たぶん、最後の寄り道

トイノリ

たぶん、最後の寄り道

どうにも、もう少しだけ生きていたい夜ってのがある。

傭兵なんてやってると、だいたいそういう夜は悪い予感とセットになってる。

でもまあ、腹は減るし、喉も乾く。

死に場所へ向かう途中でコーヒーの匂いに惹かれて寄り道するってのも、そう悪くない。


ワープジャンクション入り口の補給船――サティン・ブルー。

誰が付けたんだか、名前はやたら詩的だが、実態は廃業寸前だ。

けれど、そこにはまだ、灯りと、コーヒーの香りが生きている。


古びた扉、手書きの「やってます」の札。

入ると、ドアベルがチリンと音を立て、甘いコーヒーの匂いが出迎えてくれた。


音楽が流れてる。JAZZだ。

とろけるような、低音の女の歌声。

歌声に混ざるプツプツと引っ掻くような音。

珍しいな、こいつはレコードだ。

いい音ってのは、手入れされてる証拠。

――機器も、人生もな。


カウンターの向こうには無口なじいさんがいて、余計なことは言わない。

で、問題はその隣だ。


オレンジ色の、しましま模様の猫。

やたら長い尻尾に、びっくりするほど短い足。


「……それでスピーカー登れんのか?」

つい訊いてしまったが、奴は返事もせず、ひょいと飛び乗り丸くなった。

なんだ、登れんのかよ。猫ってやつは見た目で判断しちゃいけないらしい。


俺はコートを脱いで、カウンターに腰を下ろす。

じいさんが黙ってサイフォンを火にかける。

ひとことくらいあってもいいと思うんだが――まあ、それもこの店ではいつもの風景なんだろう。


「明日、地獄みたいな星に向かうんだよ」

「火の雨が降るわ、空気は腐ってるわで、いろいろ揃ってる」


猫に話しかけても仕方ないのは分かってる。

でも、じいさんには話しかけづらいし、

猫の方がまだ聞いてくれそうだった。


「帰ってこれたらまた飲みにこようかな」


そのとき、猫の尻尾がぱたりと一度だけ揺れた。

まるで、「帰ってこいよ」とでも言ってるみたいに――

いや、違うな。あれはたぶん、「ふーん」くらいの感じだ。


でも、そう思うことで、ちょっとだけ気が楽になった。


 

コーヒーが出された。

飲んだ瞬間、思わずむせた。


「……甘っ」


こりゃあ、ほぼシロップじゃねぇか。


もう一口飲む。うん? いや、不思議となじむ甘さだな?

喉の奥に残るのは、昔どこかで飲んだ、誰かが淹れてくれたコーヒーの記憶。

あれは、誰だったっけな。


 

カップを空にして、立ち上がる。


「またな。猫。じいさん」


返事はない。

でも、歌声が一段階、音を上げた。

気のせいかもしれないが――それでいい。


扉を開けると、来た時と同じようにドアベルがチリンと鳴った。


振り返ると、猫がゆっくりと瞬きをして、

短い足を折りたたんだまま、長い尻尾をゆらりゆらりと揺らした。


「……じゃあ、行ってくるわ。なるべく早めに、な」


——————————-

 

ドアが閉まる。

甘い香りと、古いレコードの歌声とノイズ。

その中で、猫はまた、目を閉じた。

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