して、ため息とともにこう言った。
「
「ありがとうございますッ!」
俺は立ち上がり、リモネに頭を下げた。
「ここはおごります……アリスが。だからなんでも頼んでくださいッ」
「そう、じゃあ遠慮なく。アリスさん、これとこれ、あとこれもお願い」
「かしこまりました、お客様。少々お待ちください」
軽やかな足取りの弟子の後ろ姿はやけに嬉しそうだ。俺は彼女の背中を目線で最後まで追いかけていたが、やがて厨房の中へと消えていった。
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