第8章②

あの日のばったり以来

私はまたしばらく店に行けずにいた


なんとなく

自分でも理由がよく分からなかった


けど

今日、ふと足が向いていた


 


「こんばんは」


扉を開けると、すぐに案内された


数秒後

奥からゆっくり歩いてきた飛悠が

いつもの落ち着いた仕草で席に座る


「…久しぶりだね」


「…うん」


私も自然に微笑んでた


でも、前とは少し違った


あの日、あの夜道で言われた言葉が

今も胸の奥に残ってるから


──”来なくなるとちょっと寂しいな”


 


「元気だった?」


「…まぁ、一応」


「そっか」


以前なら、それだけで会話が終わってたはずなのに

今日は飛悠の方から、少し間を埋めるように話してきた


 


「最近さ…学校はどう?」


「…え?」


ちょっと意外だった

今まで学校の話なんて、ほとんど聞かれたことがなかったから


「別に、相変わらずつまんない」


「だと思った」


少しだけ口元が緩む


 


「玲那って、ほんと変わってるよな」


「…それ、褒めてる?」


「一応は」


また静かな間が流れる

でも

その間が前より居心地悪くなかった


むしろ、なんとなくお互いに

何か探ってるような感覚になってた


 


「…飛悠くん」


「ん?」


「この前さ…あの、道でばったりの時…」


飛悠は静かに私の目を見た


「……うん」


「寂しいって、言ってたじゃん」


「言ったね」


「……本当?」


また、心臓がドクドク鳴り始めた


飛悠はグラスを少し回しながら

ほんの少し目を伏せたあと、ぽつりと答えた


 


「…まあ、嘘ではないかな」


 


たったそれだけの言葉が

今までで一番、心臓に刺さった気がした




しばらく静かな会話が続いたあと

私は心臓を鳴らしながら

意を決して口を開いた


 


「…あのさ」


「ん?」


「連絡先って…教えてくれない?」


飛悠は一瞬だけ表情を止めた


そして少しだけ首を傾ける


「……いいの?」


「え?」


「俺なんかに教えたら、ろくなことないかもよ」


冗談みたいに笑ったその声に

思わず返した


「…でも、知りたいから」


飛悠はしばらく私の顔を見ていた


その視線に、また鼓動が早くなる


やがて小さく息を吐いて

スマホを取り出した


「…自己責任で」


「うん」


交換された連絡先

画面に表示された名前


──”悠”


源氏名じゃなく

本名で登録されたその文字に

胸が熱くなった

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