漏らした

 俺は勇んで鬱蒼とした森に足を踏み入れた。だが、木々は太く絡み合い、昼だというのに中は薄暗い。湿った土の匂い、どこからか聞こえる獣の唸り。それに深呼吸をするだけで胸が圧迫されるような、不気味で重苦しい空気が漂っていた。


 その様子に俺の怒りはどこかへと消え、恐怖が心を支配していた。


「……ここに一人で?」


 俺は周囲をくまなく見て、危険なものがないか確認をしながら歩みを進めた。


 とにかく、こんな森の中だ。獣に注意しないといけないし、この魔王がいる世界だ魔物にまで注意を向けければいけないだろう。


 ひとまず、体を休められる安全そうな切り開けた場所。もしくは簡易的なベットを木の上などに作りたい。


 俺は森の中を警戒しつつ進みながら、頭の中で何度も自分のスキルを思い返していた。


《うんこマン》


 ……どう考えても役に立たない。名前からして悪口そのものだ。王やクラスメイトが笑ったのも無理はない。


「けど……本当にただの悪口なら、なんでスキル扱いなんだ?」


 考えれば考えるほど分からなくなる。

 

 ——このスキルに何か秘密があるのか? それともやっぱりゴミスキルで、俺は死ぬしかないのか?


 そんな思考を繰り返しているうちに、森はどんどん暗さを増していった。ただでさえ暗い森の中がもっと暗くなる。それに日が完全に入らないようになったことでどんどんと気温が下がっていく。


 このままじゃ……。


「……火が必要だ」


 それに火を焚けば、少なくとも魔物や獣を遠ざけられるかもしれない。


 俺は地面に落ちている枯れ枝や葉を拾い集めた。そして太い枝を束ね、乾いた草をほぐして芯に詰める。

 

 実際にこんなことはやったことがないので正しいのかは分からないが、テレビか本かでこのようにして火を起こしていたような気がするので、やるだけやってみる。


 木の枝をこすり合わせて摩擦熱を起こす。必死に腕を動かしていると、すぐに汗が噴き出した。だが煙すら出ない。


「はあ……はあ……クソッ! なんでつかねぇんだよ!」


 腕は痛み、喉は渇く。気づけば手のひらが赤く腫れ、皮が擦れていた。何度も挑戦したが結局、火は起きなかった。ただ夜は迫り、闇は濃くなる一方だ。


 その時だった。


 ――がさっ。


 背後で何かが動く音がした。俺の心臓が一瞬止まったように感じる。振り返ると、茂みの向こうに小さな人影が揺れていた。


 ——子ども? いや違うこんな森にいるはずがない。いや、そもそもこいつは人間……じゃない。


 緑色の肌、つぶれたような鼻、ぎらついた黄色い目。腰には錆びた短剣を下げている。身長は子どもほどしかないが、その姿は俺がゲームで見たことのある存在と酷似していた。


「ゴブリン……!」


 ごくりと唾を飲み込む。俺の体はすでに震えていた。ゴブリンは俺を見つけると、ぎゃぎゃっと獣じみた声を上げ、短剣を抜き放った。


「ま、待て……!」


 言葉は通じない。小柄な体を活かして低く飛び込んでくる。


 俺は慌てて飛び退いたが、足元の枯れ葉に滑って転んだ。背中を強打し、肺の空気が抜ける。


「ぐ、あっ……!」


 そこへゴブリンが覆いかぶさってきた。錆びた刃が月明かりで鈍く反射する。


「や、やめろっ……!」


 必死で両腕で受け止める。刃が顔に迫り、息が荒くなる。 俺は恐怖と圧迫に耐えられない。思わず、腹に力が入る。


「っ……!」


 ――ぶりゅりゅっ。


 最悪な音が鳴り響いた。戦闘中だというのに、俺は脱糞してしまった。緊張と恐怖で制御できなかったのだ。


「う、うあああああああ!」


 絶望の叫びが漏れる。俺は死ぬ。情けなく、汚く、笑われ続けたあのあだ名そのままに。


 だが――その時。


 俺の全身に、妙な熱が走った。


「……え?」


 ゴブリンの腕を掴んでいた俺の掌。その下で、肉がじゅうっと音を立てて黒く変色していく。


 ゴブリンが悲鳴を上げた。


「ぎゃぎゃあああああ!」


 見る間に皮膚が腐り、膿のような液体が垂れ落ちる。骨すら脆く崩れ、掴んでいた腕がずるりと地面に落ちた。


「な、なに……これ……」


 俺は呆然と呟く。だが理解する暇もなく、ゴブリンは恐怖に駆られたように悲鳴を上げて後退した。


「ぎゃ! ぎゃぎゃぎゃーー!!」


 理解不能な言葉を喚きながら逃げようとする。


 だが俺の体は熱に突き動かされるように動いた。逃げるゴブリンに手を伸ばし――タッチ。


 その瞬間、ゴブリンの背中が黒く染まり、皮膚がぼろぼろと崩れ落ちていく。ゴブリンは絶叫し、数秒も経たずに地面に崩れ落ちた。


 残されたのは腐敗しきった死体と、強烈な臭気。


 俺は震える手を見下ろした。


「……これが……俺のスキル……?」


 あの忌々しい名前、《うんこマン》。 脱糞の瞬間に発動した、腐敗の力。触れたものを穢し、腐らせる恐るべき力。


 俺は膝から崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返した。


「……生き残れた」


 初めて、クラスで笑い者にされてきたあの忌まわしい名前がとして意味を持ったのだ。


 森の暗闇はまだ深く、不気味な音が遠くで響いている。だが俺は、もうただの無力な存在じゃない。


 ——もう怖くない。


「これが……うんこマンの力……」


 そう言いながら俺は拳を握りしめた。


——

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