失恋女に酒精
dede
主人公は貴女
私は今部屋で一人お酒を飲んでいる。
ツマミもなく、左手の手紙を握りしめながら飲んでいる。テーブルに伏せてた体を起こし、
「世界なんて、滅んじゃえ」
そう呟いてから私は、ペアグラスの半ばまであった液体を一気に空にしてもう一度一升瓶から大吟醸をとくとくとく、なみなみと注ぐ。
億劫で照明も点けてない部屋だったが、しかしベランダの窓からは月明かりが射して案外と明るい。グラスの透明な影が長く伸びる。
「人生だって、どうでもいい」
もう一度私は呟いてまたグラスを傾けた。そしてテーブルに突っ伏す。一升瓶にはまだたくさん残っている。とっとと飲み切りたいが一人では先が長そう。もう何もかもが見たくなくて目を静かに瞑る。
「つまんね」
『本当に。貴女、つまらなく飲むのがお上手ですね?』
一人でいるハズなのにそんな声が聞こえて薄っすらと目を開けた。
すると私の目の前に手のひらサイズの女の子が立っていた。着物姿で背中まで伸びた黒髪。可愛らしい顔立ちなのに表情が抜け落ちているので怜悧に見える。そんな彼女が冷ややかに私を見ている。
「飲み過ぎたか」
幻聴・幻覚って初めて経験した。
『酔いのせいではありませんわ?』
小さな手で私の頬を抓る。痛かった。
「痛い」
彼女は更に捩じった。
「これは罰ですわ。お百姓様に謝ってくださいまし。杜氏様に謝ってくださいまし。トラックのあんちゃんに謝ってくださいまし。こんなつまらない飲まれ方をされたくて汗水たらした訳ではありませんわ?」
「ご、ごめんなさ~い!?」
あまりの痛さに出た謝罪の言葉。しかし次いで出たのは言い訳の言葉だった。
私は涙目になりながらも
「でも私だって笑顔で飲みたかったんだよぉぉぉぉ」
一度零れてしまったものは歯止めが効かず、ペアグラスを割れんばかりに握りしめながら泣き喚いていた。いつの間にか私を抓っていた指は離され、代わりにそんなワンワン泣く私の頭を丁寧に手の平で撫でるのだった。
『落ち着いたかしら?』
「はい……多少スッキリしました。それで貴女は?」
『大吟醸の精霊よ。名前はないから好きに呼んで貰って構わないわ』
「えーと、では大吟醸たん?」
『たん?』
「知りませんか? 2000年代に流行ったんですよ、擬人化。備長炭のびんちょうたんとか、ふたば裏掲示板でOS娘のMeたん」
『その話、詳しく』
彼女が前のめりになる。
「なぜ食いついたんです? そんな事に紙面割かないですよ?」
『……商品化の参考にしようと思って』
「はぁ、お嬢たんヒットしたいんですか?」
『最近日本酒って売れなくて……って、好きに呼んでよいと言ったけどさすがに原形留めてなさすぎじゃない?』
「では、お醸たん。改めまして、お恥ずかしいところをお見せしました」
『いいのよ。でも一体どうしたの?』
「彼氏に振られました」
『あらあら。それはそれは』
「初めて一緒に祝う彼の誕生日で、彼の好きなお酒も料理も用意して意気揚々と帰宅したら郵便受けに合鍵と"他に好きな人ができた"と書かれた手紙が入っていて、部屋からは彼の私物と現金3万6千円が消えてました。ラインは既にブロックされてました」
『……あらあら。それはそれは。いや、イヤイヤイヤイヤ、それは相手が随分クズくない?』
「でも好きだったんです! わーーーーんっ!」
私はグラスを傾け、ごくごくと飲む。
『私が言うのもなんだけど、そんな飲み方は体に悪いわよ?』
「いいんですよぅ、もうどうなっても」
喉を、胃を、アルコールが熱くする。気持ち良くなった私はふぅっと、アルコールを含んだ空気を吐き出す。すると、彼女が僅かばかり大きくなった。
「お醸たん、大きくなりましたか?」
『私は気化したアルコールの集合体だから』
「本当に
『危ないから火を近づけてはダメよ?』
「それ、危ないの私ですよね!」
『あら、どうなってもよいのではないの?』
「焼死はいやだー」
『笑止』
「それ、言いたかっただけでしょ!」
私は肩で息をしながら、空になったグラスに日本酒を注ごうとする。と、それをお醸たんが片手で制した。
『二人でいるのに手酌なんて無粋よ』
すると、その手に体の半分ほどの徳利をポンと出現させると私のグラスにとくとくとくと注ぎ込む。
「ありがとう。でも、見た目よりも多くお酒が出てますね」
『メルヘンだもの』
「20歳未満お断りメルヘン!」
私はケタケタ笑いながら、注いで貰ったお酒に口をつける。
「ん、美味しい!」
『調子出てきたじゃない?』
「お醸たんが、ツッコまずにはいられないような事ばかり言うから」
『二人で飲めば大抵そうなるわよ? やはり酔っ払いはそうでなくてはいけないわ』
「あたしゃ酔ってなんて、全然ありゃしませんよ~?」
彼女はきっぱりと言う。
『いいえ、始めから酔ってました。振られて、悲劇のヒロイン気取りで、世界で一番不幸みたいな顔をしてました』
「……」
『でもいいのよ。酔いなさいな。この世界を素面で生きるのは辛すぎるもの。悲劇の自分、仕事のできる自分、頑張ってる自分、天才の自分。酔いしれなさいな。
「……酔いの力を借りないと、何もできないの、格好悪くないですか?」
『格好悪くなんてないわ。何度も言うけど素面で生きるにはこの世界は辛すぎる。助けになるものは何でも利用しなさいな。世界は酔い痴れるためにあるの。なら、勝利の美酒を味わうために、使えるものは使えば良いの』
「そんなナリで説教なんて、生意気だよ。えいっ」
私はそんな人形さんみたいなお醸たんに軽くコツンと当たる程度の力で指を弾いた。ところが指が当たったところのお醸たんの体は拡散し、指はすり抜けてしまった。指がすり抜けるとすぐ彼女の体は元に戻った。彼女は自慢げに胸を張る。
『ふふん、酒精の集合生命体たる私に物理的ツッコミは無効よ。私は無敵なの』
「むー?」
私は少し考えた後、言葉を選んで彼女の耳元で囁いた。
「この、売れ残り」
彼女は膝から崩れ落ちた。このメルヘン生命体、メンタル紙装甲だな!?彼女は頭を抱えて暗い顔をして独り言を呟いていた。
『……返品……在庫……廃棄、くっ! 貴女、なかなかやるわね、ってあなたも暗い顔してどうしたの?』
「さっきの言葉、私にも刺さりました」
よく考えればブーメランだった。失恋……婚活……老後、ぐはっ!
「やめましょう。チクチク言葉、良くない」
『そうね、不毛だわ。酔いも醒めちゃう。飲み直しましょう』
彼女は徳利と御猪口を取り出すと自分で注ごうとする。そんな彼女の頭に私は二度目のデコピンをかました。
『なにかしら?』
「手酌は無粋、なんでしょう? ほら、御猪口出して」
私はがしりと一升瓶を掴んだ。その様子を見て彼女は手元の御猪口に視線を落としボソリと呟く。
『これじゃ小さいわね』
彼女は持っていた御猪口を仕舞うと、抱えるほどの大きさの御猪口を新しく出現させた。
『これにお願い』
「ん」
私は一升瓶を傾けて、彼女の御猪口にチョロッと注ぐ。彼女はそれを受け止めると、私のグラスにカチンと当てた。
『乾杯』
「乾杯」
私も彼女の御猪口にぶつけると、もう一度だけカチンと鳴った。二人は口元にお酒を運ぶとコクリと喉を鳴らす。そして彼女は満足げにぷふぁーと息を吐いた。
『人にお酌して貰ったお酒は美味しいわね』
「大袈裟な」
『お酌というのはね、相手の幸せを願う心が込められてるの。だからそれだけで充分美味しいのよ』
と、そういう彼女の表情は和らいでいた。
「お醸たん、チョロい」
『無敵って言ったの訂正するわ。メンタルは紙なの。いいじゃない、ちょっとした事で一喜一憂。酔ってるんだと思って流して頂戴な』
「ううん。貴女が私に酌をしてくれたのって、そういうつもりでしてくれたんだよね。とっても嬉しいよ。私も酔っ払いだから。一緒に一喜一憂、いいじゃない」
『……ふふ、そうね。いっぱい飲んでいっぱい泣いて笑ってしましょうか。私たち、酔っ払いですものね』
その後、お醸たんと遅くまで飲んで、いつの間に寝たのか気がつけば朝だった。
まだお酒臭い室内を見回してみてもお醸たんの姿は既になかった。記憶がトばなくて良かったと安堵する。いっぱい騒いだせいか、失恋の哀しかった気持ちは楽しい思い出にすっかり上書きされてどうでもよくなっていた。
頭も痛いし、気持ちも悪いが悔いはない。今日の休日、まるっと潰れるだろうなぁと思いながら、あの楽しかった時間を反芻するのであった。
失恋女に酒精 dede @dede2
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます