第24話 藤原冬馬
24:藤原冬馬
穂花と冬馬は、祖父の書斎で承久の乱の対策を立てた。
今回ばかりは、冬馬の思い付きに穂花は全面的にバックアップすることに徹した。
数日前の平安時代では、穂花のスマホの地図アプリは全く役に立たなかった。
教科書の中という異世界ではGPSが使えないことに気が付かなかったのは、穂花のイージーミスだった。
そして頼朝には天智天皇の扇子は偽物と全く相手にされなかった。
なるほど、150年前のものにしては、新しすぎる。
天皇の菊の御紋はスーパーアイテムだと信じていた穂花には、ショックが大きかった。
思えば、今までの窮地からの脱出は、全て運が良かったからと言って差し支えなかったのである。
穂花が、顔を強張らせていると、
「行こう!お姉ちゃん!」
そう言って、冬馬は穂花の手を握った。
このミッションで初めて冬馬がリーダーシップを執る。
穂花は、それだけで冬馬が頼もしく思えた。7歳も年下なのに。
冬馬の操作する懐中時計で、不思議な光に包まれた二人は、次の瞬間教科書の世界に吸い込まれて行った。
教科書の世界は、月明かりに照らされていた。
そこは合戦の跡であった。
あちらこちらに、無数の戦人の亡骸が転がっている。
何本もの矢が刺さっている者、折れた槍が突き刺さっている者、中には鎧どころか、上半身裸の戦人も多くいた。
穂花と冬馬は、覚悟をしていたとはいえ、あまりにも沢山の亡骸に、吐き気を覚えた。
「ううっ」と穂花は口を押さえてうずくまりそうになった。
「お姉ちゃん、あそこに屋敷が見えるよ。」
脱力しそうになる穂花を支えながら、冬馬は闇夜の先を指差した。
そこには、大きな屋敷が月明かりに浮き上がるようにそびえたっていた。
建物に近づいてみると、ここは特に激戦地だったようである。
塀はあちらこちらで破壊され、火災の跡もあった。
今日のところは、どうにか持ち堪えたと言ったところだろう。
破壊された門の内側を恐る恐る、のぞいてみると、幾つもの篝火が焚いてあった。
そこは屋敷の中も外も怪我人で溢れていた。
屋敷の中に目を向けると、戦人の円陣の真ん中に白装束の尼さんがいた。
尼さんは傷付いた戦士の功を労っていたようである。
そうするうちに、その尼さんは力強く、檄を飛ばした。
「皆、心を一つにして聞きなさい。
これが私の最後の言葉です。
亡き頼朝が宿敵を滅ぼし、鎌倉に幕
府を開いてから、
お前たちの官位は上がり給料もずいぶん増えましたね。
すべてこれ、亡き頼朝の御恩です。
その御恩は、海よりも深く山よりも高いのです。
今、反乱者によって、理に反した命令が下されました。
今こそ頼朝公へのご恩を返す時。
ご恩を感じて名誉を大切にする武士ならば、よからぬ者を討ち取り、
三代にわたる将軍家の恩に報いよ。
ただし朝廷側につこうという者があれば、それは構いません。立ち去っても追いません。」
その言葉に戦士たちは、俯いた顔をあげた。
生気が蘇ったような、そんな表情だった。
その尼さんを見るや否や
穂花は「政子さん!」と思わず叫んでしまった。
政子と呼ばれた尼さんの傍に座っていた老将軍は穂花の声を聞くなり
「穂花姉さん!」と立ち上がり叫んだ。
穂花と冬馬は絶句した。
その老将軍は、刀を杖代わりにして穂花と冬馬にゆっくりと歩み寄って来た。
穂花と冬馬は顔を見合わせて、その老将軍に駆け寄った。
「おお!穂花姉さん、冬馬、会いたかった。わしです。義経です。牛若です。
穂花姉さんも冬馬も全くお変わりが無いですね!」と涙を浮かべて穂花と冬馬の手を取った。
義経は若き日の細身の姿を保っていたが、頬は痩せこけ、片目には黒い眼帯がかけられていた。
頭はすっかり白くなっていたが、彼は紛れもなく義経であった。
「義経さん、良かった。お兄さん、頼朝さんとは仲直りできたのですね?」
穂花が微笑みかけると
義経は大粒の涙を流して、穂花の足元にひれ伏した。
その震える肩を北条政子はそっと抱き、
「穂花さん、冬馬さん、本当にあの時のままですね。お話にはお聞きしていましたが驚きです。」
と政子は目を見開いて穂花と冬馬の肩を抱いた。
そして、二人に微笑むと
「殿は、義経殿と、とてもいい関係にありました。
でも一部の家来からは義経殿は疎まれてしまいました。
殿は政乱を避けるために、義経殿の名を変えて、殿の後ろ盾としたのです。」
と優しい口調で穂花に事情を明かし
た。
「殿が亡くなった後も、義経殿は陰で私を補佐してくださいました。
そうでなくて、どうしてここまでやってこれたでしょう。」
政子の目には涙が溢れていた。
義経は、伏せた顔をあげて
「穂花姉さん、冬馬、そなたたちのことは、一日たりとも、忘れたことはなかった。お二人と過ごしたあの日は、わしの生涯の宝でした。
そして冬馬、わしはあれから藤原冬馬を名乗ったのですぞ。」
と冬馬に向かって、イタズラ小僧のような笑みを湛えた。
それはあの時の牛若の微笑みだった。
冬馬は義経の痩せた老身を抱きしめた。
穂花は、溢れる涙を流れるままに、冬馬と義経を抱きしめた。
政子の温かい手が、冬馬と穂花の肩に充てられた。
「ところで、穂花姉さん、冬馬、何故ここに?」
義経は、涙でぐしょぐしょの顔で尋ねる。
政子は「あらあら、大変」と言って、手拭いを義経に差し出した。
義経は涙を拭った後、遠慮なく鼻をかんだ。
ズズズーという音が、しんと静まり返った月夜に響き渡った。
一瞬の間の後、冬馬は大笑いをした。
義経は、一瞬呆けた表情になったが、つられて、大笑いをする。
穂花も政子も大笑いをした。
それに呼応するように、屋敷中の戦人が、大笑いをした。
包帯だらけのもの、床や庭で寝かされている者も大笑いをした。
夜は白々と明け始めていた。
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