ベルトラッキ贋作事件に見る生成AIとの類似性と怖さへの応援コメント
ベルトラッキの思考はなんとなくわかってしまうのです。
なぜなら読書をしているとき、その登場人物と一緒に作品世界に踏み入れる。作者はどんな思考でこの物語を書いたのだろうと想像する。そんな時間が一番楽しいので。
創作者としてはどうでしょうか。私自信、自分の名前でオリジナルを創りたいという欲望が押さえきれないので、ベルトラッキとは違いますね。
ただ、そうして他人と比較してしまっている私には限界があるのかもしれません。
良いお年を~。
作者からの返信
私もなんとなく理解できます。
作者とシンクロできた瞬間、なんともいえない陶酔感に陥ってしまうこともあるので。
もちろん、自身の名でオリジナルを創作するのは大前提として、どちらかを選ばなくてはいけないとなったらどうだろうな?と考えてしまいました。
私は、昔の名義・Web小説用名義・公募用名義と3つの名を使い分けているので、名前よりも作品そのものを見てほしいかも。
まぁ、ないものねだりですが笑。
今年は大変お世話になりました。
よいお年をお迎えくださいませ(^^)/
台詞に方言を取り入れると物語に奥行きが出る《後編》への応援コメント
どんな続きが来るのかなと楽しみに待っていました。
今回も面白かったです。改めて方言良いなぁと羨ましくなっていました。
実は私自身はまったく故郷の方言を持たない人なのです。(母は方言少なめの札幌市街地、父は東京育ちのハーフなんて有様なので、故郷の方言らしきもののない、でもあちこちに影響されて、崩れた標準語が自宅では使われていました)
多分、今の世の中の大半は私側なのかも。
混ざりまくって原型を止めてない方言を知らずに使っている感じ。
だからこそかな、べらんめぇ言葉、いいなぁ、なんてなってました(笑)
この先も方言が残ると良いな、なんて思います。
作者からの返信
方言、いいですよね^^
私も絶対になくしてはいけないと思います。
大学時代、地方出身の子が「方言直したいから訛ってたら教えてね」と言っていて、ちょっと寂しく感じたことがありました。
そのままでも十分魅力的な子なのに……と。
北海道は明治時代以降に全国から開拓民が入植したという経緯もあり、札幌のような都会は特に共通言語として標準語に近いものが確立されていったのでしょう。
崩れた標準語、これもまた「我が家の味」みたいで温かみがありますね。
素敵です。
私は子供の頃短い間でしたが、父の仕事の関係で地方に住んだことがあります。
しかし、すぐに東京に戻るからと、方言を使うと親に厳しく叱られました。
帰京後のいじめを心配した親心だったのでしょうが、子供なんてすぐ環境に馴染むんですがね(笑)。
あのときの方言を覚えておけば創作の幅も広がったかと思うと、少々残念な気もします。
かっこよく書いた文章が伝わらないへの応援コメント
めっちゃむずい気がします。
人は心を燃やします。それはある日「萌える」という文字に転化され、一挙に置き換わってしまったことがありました。
はたして木は「燃える」のでしょうか。いえ、炭素なので燃えますが、そういう意味ではなく。
Aさんのおっしゃるとおり、本来は「萌える」です。新緑の芽吹く時に「燃える」は当てはまらないのかもしれません。木の存在は火の激しさとは真逆の印象を与えます。動よりも静。熱よりも涼やかなものです。しかし、認識を覆すほどの生命の息吹を目の当たりにしたのでしょう。
長い冬を越えてきたのです。再生の炎と考えられなくもありません。ですが、それは秋にこそ当てはまります。秋の紅葉は来年の再生のために自らを「燃やして」いると言えるでしょう。
やはり新緑には合わないのでしょうか。本筋は「萌える」を「燃える」と書くことが、作者の意図なのか、それは真剣なのか冗談なのか、はたまたタイポなのか。読者は判断がつかないからでしょうか。「燃える」という言葉だけでなく、前後の文章で「燃える」という状況を描き、文脈で伝えないといけないように思えます。
感想ではなく自分の思考になってしまいました。
作者からの返信
非常に深い見解、ありがとうございます。
とても考えさせられました。
どこの神社か忘れましたが、境内に銀杏の木をたくさん植えるのは、水分を多く含んでおり燃えにくく、火災から社殿を守る効果があるからだと聞いたことがあります。
また、緑という色にリラックス効果があることは言うまでもありません。
ならば青々と茂った植物は「静」で間違いなく、「動」を連想させる「燃える」は適切な表現ではありません。
来年の再生のために自らを「燃やして」いる「紅葉」のほうが「燃える」に相応しい、というのは納得ですし、視覚的情報からあまり説明を要せずに済むでしょう。
小説はディベートでもレスバでもなく、読み手をねじ伏せる手段であってはならないと考えます。
たとえレポート記事であっても、若葉を「燃える」と表現したいのなら口頭ではなく、おっしゃる通り文脈で伝えないといけなかったのです。ただ、言い訳になりますが、当時の誌面は文字数制限があり、そこまで入れられませんでした。それを補う筆力がないのなら我を押し通すのではなく、引くことも大事だと若い頃に学べたのは幸いでした。
やはり小説は面白いですね。
ものの捉え方は千差万別。自分の見たまま感じたままが他人も同じとは限らない。
それをどうやって伝えるか、どうやったら理解してもらえるのか、結局理解してもらえないのか、理解してもらえなくても読者の心に一石を投じたり何かを残すことができるのか。
文章や物語を考えることは楽しい。
こうして言葉を紡いでいるときすら、とても楽しいです。
そして「緑」が命をかけて成長し、再生していくさまを表現できるよう、これからも悩みつづけたいと思います。
かっこよく書いた文章が伝わらないへの応援コメント
阿羅田様の貴重なご体験談が……!
文章って難しいと改めて思いました。
なかなか風景描写は難しく、いい表現だと悦に入っても、読者からしたら意味わからんみたいになると、せっかく思いついた言葉が意味をなさなくなるというのは、私も肝に銘じなければと思います。
作者からの返信
恥ずかしい体験談でもお役に立てれば浮かばれます笑。
やはりせっかく書いた文章なんだから伝わってほしいですよね。
でも、ものの捉え方って千差万別なので、譲歩しすぎても自分の言葉が失われそうで……悩みます。
自分の言葉を大切にしつつ、できるだけ多くの人に伝わる表現を日々模索するしかないのでしょう。
群像劇の書き方は一つじゃないへの応援コメント
また、筆者の衝撃的な過去が明かされる!
そうして目をかけて頂いて出版にするというルートもあるのですね。
群像劇のいいところの一つは、主人公を客観視できることですよね。
主人公の特徴や特殊さ、強さを自然に書けますし。ライバルとの冷静な比較もできますし。
『城のなかの人』は読んだことあるはず。でも、触れられた内容を読んでも何も出てきません。また読んでみます。
あまり群像劇だ一人称だと意識して読んで来なかったので、SNSで繰り広げられる群像劇論にはあまりピンと来ていません。それは書きたいもの、書くべきもので決まるという印象でした。
私の好きな作家の作品は初期は一人称で、後期は群像劇でした。扱う登場人物の社会的位置づけで変わった感があります。
藤原四兄弟で順繰りに視点を変えながら書いてみるのは面白いかも。
最期はみんな天然痘にかかってしまいますが。
作者からの返信
ほんと恥ずかしいんですよ。やめましょう、昔の話は(笑)。
一人称自体ほぼ書いたことないので、今回の群像劇論は「何を今さら?」状態でした。
一人称だろうが三人称群像劇だろうが、軸(テーマ)をブレさせないという点では一緒なんですけどね。
たとえ大長編スペクタルになってしまっても、軸さえブレなければ物語が破綻するようなことにはなりませんよねぇ。
おっしゃる通り、主人公を客観的に描けるのは群像劇ならではです。
むしろこれが書きたくて三人称にしてたりして。
心の声とか場面転換とか、割と自由が利いて書きやすいと思うのですが……。
『城のなかの人』は私も内容はあまり覚えていないのですが、構成が新鮮で忘れられない作品の一つとなりました。
藤原四兄弟順繰り視点、いいですね。
ラストが全滅ってのが書き甲斐ありそうです。驕るものも久しからずみたいな。それでもしぶとく生き残る藤原氏ってところが歴史の面白さというか。
私は大伴子虫視点から長屋王の変後を書いてみたいです。
主人公の恋愛が成就したあとのことへの応援コメント
冒頭から、ふむふむ、それで筆が止まった後どうしたらいいの?と読んでいったら、突如現れるジェット風船!
え? え?と混乱しているうちに野球の話に例えて進んで、あれ、筆が止まった後の対処法ではなかった!?と最後まで読んでから気が付いた、察しの悪い私です(笑)
個人的にはやっぱり王道③がいいなあ。
思わずもう一度読み直して、なるほどーとなりました。面白かったです。
ちなみに、ジェット風船を片付けているスタッフの話、その他諸々を10万字も書いたやつがここにいます……(汗)
作者からの返信
自分でも読み返してタイトル詐欺だったかな?と、へへ。
現在、すでに書き上げてあるものを推敲中、主人公の想いが成就したところで作業が止まってしまったもので……。
やっぱり③がいいですよね。歴史はそう上手いこといかないのが難点ですが。
対処法は自分の場合「ほかのことをする/考える」ですかね。
物書きがふたたび書けるようになるには、結局のところ、一旦文字から離れるしかないのでしょう。
どうせ、気づけば文字の前に座っているのですから。
ちなみに、私も「ジェット風船を片付けているスタッフ」の話を延々書き続けられるクチです。
だったら最初からスタッフ視点で書けと(笑)。
主人公の恋愛が成就したあとのことへの応援コメント
恋愛の成就とその後に起こる問題は質が違う気がします。
7回までは勝ち越すための攻めの野球、そこからクローサーに繋いでいくための守りの野球……
延々とラブラブを続けるのもいいのですが、物語上行き詰まってしまうので、一波乱入れたくなるのですが、なんだか重くなってしまうんですよね。本質は同じはずなのに。付き合う前とどこか違います。
ならばくっつけば終わり。あとは想像におまかせ!
と青春小説ならそれでいいかもですが、歴史ものを書いているとそうもいかないのでしょうね。
どのようにして深化や絆を描いていくのか。信長が「ねね」あてた手紙にように微笑んでしまうようなエピソードが拾えればよいのですが、難しいです。
作者からの返信
歴史はそこで終わりではないので、ラストをどこに置くか常に悩んでます。
書き始める前に設定しておかないとだらだら書きつづけることになってしまうので(笑)。
一波乱入れたくなるのは同感です。
物語のテイストによって重さは違いますが、入れるとしたら「深化と絆」とともに「主人公の恋愛成就が周囲にどう影響したのか」を描くのがベストなのかもしれませんね。
成就前と後の違いを明確に打ち出すみたいな。
史実からあまりかけ離れたくはないけど、エピソードを拾って脚色するというアイディアもありですね。
ちなみに私は「あとはウィキペディアにおまかせ!」という終わり方を選ぶことが多いです(笑)。
降りてきた台詞をそのまま使う前にへの応援コメント
降りてきた台詞を……
私の向けた言葉!?と、ドキっとしました。
普段から勢いのままに書いていることが多いのでタイトルだけで耳に痛い(苦笑)
読み進めていって、「あ、これ出来てる部分もあるかも、そういえば今の直し作業で説明の地の文追加もしているなぁ」と、少しは胸を撫で下ろしていました。
分かるように書くって、難しいように見えて、ちょっと冷静になれば出来るのかもと、思うことができました。ありがとうございます。
……と言いながら、また、そのまま書きそうな私です(笑) 精進します。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
勢いがなければ完走できませんよね。私も同じくです。
でも、ちょっと冷静になればできるってすごいですよ。
私は筆を置いてから冷静になるまで時間がかかるタイプなので(笑)。
登場人物の性格によっても台詞に特徴を出さなきゃならないので難しいですね。
寡黙な人と理屈っぽい人では台詞の長さも異なりますから。
ジャンルや読者層によっては台詞が多い方が好まれるケースもあるので、今回の話が正解とは限りません。
一つの方法として参考にしていただけたら幸いです^^
冒頭を書き直したい病への応援コメント
平家物語の冒頭は、物語の世界どころか後の歴史まで貫いていますよね。
清少納言の「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは……」は、その情景より、それを書いている作者の姿が思い浮かびます。
李白の詩をもとにした『奥の細道』の冒頭も好きです。想像する風景の中に芭蕉が立っている気がします。
冒頭の文章は、物語を最後まで貫くことができるのか。途中で息切れしていないのかは気になるところです。そこまでが読者がついてきてくれるところと考えると、本当に重要ですね。
何気なく書き始めた文章が良かったり、それに引きずられることもあります。
冒頭というか、なにもかも書き直したいという衝動にかられます。
実際、私も公開前の文章は何度も書き直しています。公開した文章は、できれば誤字以外直したくないという気持ちはあるのですが、この辺りはぶれていて、最近は見直しを入れるようにしています。
ただ、いざ読み返してみると、自分の好みと思った以上の計算が込められていて、直せないんですよね……
Oh!クラウディアいいですね! サザンは今の時期ですと、『夏をあきらめて』でしょうか。
また長々と書いてしましました。すみません。
作者からの返信
いつもありがとうございます。
長文コメントは「いみじうこそをかしけれ」です。
何度も読み返したり返信をじっくり考える時間もまた楽しいので感謝しかありませんよ^^
冒頭文から作者の姿が思い浮かぶというのは合点がいきました。
自分もそんな序文を書けるようになりたいです。
『人間失格』『坊っちゃん』などは、冒頭の一文ですでに主人公の人格が伝わるとともに、作者自身や分身であることも想像できるという離れ業。先人はやはりすごい。名を残すだけのことはあります。
何気なく書き始めた文章に引きずられる、というのはよくわかります。
物語はどんどん成長していくのに、冒頭に引きずられたままでいると、戻さなきゃ戻さなきゃ、と変に縛られ、つまらない内容になっていた、というのは本末転倒で……。
推敲していると何もかも書き直したくなるというのも大いにうなずけます。
今まさに長編の推敲中でして、足りないシーンを加筆修正しているのですが、ちゃんと計算ずくで構成されていることに気づくんですよね。
加筆しながら辻褄合わせに時間を割くくらいなら、最初から全部書き直した方が早いんじゃないかと思ったりして。
でも直したくない。
いや、書き始める前にプロットをしっかり練っておけと。
年表と系図しか準備しないで書き始めるパンツァータイプの言い訳ですが(笑)。
Oh!クラウディアに共感いただけて嬉しいです。
サザンを語り出すと止まらないので一言だけ。
『夏をあきらめて』はサザンバージョンが好き(^^♪
洗練された文章を目指すなら文字数制限を課しましょうへの応援コメント
10万字の予定で書き始めた物語は30万字になりました。
どうしても盛ってしまいます。
過去では参加者の作成したキャラクターと行動を小説形式の文章に登場させると言うものを書いていました。それは参加者の数でテキスト量が決まっていました。そのときはストーリーを箇条書きにして、必要な部分をまず書く。残った文字数を按分して上限を気にしながら順に書いていくという手法を取っていました。我流の極みです。
そうしたこともありWEB小説では一切の制約から解き放たれ、好き勝手に書いていました。でもストレスなく読んでもらうことを考えると、縛りはあったほうがいいのかもしれません。②が止まらなくなるのは言われてみると本当にそうです。
最近は短編・掌編を書いたおかげか、文章が削ぎ落とされた気もしています。
己で己に何かしらを課すのは重要ですね。
ろくろを回す記事(ITの記事)のインタビューを受けたことがあるのですが、見事に超絶有能な別人に変わり果てていて感心しました。
作者からの返信
「盛る」という言葉が正鵠を射ていますね。
こんなこと言っていいのかわかりませんが(言うな)、好き勝手に書きたくてWeb小説での執筆を始めたのに、文字数気にせず好き勝手に書いているうちに所々適当になった気がします。
年取って経験値を積んだ分、無駄も増えたからかもしれません。
あれもこれもと詰め込んだ結果、駄文が量産されるという皮肉。
波留六さんのように高度な技を会得した方でもWeb小説の罠に陥り盛ってしまうのですから、私なんかもう……。
それでも掌編に着手したのは私も良い経験でした。
短編は10年間、年1ペースで書かされていましたが、厳密な文字数縛りはなかったのであまり成長しなかったような。
今回、掌編で学んだことから、文章の手入れの仕方が見えてきたのでそれは良かったなと。
インタビュー記事って本当に難しくてですね、これについてはそのうち公開しようと下書き途中でして。
実は10年ちょっと、毎月誰かしらを取材して紹介記事を書いていたのですが、ご本人に原稿を確認いただいているにもかかわらず、気分を害されないだろうかと入稿後も気が気じゃありませんでした。
>見事に超絶有能な別人に変わり果てていて感心しました。
感心していただけて執筆者の方は泣いて喜んでおられるでしょう^^
文章ルールを知ることはなぜ必要なのかへの応援コメント
最近の広告事情を考えると、ポイント(読者)を持っている作者は出版社にとって魅力なんでしょうね。
横書きの文章に字下げなんかいらない。本気でそう思っていました。
でも、私の所までたどり着くようなWEB小説を読み漁る人は文章を読む人は、おそらく小説を読み慣れ、そのフォーマットに親しんだ人なのです。そして「小説家になろう」では縦書きPDFに対応してました。彼らにストレスを与えたくなくて字下げしてます。
他のマイルールとしては、地の文に疑問符や感嘆符、三点リーダを入れることを避けてます。横罫線(─)は縦書きにしたときに縦罫線に変わらない罫線があったので、基本使用禁止にしていたりもします。でも使った方が余白が取れるので、行間の空白との兼ね合いで、見やすくなるような気がしてます。
文章ルールは筆者と読者の共通言語でありフォーマットですので、知っておいて損はないですよね。
思ったことを書き綴るとき、字下げを行わずに書いていることも多いので、カクヨムの「改行後、先頭字下げ」の機能は便利に使わせていただいてます。
作者からの返信
そう、知っていてアレンジすることには意味がありますよね。
私も地の文には疑問符・感嘆符を基本使用しません。
罫線は主に心の声や余韻が欲しいときに使用します。
なろうさんでは縦書きを想定していません(多分ゴシック体と相性が悪いのではないかと)。
その点で言えば、カクヨムさんの縦書きは非常に見やすいので助かっています。
普段私は、wordの縦書き明朝体で下書きしてからコピペしているのですが、紙媒体と同じように段落ごとに空行は設けません。
明朝体も使えるカクヨムさんは見慣れた感じがするので初めから入りやすかったです。
なろうさんは(自分がWeb小説を読み慣れていないせいもあるのですが)、やはり空行があったほうが見やすいかな。特にスマホ。
自作も、空行を一行あけたり複数行だったり、ジャンルや作風によっても悩んでます。
ああもう、あまり考えすぎると何が正解かわからなくなってしまうので、程々にしたいのですがね(笑)。
物書きに腰痛はつらいよへの応援コメント
おはようございます。
Xにてつい腰痛の文字を見かけて飛んでまいりました。
私も腰痛持ちです。動けなくなり、激痛で救急車で運ばれたことあります。
私はいまのところヨガストレッチとサプリで様子見です。気を抜くと奴がやってきます。コルセット数種、ベッドサイドに置いてあります。杖は玄関とクローゼットに置いてあります。
お察しします。悪化せぬようお祈り申し上げます。
作者からの返信
おお! ご同士よ、コメントありがとうございます!
自分も家族が休みじゃなかったら救急車案件でした。
「奴」って言いたくなるのわかります。自分もそう呼んでいます。
腰痛も千差万別で、腰を反らしちゃいけないとか前に曲げちゃいけないとか、症状によって対処法も違うので、本文では当たり障りのないことしか書けませんでした。
しかし、その裏でもっと壮絶な戦いがあったこと、お察しいただけるかと存じます。
自分はデスクチェアと寝具を変えてから割と安定しています。
やはり気は抜けませんが。
お互い気をつけましょう。
大好きな執筆を続けられるように^^
漢字をひらくか開かないか迷ったときへの応援コメント
漢字の表記をどうするかで悩んでいたので、勉強になります。ビジュアルの読みにくさ、読みやすさって、確かにあるよなと思いました。
文章書くのにあまり慣れてないので、今後もこちらの創作論で勉強させていただきます。次の更新も楽しみにしています。
作者からの返信
読みやすさって紙媒体とweb画面で異なりますから、それだけで迷ってしまいます。
これはもう経験を積んで感覚を鍛えていくしかないのでしょうね。
創作論なんて恐れ多いことですが、少しでもお役に立てたのなら良かったです。
たまにくだらないネタもぶっ込んでいきますので、よろしければお付き合いくださいませ。
キャラクターの名付けが悩ましいへの応援コメント
歴史人物で言えば、信長登場以前の女性の名前に至っては、資料に名前が残されていることが極めて稀でほとんどわからないですよね。
いい加減な知識で言えば、藤原氏の女の子の名前は語尾が「子」だとか……
古代の歴代天皇の名前も全く頭の中に残りません。ワカタケルはわかるのですが、ミマキイリヒコイニエ、イクメイリヒコイサチ……ワケ王朝、イリ王朝とか説明されても「どちら様でしたっけ?」となってしまいます。
命名文化や言語背景が違いすぎて、日本感がしないですよね。通い婚など風習が大きく違っていて、どういう生活を送っていたのか想像することも難しいです。
私の作品では、エリシャにエンシャ、アイラに愛莉にマイラが登場して、自分を苦しめています。
作者からの返信
アメノミナカは絶妙なとこをついてきたなと敬服いたしました。記紀ではほぼ登場しないのに創造神という意味をちゃんとシンクロさせている。よくぞ見つけられましたね、と。
大河の「光る君へ」で貴族の女子の名「~子」を「~こ」と言っていたのが非常に気になりました。この時代は「~し」だよと。
しかし、わかりやすさ(親しみやすさ?)を優先したほうがいいときもあることも学びました。
まさに今、崇神天皇で詰んでます。
御間城うんたらかんたらをどうするか。縮小するか別名を探すか、漢字にするかカタカナにするかなどなど。
名前の区別がつきにくいので、ほんと「どちら様でしたっけ?」ですよ。
自分で自分の首を絞めているのは一緒です。
物語どころではなくなってて本末転倒です笑。
引き出しは多いほうが楽に書けるとわかってるけどへの応援コメント
恋愛に必要なのは10の知識なのか、10の経験なのか悩みどころですね違
物語を生み出すのに知識が必要ですし、物語の根底にも知識が必要ですし、章間をつなぐのも知識が……。
ただ、必要な情報が集まるとお腹いっぱいになって満足してしまう自分がいます。
作者からの返信
世にはびこる恋愛論ほど当てにならないものはないですね。
経験値高くたって相手によっちゃ通用しないこともあるし。
とどのつまり人それぞれ、正解などありませんから……って言っちゃったらミもフタもないのですが笑。
自分も情報を集めすぎるとそれだけで満足してしまうタチです。
腹八分目、もしくはもっと少なくてもいいのかも。
でも執筆に関しては貪欲でいたいです^^
句読点を度外視した文章に出会って悔しかった話への応援コメント
「そ れ は 、」
に魂が込められていて笑いました。
どんな悪文でも面白ければ読めてしまうんですよね。
作者のこだわりは虚しいものなのかもしれません。
でも、いつかきっと誰かが気づく。そう思って拘っていきたいですね。
作者からの返信
お笑いいただきありがとうございます^^
イチローや大谷にはなれなくても、血の滲むような努力をすれば1ミリでも近づくことができるかもしれません。
しかし長嶋茂雄には0.1ミリさえも近づくことなどできないでしょうね。
天性には敵いません。
努力は自分の拘りのために使う、なるほど、その方が建設的ですね。精進します^^
文章の息継ぎへの応援コメント
うわぁ、本当ですね。
文章の息継ぎ、今まで気づいていませんでした!
(ちなみに私下手の横好きでピアノ弾くのですが(笑)
確かに弾きながら息継ぎしてます。
息継ぎしないで弾くと、しんどくなるんです。
走りすぎて息苦しくなるのと似ているような……あくまで私の主観ですが💦)
でも、文章での息継ぎは考えていませんでした。
これを意識できると、より作者と読者が同じ世界を共有できるんですね。
今後、意識して書いていきたいと思います。
ありがとうございます。
【むすび】
…………私、ファンです!
作者からの返信
コメントありがとうございます^^
実際にピアノを弾かれる方のお話はさすが説得力がありますね。
なるほど、だからでしょうか、吉晴さんの文章は音を奏でるような読み心地の良さを感じます。
読んでいるというか、聴いているような。
そして登場人物の息遣いも聴こえてくるような。
もしかしたら息継ぎのタイミングが一緒なのかも。なんてね。
こんな出会い、なかなかありません。
奇跡に感謝です。
【むすび】
…………両想いですね、ポッ(照)
文章の息継ぎへの応援コメント
すごくよく分かります。
読点の位置については、読み手がどんな人なのかを想像しています。
若い人と年配の方でもきっと違うんでしょうね。新聞は老人が窒息死しないための配慮がなされているんじゃないかと想像します。
読点を入れると意味が通じやすくなる反面、読書のスピードが落ちるんですよね。
程よい量で情報を区切って脳に送り込み、処理してもらう。この絶妙なリズム感を保ちたい。でも、それは人それぞれ。
個人的には読点を入れがちなので、校正時に減らしています。
作者からの返信
コメントありがとうございます^^
「新聞は老人が~」のくだりでよだれが飛ぶほど吹きました。
おっしゃる通り老若もそうだし、息継ぎの頻度や情報処理速度は人それぞれ違いますものね。書き手と読み手の呼吸が一致するなんて奇跡に近いのかも。
ベストセラーでも読む気が起きない作品は、案外こんな単純なことなのかも、と思ったりもします。
難しいですね。
でも、だからこそ奇跡のような出会いを大切にしたいのですよ。
勢いで書いているときは忘れがちな癖も、自分で理解していれば校正時に修正は可能なので、それがせめてもの救いですね。
ベルトラッキ贋作事件に見る生成AIとの類似性と怖さへの応援コメント
読んでいて、昔見たアニメのPSYCHO-PASSに出てくるプロファイリングのことを思い出しました。
心理学者の目で犯行現場を見て犯人の心情を分析し、次に取る行動を予測すると言った感じのくだりを。
それを出来るが故に監視対象となってしまっている心理学者。
なんとなく、書かれていたベルトラッキに似ているな、と感じてしまったのです。
高い能力を持つ者は、その代価として失ってしまっているものを多いのかな、なんて思っていたりもします。
ベルトラッキは、対象とした画家になりきって描くことは出来たのに、それをされた時の画家の心情は考えなかった。彼の能力なら出来たはずなのに。それこそが悲しい。
AIは道具だからそこに感情はなく、使い手次第。思い描くことも出来ないものが、使うにはあまりに高過ぎる能力に、私も少し心配です。
読ませて下さりありがとうございました。
ベルトラッキについて何も知らなかったので、そんな人がいたのかと面白かったです。
今年も本当にお世話になりました。来年もよろしくお願いします。
作者からの返信
プロファイリングはなるほどなと思いました。
私も昔読んだ漫画『サイコメトラーEIJI』を思い出しました。
IQ200の超天才犯罪者が、心理学を駆使して人心を掌握し、警察を翻弄するという。
その男にサイコメトリーの能力を持つ主人公が挑む!
話を戻します笑。
贋作を描かれた画家の心情は考えられなかったのか?
まさに核心を突く疑問で、はっとさせられました。
たしかに生成AIは便利で、調べ物などは頼りになります。
しかし、出力された答えの向こう側にはオリジナルが存在することを忘れてはいけない、とこの事件は警鐘を鳴らしているように思えてなりませんでした。
すべては創作者自身の使い方次第ですよね。
創作に迷いが出たとき、自分の弱さが間違った方向に傾いてしまうかもしれない。
そうならないためにも、常に自身の作品に対する愛と矜持だけは見失ってはいけないなと、考えさせられました。
この話が届いてよかったです。
こちらこそ仲良くさせていただき大感謝です。
来年も引き続きよろしくお願いいたします。
よいお年を(^^)/