念には念を
森本 晃次
第1話 プロローグ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年5月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。実際にまだ標準で装備されていないものも、されることを予測して書いている場合もあります。そこだけは、「未来のお話」ということになります。
今年52歳になる大学教授である、貝塚教授が殺された。
最初は、自殺と思われたが、結局、殺人事件ということになった。被害者は、車の中で死んでいたのだが、もしこれが自殺ということになるのであれば、状況から見れば、
「完全に自殺なのでは?」
と思えるのだが、ウラを取れば取るほど、
「本当に自殺なのか?」
と思うような状況に、
「最初から殺人だと分かってもいいと思ってのことなのか?」
というほど、どこか堂々とした雰囲気なのだが、それなら、
「なぜ、自殺に見せかけようとしているように見えるのか?」
ということで、
「最初から、掴みにくい犯罪だ」
といってもいいだろう。
死体が見つかったのは、近くには商社系の倉庫が立ち並ぶ、港近くの公園に隣接した駐車場だった。
そこは、夏が近づくと、カップルが結構やってくる場所で、
「痴漢が出やすい」
というウワサもあり、ピーク時から比べれば、カップルの数もだいぶ減ったようだが、それでも、毎晩、それなりの車が、中茶上には停車していて、車の中で、イチャイチャしている若者が絶えないということであった。
その日は、比較的、車が少ない日で、深夜帯になると、それらの車も姿を消し、実際に注射している車は数台ということだったのだ。
実際にカップルというのもいるのはいるだろうが、ほとんどが、
「車を止めて、近くのバーなどに出かけている」
という連中だろう。
実際に、波止場近くには、スナックやバーなどの店が並ぶところでもあり、昔でいえば、
「場末のバー」
と言ったところであろうか。
もちろん、
「飲み屋」
なのだから、駐車場などあるわけもない。だが、この公園の駐車場があることで、
「ここに車を置いて、飲みに行く」
ということが、まるで、公然の秘密ということになっていた。
この駐車場は、夜には閉まるということになっている。
それでも、他の公園の駐車場のように、
「日暮れくらいには閉まる」
ということはなく、20時に閉まるということで、
「夏至前後くらいしか、日が暮れるくらいに閉まるということはなく、夜に閉まる公園の駐車場としては、結構な時間まで開けているということから、
「深夜でも駐車している車は、結局出ることができず、早朝まで止まっている」
ということになる。
当然のことながら、深夜の時間帯は、
「車だけ放置されている」
というのがほとんどだということだろう。
これが、
「コインパーク」
などであれば、いつだって出られるわけで、実際に、この辺りにもコインパークはたくさんあり、都心部に比べると値段も安い。
場合によっては、
「数日間止めても、一定の額以上は、そんなにお金を取らない」
ということで、要するに、
「長時間止めれば止めるほど、お得だ」
ということで、それこそ、
「閑古鳥が鳴いている駅や空港の駐車場を安くして、少しでも利用者を募ろう」
とする、苦肉の策のようなものだといってもいいだろう。
それでも、
「安ければ安い方がいい」
という発想からか、この駐車場に目をつける人も中にはいるだろう。
「タダより高いものはない」
ということわざがあることを、知らないのか?
と思う人もいるが、果たしてどうなのだろう?
確かに、タダというのは魅力ではあるが、
「いつ誰にいたずらされないとも限らない」
ということを考えると、その時に初めて感じることだろう。
もし何かあった場合、警察に届けるとしても、
「止めてはいけないところに止めていた」
ということで、
「自業自得だ」
と警察に思われれば、
「こんなやつのために捜査なんて、適当でいいや」
とばかりに、警察だって忙しいわけで、人間なのだから、嫌だと思えば嫌になるというのは当たり前だといってもいいだろう。
そんなことを駐車する人が分かっているのだろうか?
「いや、分かっているわけはないだろう。分かっていれば、止めたりなんかするわけはない」
ということである。
そもそも、人間の心理というのはおかしなもので、例えば、
「郊外型の大型スーパー」
のようなものがあった場合に、駐車場は、なるべくたくさんの客が止めれるようにということで、一階の駐車場、売り場の上の立体駐車場、さらには、屋上の駐車場ということになるのだろうが、一番の人気は、
「一階駐車場の、店舗への入り口近く」
ということであった。
そこだけを見れば、
「すべて満車になっているのでは?」
と思えるほどだが、視界を広げていくと、入り口から、数十台離れたあたりのスペースは、まったく誰も止めていないという状況で、それを見ると、
「ちょっと歩くだけで、車を止める時も出る時も、少しくらい遠くの方が楽なはずなのに」
と思っても、誰もそこに止めることはしない。
「買い物をした荷物が重たい」
と言ったとしても、
「カーゴ車を車の近くまで押していけばその心配はない」
ということだが、
「それを入り口までまた持ってくるのが面倒だ」
とでもいいたいのだろうか?
車の密集したところに止めて、万が一、扉を開く時の、隣の車を傷つけるなどしてトラブルにならないとも限らない。
こっちがいくらちゃんと中央に止めているのに、相手がへたくそだったりして、極端に、こちらの車に近づけて止めていれば、気を付けても当たらないとも限らない。
そんなへたくそなやつに限って文句を言ってくるというもので、下手をすると、
「因縁をつけるために、向こうとしての思うつぼなのかも知れない」
といえるであろう。
それを考えれば、
「少々遠くても、トラブルを招かない」
ということで、
「急がば回れ」
ということわざを思い出せば済むことである。
「昔の人は、うまいこと言ったものだ」
ということであり、普段から、
「人とのトラブル」
というものを一番ストレスと感じているくせに、
「仕事を離れれば、普段気を付けて売る緊張感までなくしてしまう」
ということなのだあろうか?
それこそ、本末転倒ということであり、
「トラブルの現認が溢れている外出先で、緊張を和らげる」
ということは、それまでいくら気を付けていても、
「その努力が一瞬にして崩壊する」
というのは当たり前のことである。
それを考えると、
「世の中というのは、実にうまくいかない」
というもので、問題は、
「気を抜く場面を間違えると、本末転倒の結果を招いてしまう」
ということが分かっていないことだということであった。
「ちょっとした注意さえ、心がけることで、緊張感は持っていても、必要以上に気を張らなくてもいい」
ということさえ分かれば、
「それに越したことはない」
ということになるのを、どこまで理解できるかということなのであろう。
普通に考えれば、
「飲みに来るのに、車を利用する」
ということが間違いの元である。
少し前から、
「飲酒運転」
というものが社会問題となり、
「法律上でも、その罰則は、相当に厳しくなっている」
といってもいいだろう。
罰金もかなり上がり、それが、
「ひき逃げ」
ということになれば、そのほとんどは、
「殺人罪」
ということでの立件だといってもいいのではないだろうか?
そもそも、
「飲酒をしているから、その場から逃げる」
といってもいいのではないだろうか?
「普通の人身事故」
であれば、ひき逃げのリスクを考えると、その行動は、まちまちといってもいいだろう。
もちろん、
「相手が死んでしまっている」
ということが分かった場合。
「不倫をしているカップルが、ひき逃げをしてしまった」
ということで、
「お互いの立場をいかに擁護しようと考えるか?」
ということが問題となるのであった。
しかも、
「不倫ということを、悪いことだと意識しながらも、辞められない」
と思っている人に限って、このような、
「予期せぬ事故」
というものをえてして。引き起こしてしまうということになるのではないだろうか?
そんな状況の中、
「加害者は、保身を考えると、逃げるしかない」
ということになるのだ。
それは、
「不倫相手のことを考えたから」
と口では言っても、最終的には、
「ただ、自分の保身のため」
ということになるのだろう。
もし、
「相手のため」
ということであれば、冷静な判断力があれば、その相手というのは、
「轢いてしまった相手」
ということで、
「逃げた時点で、ひき逃げになってしまう」
ということが分からないからだろう。
「普通の人身事故と、ひき逃げでは天と地ほどのさがある」
といってもいい。
もし、
「被害者が最終的に死んでしまった」
ということであっても、故意ということでなければ、
「業務上過失致死」
ということになる。
もちろん、警察に通報したとしても、逮捕というのは免れないだろう。
だから、
「保身に走る」
ということも分からなくもないが、
「じゃあ、ひき逃げをした場合どうなるか?」
という。
「もう一つの場合を考えたことがあるのだろうか?」
ということである。
「ひき逃げ」
というのは、その言葉を聞いただけで、普通であれば、
「卑怯だ」
ということで、とらえ方によっては、
「極悪非道」
とも聞こえるだろう。
しかし、実際には、
「保身のため」
と考えると、
「逃げた時点で、罪がグッと深くなる」
と誰もが感じることであろう。
ひき逃げさえしなければ、基本的井には、
「業務上過失致死」
ということで、
「過失」
ということなのだ。
確かに、
「免許証を持っているという、運転資格のある人間が犯した過失なので、少し罪は重くなる」
ということでの、
「業務上過失」
ということになる。
だが、
「過失」
であっても、
「業務上過失」
であっても、ちゃんと、その場で通報していれば、十分に情状酌量というものはあるだろう。
何といっても、故意ではないからだ。
しかし、それを、逃げてしまうと、
「逃げたということが故意だということで、罪が重くなるというのも分かるということではないだろうか?」
というのは、ひき逃げの場合、あと大きくは、
「2つの罪」
が加算されるといってもいいだろう。
一つは、
「救護義務違反」
というものである。
実際に、
「死んだかどうか分からない」
という場合は、
「もし、自分がやった事でなくとも、救護すれば助かるかも知れない人を見捨ててしまえば、救護義務違反になる」
ということである。
要するに、
「見殺しにした」
というわけだ。
「目撃者がいて、その人が自分には関係ないということで通報しなかったことで、実際に死んでしまった」
ということが分かれば、被害者家族は、本当にやりきれないだろう。
「誰でもいいから、通報さえしてくれれば、死なずに済んだのに」
ということになるのだ。
まるで、
「苛めをしているわけではないのに、傍観していた連中と同じだ」
ということで、傍観者からすれば、
「止めたりチクれば、今度は自分がターゲットになる」
ということで、彼らにとっては、それなりの言い分というものもあるのだろうが、
「俺たちだって、必至なんだ」
ということで、
「虐められるやつが悪いんじゃないか?」
と思うに違いない。
それを考えると、
「負のスパイラル」
というべきか、それとも、
「いたちごっこ」
といっていいのか、
「一つの歯車が狂ってしまうと、修復するのは、至難の業だ」
ということになるのだろう。
ひき逃げをするということは、
「助かったかも知れない命を、自分の保身のために、見殺しにしてしまった」
ということで、
「ひき逃げ」
という犯罪で、
「一番卑劣な行為」
といってもいいだろう。
そして、もう一つは、
「警察への通報義務違反」
ということだ。
普通、人身事故というものを起こせば、しなければいけないことというのは、まずは、
「救急車の手配」
ということであり、その次には、
「警察への通報だ」
ということは、誰にでも分かることである。
これは、
「免許を持っている。持っていない」
ということにかかわらず、
「人間であれば、普通に思いつく」
ということであり、それを怠るというのは、
「気が動転していた」
ということであったり、
「忘れていた」
というのは、通用しないのだ。
「もし、自分が逆の立場だったら」
と考えただけで、反射的に分かるのが人間ではないだろうか?
動物の中で、
「頭で考えて、最良の判断ができる」
という動物は人間しかいないのだ。
それだけ、状況判断をするための、視界を狭めるということに長けているといってもいいだろう。
しかし、それができない人間もいるということで、そこは、結局、
「保身を考えてしまうと、それが最優先となり、自分は悪くない」
と思ってしまうだろう。
「自分が悪くない」
と考えてしまうと、
「保身ということに対しての、大義名分を持てる」
と思い込む。
人間というものは、
「大義名分というものさえあれば、極端な話、何をしようとも、許される」
と考える動物なのだといえるだろう。
だから、
「道徳やモラル」
というものをいくら勉強しても同じだというのだ。
「そんなものは、身体で覚えるもの」
ということで、頭で覚えていても、結局は、さらに、それを逃れるための、
「悪知恵」
というものをさらに考えようとすることで、
「どんどん、悪い方にはまり込んでいき、途中まで行ってしまえば、もう戻ることはできない」
ということになるだろう。
だから、ひき逃げにおいて、
「救護義務違反」
であったり、
「通報義務違反」
というものを怠ることになるのだ。
それがどれほど思い罪なのかということが分からないといってもいいだろう。
冷静に考えれば、
「今の時代であれば、簡単に逃げおおせるわけはない」
ということくらい分かりそうなものだといってもいいだろう。
何といっても、今の時代は、
「いたるところに防犯カメラ」
というものが設置されている。
しかも、ネットの普及ということで、
「WEBカメラ」
というものがあり、
「防犯カメラを補っている」
といってもいいだろう。
さらには、最近では、
「煽り運転」
ということから波及した、
「自分の身は自分で守らなければ、警察もあてにはならない」
ということで、車の中に、
「ドライブレコーダーを設置する」
というのが当たり前ということになっているのだ。
それを思えば、
「ひき逃げをしても、どこに何が映っているか分からない」
ということで、それこそ、昔であれば、
「壁に耳あり障子に目あり」
ということで、
「逃げられない仕掛けになっている」
ということであるが、これだって、そもそも、今までの犯罪者の所業から、
「いかに治安を維持するか?」
ということから、工夫されたり、考えられてきたことだといえるのではないだろうか?
それを考えると、
「ひき逃げというほど、割に合わない犯罪もない」
ということだ。
警察に容疑者を特定されてしまえば、そこから先は、
「自首ということはありえない」
ということで、
「ただの、出頭」
ということにしかならないのである。
自首と出頭であれば、天と地ほどの違いがあり、自首の場合は、
「自分が悪いということで、後悔の念と、自責の念などから、反省ということでの自首になる」
と判断してくれるが、
「出頭」
であれば、
「これ以上逃げても仕方がない」
という諦めからのものということで、
「少しでも、軽い罪に逃れよう」
というあざとさからとしてしか、判断されないのだ。
だから、
「出頭というのは、却って印象が悪い」
ということもある。
「自首するつもりだったら、いつでもできた」
ということだからである。
本人は、そんなつもりはないのかも知れないが、世間からすれば、
「ひき逃げをするような凶悪犯」
としてしか見ていないので、少しでも、
「保身に走っている」
と思えば、
「情状酌量」
などということを考えることはないといえるだろう。
さらに、
「すぐに自首してこれない」
ということであった場合に考えられるのが、
「その時飲酒であったり、下手をすれば、薬物接種をしていた」
ということが考えられるからであった。
当然、自首といっても、警察にいけば、
「飲酒チェック」
「薬物チェック」
というのはされるはずだ。
「人を轢く」
ということは、少なくとも、
「免許証を持っている人間」
というのは、
「運転のプロ」
ということなので、
「人身事故には、それなりの理由がある」
と考えるのは当たり前のことである。
ただ、
「飲酒運転」
であったり、
「薬物を接種している」
ということも悪質であるが、もう一つ悪質といえることとして、
「無免許運転」
というものもある。
それが、
「ただのうっかりから、不携帯だった」
という場合もあるだろうが、もっとひどいのは、
「本当に無免許」
ということで、
「一度も公安から、運転免許証の交付を受けた」
ということがないという人である。
これは、完全に悪質である。
悪質なものは、なかなかなくなるわけではなく、どんどん増えていくという皮肉なことが、今の世の中だといってもいいだろう。
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