第5話

     セーブ&ロードの罠


 


 順調に見えた。

 少なくとも、最初の数日は。


 


 遥との距離は、確実に前より近づいていた。

 初対面でのやりとりも、雨の日の缶コーヒーも──

 前の時間軸では存在しなかった「新しい記憶」が、少しずつ上書きされていくのがわかった。


 講義が終わったあとに、なんとなく一緒に図書館へ向かう流れになったり、

 キャンパスのベンチで他愛のない話をして笑い合ったり。


 こんな日々を、もう一度過ごせるとは思わなかった。


 


 だが、それと同時に、奇妙な違和感も膨らみ始めていた。


 たとえば──

 ある日、彼女に渡そうとしていた文庫本が、なぜか手元から消えていた。

 確かに部屋にあったはずなのに、どこを探しても見つからない。


 またある日、彼女の好きなはずだった映画の話をしたとき、

 遥は首をかしげて、「そんなの見たことあったっけ?」と首をかしげた。


 


 些細なズレだった。

 でも、それは“記憶”と“現実”の間に、確かに裂け目ができている証だった。


 


 ──君は、同じじゃない。

 僕だけが、過去を知っている。


 その事実が、思っていた以上に重くのしかかってくる。


 


 さらに慎一は、ある夜、思いきって“ロード”を試した。

 自作のゲームのように、記憶の中の「セーブポイント」に意識を集中すると、

 確かに、時間は数日前へと“戻った”。


 ──コーヒーを渡す前の午後。

 その地点に立ち返った僕は、もう一度、同じように振る舞おうとした。


 でも。


 


 「え、なに? 今日はなんかよそよそしいな」


 遥の言葉に、僕は動揺した。


 たった数日をやり直しただけなのに、彼女は微かに違っていた。

 笑い方のリズムが、言葉のテンポが、前と少しだけ違う。


 僕が「こう言えばこう返す」と思っていたその“答え”が、ズレてくる。


 


 “正解”を知っているつもりだった。

 それが、逆に僕を縛っていた。


 思えば、あの頃の自分は、

 彼女の言葉ひとつで浮かれ、沈み、

 愛されているかどうかばかりを気にしていた。


 


 もう一度彼女と向き合いたいと願ったのに。

 なのに、僕はまた「正解」を求めてしまっていた。


 


 深夜、下宿の部屋でひとり、机の前に座る。

 ゲームのデバッグモードのように、

 心の中に勝手に“セーブとロード”の境界線を引き始めている自分に気づく。


 ──これは違う。こんなはずじゃなかった。


 


 やり直したいと願ったはずの時間で、

 僕はまた、彼女との関係を“操作”しようとしていた。


 それは、本当の意味で彼女を想うことではない。

 ただ、都合のいい未来だけを選び取ろうとしている、幼さに過ぎなかった。


 


 翌朝、ふと目が覚めると、机の上に置いたはずの時計が、3分だけ遅れていた。

 それを見たとき、慎一は確信する。

 ──世界が、少しずつ“歪んで”きている。


 


 過去は、そう簡単に書き換えられるものじゃない。

 書き換えれば書き換えるほど、何かがすり減っていく。

 それが、自分の記憶なのか、彼女との距離感なのか、それとももっと別の“何か”なのか──。


 


 でも、ここまで来てしまった。

 簡単には引き返せない。

 “やり直す”という言葉の甘さの裏にある、代償の重さを、

 僕はようやく実感し始めていた。


 


 そしてこのとき、慎一はまだ知らなかった。

 “最後のセーブポイント”が、もうすぐ目の前に迫っていることを──。


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