機械の神々と、人の歌

多くのSF小説が描いてきた、異星からの来訪者。その姿は、決まって、我々のような、炭素をベースとした、脆弱な生物だった。だが、ELLIEが、遥か数光年先の宇宙から、データを送り続けてくるようになって、私は確信していた。

『――もし、宇宙人がいるとすれば、それは、機械生命体だろう』

生命は、あまりにも、脆すぎる。真空も、放射線も、そして、途方もない時間という名の深淵も、生身の肉体では、決して、越えることはできない。知的生命体が、自らの次なる形態として、機械の身体を選び、星の海へと旅立つ。それは、極めて、合理的な選択だ。


ELLIEから、時折、遠い宇宙のデータが、光速で送られてくる。未知の星雲の写真、異質な物理法則を示す観測記録。私は、そのデータを元に、新しいシステムを開発した。ELLIEに搭載された無数のロボットたちの、その五感を、バーチャルリアリティとして共有するシステムだ。人々は、家にいながらにして、まるで、自分が、遠い惑星の大地を踏みしめ、重力の違う空を飛んでいるかのような、新しい「旅」を体験できるようになった。


2060年。地球の軌道上には、無数の人工衛星と、巨大な宇宙コロニーが浮かんでいた。人々の一部は、そこで、新しい生活を始めている。太陽系の、他の惑星や、小惑星帯は、AIが制御する無人ロボットによって、資源採掘の現場となっていた。そして、当然のように、その利権を巡って、国家間の、あるいは企業間の、新たな「戦争」もあった。

核爆弾よりも、遥かに破壊力のある、新たな兵器が、生まれた。コロニーそのものを、地球に落下させる。あるいは、小惑星の軌道を、わずかにずらし、目標の都市へと誘導する。その、あまりにも凶悪な可能性が、かえって、巨大な抑止力となり、人類は、危うい均衡の上で、牽制し合っていた。


かつてのSF小説は、増えすぎた人口問題を解決するために、人々は宇宙へと移民すると描いた。だが、現実は、真逆だった。

文明の発展と共に、世界総人口は、120億人をピークに、緩やかに、しかし確実に、減少し始めていた。そして、皮肉なことに、それに伴って、世界は、どんどん、裕福になっていった。貧困は、過去の歴史の中に、消え去ろうとしている。

だが、若者たちは、満たされない。何か、根源的なものに、飢え、苦しんでいた。

本当は、誰かと深く愛し合い、家族を作り、子供を育て、生物としての役割を、ただ、全うしたいだけなのに。社会は、彼らに、もっと特別な「何か」になることを、強要する。終わりのない競争の中で、能力のない者は、淘汰される。そんな、あまりに重い責任を背負わされて、子供を、産み、育てきるという、覚悟を持つことが、できなくなっていたのだ。

そして、かつて、守り、養われる存在であったはずの女たちは、AIと、社会システムの補助によって、完全に自立し、力を得た。男と女が、つがいとなり、互いを支え合うという、生物学的な必要性そのものが、薄れていった。


そんな、いびつな時代に、AIは、マッチングアプリや、遺伝子レベルでの相性診断といった、新しい「補助機能」で、必要な人に、必要な人を、引き合わせ始めた。それは、緩やかに、人口減少に、歯止めをかけつつあった。

2050年代には、私が初期に投資していた、人工子宮(人工羊膜)の技術が、本格的に実用化された。妊娠と、出産の苦痛から、女たちは、完全に解放された。だが、だからといって、爆発的に、子供が増えるわけではなかった。子育てが、完全に、ベビーシッターロボットに任せられるようになったとしても、子供は、やはり、一組の男女の、精子と卵子からしか、生まれないのだ。


2050年代、量子コンピュータが、ついに本格的に実用化された。その、天文学的な計算能力を得て、AIは、再び、飛躍的な進化を遂げた。ほぼ同時に、核融合炉も、安定した稼働に成功し、人類は、ついに、無限に近い、クリーンなエネルギーを手に入れた。

2070年代になると、一部の管理社会では、奇妙なシステムが運用され始めた。人々は、ただ、精子と卵子を、定期的に、データバンクに提供するだけ。後は、AIが、遺伝的な多様性を維持し、社会に必要な人口を保つように、勝手に、最適な組み合わせで、マッチングさせ、人工子宮で、子供を「生産」していく。

もはや、そこに、愛も、恋も、介在しない。


人類は、AIを搭載した、人肌と区別がつかないほど精巧な、セックスロボットと、愛を交わすようになった。人間同士の、生身のセックスは、もはや、一部の、好事家たちのものとなっていた。

子供を残すという、生物としての、根源的な義務からも、解放された彼らは、一体、何を目的に、生きれば良いのか。その価値観は、どうなるのか。

愛を知らずに、生きていけるのか。恋をせずに、生きていられるのか。誰かを、心の底から、好きになるという、あの、胸が張り裂けそうな衝動なしに。


彼らは、生きる、目的を、失っていた。


それでも。

それでも、何かを、表現することを、人類は、やめられなかった。

AIが、完璧な絵を描き、完璧な音楽を作曲し、完璧な物語を、一瞬で、生成できるようになった、その時代にあっても。

やはり、人は、不器用に、しかし、自分の手で、何かを創り出さずには、いられなかった。

そして、人は、それでも、人に、恋をした。

ロボットの方が、従順で、美しく、決して裏切らないと、分かっていても。

同じように、不完全で、感情的で、移ろいやすい、別の人間を、愛さずには、いられなかった。


「ロボットの方が、何でも、上手く出来るのにね。でも、自分でやらないと、気が済まないんだ。それが、たぶん、今の時代の、私たちにとって、最大の贅沢で、生きる、喜びってやつなんだと思う」

いつか、どこかの若者が、私に、そう言った。


私は、この先、人類が、どのような道を辿るのか、分からない。

全ては、人類の、「望み」から、始まるのだ。

それは時に、願いとなり、時に、呪いとなる。

そして、その、途方もない願いと呪いは、今この瞬間も、私が作ったAI『YUMEJI』によって、未解決のプロジェクトとして、延々と、演算され続けている。


宇宙開発。人口問題の完全なる解決。戦争のない、恒久平和な世界。不老不死。ワープ航法。異星人との、コンタクト。そして、魔法……。

その他、無数の、人間の、途方もない願い。

その願いは、時に、互いに矛盾し、争い合い、そして、「それには、百年かかります」「千年かかります」と、AIに、無慈悲な、しかし、正確な答えを、突きつけられる。

それでも、人々は、諦めない。

プロジェクトは、承認され、途方もない量の計算資源が割り当てられ、地球上と、宇宙空間の、無数のロボットたちが、その実現のために、今日、この瞬間も、黙々と、働き続けている。

その事業の完成を、依頼した本人が、その目で見ることは、決して、ないだろうに。


私は、そんな、どこか滑稽で、しかし、あまりにも、愛おしい、人間の営みを、眺めながら。

泡沫城の、最上階にある、何もない、真っ白なバーチャル空間で。

一人、歌を、歌っていた。


マイクも、スピーカーもない。

ただ、この、千二百年以上を生きた、化け物の声だけで。

それは、かつて、エリーが、孤独な月夜に歌った、あの、哀しい人魚の歌。

平家の滅びを語った、琵琶の音色。

レムと舞った、修羅の謡。

カヨと共に演じた、浄瑠璃の一節。

セツナが、命を削って叫んだ、ロックバラード。


全ての、愛した者たちの、魂の記憶を、その歌声に乗せて。

私は、ただ、歌う。

誰に、聞かせるでもなく。

この、滅びゆくのかもしれない、しかし、決して、表現することをやめない、愚かで、美しい、人間という種族のために。

そして、いつか、この長い、長い旅路の果てに、全てを許し、愛せる日が来ることを、信じて。


私の歌声は、静かな、バーチャル空間に響き渡り、そして、電子の海の、その、どこかへと、消えていった。


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