第2話 止まったままの友の時

  

  雨は好きではない。

私が雨の日に外に出ると、いつも決まって良くないことが起きる。

誰かが泣いていたり、辛い思いをしていたり。

とはいえ、雨の感情だって必要だ。

雨がなければ、私たちは生きていくことが出来ないのだから。


 シトシトと雨が降る中を、ハクとリンは無言で歩いていた。

「…なぁ、銀」

「なんだ」

「その…やっぱ怒ってんのか?勝手にいなくなって、お前を1人にしたこと…」

「…」

ハクは歩みを止め、リンの方を向いた。

その顔には、喜びも悲しみも、怒りさえもない。

何も感じさせない、不思議な表情をしている。

「この顔、怒っているように見えるか?」

「うーん…怒ってるのと…悲しんで…る?」

「…そう思ったのなら、それでいい」

ハクは再び前を向いて歩き始めた。

「んだよそれ!気になるじゃねーか!答え言えよ!」

「答えはない。私自身、正直まだ混乱しているんだ。君が本物なのか、本当に霖なのか、信じきれてはいない」

「まぁ、そりゃそうだよな。学園じゃ失踪して、死んだ者として扱われたわけだからな。最後にあの一言だけ残して去ったのは、悪いと思ってたよ」

ハクは空を見上げた。

空は分厚い雲に覆われていて、青空なんて少しも見えない。

「…もう、死んでしまったのかと思っていた。信じたくなかったが、あんなことがあった翌日だ。考えたくなくても、どうしても頭の中に浮かんできてしまったんだ。君が、彼の後を追ったのではないかと。今も、私の中では君が…大事な存在ひとが、突然消えてしまうのではないかと怯えている。何百年がたとうと一応怒っているし、ずっと心配もしていた。…けれど、生きていてくれて良かった。本当に、安心した。それが本音だ」

「…そっか」

リンは、少し笑った。

「あ、そういえば」

「なんだ?まだ何かあるのか?」

「お前さ、なんでハクって名乗ってんだ?お前の名前は、銀だろ?」

あっさりと言われたその言葉は、ハクの心に小さな傷をつけた。

「…すまないが、そのことはここだけの秘密にしておいてくれ。私の本名を知る者は、今やほとんどいない。銀と呼んでくれても構わないが、表向きはあくまであだ名だ。この世界全体の存在ひとたちが、私のことをハクだと思っている。私はもう、銀ではなくなってしまったんだ」

ハクの声には、一切の抑揚がなかった。

「…。分かったよ。理由は聞かねえ。おれと同じで、お前にも色々あったんだろうからな。誰にも、なにも言わねぇよ」

リンは明るく笑って、ハクの背中を軽く叩いた。

ハクも、ほんの少しだけ表情を和らげる。

「それでリン、一体どんなトラブルを持ってきたんだ?200年も連絡がなかったのに、急に会いに来たくらいだ。相当のことなのだろう?」

「…ははっ。やっぱ銀は鋭いなぁ」

「私を巻き込むのは全然構わないのだが…君1人で対処できないほどのことなのか?」

「巻き込むって…もっと良い言い方ねぇのかよ…」

「巻き込もうとしたから私を訪ねたのだろう?」

「まぁ、そりゃそうだけどさぁ…」

「何が、あったんだ?」

「うーん…何て言ったらいいのか分かんねぇけど、少なくともおれが抱えてるこの問題は、おれ1人でも十分対処できる」

「では、なぜ私のところに?」

「…今回のことは、銀にも手伝ってもらった方がいいと思ったんだ。これは、おれたちにとっての最後のチャンスになるだろうから」

「最後の、チャンス…」

「ああ。そうだ。銀、これからおれが言うことをよく聞いてくれ」

「…」

リンは真剣な表情になって言った。

「蓮のこと、覚えてるか?」

「ああ。もちろんだ。忘れられる、はずがない」

「蓮を殺したあいつが、脱獄したらしいんだ」

ハクの眉間に、深いしわが寄った。

「…なんだと?やつは確か、無期懲役の判決が下されていたはずだが…」

「ある日突然、牢から抜け出したんだと。…おれはずっと、この時を待ってた」

「…リン」

「おれは、ずっとあいつのことを恨んでんだ。銀はおれとは違って優しい。だから、お前が何を思うのかはおれには分からない。ただ…お前だって悔しかったはずだ。銀、忘れるわけないんだろ。あいつはレンを…おれたちの唯一無二の親友を、交通事故と称して実験台にした。そして、殺した」

「…っ」

「おれは、あいつのことが憎い。この手で息の根を止めてやりたいほど恨んでる。お前も、そうじゃないのか?」

「…リン、何を考えている」

リンの声は冷たかった。

いや、冷たいどころの話ではない。

完全に、怒りの感情にとらわれている。

「おれは、あいつに復讐する。とはいえ、殺しはしねぇさ。おれは、あんなやつに人生捧げてやるほど暇してる訳じゃねえんだ」

「…」

「銀、お前はどうしたい。別に、いやってんなら来なくても良いさ。ただ…これが最後のチャンスになることだけは分かっとけ」

ハクはリンを見つめた。

…リンは本気だ。

本気で相手に殺意を抱くほどまでにあいつを…犯人であるヴィラドを憎み、蓮のことを大切に思っていた。

私だって、ヴィラドのことは憎い。

憎くて憎くてたまらない。

…最後の賭けだ。

「…私に、何を手伝えと」

「さっすが銀だぜ。お前、鏡月湖って知ってるか?」

「レンの家の近くにある、月が鏡に映るように美しく見える湖のことだな」

「知ってるんなら話は早い。あいつ、どうやら鏡月湖に向かったみたいなんだ」

「待て待て待て、脱獄したことを知っているのはともかく、なに平然と尾行しているんだ」

ハクは完全に呆れている。

「まあまあ、細かいことは良いじゃねぇか。相手は存在ひと殺しだ。それも、よりにもよってレンを殺した。ほんの少しの仕返しくらい、許されるだろ?」

「…勘違いさせないために言っておくが、私はヴィラドを捕まえるために君に手を貸す。向こうがおかしなことをしない限り刀は抜かん」

「ははっ。銀ならそういうと思ってたぜ。おれだって、なにも悪役になりたい訳じゃない。あくまで脱獄犯を捕まえるってだけだ」

「…私には、正当防衛と称してやつをボコボコにする君の姿しか想像できないのだが」

「あは、バレた?」

リンは、イタズラっぽい笑みを浮かべた。

その表情さえも嘘に見えてしまうのは、私がリンのことを信じきれていないからなのだろうか。

「…リン、私は、君が間違った道を行こうとしていたら多少強引になってでも君のことを止める。ただ…今回の件はレンの死が絡んでいる。私も、おそらく冷静ではいられないだろう。だから…私が間違った道を行こうとしていれば、殴ってでも止めてくれ。いいな?」

「殴ってでもって…その場合の仕返しがめっちゃ怖いんだけど」

「あまりに強くやられると保証はできかねるな」

「怖ぇわ!おれの命の保証がなくなったじゃねえか!」

「力で言うと君の方がずっと強いだろう?」

「宇宙全体に名が知れてる剣士殿に、力業で勝てるわけないだろ…」

「なんだ、君らしくないな。いつものように、自分に自信を持てば良い」

「…ははっ。やっぱ銀は変わんねぇな」

リンは笑った。

それは、200年前の最後の夜に見たあの笑顔と何ら変わりなかった。

「…船へ帰ろう」

ハクはただそう言って、身をひるがえした。

そうすることしか、今のハクにはできなかった。

雨足は、どんどん強くなっている。

「あ、そういえばおれ、もう1個気になってることあるんだ」

「なんだ。私のことなら、話せることには限りがあるのだが」

「まあ、銀のことって言ったら銀のことなのか…?さっきお前についてきてたあの子供たちって、一体誰なんだ?」

「ああ、アーリアとルディのことか。あの子達は、私の娘たちだ」

「は…ぁ?」

リンが、一瞬フリーズした。

そして

「はあぁぁぁぁぁぁ!?!?!?え、ちょっ、は!?なっお、お前一体何を、いや、銀は顔良しスタイル良し性格良しの超絶優しい理想の旦那像だろうけどよ!なっ、相手は!?奥さんどんな存在ひとだよ!あ!もしかしてグレイシアか!?」

ゴンッ

「いって!なにすんだよ!」

リンの頭に、ハクの渾身の一撃が決まった。

「なっ…何を言っているんだ君は…。褒めるだけ褒めておいて、なんて爆弾発言を…」

「いやー、久しぶりに食らったわ。銀の拳骨。んで?奥さんどんな存在ひと?」

「私に妻がいるわけないだろう。あの子達やアーリアは私が拾った拾い子で、他の子達も私や他の部下たちが連れてきた子達だ。大体、一体誰がこんな歩く不運の象徴みたいな男を好むんだ」

「不運っていう自覚はまだあったんだな」

「なくなるわけないだろう。もはや私の代名詞みたいになってるんだぞ」

「お前ホント変わってねぇよなあ。なに、まだ不運のまんまなの?」

「昨日、お箸と茶碗が同時に真っ二つになったが?」

「それもう不運じゃなくて不吉じゃねえか…。お前、何したんだよ…」

「なにもしてない」

「嘘つけ」

「こんな嘘ついて、一体何になるというんだ」

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