第2話
「口にあったかな?」
「え、はい、おいしく頂いています」
女はうっすらと笑って、また一口分の酒を喉に流し込む。
私と話すために彼女は少しだけこちらへ身体を向けていた。盃をあおる仕草で彼女の正面がちらりと見えるが、スーツの下にはワイシャツはおろかインナーも何もつけていないらしい。
スーツの下の谷間に視線が吸い寄せられそうになるのに耐えながら、女が次の酒を注ぐのを待つ。
女が盃を満たすのを待って口を開こうとするが、私の発言に先んじて彼女が口を開いた。
「君さえ良ければ次の皿も貰ってくれるかな」
「ありがたく頂きますが、あなたは食べないんですか?」
ぐいと女が次の皿を押し出そうとするのを見ながら、私は彼女へ問いかけた。女は答える代わりに、厨房から顔を出した店長の方を向く。
「あっ、ええと、言っていいんですか?」
「いいさ。彼も知らない仲じゃない……私は知らないが」
一瞬迷ったようだったが、店長は思ったより素直に話し始めた。
「この方は辰……龍の仙人なんですよ。聞いたことありませんか? 龍は霞しか食べないって」
「え、でも酒は?」
「ヤマタノオロチの例があるでしょう」
確かに龍が食べるものは詳しく規定されていないし、酒好きだということも分かる。しかしそれは頼んだ料理が消費されないことの理由にならない。
「君は私がものを食べないことに疑問があるみたいだね」
私の思考を見透かしたかのように女が言う。もしかすると本当に見えているのかもしれない。何しろ仙人なのだし。
「食べられないことはないが、私の胃は小さいからね。だから料理に掛けられた『想い』を代わりに食べているんだ」
「言ってみればお供え物なんですよね」
「そうだね。私がこうして堪能したあとは、お下がりとして大将に食べてもらっている」
「大食いで大虎なお連れさんが居なければ、ですね」
ほとんど閉じているような女の目が、店長の言葉でうっすら開いて彼を見る。店長は肩をすくめるばかりで、それ以上は何も言わないようだ。
「ということは、目の前にある皿の数々は全てお下がりということですか?」
事実、女の前にはまだ三皿の、手付かずの皿が残っている。そしてそのうちの一皿を彼女が押し出しているのだ。
女が差し出した皿には小ぶりな唐揚げが4つ、三角錐に盛られていた。さすがにもう湯気は立っていないが、よく油が切られた唐揚げの内部はきっとまだ熱々の肉汁がたぎっているだろう。
しかし――その唐揚げは例によって何かが上から掛かっていた。とろりとした白っぽい流体だが、タルタルソースとも違うように見える。
「最近は生饌が多くてね。作りたての熟饌というのはありがたいものだよ」
生饌は『せいせん』と読む。『じゅくせん』と読む熟饌が調理済みのお供え物なのに対して、生饌はその素材をお供え物として捧げる。祭壇に生米や青果を捧げるのが生饌というわけだ。
「辰の仙人様が来られた時は、夕飯の献立に困りませんね」
「迷惑だったかな?」
「いえいえ、何を食べようかいつも迷っているので、ありがたく頂いております」
『想い』を食べるというのが本当なのなら、大将が嘘をつけばたちどころに明らかになるだろう。女がそれを指摘しないということは、大将の言葉が本心からのものだということ、なのだろうか?
ともかく仙人からのお下がりである、白い何かが掛かった唐揚げを一口食べてみる。
それはどこまで行っても鶏の唐揚げだったが、もも肉のたっぷりした肉汁を上に掛かった白い何かが和らげていた。思ったより塩っぱくて、それでいてコクがある。しかしそのコクは卵では無いように感じる。
「うーん、おいしい」
「いいんだよ。難しいことは考えなくても」
女の声は優しいが、それはそれとして味の正体が分からないのがもどかしい。
「あー、大将?」
私は自己解決出来ず、答えを大将に求めた。
「この白いのは何です?」
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