超能力学級崩壊
@chizutamaboko
第1話
●超能力学級崩壊 re2
普通の人にはできないことを、できることが、超能力だろうか。
普通の人は、手から火をだせない。
普通の人は、触ることなく物を動かすことができない。
普通の人は、コップの水を冷やすことができない。
だから、それができるということは、超能力、なのだろう。
けれど、手から火がだせなくても、人は火を扱える。
マッチをこすれば火をつけられるのだ。
物を動かすのだって、触って動かせばいいだけだ。
コップの水がぬるいなら、氷を入れればいい。
それは、普通の人にはできないこと、なのだろうか。
超能力と、いえることなのだろうか。
「あつい」
それでも、超能力なのかもしれない。
僕は疑っているけれど、僕じゃない誰かは、それを超能力とよぶ。
僕が、氷を使わずに、コップの水を冷やせることは、超能力なのだそうだ。
氷を使わないで、というところは、普通の人にはできないから。
超能力で冷やした水を、僕は飲む。
汗をかいてしまうほどの体温が、これでいくらかましになっただろうか。
けれど、この汗は、超能力のせいなのだ。
「なにやってんだろ」
そんな、超能力を扱える人が、たくさんいる。
どれくらいいるかというと、超能力をつかうひとが集まる高校ができあがるくらいには、いる。
そこまでいると、みんな超能力をあつかえるから、普通の人、という前提が変わってくるかもしれない。
超能力を扱えることが、人にとって普通のことに、なりつつあるのかもしれない。
いや、それでも、僕はコップに触れないと、水を口に運ぶことができないから、これは、超能力なのだ。
僕はものに触れないと、それを動かすことはできないから。
紙でできたそのコップを潰して、冷水機の隣にあるごみ箱にすてた。
本当なら、この冷水機からは冷たい水がでるはずなのだ。
けれど、でてきたのはぬるい水だった。
これは、誰かの超能力のせいなのだろうか。
おかげでただ暑かっただけなのに、汗をかくはめになってしまった。
「あつい」
けれど、これ以上ここの冷水機を使っても、意味はない。
いちいち超能力をつかっていたら、逆に汗をかく。
「そこ、壊れてるよ」
女の子の声がした。
女の子としては、低い声だ。
それでも、女の子とわかる低さ。
声のほうをみると、長い髪の女の子が、そこにいた。
「ぬるい水しかでないよ」
目が大きいなと思った。
背が高いとも。
でも実際には、そこまで背は高くなくて、むしろ小柄だ。
顔が小さいのだ。
だから、背が高いように思える。
「電気系の超能力のせい?
いたずら?」
「壊れてるだけだよ」
なんだ。
「君、転校生?」
「ああ、わかるの?
読心?」
「制服違うじゃん」
「あっ、そっか」
「私、憶恵」
「おくえ?」
「そう。
変な名前でしょ」
「まあ、ね」
「君は?」
「円矢」
「えんや?」
「うん」
「変な名前」
「そうかな」
「私より変」
「そう、かな」
憶恵と名乗った女の子は、僕に手を差し出してくる。
細い指。
真っ白い肌。
「これからよろしくね。
円矢くん」
僕は、彼女の手を握る。
細い指が、僕の手の甲にふれる。
触れられただけで、彼女の指は、折れてしまいそうだった。
僕は超能力を使ってしまっただろうか。
そう、疑うほどに、彼女の手は冷たかった。
血の気のない、白い手。
冷たい手。
「よろしく。
憶恵さん」
「私とこんなことできるなんて、君は幸せだね」
「こんなこと?」
「私と握手」
「そうなの?」
「男の子みんな、羨ましがるよ」
それを自分で言うのか。
確かに、彼女は美人だった。
目が大きくて、まつ毛が長くて。
鼻とか、口とか。
そういう顔を構成する部位が、すべて、正しい位置にある気がした。
僕の手から、するっと、彼女の手が離れた。
冷たさが消える。
「じゃあ、またね」
「うん」
記憶。
これは、僕の記憶?
僕に見える景色。
記憶のなかの景色。
記憶のなかで、炎が見える。
炎が、焼いている。
人が住む場所を。
誰かの家を。
ただのひとつの、誰かの家では、ない。
たくさんの、誰かの家。
高層マンションだ。
炎。
高層マンションが燃えている。
「天音!」
声。
これは、僕の声?
僕が、叫んでいる。
ちりちりと、喉がいたむ。
それは、叫んでいるからだろうか。
それとも、燃える高層マンションから吐き出される、煙のせいだろうか。
僕は、燃える高層マンションを見上げている。
「天音!」
僕の隣に、女の人がいる。
タンクトップ姿の女の人だ。
その、剥き出しの肩に、見えるものがある。
今は夜で、曇っていて、月明かりもない。
曇っているのではなく、燃える高層マンションから吐き出される黒煙かもしれない。
月からの、光はない。
暗い夜。
それでも、燃える炎の眩しさが、女の人の肩にあるものを見せていた。
数字。
277。
僕が、また叫んでいる。
「天音!
俺が、」
超能力を扱えるものたちが集う学校が、どのようなものか。
重力を無視して、ふわりふわりと林檎が空を飛ぶ物理の授業。
水から鉄をとりだす化学の授業。
空中戦を含むサッカーがある、体育の授業。
そういったものがあるわけでは、ない。
現代文や古文や、数学や日本史や世界史は思いつかなかったけれど、いたって普通の授業がそこにあるだけだ。
あくまで、そこに参加する生徒が、超能力を扱えるというだけ。
もちろん、超能力についての決まりごとはある。
けれど、授業で超能力について学ぶほど、僕たちは同じではないのだ。
みんな、もっている超能力は違う。
かぶっている場合も、もちろんあるけれど、全く同じというのは、ほぼない。
超能力は、個性なのだ。
ひとの顔が、それぞれ違うのと同じ。
似ているひとはいるかもしれないけれど、全く同じというのは、ほぼ、ない。
双子なんかではないかぎり。
それも、一卵性の。
そんなのはごく僅かだ。
だから、ここは、超能力をもつものが、普通に勉強をする、ただそれだけの場所。
超能力という個性をひきのばしたりとか、そういうことがおこなわれることはない。
小学校。
中学校。
高校。
超能力をもつ子供たちに、そうではない子供たちと同じ教育をさせるための、場所でしかない。
だから、ここが普通の高校と違うのは、超能力をもった子供が、悪さをしたときに、それを抑えこめるだけの、設備があるということだ。
この高校には。
同じような中学校にも、小学校にも。
超能力が、誰かを傷つけないようにするための、檻なのだ。
「円矢くんは、どこの高校からきたの?」
憶恵さんに会った時は、転入前の手続きのために、ここを訪れていた。
今日は、転入日。
ここの制服を着て、僕はクラスメイトたちに自己紹介をした。
果林と名乗る女の子は、僕の隣の席だ。
彼女の机には、ひとつの林檎が置かれていた。
なんで林檎。
「東高から」
担任教師からそう紹介されたし、自分でもそう言った。
けれど果林さんは、今初めてきいたかのように驚いた。
「へえ東高かあ!
頭いいんだね」
果林さんよりはそうかもね。
とは言わない。
「みんながみんなそうってわけじゃないよ。
僕は、」
「林檎すき?」
ひとの話をきけ。
「林檎、すき?」
果林さんの机から、林檎がなくなっていた。
いや、そうじゃない。
林檎は、机の上にふわふわと浮いていた。
念動力だろうか。
それとも。
「まあ、好きだよ」
「じゃあ、あげる」
果林さんは、浮いている林檎を指でつついた。
すると、机から転がり落ちるみたいに、林檎はくるくるとまわって、落ちていく。
きちんと重力にしたがって、落ちていく。
僕は床に落ちる前に、その林檎を掴んだ。
「いいの?
もらっても」
「もちろん。
仲良くしようね。
勉強おしえて」
そういうことか。
「東高にも、できが悪いやつはいるんだよ」
「ここのできの悪いやつより、ましでしょ」
果林さんのいう、勉強を教えてというのは、僕が思ったいたようなものではなかった。
「じゃあ、借りるね!」
果林さんは僕のノートを持って、別の席へと去っていった。
そこには女の子のクラスメイトがいて、話をしていた。
「しおちゃん!
転写して!
このノートの内容を、私のノートに」
「は?
やだよ」
「なんでさ」
「疲れるもん」
「えええ。
お願い」
「コピー機つかいなよ」
「お金かかるもん。
いちまい十円」
「じゃあ私の転写もいちまい十円」
「ええっ!
お金とらなくてもできるじゃん!」
「だから疲れるから嫌なんだって。
なんでそんなくだらないことで使わないといけないんだよ」
「タダだから」
「もうタダじゃない」
「くだらなくないよ。
勉強のためだから」
「勉強のためなら、自分で写したほうがいいんじゃないの」
まあ、そうだね。
「私は、転写つかえないから」
「手でかけって言ってんの。
そもそも、自分でノートとってないの?」
「とってるけどほら、できのいいひとのノートのが、いいじゃん」
「それ誰の?」
「円矢くんの」
「ああ転校生。
頭いいんだ」
「東高」
「頭いいじゃん」
いや、みんなそうってわけじゃないんだって。
「私も見せてもらおうかな」
「じゃあ!
転写して一緒にみようよ!」
てっきり僕は、僕に直接勉強を教わりにくるのかと思った。
ノートなんて、黒板に書かれたものを写して、チョークで書かれることがなかった、教師の発言を、書き留めているだけだ。
僕が、果林さんのいう、できがいいやつ、だったとして、果林さんのノートと、大して差が出るわけじゃない。
授業を補完する情報を、僕から聞き出すのが、勉強を教えてもらうということなのではないのだろうか。
もっとも、僕は人にものを教えられるようなできではないので、そのほうが助かるのだけれど。
転写したのか、手書きで写したのか、果林さんはノートを僕に返してきた。
コピー機を使いに行ったわけではないけれど、果林さんはいちまい十円を支払うことになったのだろうか。
「また教えてね!」
「ああ、うん」
教えてはないけれど。
けれど、転校生である身としては、果林さんみたいに、話しかけてくれる人はありがたい。
この環境は、すでに人間関係がある程度できあがってしまっている。
残念ながら、この高校に僕の知り合いはいない。
けれど、果林さんがいて助かった。
果林さんがクラスメイトで助かった。
こういう存在が、僕と、クラスメイトの橋渡しをしてくれるんだと思う。
「円矢」
「えっ。
あっ、はい」
「はいってなんだよ」
ほら、こんなふうに。
話しかけてきたのは、さっき果林さんと話をしていた女の子だ。
「果林にかしてたノート。
私もみせてもらった。
悪かったな」
「いや、いいよ」
「私はしおり。
よろしく」
「よろしくお願いします。
円矢です」
「そんなかしこまらなくていいだろ。
タメなんだから」
「じゃあ、しおちゃん」
「しおちゃんはやめろ」
高校生のツインテールというのを、僕ははじめてみたかもしれない。
髪の毛を、左右に分けて結ぶあれだ。
左右にわけて結んだ髪の毛が、肩よりもながいから、彼女が髪をほどくと、腰に届くのかもしれない。
ツインテールというのは、小さな女の子がする印象があった。
だから、高校生がしてはいけないということはまったくないが。
「ねえ」
とりあえず、僕がいた高校にはいなかった。
「ねえってば」
しおちゃんの表情が固まっている。
しっかりと表情に現れているわけではないけれど、驚いている、のだろうか。
とにかく、表情が固まっている。
しおちゃんだけじゃない。
クラスメイトのほとんどが、全員じゃないけれど、表情を固めていた。
まるで時間をとめられてしまったかのように。
そういう超能力?
「ねえってば。
君」
クラスメイトはみんな、僕の背後に視線をむけているようだった。
君。
それは、僕を呼ぶ声だろうか。
僕の背後から、僕を呼ぶ声。
知ってる声だ。
果林さんでも、しおちゃんでもない。
「はい?」
転校する前に、一度ここにきた。
その時にあった女の子。
憶恵さん。
憶恵さんが、そこにいた。
「ああ。
憶恵さん」
「ああ、じゃないよ。
無視して」
「無視してないよ。
このクラスだったんだ」
「違うでしょ」
「なんか用、」
憶恵さんは、僕の手をつかんできた。
あの、とても冷たい手で。
やっぱり、憶恵さんの手は冷たい。
なんだか、クラスメイトがひそひそと言っている。
声が小さくて、よく聞こえないけれど。
さっき、時間が止まってしまったのも。
今こうして、僕に聞こえないように会話をしているのも。
その会話の内容も。
憶恵さんがなにかって、ことなのだろうか。
「一緒にきて。
話がある」
「え。
ここで、」
「ここじゃだめ。
ね?」
「うん」
僕は憶恵さんに手を引かれるまま、教室をあとにする。
僕たちが教室をでたとたんに、どわっと、みんな大きな声で騒ぎはじめた。
今度は、それぞれの声がおおきすぎて。
みんながせわしなく話すせいで、何を話しているのか聞きとれなかった。
「ねえ。
憶恵さん」
僕の手をひいて、憶恵さんはずんずん廊下を進んでいく。
走っている、わけではないけれど、歩いている、とはいえない速さだ。
僕は手を引かれていることもあって、うまく歩調をあわせられなくて、よろめきながら歩く。
「自分で歩けるからさ」
「あのさあ」
「なに?」
そこで、憶恵さんが急に立ち止まった。
ようやく憶恵さんの歩調にあわせられてきた。
そんなとき、急に止まるので、僕は憶恵さんにぶつかるところだった。
やっぱりよろめきながら、立ち止まる。
そこは、ちょうど一階から、二階へと続く、階段がある場所だった。
「私と手を繋げるの、ありがたいことなんだよ?」
僕を掴んでいた手を振り解いて、憶恵さんはいった。
振り解いて。
まるで僕が彼女の手を掴んでいたみたいに振り解かれた。
「ああ。
みんななんか、どよめいてたね」
「それくらいのことなの」
「へえ」
「へえって」
すると、今度は肩を掴まれた。
両肩。
憶恵さんの両手が、僕の両肩を掴む。
「うわっ」
そのまま、憶恵さんは僕のからだを押しはじめる。
何歩か後ずさったけれど、憶恵さんが押してくる力には間に合わなかった。
僕は背中から床に倒れる。
憶恵さんは、僕に覆いかぶさるようになっていた。
彼女の長い髪の毛が、僕に向かって垂れている。
その毛先が、僕の肌をくすぐる。
両肩に手は置かれたまま。
そこに、彼女の体重がかけられているとわかる。
決して重くない体重。
僕の肩にくいこむ彼女の指と同じものが。
あまりにも細い指。
あまりにも軽いもの。
それと同じものが、その指の、ずっと根元までつづいているのだ。
「君さ」
階段は、一階から二階へ続いている。
それは途中で一度折り返してから、二階へ続いている。
だから、その折り返した階段の下に、空間がある。
一階の階段の隣に、折り返した階段ぶんの空間がある。
廊下と同じ床がそこに続いている。
僕が倒れている。
その上に、憶恵さんが覆い被さっている。
休み時間。
それこそ、誰かが通りかかるかもしれない。
別のクラスから、僕のクラスを訪ねた、憶恵さんみたいに。
教室からでて、誰かがこの、階段の空間の前を、横切るかもしれない。
けれど、ここには、誰も来ないように思えた。
それは、この、憶恵さんの振る舞いが、そう思わせるのだろうか。
ここには、僕と、憶恵さんしか、いないように思えた。
「君さ。
私に連れてこられて、何だと思った?」
「え。
それは」
「何だと思った?」
「告白、とか?」
「そういうのはわかるんだ」
「告白なの?」
「そうだったらどうする?」
「どうするって、」
「ねえ。
君」
憶恵さんの手が、強く僕の肩にくいこむ。
それは、憶恵さんが、僕に顔を近づけてきたからだ。
体勢が変わって、重心が変わって、その重さが、肩に加わる。
ほんの少しの重さ。
「君、私のこと好きでしょ?」
「え?
読心?」
「だから違うって」
憶恵さんはそこで、僕から離れた。
僕をまたぐようにしていた足を、床についた膝をあげて、立ちあがる。
立ちあがる時、僕を支えにしたから、一瞬少しだけ、また重さが増した。
それが肩に響いた。
「私と契約してくれたら、なんでもさせてあげる」
憶恵さんは、膝をはたきながらそういった。
決して短くはない、けれど長くもないスカートからはみ出した膝。
僕に覆いかぶさる時に、床についていた膝。
「契約?
なんでも?」
「なんでも。
あ、命を脅かすことは駄目だよ。
そうしないなら、なんでも」
「大統領になりたいとか」
「総理大臣じゃなくてね。
うーん、なんでもっていうのは、わたし個人がしてあげられる範囲かなあ」
「じゃあ、四百万円ほしい、とか」
「四百万円?
まあ、そんなかんじ」
「なんでもって、僕は男だから、君のからだをよこせ、とかでも言えるわけだけど」
「四百万円よりは楽かな。
その四倍の額とかじゃないんだね。
どうにかなりそうな額だ」
男性の平均年収だぞ。
医者の平均年収ではなくとも。
「それでも、からだっていってもらうほうが、楽だな。
まあでも、四百万円なんて、アルバイトすればすぐ手に入るか」
どんなアルバイトだ。
結局からだをつかってるじゃないか。
「からだは大事にしなよ」
「いのちを脅かすことはって、言ったじゃん」
「そうじゃなくて」
「私とって、このからだはね、目的を達するために、使うことができるものでしかないの」
「そうなんだ」
「なんて。
こんなふうにまわりくどいことをいってさ、本当は、君と深い関係になりたいだけだったりして」
「うーん」
「じゃあ、こういうのはどう?」
「なにを、」
「君のこと、全部知ってるよ」
「は?」
さっき、憶恵さんに押し倒された。
それは、すごい状況だと思う。
けれどそれは、客観的に見て、そうだということ。
押し倒されたその時に、僕がそれを、僕の中にあるものとして、感じたわけじゃない。
けれど、あの時、感じなかったものが、僕の中にひろがった。
「それをばらされたくなかったら、契約して」
「僕の、何を知ってるって?」
「だから、全部だよ。
一年前の、あれとかね」
一年前。
一年前。
あれ。
「あははっ。
そんな怖い顔しないでよ。
私は、君を手伝いたいだけなんだ」
「手伝う?」
「そう。
君が、この高校に転校してきた本当の理由。
君が、この高校でやろうとしていること」
「どうして、」
「人を探してるんでしょ?
試験体二七七号」
「君が、そうなのか?」
「私が?
そんなわけないじゃん。
私は知ってるだけ。
君の転校は正しいよ。
あいつはここにいる」
「そうなのか」
「あいつをみつけて、どうするの?」
「君には関係ない」
「そうかな?」
「何を」
「ずっと、探してたんでしょ?」
「そうだ」
「私のせいで、また逃げられるわけには、いかないでしょ?」
「君は、なんなんだ」
「だから、契約してって」
「どうしたらいいんだ」
「倒してほしい人がいるの」
「試験体二七七号か?」
「何でよ。
違うよ」
「誰を?」
「君のクラスメイト」
「の、誰?」
「全員」
「全員?」
「そう。
全員」
「何のために」
「うーん、復讐、かな。
君と同じだよ」
「復讐したい人が、ひとクラスまるまるぶんいるのか」
「そうじゃなくて、復讐したい人が、ひとクラスまるまるぶん巻き込んだって、ことかな」
「僕のクラスメイトだけなのか?」
「そうだね。
影響はそこまで。
私のクラスとか、他の学年とかまでは、影響は及んでいない」
「倒さないといけないクラスメイトに、僕も含まれるの?」
「それはない」
「そっか」
「契約するよね?
もしかすると、君が探している人も、君のクラスメイトにまぎれこんでいるかもしれない」
「どうやって、僕を邪魔するつもり?」
「それは秘密。
けれど、君の過去を、私は知ってる。
その過去が、君をこの高校に導いたことも。
そして、君のその行動が正しいことも。
つまり、君の目的の試験体二七七号が、ここにいることも。
そこまでできる私なら、君の目的を潰すことくらい、できると思わない?」
「君の超能力は、戦闘向けではなくて。
だから僕に、君の目的を倒すための契約を求めてきて。
その、君が手段として使う僕の超能力で、君を倒したら、僕は君に従う必要もなくなるんじゃないのかな」
「君は私に従うべきだよ。
だって、私なら君を、君の目的に導くことができる」
やっぱり、憶恵さんが、試験体二七七号かもしれないという考えは、捨て切れるものではない。
けれど、だからこそ、ここは、契約とやらを、しておくべきなのかもしれない。
「そうかも、しれないか」
「えらいね。
それに、叶えてくれたら、私が、なんでもいうこときいてくれるしね」
「うーん」
「よかった」
「最初の何人かはいいかもしれないけれど。
あとの人は大変だと思うけど。
死んだら、学校来れないから。
どんどんクラスメイト減っていくよ」
「そこは大丈夫」
「大丈夫なの?」
「誰にもばれないから」
憶恵さんは、どんな超能力をもっているのだろう。
「誰からとか、ある?」
「サンダーから」
「サンダー?」
「三田くん。
電撃の超能力。
だからサンダー。
って、本人が言ってる」
変なやつ。
「その三田くんの情報はもらえるの?
僕は転校生だから、よくしらないよ」
「超能力の、ってことなら、ちょっとは。
接触発動型。
でも、全身どこでもってわけじゃない。
右手にね。
痣があるんだ。
稲妻の痣。
そこに触れることが、条件」
「右手の痣ね」
「あと、私のことが好き」
「その情報はいらないよ」
僕は階段下の空間から、出ていく。
廊下のほうへ。
ここの廊下には、手すりがつけられている。
病院でもないのに。
支えがないと歩けない、お年寄りなんていないのに。
ここに限らず、超能力の高校には、年配の教師はほとんどいない。
おじいちゃん先生なんてものは、いない。
どこかにはいるのかも知れないけれど、僕はしらない。
この、廊下に張り巡らされている、金属製の手すりは、誰が使うものなのだろう。
けれど、今回は僕が使わせてもうことにする。
「期限はある?」
「クラスメイトが三十人。
半年で片付けてほしい」
「わかった」
ちょうど、チャイムがなった。
予鈴だ。
僕は憶恵さんと別れる。
そして、僕が殺さないといけないクラスメイトたちがまつ教室に、戻る。
「円矢くん!
円矢くん!」
「きこえてるよ」
「憶恵さんと、何があったの!」
授業が終わると、果林さんが僕の席に走ってきた。
そのまま僕の席にぶつかるようにしてとまったので、机が傾いて。
机に手をついて止まっていた果林さん自身で、傾いた机を引っ張って、元に戻った。
さっきは予鈴のあとに教室にもどったから、きく暇がなかったのだ。
だから今きいてきた。
「告白!
告白なの?」
「いや、告白じゃないよ」
押し倒された。
とは、言えない。
もうすでにクラスメイトの注目を集めてしまっている。
ほぼみんなが、僕にききたいことを抱えている。
クラスメイトから話しかけられるきっかけがあるというのは、転校生にとってありがたいものであるはずだ。
けれど、これは喜べない。
「憶恵さんって」
「ん?」
「憶恵さんって、どんな人?」
「そらあもう、美人!」
「それは、わかるけど」
「男子みんなが、憶恵さんを好きになる!
あと女子の一部も!」
「そうなのかなあ」
「そうなの!」
「でも、美人なら他にもいるんじゃないの?」
「え!
たとえば?
私とか?」
「え?
ああ、果林さんも美人だよね」
「うはあ!」
「美人だけであんなになる?」
「美人だけじゃないよ。
勉強も、スポーツもできる」
勉強はわかるけど。
あんな細い体で、スポーツ?
スポーツから遠ざかって、屋内で勉強だけしてるような、そんな体に思えたけれど。
細くて、白くて。
「すごく優しくて」
優しいか?
「すごい優秀なのに、それをひけらかせなくて」
ひけらかしてなかったか?
「あと美人」
それはもうわかったよ。
「彼氏はできたことないって。
全部断ってるって。
小学校とか中学校とかは知らないけど、高校にきてからは、全部」
「へえ」
「円矢くんが第一号になるのかな?」
「いや、どうだろう」
「ちなみに!」
「なに?」
「私も彼氏できたことありません!」
「そうなんだ」
「円矢くんが第一号になる?」
「え。
告白?」
「告白じゃないけど」
「あ。
あとさ」
「なに?」
「三田くんって、どんな人?」
「あっ、ひぐらし?」
僕は電話をかける。
公衆電話だ。
この高校にもある。
「ちょっと、つくってほしいものがあるんだけど。
うん、うん」
受話器から聞こえてくるのは、女の子の声。
ひぐらし。
それがその子の名前だ。
本当の名前かどうかは知らない。
会ったこともない。
いつも、段ボール箱が送られて来るだけだから。
雑にガムテープが貼られているせいで、開いてしまっているときもある段ボール箱。
一度、中身がなくてびっくりしたことがあった。
中身がなくなっていたわけではなくて、ふたの裏に張りついていたからよかったけれど。
「うん。
え?
そっか。
まあ、それでいいよ。
そのぶん安くしてくれる?
え?
ああ、そうだっけ?
やだなあ、ちゃんと払いますって」
通話を終える。
受話器を置くと、カードが吐き出される。
ひぐらしからもらった、公衆電話のカード。
度数がもうあんまりない。
これも一緒に頼めばよかった。
ひぐらしに頼んだものが届いたら、三田くんに会わないといけない。
「あの、三田くん」
「あ?」
三田くんは、クラスで見ている様子とは、少し違った。
いつもは、男友達と楽しそうに笑っている。
髪を脱色して、染めて。
怒られたから染め直したみたいな、そんな髪の色をした男の子だ。
いつも右手に手袋をしているのは、彼の超能力のせいだろう。
えはえはえは、みたいに笑う三田くんは、いつも楽しそうだった。
目をつむっているみたいに、目を細めて笑う。
だから、そんな三田くんの、誰かを睨んでいる顔というのを、初めてみた。
「えっと、三田くん、だよね?」
「誰?」
「僕は、円矢。
転校してきた、」
「ああ」
「クラスメイト」
「ああ。
てめえさ」
「うん?」
「てめえ。
憶恵のなんなの?」
「なんでもないよ」
「呼び出されてただろ」
「なんでもないって」
「嘘つけ」
嘘だけど。
「じゃあ、わかった」
「は?」
「三田くん、憶恵さんのこと好きだから、」
「ばっ、てめっ、そっ、じゃねえよ」
「憶恵さんと三田くんの仲を、僕が取り持つってのはどう?」
「えっそんなことできんの?」
「憶恵さんに呼び出されるくらいの間柄だからね」
たかが呼び出されたくらいの間柄が、ここまで有効なことも珍しい。
「えっえっ、いいの?」
「僕、転校したばかりでさ。
友達がほしくて。
だから、三田くん、友達になってくれない?」
「三田じゃねえ」
「え?」
「三田じゃねえよ」
「え?」
「三田じゃなくて、サンダーだ」
変なやつ。
僕はサンダーに手を差し出す。
握手のつもりだ。
サンダーに差し出すのは、左手。
「左利き?」
サンダーは僕に、左手を差し出してくる。
握手。
「いや」
僕はポケットから右手をだす。
ポケットには手錠をしまっていた。
警察とかが使うような、手錠だ。
警察とかが使っているものそのまま、であるはずだ。
これを僕にくれたひぐらしは、ひぐらしは、警察なんかじゃない。
これは、ひぐらしがつくったものだ。
それが、ひぐらしの能力。
僕はサンダーの左手に、手錠をはめた。
「は?」
手錠の輪っかはふたつ。
もう片方は、手すりに。
「は?
何これ!
てめえ!」
サンダーはすぐに、右手の手袋をはずした。
左手が手すりに、手錠で繋がれている。
だからサンダーは、口で手袋を咥えて、外した。
もっとうろたえると思った。
サンダーはそのまま、右手を僕に伸ばしてくる。
その手のひらに、稲妻のかたちをした痣があった。
この痣に、触れてはいけない。
手錠が手すりを、からからと滑る。
サンダーが僕に近づく。
手を、稲妻の痣を、僕に伸ばす。
手錠が、手すりを壁と固定している金具にぶつかった。
手すりには、一定の間隔で、壁に固定するための金具がある。
だいたい一メートルくらい。
手錠の輪っかは、この金具を、越えられない。
この一メートルが、サンダーが動ける範囲だ。
「くそっ!」
サンダーの右手は、僕には届かない。
するとサンダーは、その右手を、今度は手すりに触れさせた。
サンダーの手のなかで、稲妻の痣が、手すりに触れる。
金属でできた手すりに、電撃が流された。
ばりばりと音をたてて、手すりにおさまりきらない電撃が、空中へと逃げていく。
雷のように。
僕は手すりから身を離しつつ、サンダーに近づく。
サンダーの首を、僕は掴んだ。
サンダーはすぐに、手すりを掴んでいた右手を、僕に向ける。
僕は逆の手で、サンダーのその、右の手首を掴む。
僕の内部で、超能力とよばれるものが、発動する。
「てめえ!
何のつもりだ!」
「君、冷水機壊しただろ。
その電撃で」
「あ?
あれは普通に壊れてるだけだろ!」
片手で、サンダーを絞め殺すほどの腕力を、僕はもっていない。
けれど、僕に電撃の痣を触れさせようとする、サンダーの右手を押し留めておけるくらいには、力はあった。
それとも、サンダーが非力なだけだろうか。
僕の額に、汗が浮かぶ。
あつい。
あつい。
超能力のせいだ。
動きをとどめておかないといけないのは、サンダーの右手だけじゃない。
サンダー自身も、僕から逃れようともがくのだ。
だから、首にかけている手にも、力がはいる。
僕は、そのままサンダーを押し倒すかたちとなった。
サンダーに覆い被さる格好になる。
サンダーの、唯一自由な左手が、がしゃがしゃと、手錠と、手すりをぶつけさせる。
サンダーが床に倒れたことで、自由になった足が、僕を蹴飛ばす。
たいして痛くないし、これで逃げられるわけでもない。
やっぱりサンダーが非力なのかもしれない。
あつい。
あつい。
僕の額から、次々と汗が浮かぶ。
浮かんだ汗が滑り落ちて、サンダーの顔に落ちる。
サンダーの吐く息が、目に見えるくらい、白く曇っていた。
「寒い」
サンダーの制服に、霜がおりていた。
僕の額から、ぼたぼたと、汗がしたたる。
したたった汗が、サンダーの頬に触れて、その汗が、凍った。
「寒い。
俺は、サンダー、だぞ」
僕が触れる、サンダーの右の手首。
サンダーの首元。
そのどちらにも、薄い、氷の膜ができていた。
やがて、僕を蹴り飛ばすサンダーの足が、動かなくなった。
サンダーが、白い息をはかなくなった。
僕の両手にかかる、サンダーによる抵抗が、なくなった。
サンダーごと、僕の両手には氷がはっていた。
手を引くと、サンダーのからだもついてくる。
指を動かして、氷を砕いて、手がサンダーから離れる。
サンダーのからだが、ごとっと床に落ちた。
からだは床にあるが、左手は、手すりにのびている。
手錠に固定されている。
うっかりしていた。
ひぐらしに、手錠は頼んだけれど、その鍵を頼まなかった。
いや、逆か。
普通、鍵がかかるものを依頼したら、開錠するための鍵も一緒に渡されるものだ。
ひぐらしからは、手錠しか渡されなかった。
しかたない。
僕は、汗をぬぐって、その手錠に触れる。
「まずは1人目だね」
「いたの。
それで、どうするの?」
「死んでるの?」
「死んでるように思う?」
「氷づけだからね」
「死んでないよ。
サンダーは眠ってるんだ」
「永遠に?」
「だから死んでないって」
「死んでないの?」
「死んでないよ。
なんで殺すの」
「そう。
じゃあ、運びましょう」
「どこに?」
「どこでも。
でもここじゃ駄目。
つまずいて転んじゃうから」
よそ見してても、こんなでかいものにつまずかないだろ。
「ほら、運んで。
あ」
「どうしたの?」
「手錠、切れちゃったんだ」
「サンダーに切られた」
「サンダーに?」
「そう」
僕はサンダーを背負って、運ぶ。
サンダーがどれくらいの体重なのかしらないけれど、おおよそ見た目から想像できるものだ。
太ってるわけでもないし、筋肉にまみれているわけでもない。
けれど、死んでしまった人というのは、からだに力がはいらないせいか、見た目よりもずっと重く感じられた。
いや、死んでないよ。
眠っているだけだ。
というか、憶恵さんは手伝ってくれないのか。
僕たちは、生物学室にたどりついた。
教室にはいって、さらに奥の扉にむかう。
憶恵さんは、スカートのポケットから、鍵を取り出した。
「ここはね、なかったことになっているばしょなの」
「は?」
生物学室の、奥の部屋。
準備室と書かれている。
こんなところにおいておくのか?
部屋の奥に、ドラム缶がおいてあった。
ドラム缶、といっても、側面から金属製の筒が伸びていた。
筒は、開けっぱなしの窓から外に突き出している。
筒は、ドラム缶に溶接されている。
ドラム缶の上部には蝶番が、やはり溶接されていて、蓋のように開け閉めができるようだった。
ドラム缶、といわれて想像するものよりも、ずっとサイズはおおきい。
それは、ドラム缶の足元に煉瓦が積まれているせいで、そう感じるわけではなかった。
ほんとうに大きいのだ。
人間がすっぽり入ってしまうくらいに。
「ここに入れて」
「ここに隠すのか」
いい加減サンダーの重量に辟易していた僕は、階段のように積まれた煉瓦を登って、サンダーをドラム缶に放り込む。
ぱきん、とドラム缶にぶつかって、サンダーにまとわりついていた氷が、細かく砕けた。
すこし乱暴だったかもしれないが、ばらばらに砕けてしまうほど深く凍らせているわけではない。
「これからもここに?」
「そうだよ」
「入って二人だ。
クラスメイト全員は入らないぞ」
「はいるよ」
「そういう超能力?」
「違う。
これで、サンダーを焼く」
「なんだと」
「これ、焼却炉だから」
窓の外に伸びる、溶接された金属製の筒。
あれは、煙突だ。
防火煉瓦の上に設られた、これは焼却炉なのだ。
そして今、憶恵さんがもっている、赤いポリタンクには、サンダーを上手く焼くための液体が込められているのだ。
「本気か」
「本気」
「なぜ殺す?」
「なぜって、そういう契約じゃない」
「殺すなんて言ってないぞ」
「そうしないと、こちらが殺されてしまうよ」
「サンダーは、君のことが好きじゃないのか。
それがどうして、君を殺すんだ」
「話したでしょう。
サンダーはもう取り込まれているんだよ」
「君が倒したい相手にか」
「サンダーはもう、そいつの爪なんだよ」
「爪?」
「そう。
だからサンダーを殺すことは、そいつへの攻撃になるの。
サンダーを殺して、そいつから切り離すの」
「爪を切り離しても攻撃にはならないだろ」
「深爪は痛いんだよ」
「痛いのは指を切っているからだ」
「じゃあ、サンダーは指だね」
なんなんだ。
「指どころじゃない。
私の、倒したい相手そのものかもしれない」
「どういうことだ」
「そいつが、サンダーになりかわっているかもしれないってこと」
「どういうことだ」
「ちょっとは自分で考えなよ。
そういう超能力、ってことだよ」
「サンダーになりかわっていないかもしれないと、そういうことでもあるわけだろう」
「そうだよ」
「そうだったら、君は人殺しだ」
憶恵さんは、スカートのポケットから、一本のマッチを取り出した。
木でできた持ち手を、指先でゆらゆらといじっている。
「君だって、その試験体二七七号にたどりついたら、殺すでしょう?」
「殺しはしない」
「私たちは、人殺しと戦うんだよ?
だったら、人殺しになる覚悟じゃないと」
「フィクションで語られるほど、人を殺すことは軽いわけじゃないんだ」
「君は、ライトノベルの主人公みたいだね」
ライトノベル?
憶恵さんがそう言った直後だった。
憶恵さんの姿が消えた。
突然消えたのだ。
瞬く間に。
一度眼を閉じて、また開いたときには、もういない。
それくらい突然だった。
実際には、僕は瞬きなんかしていない。
これが、憶恵さんの超能力だ。
「どこだ!?」
僕は周囲を見回して、自分の間抜けさに気づいた。
憶恵さんは、超高速で移動できるわけじゃない。
突然目の前から姿が消えたのは、そういうことだからじゃない。
認識操作。
僕が、憶恵さんという存在を、認識できなくなったのだ。
突然僕の背後に回り込んだりするわけではない。
僕が、そうやってきょろきょろと、間抜けな姿を晒していたのは、僕が思っているよりも長い時間だったのかもしれない。
その間に、憶恵さんは、超能力を使ったやりたかったことを、遂げてしまった。
焼却炉から、炎が上がった。
「よせ!」
「もう遅いよ」
また突然に、憶恵さんは姿をあらわした。
焼却炉のすぐそば。
僕の目の前から姿を消した憶恵さんは、まっすぐ焼却炉に向かったのだ。
焼却炉の、ざらざらした表面に、一筋の跡があった。
マッチを擦ったあとだ。
ごうごうと、焼却炉から炎が上がっている。
「君の超能力でも、火を消すことはできないでしょう?」
「なんてことを」
憶恵さんの言うとおりだ。
ごうごうと燃え盛る炎を、僕にはどうすることもできない。
炎。
また、僕の記憶が蘇る。
僕の記憶?
一年前。
炎に包まれる。
試験体二七七号。
サンダーを倒した。
あと、二十九人いる、クラスメイト。
その全員を、憶恵さんはこの焼却炉に入れると言う。
灰になれば、確かにこの焼却炉には収まりきるだろう。
そういう超能力。
憶恵さんの、認識操作系の超能力。
サンダーがいなくなっても、僕のクラスは問題なくまわっていた。
誰も、サンダーがいなくなったことに気づいていない。
気づいていないどころか、誰もいないサンダーの席に、話しかけてすらいる。
休み時間。
あの、サンダーと話をしていた男子も、まるで、そこにサンダーがいるかのように、話をしている。
えはえはえは。
そんな声が、彼らには聞こえているのだろうか。
プリントをまわしたりとか、サンダーが触らないといけないものはどうなるんだろう。
そう思って見ていると、そこは、サンダーがいないことが、当たり前みたいに、プリントはサンダーの席を飛ばして、その後ろの人に渡されていた。
なるほど。
憶恵さんに押し倒された時、誰にもみつからなかったのは、そのせいなのだ。
本当に、僕たちしかいなかったのだ。
みんなには、僕たちがわからなかったから。
放課後。
教室をでた僕を、憶恵さんが待ち構えていた。
僕と憶恵さんは、一瞬視線をかわす。
僕はちらりと、廊下の、昇降口へと続く方向を見た。
そしてまた、憶恵さんを見る。
その一瞬で、憶恵さんの目つきは、鋭いものに変わっていた。
僕の行動を、予期したのだろう。
僕が昇降口へと走りだす。
それに合わせて、憶恵さんも走りだす。
「はやっ!」
運動神経がいいという噂は、本当のようだった。
初速が違った。
あっという間に憶恵さんは僕のすぐ隣に追いついた。
僕は教室をでてまっすぐ走っているだけだが、憶恵さんは廊下の、教室とは逆側に立っていたのだ。
それが、廊下の、教室側にいる僕のすぐとなりまで到達する。
走る距離が違っているなかで、ほぼ同時のスタートであったが、あっという間だった。
僕の隣から、憶恵さんの姿が消える。
超能力?!
と思ったが違った。
憶恵さんはしゃがんで、僕に足払いを仕掛けてきた。
足払いの動作中は、進みが止まる。
その間に僕が前進する距離をカバーできてしまうほど、憶恵さんの足は長かった。
その、長くて、折れてしまいそうな足が僕の足を捉える。
走っている速度のまま、僕は廊下に転んだ。
「なぜ、廊下は走ってはいけないと言われているのか、わかる?
転ぶと危ないからよ」
「これは人為的なものだろう!
廊下のせいではない!」
砂利だらけのグラウンドなどではなく、つるつるとした廊下での転倒。
それでも、廊下との摩擦で、僕の膝と両手には大きなダメージがあった。
「話がある。
きてもらうよ」
「断る」
「あなたを燃やしてもいいのよ。
いえ、クラスにまいたほうがいいかな」
そのどちらも、この女には可能だ。
その姿を認めることができないのだから、僕はなすがまま、炎に飲まれることになる。
クラスにガソリンがまかれても、誰も気づかない。
教室そのものを、焼却炉にできる。
「そうできるなら、君だけで戦えばいい」
「もし炎がきかなかったら?」
「なに?」
「私の超能力は、直接的な攻撃手段じゃない。
だから、君がいるの」
「人殺しに加担はしない」
「それなら、なおさら協力してもらわないと」
僕は、憶恵さんが何を言っているのかわかった。
僕が氷漬けにするクラスメイト。
それを、憶恵さんが焼却炉で燃やす。
それを阻止できるのは、僕だけなのだ。
いや、存在を消し去ることができる憶恵さんに、僕がどこまでできるのかはわからない。
けれど、阻止できる、もっとも近い場所にいるのが、僕なのだ。
僕のせいで、僕のクラスメイトは命の危機に瀕している。
僕が戦うから。
けれど、僕は、僕のクラスメイトを守るために、戦うしかない。
「わかった。
君に従うよ。
けれど、殺しはなしだ。
死なせることなく、僕は君の目的を、達成してみせる」
「そう。
じゃあ、仲良くしましょう」
憶恵さんは、転んだ僕に手を差し伸べる。
その手を、僕は掴む。
まるで僕が、超能力を使ったみたいに、冷たい手。
憶恵さんを。
憶恵さんを、氷漬けにしてしまったほうが、全てがうまくいくのではないのだろうか。
けれど、あの、燃え上がる焼却炉を、僕は思い出してしまう。
それから、一年前の光景も。
炎。
それが、僕を苛む。
だから、僕は憶恵さんを氷漬けにできない。
憶恵さんを殺すわけではない。
焼却炉で人を燃やすのは、憶恵さんだ。
憶恵さんを、燃やすものはいない。
けれど、憶恵さんを凍らせることが、何か致命的なことのように、僕には思えてしまった。
「海にいこう」
憶恵さんの唐突な提案に、僕は従うしかない。
これ以上廊下で転ばされていては、摩擦で両手と両膝がなくなる。
夏の終わり。
もう、海で泳いでいるものは、クラゲだけだ。
憶恵さんは、水筒を持っていた。
その中には、ポリタンクと同じものがはいっているのだろうか。
もし燃やされたら、クラゲだらけの海にとびこまねばならない。
「泳がないの?」
「泳がないよ。
クラゲにさされたい?」
「いや」
「泳ぐためにきたわけじゃないよ。
遺灰をまくの」
その水筒の蓋を、憶恵さんは開ける。
金属の水筒。
漏れてこないようにつけられているゴムが、きゅっきゅっと音を立てる。
憶恵さんの水筒は、そうやって、蓋を外して飲むようなものではなかった。
ボタンを押すと、ぱかっと口がひらくタイプの水筒だ。
だから憶恵さんは、ボタンだとか飲み口だとか、そういった頭の部分を、まるまる外したことになる。
それが、憶恵さんが海にきた理由。
サンダー。
僕が戦った、電気使い。
冷水機を壊した犯人。
えはえはえは。
憶恵さんが好き。
僕が知っているのは、それくらいだ。
僕が倒して、憶恵さんが殺した。
けれど、サンダーについて、どれだけ知っていたとしても、僕は、サンダーと戦った。
それが、僕が、僕の目的を遂げるために必要なことならば。
けれど、死ぬことがわかっていて、戦っただろうか。
僕は、殺すことができたのだろうか。
けれど、憶恵さんは違うのだろう。
そのことについて、何かを感じるのだろうか。
憶恵さんのもっている水筒は、とても小さなものだ。
サンダーの体を焼いて、灰だけになったとしても、その水筒にはおさまりきらない。
これは、サンダーの痕跡をなくすための行動では、ない。
そもそも、そんなことをしなくても、もう僕のクラスメイトは、サンダーのことを認識できなくなっている。
だから、これは憶恵さんの意思なのだ。
憶恵さんは、水筒の頭を外して、そして、そのまま固まっていた。
「遺灰が、」
体は固まったまま、口だけが動いて、声が聞こえる。
僕は、憶恵さんの水筒を覗き込む。
水筒は、空っぽだった。
そこにあったはずの、サンダーの遺灰は、どこにもなかった。
「私には妹がいたの」
僕と憶恵さんは、誰もいない浜辺に、ふたり、腰を下ろしていた。
誰も海で泳がない季節の、風はつめたかった。
「妹は死んだの。
ぺしゃんこになって。
いちごを、」
座ろう、と憶恵さんは言ったのだ。
水筒をもったまま固まって、そのまま、口だけを動かして、座ろう、と言った。
そして、憶恵さんは話し始めた。
「いちごをふむと、潰れるでしょう?
ぺしゃんこに。
あんなかんじだった。
けれど、妹を潰したものなんて、なにもなかったの。
交通事故にあって、車に潰されたとか、そういうわけじゃない。
巨人に踏み潰されたわけでもない。
ただ、ただ、ぺしゃんこになっていた。
妹は重力操作の超能力をもっていたから。
だから、みんな、自殺だと思った」
自殺。
超能力を使った自殺。
死にたくて、そのために、階段を登って、登って、階段が途切れるまで登って、そこから、飛び降りて。
そうやって自殺する。
その人を殺すのは、重力だ。
人から命を奪うほどの重力をつくりだすためには、それだけ、階段を登らなければならない。
けれど、超能力があるのなら。
重力を操ることができるのであれば。
階段なんて登る必要はないのだ。
階段に足をかけることなく、その場で、死ぬことができる。
巨人に踏み潰されたみたいに。
つぶれたいちごになることができる。
「でも、私はみたの。
幽霊を」
「幽霊?」
「青い幽霊。
青くて、青いのがわかるけれど、向こう側が透けてて、ぺしゃんこになった妹のからだから、でてきていた」
「妹さん?」
「違う。
あいつは笑っていた。
青いだけで、ひとのかたちでも、なんでもない、もやもやした、そんなきまったかたちのない幽霊だったけれど。
でも、あいつは笑っていた。
声が聞こえたから。
あいつに、妹は殺されたの」
「それが、憶恵さんが探している、殺したい人?」
「そう。
あなたのクラスに取り憑いている、幽霊」
「クラスメイトの誰かじゃなくて、クラスみんな?」
「あいつは超能力を奪って、自分のものにするの。
いいえ、超能力だけじゃないかもしれない。
あいつは、人そのものを奪っていくんだ。
山田くんの遺灰がなくなってたでしょう?
山田くんはもう、山田くんじゃないんだと思う」
「他の人たちも?」
憶恵さんは頷く。
相手を奪うという超能力とは、どのようなものなのだろうか。
僕には、サンダーも、果林さんも、しおちゃんも、別々の人間に見える。
僕と、憶恵さんが別の人間であるのと同じくらいに、別に思える。
それは、単に肉体が別々だから、そう感じるだけだろうか。
けれど、中身が同じ存在同士が。
果林さんとしおちゃんとして、中身が同じ存在が、あのような掛け合いをするのだろうか。
わざと僕にみせているのだろうか。
僕を欺くために。
あるいは、相手を奪うその超能力が、相手という存在を保ったまま、自分のものにしてしまうのだとしたら。
そうなのだとしたら、サンダーは。
果林さんは。
しおちゃんは。
憶恵さんの、妹は。
本当にもういないのだろうか。
「ない」
僕と憶恵さんは、手製の焼却炉を前にしていた。
ドラム缶を加工した焼却炉。
サンダーを焼いた、あの焼却炉だ。
そこに、サンダーの遺灰はなかった。
憶恵さんの水筒と同じだ。
サンダーの遺灰が、まるっきりなくなっている。
「転送の超能力?」
「わからない」
「海にいったときの水筒はわかるけれど、ここは僕たち以外には認識できないんでしょ?」
「そう。
けれど、目で見たり、耳で聞いたり、触れたり、そういった意味での認識とは、別なのかも。
サンダーの遺灰っていうものが、目印になってるのかも」
それがどこにあったとしても。
水筒のなかでも。
海にばら撒かれたとしても。
それがサンダーであるなら、かき集めることができる。
別の場所に、移すことができる。
サンダーの遺灰は、どこに移されたのだろうか。
「やあ」
「えっと、何してるの?」
翌日。
校門のところで、憶恵さんに話しかけられた。
僕は空を見上げながら歩くほど今の世の中に希望をもっていないし、俯いて、誰とも視線を合わせないようにあるかなければいけないほど、悲観してもいない。
だから、のぼりざかのうえにあるわけでもないこの学校の、校門にたつ憶恵さんの姿を、僕は遠くからみとめていた。
類稀なる美少女。
本人曰く。
彼氏がいないというのは果林さんからもたらされた話だが、果林さんの認識している世界が正しいとはいいきれない。
もし正しかったとして、彼氏候補は数多あるのかもしれない。
よって、憶恵さんは誰かと待ち合わせしているに違いないのだ。
そう考えて憶恵さんの前を横切ったとき、声をかけられた。
「なにって、君を待ってたんだよ」
教室での時と同じだ。
そのほとんどが僕たちの姿を見ている。
上級生も、憶恵さんと僕の動向をうかがっている。
「どうしてこんな、わざわざ目立つことをするんだ」
「いいじゃない。
人生は楽しくあるべきだよ」
「僕は楽しくない」
「だから、楽しまないとね」
僕は、憶恵さんと並んで歩く。
僕たちに遠慮なく注がれる視線。
憶恵さんがもつ認識操作の超能力は、使われてはいないらしい。
「みんな、私たちのことみてるね」
「これが、人生の楽しみなのか?」
「楽しいよ」
そのとき、僕たちは、その声をきいた。
えはえはえは。
あの笑い声。
その笑い声を、憶恵さんも知っていた。
僕らが顔を見合わせたところで、教室の扉が開かれた。
遺灰が移されたのは、ここだったか。
開かれた扉の向こうから、サンダーが現れた。
憶恵さんが焼いたはずの。
「あっ!」
サンダーがそう声を上げた。
死んだはずのサンダー。
僕はその、手袋に包まれた手を、みた。
その手袋が外されるのか。
僕に襲いかかるのか。
僕に殺された、自らの仇を取るために。
サンダーの手が伸びる。
その手は、まっすぐ僕に伸びるのではかった。
その手首をつかんだが、サンダーは腕を僕の首に回そうとしていたようだった。
サンダーが僕に手首を掴まれたまま、顔を近づけてくる。
「ばっ、おまっ、急すぎるだろぅ」
「は?」
「急すぎるだろぅ」
そこで僕はようやく、サンダーが何を考えているのか理解した。
サンダーは、憶恵さんとの関係をとりもってくれると思っているのだ。
そのために、僕が憶恵さんといると。
僕は、憶恵さんを振り返る。
驚いた。
それは、憶恵さんがまた、超能力を使ったからだ。
けれど、消えたのは憶恵さんではない。
憶恵さんが消えたから、驚いたのではない。
消えたのは、憶恵さんの涙だった。
超能力を使う一瞬前を、僕は目撃した。
憶恵さんは、サンダーの姿をみて、涙を流したのだ。
あわてて、超能力で見えなくしたけれど、憶恵さんは、泣いていた。
憶恵さんは、遺灰を海にまこうとした。
その行動に、どんな理由がある?
その理由が、その涙なのだろうか。
もしかしたら、憶恵さんも。
「じゃあ、円矢くん。
山田くんも」
何もなかったように、憶恵さんはそう言う。
いや、実際何もなかったことになっているのだが。
「ああ」
「あっ!
はいっ!」
はいってなんだ。
憶恵さんは、自分のクラスへと、向かっていく。
「ねえ。
円矢くん」
「なに?」
果林さんだ。
僕の隣の席から、こちらに身を乗り出して、きいてくる。
「放課後さ、ひま?」
「ひま、だけど」
「じゃあさ、南校舎の裏に、きてくれる?」
「え。
告白?」
「告白じゃないよ」
「じゃあ、なに?」
「そのときはなすよ」
なんだか、よく女の子から呼び出される。
普通なら、期待する。
でも、僕はもう憶恵さんのことを経験している。
放課後。
「遅いよお」
「ごめん。
場所、間違えた」
「北校舎の裏って、言ったじゃん」
「え?
南校舎の裏でしょ?」
「北校舎だよ」
「それで、」
「ねえ」
「ん?」
「三田くん死んじゃったね?」
果林さんはそう言った。
誰も知り得ないこと。
サンダーは、ここにいる。
みんなにはそう見えている。
僕にだって。
確かに、一度は見えなくなった。
僕にだけ、サンダーが見えていない瞬間はあった。
サンダーが死んだから。
それを、なぜ果林さんが知っているというのだ。
「君が、サンダーを甦らせたのか?」
果林さんが、笑った。
それは、いつも見ているような、笑いかたではない。
もっと控えめで、もっと、冷たい笑みだ。
まるで、果林さんではないみたいだった。
すると、果林さんから、青いもやのようなものがでてきた。
まるで、幽霊のような。
果林さんのものではない声が、聞こえた。
「憶恵さんの超能力は、すごいよね」
女の声。
言葉に合わせて、果林さんの口も、動いている。
けれどそれは果林さんの声ではなく、僕の耳元から、その声は響いていた。
「山田くんが死んでから、やっと山田くんがいなくなっていることに気づいたよ」
「それがお前の本体か」
僕は、足元の砂を掴んで、幽霊にむかって投げた。
砂は、幽霊をすり抜けて、向こう側に飛んでいく。
一部、果林さんにもかかってしまった。
「やめなよ、そういうこと。
僕に殴りかかっても、無駄だからね。
体をもやにできる超能力さ。
いいだろう?」
「手の内を明かしていいのか」
「構わないよ。
ここで君と戦ったって、僕は勝つことができるから」
「憶恵さんの妹を殺したな」
「自殺だよ。
超能力はもらったけどね。
君は、僕を殺す気なのかな?」
「僕は、殺さない。
だが憶恵さんはわからないぞ」
「憶恵さんなんて、どうでもいいじゃないか」
「何が言いたい」
「僕がどうして、こうやって君と話しているかわからないかい?
君が探している、試験体のことさ」
「なんだと」
「二七七号。
そいつのところまで、君を案内してあげるよ。
そうすれば、憶恵さんに従って、僕と戦うことなんてないだろう?」
「その言葉を、どうやって信じればいい」
「僕の存在かな。
僕の名前を、知っているかい?」
「果林、か?」
「違う。
僕は、試験体二八零号。
最後の試験体だ」
「あれ、なんか泥ついてる」
果林さんは、制服の胸元についた汚れを、落とそうとする。
僕が、幽霊に向けて投げつけた砂。
流れてしまったそれが、果林さんの制服を汚した。
果林さんは手で叩くけれど、砂は落ちていかない。
砂というより、泥の汚れに近いものになっていた。
僕が、試験体二八零号と、戦うことはなかった。
試験体二八零号の言葉を思い出す。
「憶恵さんを僕に渡せ。
そうすれば、試験体二七七号にあわせてやる」
試験体二八零号は、憶恵さんの超能力を、取り込もうとしている。
いままで、多くの超能力を手に入れてきたように。
数多ある超能力を自在に操り、殴ろうとしても体をすり抜けて、死んだものを蘇らせる。
そんな、冗談みたいな相手を、倒さねばならない。
そうしなければ、憶恵さんによって、試験体二七七号へ導かれることはない。
だが、試験体二七七号へは、憶恵さんを差し出すだけで、到達することができる。
それは、冗談と戦うよりも、ずっと、簡単だ。
僕は生物学室の、準備室へと足を踏み入れる。
しかしそこに、憶恵さんの姿はなかった。
「憶恵さん?」
焼却炉の蓋に、破られたノートの切れ端が置かれていた。
『妹の仇をとりにいく。
いままでありがとう』
文字と文字が繋がるように書かれたその文字は、整っているとは言い難く、急いで書かれたものなのだとわかる。
僕は、自分のクラスへと走った。
試験体二八零号が、憶恵さんに接触したのか?
いや、それができるなら、わざわざ僕に連れてくるように言ったりしないだろう。
憶恵さんは、あの場にいたのだ。
姿を消して。
試験体二八零号にも、認識することができない、憶恵さんの超能力。
ひとりで戦えるのか?
廊下に、教室の騒がしさが響いていた。
僕のクラスだ。
中に入ると、果林さんが倒れていた。
お腹に、カッターナイフが突き刺さっている。
憶恵さんがやったんだ。
その憶恵さんは、空中にいた。
超能力?
いや、憶恵さんは、なにもないはずの首元を、かきむしるように指を動かしていた。
果林さんから、青いもやのようなものが、立ちあがっている。
試験体二八零号だ。
彼女が、超能力で憶恵さんをしめあげているのだ。
僕は、そのもやにむかって走る。
手を伸ばす。
けれど、気づくと転んでいた。
いや、転んだのではなく、これは、いちごだ。
憶恵さんの妹の、超能力だ。
重力操作で、僕は床に叩きつけられたのだ。
床に両手をついて、体を起こそうとする。
けれど、体はびくともしない。
何かの下敷きになったとか、そんな感覚ではなかった。
指先から爪先までが、等しく同じ力で押さえつけられている感じだ。
僕はそのまま、超能力を使う。
僕の両手を起点に、床が凍りついていく。
僕の額に、汗が浮かんで、滑り落ちていく。
床を這う氷が、果林さんへ到達する。
氷が、果林さんの体を包み込む。
お腹から流れでている血が、固まる。
果林さんは、とりあえずこれでいい。
いや、こんなことをしなくても、この幽霊なら蘇らせることができるのか。
けれど、憶恵さんは首を締め上げられているから、助けなければ。
いや、試験体二八零号は憶恵さんの超能力がほしいのか。
なら、とりこまれてしまったほうがいいのか。
そうすれば、たとえ死んでも、蘇らせることができる。
けれど、それなら憶恵さんの妹は?
死んでしまって、超能力だけを、こいつは使っている。
ええい。
もう、考えるだけ面倒だ。
憶恵さんが僕に言ってくれた言葉。
なんでも言うことをきいてくれると。
その願いのために、こいつを倒す。
それだけでいいじゃないか。
「試験体二八零号。
お前に、いいことを教えてやる」
「なんだ」
「僕の超能力は、ものを凍らせることではないんだ」
「ふうん。
手の内を、敵の僕に教えていいの?」
僕は、重力に逆らって、右手の人差し指を、試験体二八零号に向ける。
空中に漂う、幽霊へと。
「構わないよ。
だって、僕は君に勝つから」
閃光。
試験体二八零号の、そのもやのようなからだに、大きな穴が空いていた。
穴の向こう側、教室の壁にも、小さな穴。
あいた壁の穴が、火をあげている。
一拍遅れて、試験体二八零号の、絶叫が響いた。
「僕の本当の超能力は、吸収した熱を、熱線にして放出することだ」
指先から、試験体二八零号を貫いたのが、それだ。
「お前は、実態のない幽霊なんかじゃない。
体を、水蒸気にしているだけだ。
ただのもやだ」
「貴様ぁ!」
「どうだ、熱で体が蒸発する感覚は?」
どさっと、憶恵さんの体が、教室の床に落ちた。
げほげほっと、咳き込む声が聞こえる。
僕の体が、ふっと軽くなる。
試験体二八零号のもやは、どこにもなくなっていた。
「あいつ、死んだのかな」
「試験体二八零号か?」
「うん」
僕と憶恵さんは、生物学準備室にいた。
憶恵さんの、喉には、くっきりと、人の手の形のあざが残されていた。
「死んではいないんじゃないかな」
「じゃあ、また狙われるじゃん」
「そしたらまた、僕が戦うよ」
「指からビームだせるなんて、すごいね。
あいつ、めちゃくちゃ痛がってた」
「そりゃあね。
水蒸気になった自分の体が、蒸発してるんだから」
「やっぱりそれって、死んでるんじゃないのかな」
「あいつはいろんな超能力をもってるから、きっと生きてるよ」
「人殺しにはなりたくないんだね」
「君だって、そうだろ」
僕たちは、二人並んで床に腰掛けている。
僕たちの前には、焼却炉がある。
焼却炉で、焼いている人間はない。
これまでも、人を焼いたことはない。
サンダーの遺灰は消えて、彼は生きている。
だから、憶恵さんは、まだ誰も殺してなんかいないんだ。
「憶恵さんの願いを、叶えたよ」
「あいつは死んでないんじゃなかったの?」
憶恵さんは、笑いながらそう言って、僕のほうをむいた。
「でも、いいよ」
僕も憶恵さんを向く。
炎なんてここにはないはずなのに、憶恵さんの顔は、照らされているみたいに、赤くなっていた。
赤くなった顔が、幻の炎なのか、それを確かめるために、僕は憶恵さんに手を伸ばす。
僕の手で、幻の炎を遮るように、憶恵さんの顔へとのばす。
「憶恵さんにしてほしいことがある」
「うん」
僕の手が憶恵さんに触れる。
憶恵さんに触れるとき、僕の手が感じていたのは、いつも冷たさだった。
けれど、そこにはあたたかさがあった。
「人を、殺さないと約束してほしい」
「それが、私にしてほしいこと?」
「そうだよ」
「もったいないことするね」
「約束してくれる?」
「私は、あいつを殺したい」
「妹さんの仇のためにね。
それなら、妹さんを蘇らせることを考えよう」
「え?」
「あいつの超能力について、全てをわかっているわけじゃない。
けれど、少なくともあいつのなかには、憶恵さんの妹さんの超能力がある。
死んだものを蘇らせる超能力も。
それなら、可能性はあるだろう?
だから、あいつは生かしておかないと」
僕が頬に触れた手に、憶恵さんも、手を重ねる。
その手には、僕がよく知っている、冷たさがあった。
「そのわりには、思い切ったことしたね。
ビームを直撃させるなんて」
「必死だったからね」
「私のために?」
「僕のために」
「いつまで、私に触れているつもり?」
「これくらい許されるかなって」
「いうこときくのは、ひとつだけだから」
そう言って、憶恵さんは僕の手を頬から引き剥がした。
僕たちの前に置かれた、焼却炉。
これに、火が灯されることは、もうない。
いや、これから秋がきて、冬になって、もっともっと寒くなって。
そうしたら、また火を灯してもいいかもしれない。
僕はマッチをこすらなくても、手から火をだすことができる。
汗をかくくらい熱を溜め込むことができる僕には、焼却炉を使う必要なんてないけれど。
冷え性の憶恵さんを、温めるために。
超能力学級崩壊 @chizutamaboko
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