夢黒目
林涼穂
第1話
今年の冬で高校2年生になった。例年よりやや暖かいとニュースで聞いたが、風邪を引かないよう念の為マフラーの下にマスクをしていた。
その日はいつも以上に暑かった。僕は下校中周りに誰も居ないタイミングを見計らって、マフラーとマスクを外し、2月の冷たい空気を吸い込んでいた。そんなタイミングで僕は幼馴染と会った。数年ぶりの再会だった。一通りの挨拶を交わし終えると彼は僕に「うちに来ないか?」と言った。どうやら共通の友人が彼の家に集まっているらしい。少し迷ったが行くことにした。なぜ少し迷ったかというと、その友人たちの中で僕だけが違う高校に通っていたからだ。僕の在籍していた中学は地域の評判は悪いものの至って普通の公立校で、さほど勉強に力を入れておらず地元の工業高校に通いそのまま就職するのが定番のルートだった。僕はその道を辿らずに、ここから電車で1時間程かかる都心の進学校へ入学したので少し罪悪感のようなものがあった。
幼馴染の家につくと中学時代の友人たちが4人ほど既にくつろいでいた。彼の家は中学時代からたまり場になっていたので自然と出来ていた”いつもの位置”に皆座っている。驚いたことに数年間いなかったにも関わらずかつて僕がいた”いつもの位置”は空いていて僕はすんなりとそこに収まることができた。
僕は卒業してから1度も彼らと連絡を取らなかった。荒れていた時代から抜け出したくて別の高校に進学したのに連絡を取ったらまたあの時代に戻ってしまうような気がした。だけど彼らのことを嫌いになったわけではない。地元のスーパーやゲーセンに行った時にすれ違わないかと期待したこともある。だけど1度も会うことはなかった。大人になれば何年も会わないことも普通だろうが学生は違う。たった数ヶ月教室に行かなかっただけで世界は変わっている。そんな世界で一体どう迎え入れられるのかと不安に思ったがあの日の続きのような自然さで迎え入れられ、サッカーの話をし、ゲームの話をした。しばら会話して場が温まった頃に幼馴染が卒業アルバムを持ってきた。思えば卒業してから見返すのは初めてかもしれない。きっと僕のアルバムは今頃は押入れの中で埃を被っているはずだ。
1ページ目には校歌と校舎の写真が載っていた。玄関前のプランターにはカラフルな花が植えられてる。そんなものあったかなと記憶を辿ったが、もしあったとしても花を愛でたことがない僕が覚えている訳ないと諦めてページを捲った。2ページ目には屋上から3年生全員を撮った写真があった。小さくてよく見えないがやはりこのメンバーで固まっているようだ。仲良く肩を組んでいる。僕らは1ページごとに思い出を語り、出尽くすとなんとなく誰かがページを捲った。そして1人の女の子が写っているページでみんなの手が止まった。真っ黒な制服を着ている女の子だった(僕の中学は珍しくセーラー服が黒だった)みんなの視線が1枚の写真に集まっているのが分かる。
「____ちゃん今年で3回忌か…」
友人のうちの1人がそう言ったが僕はその名前が聞き取れなかった。アルバムをもう一度見る。顔に見覚えもないし知らない子だろう。四六時中一緒にいた友達とはいえ僕の知らない交友関係くらいあるはずだ。知らない子の積極的に話に入るのも憚られるのでこの話題が終わるまでは静かにしておくことにした。
「お前は行くの?」
まさかこの話題が僕に振られるとは思わず反応が遅れる。「え?」と返すのが精一杯だった。
「だから3回忌行くのかって。みんな行くから予定空けとけよ」
「いや…僕は行かないよ…」
一瞬でその場が静まり返った。
「何か予定があるとか?」
1人が落ち着いてその場を取り繕うように言った。あまりに深刻そうな言い様に僕が失言してしまったのかと思い、もう一度写真を見た。かなり小柄な子だった。髪は肩にかからないくらいのボブで前髪は一直線に切りそろえられている。共通の女友達がいた覚えはないが、もしかすると誰かの彼女かもしれない。たしか仲間内で何度か紹介されたことがある。僕も初めてできた彼女は紹介したはずだ。だが肝心の顔にはもやがかかったようでどんな顔か分からなかった。卒業アルバムの汚れかと思い触ってみたがそうではないらしい。
「___ちゃんより優先すべき予定なんてないだろ」
僕が答えないのを見て一人が吐き捨てるように言った。やはり僕はなにか失言をしたらしい。そしてもう一つ分かったとことがある。先程は気のせいかと思っていたが今ので確信した。名前が分からないのだ。音として何か発されたのはハッキリ聞こえたが、それがどういった言葉の羅列で、どうやって発音された音なのか全く分からなかった。まるでその名前を認識する機能がすっかり抜け落ちてしまったみたいだった。いや、さっきの顔の汚れもそうだ。何度アルバムを見ても顔が分からない。もはやこの子自体を認識する力が僕には無いのかもしれない。
「本当に、行かないのか?」
「だって僕はその子のこと─」
「知らない」僕は最後までそのセリフを言えなかった。4人の真っ黒な目が僕を見つめている。その瞳には温度がない。そこは真っ暗だった。光を吸収するだけではなくて幸せや全てを吸収してしまうような闇があった。僕は少し冷や汗をかいた。中学時代には見たことがない目だった。僕と離れた2年でなにかあったのかもしれないがそれは分からない。ただ気味の悪い静寂があった。そこにいるだけで生気を吸い取られているような気分だった。誰も言葉を発することはなく、卒業アルバムをめくる時特有のなにか剥がれる様な音だけが響いた。2ページ目で屋上から撮っているとき地上部隊もいたらしい。屋上からの写真だと小柄すぎて見えていなかったがそこには仲良く肩を組む僕たち4人と、中央には女の子が写っていた。
「___ちゃん、忘れてないよな」
今度は全員がその子を指を指しもう一度言われた。全員が無表情で僕を見つめている。
「ごめん…帰る」
僕は怖くなった。急いで立ち上がり自分の荷物をかき集め、家を出た。意外にも引き止められることはなかったが「じゃあ」と言った僕の挨拶に返す者は誰もいなかった。
僕は出来る限りの早歩きで家路を急いだ。逃げていると思われたらいけないような気がして走れなかった。受験勉強ばかりしていて運動不足の足がもつれる。スニカーの紐が解ける。もしかすると僕はからかわれたのかもしれない。存在しない生徒を友人だと嘘をついて僕を騙していたのかもしれない。名前だってきっと知らない国の言語で勝手に呼んだだけだ。だけど僕は振り返る事ができなかった。僕の背中には二階の窓からあの4人の黒い瞳が突き刺さっているような気がしたから。
家につくとすぐさま二階の自室に向かいベッドに入った。夕食も風呂も済ませていないがもう眠りたかった。先程のことが反芻して寝れないかと思ったが次第に瞼が落ちてくる。やはり疲れていたのかもしれない。
※
インターホンで起こされた。時計を見ると2時間ほど寝ていたようだ。夕食には丁度いい時間だが起きる気はなかった。このまま朝まで眠るべく再び毛布を頭まで被る。大抵、僕のような教室で息を潜めて生活している男子高校生の家に来訪者は来ない。スマートフォンがあればいつだって連絡を取れるし、借りた漫画は次の日学校で返せば良い。従ってこのインターフォンは無視して良いのだ。そんなだから僕は母親が部屋の扉を開けるまで2階に上がってきている事に気が付かなかった。既に半分開いている扉に気付いて僕はギョッとして飛び起きた。やましい事をしていた訳じゃない。扉の隙間から見える母親の背後に何かが見えた気がしたのだ。真っ黒な制服が、あのショートカットがチラと見えた気がした。僕は母を止めようと声を上げようとしたがそれよりも扉が全部開くほうが早かった。母の「夕飯どうするの?」という声とともに扉が開かれる─
が、母の背後には何もなかった。様子がおかしい僕を気にして少し問い詰められたが夕飯はいらない旨を告げると下へと帰っていった。開けっ放しの扉を閉め、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。煌々とと輝く電球が眩しくて手のひらで隠す。少し目をつむるが眠気は来ない。先程の件で覚醒してしまって眠れそうになかった。やはり夕飯を食べよう。起き上がろうと電球を隠していた手を退けると目の前にあの女がいた。卒業アルバムの女だ。天井から吊るされているかのように地面と水平に空中に浮いて僕を見つめている。真っ黒な瞳に青白い肌、無表情でこちらを覗き込んでいる。彼女の目には白い部分が無く、黒で塗りつぶされている。視線がどこに向いているか分からないが、恐らく僕の目を真っ直ぐに見つめている。何故か分からないが少女からは漠然とした死の匂いを感じた。冷たく、生臭い匂いだ。そしてその死の匂いは徐々に僕に近づいてくる。
「僕が思い出せなかったから?」
彼女は答えない。急激に眠気が強くなって僕は瞳を閉じた。
夢黒目 林涼穂 @koyoi_0318
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