第六話 失格の烙印、そして別離~美菜(母)視点~

 本当の記憶を取り戻してから落ちるのは早かった……。


 親に愛されずに育ったことを思い出した私は、その隙間を埋めるように輔を求めた。 もっと愛してほしい、もっと、もっと、誰よりも大事にしてほしい、こんなダメな私でも優しく受け入れてほしい!


 ――でも……輔の背中は、少しずつ遠くなっていった。


 輔の帰りが遅くなることが増えていった頃、私たちは五回目の結婚記念日を迎えた。 蓮がまだ小さいこともあり、私は家で夫の好物を作り、花を飾り、前に欲しがっていたタブレットを用意して夫の帰りを待っていた。


 朝、夫が忘れていったスマホに着信が入った。

 画面に映る知らない女の名前……そして名前の後ろに写るのは――――


 鳴りやまないその着信音は――私たちの家庭が崩壊する、“決定的な合図の音”だった。


 私は電話を受けた後、蓮を連れて仕事中の輔の元へと車を走らせた。 向かった先で私を待っていたのは、義父母と輔、そして相手の女とその両親だった。


 蓮を会社の女性に預け、話し合いという名の一方的な通告がされた。 相手の女は義父の会社の取引先の一人娘で妊娠四ヶ月だという。


 ――私は離婚を言い渡された――


 蓮の通う幼稚園の園長は義父の古くからの知り合い。 体裁もあるので幼稚園に通ううちは籍は抜かないでいてやる。 その代わり住まいを用意するので、そっちへ移れ。 養育費は払う。蓮はお前が育てろ。 喋れない欠陥品は四ノ宮の家にふさわしくない。


 話の内容はそんな感じだった。 もちろん私は断った。冗談じゃないと……。

 でも……結局、蓮が小学校に入る前に――離婚をすることになった。

 私が……蓮に手を上げているのがバレて脅されたのだ……。


  慰謝料をもらい別れるか、警察に通報されて捕まるか……。


 私の産んだ子が、”四ノ宮輔の長男”であるという事実を彼らに忘れさせない為に、四ノ宮の姓を名乗ることを条件に加え――私は離婚届にサインをした。


 躾のため……そう言いながら、私は蓮に手を上げていた。 言うことを聞かないからと……。 でも、本当はただ輔との不和の原因を蓮に見出し、ストレスをぶつけていただけ。


 その事実から目を背けたくて、離婚後は次第に蓮から距離を置くようになった。 蓮と顔を合わせるのが辛かったから……。


 離婚の慰謝料で自分の店を持った。 小さいけれど、小洒落た感じのスナックだ。 昔いた店のママが客を紹介してくれたおかげで、なんとかやっていけている。


 蓮と顔を合わせるのは、蓮が学校から帰ってきて、私が仕事へ出掛けるまでのわずかな時間。


 出勤前に夕飯の用意をしたりしていたけれど…… 客と付き合い出すと、次第にお金を渡すようになり、 夕飯を作る時間を男に費やすようになっていった……。


 だけど、いつも上手くいかない。 重い、うざい、しつこい……。 そんなふうに男は去っていく……。


 愛してほしいだけなのに、想いが伝わらない。 悲しくて、苦しくて――私は大量の酒に逃げるようになった。


 * * *

 

 ふと、ブランコを止め額に手を当てると、痛みを感じた。 手には血が付いていた。


(ああ……そうだ……さっきカラスに……)


 先ほどまでの記憶が蘇る。 空になった酒瓶の転がる部屋、充満するアルコールの臭い、ひっくり返された料理……そして……


 ――細い首にかけられた、真っ赤な爪をした手……。


 あれは、母の……違う……あの手は……。 血のついた自分の手が目に入る。 その爪は、真っ赤な鮮血のような色が付いていた。


「あ……わた……私……」


 ガクガクと身体が震えだす。 この時、私はやっと自分がしたことを理解した。 蓮を……叫ぶことすらできない我が子を、手にかけたのだ!


「いやぁぁぁぁぁぁ!!」


 後悔と恐ろしさが全身を襲う。 両腕で自分を抱きしめ、地面に突っ伏した。


「この期に及んで、まだ自分の身が可愛いだけか。」


 空気が変わった。背筋にひやりと冷たいものが走る。 顔を上げた先に――銀の光があった。 月ではない。人ではない。 それはまるで、夜を裂いて顕現した“神意”のようだった。


 月明かりすら従えるように、白銀の髪が風もないのにゆらめいていた。 そして、その足元に影を落とす冷たい金の瞳が、まっすぐに私を射抜いていた。


「あ……あの……」


 不思議な気配を纏う人物に、戸惑いを覚えたとしても仕方がないことだと思う。


「四ノ宮美菜! 我が子に手をかけるまで落ちた愚か者が――!」


 ピシャーッ! その人の後ろで稲妻が走る。


「お前に蓮を育てる資格はないっ!!」


 見ず知らずの男にいきなり突きつけられる、母親失格の烙印――。 さっきまでの後悔と、自分がしたことへの恐怖が一瞬で吹き飛んだ。


「は……はぁ!?誰よ、あんた……! 私がどれだけ……どれだけ必死だったか知りもしないくせに……っ!!」


 喉が潰れそうな声で怒鳴りながらも、内心では震えていた。 怖い。怖い……でも負けたくない。


「あの子が……あの子が普通じゃないからよ! 私のせいじゃない……わたし、悪くない……!!」


 理屈にならない理屈を必死に並べる。 まるで、己の罪を――自分自身に言い聞かせるように。


 ――ドンッ! ドンッ! ドドーン!


 次の瞬間、空が裂けた。 いくつもの雷が、意思を持ったかのように足元へと叩きつけられた。 地面は焼け、煙が立ちのぼり……焦げた匂いが鼻を突く。


 少しでもずれていたら…… そう思うと、カクンッと足から力が抜け、私は地面にへたり込んでしまった。


「我は斎。森の神社に住まう者。 縁あってこの一年、蓮の面倒をよくみていた。 蓮は我が貰い受ける。 お前は騒ぎにならぬよう、親戚筋に預けたと触れ回っておけ。 蓮の荷物はまとめておくように。後日、使いの者を出す。 今後、蓮に害を成したその時には、神罰が下ると覚悟しろ!」


 最後の警告と言わんばかりに、その斎と名乗った“存在”は、座り込んだ私のすぐ側に雷を落として去っていった。


 ……間違いなく“人”ではない存在……。 そんな存在に気に入られて、連れて行かれた我が子……。


「……こんな、馬鹿な親でごめんね……バイバイ……」


 届くはずのない謝罪と別離の言葉が零れ出た。

 夫と別れた時よりも、大きく空いた胸の穴……。


 私はこの日、無条件で自分を愛してくれていた存在を――永遠に手放すことになったのだった――




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