第一節 そして君と出逢う。

成瀬。

第一節 そして君と出逢う。

「はぁっ、はぁっ、っ、ぅぁ! は、っ」


 走る。ひたすら走る。森の中を駆け、枝を踏み、根に躓き、葉で肌を切りながら少女は走る。


 走る。

 走る。

 ひたすら走る。


 このまま走り続けて、一体何があるのかも分からないまま、逃げ続けている。


 息は絶え絶えになって、もう走れなくなった頃、小川のせせらぎが聞こえた。


「……水……っ」


 飲みたい。喉がカラカラになって、身体が水を欲してる。


 走るのをやめて、棒になった足でなんとか音の方へと歩く。


 村からどれだけ離れただろう。何時間も走った気がするけれど、こんな細い足の彼女では何十キロも走れない。精々数キロ程度だ。


 ヒトを殺した。


 わざとじゃない。わざとじゃないんだ。だけど、ヒトを殺してしまったのには変わりない。


 恐怖で逃げだしてきてしまった。彼女にとって仕方ない事だったとは言え、それでも罪悪感は募っている。


 ヒトを殺してはいけない。

 当たり前の事だ。彼女はその当たり前の事さえも守れなかった。



 何度か小休憩を繰り返して、ようやく小川に出た。


「水……っ」


 最早倒れ込むかの様にしてしゃがみ込んで、両手で水を救う。


 冷たくて心地いい。とても綺麗に澄んだ水の中には小魚が泳ぐ姿が見える。そういえばお腹が減った。木の実を採れる程木登りが上手い訳でも無く、小魚を捕獲できる程泳ぎに長けている訳でもない。だから、腹を満たせる手段がない。

 彼女に出来る事は唯一、癒す事だけだ。


「……………………」


 少しだけ映った自分の拉げたような顔にうんざりと眼を細める。白い服が血みどろに汚れている。

 反射の中の彼女は今にも死にそうな最低な面をしている。


 これからどうしよう、と。裸足のままの足で小石を踏んだ。


 このまま小川を伝って歩く事を決めて、下流へと歩を進める。逃げた先に何があるかは解らない。このままどこかで誰にも知られず死ぬのかもしれない。それでも村に戻ろうとは思えなかった。

 というか、戻った所でどうせ殺される。


「……………………………………」


 いや、どうだろう。戻りたいのだろうか。村人を殺しておいて、それでも戻りたいと思っている……? 唯一の故郷で、生きる理由があるのは村だけだ。だから離れる事に少しだけ躊躇っている。


 でも、歩かないと。


 魔物の気配はない。動物の気配はあるけれど、ヒトである彼女を警戒しているらしく、姿を現す事は無い。



 どれだけ歩いただろう。何度か水を飲み、空腹を誤魔化しながら歩いた。


 そうしていつしか、森を抜けていた。


「……っ、ひ」


 平原というモノを産まれて初めて見た。森の中の閉ざされた村に住んでいたから、こういった景色を観る事はなかったのだ。今の彼女にとって、全てが新しい。それと同時に、怖くて堪らなかった。

 見渡す限りの平原に、行く宛てなんて無かった。


 それでも進むしかなかった。小川を伝えば何か見つけられるかもしれない。そう思って進んで来たけれど、見渡す限り、草が生い茂るばかりだ。野性の牛や馬は見えるが……彼女が生きて行くには条件が足りない。


「………………っ、ぅあっ、あっぁぁぁあ」


 急に不安が襲って来た。この先どうあっても死んでしまうんだなってどうしようも無い黒い感覚が渦巻いてしまっている。

 大粒の涙を流しながら、膝を着く。本来なら広い平原なんて、のどかで落ち着くはずなのだが、今の彼女にとって世界の広さというのは嫌味にしか思えなかった。


 彼女は世界の広さというモノを知らない。

 彼女は森の中が全てだと思っていた。


 本来なら、森からなんて出る事なんて無かったはずなのに、出てしまった。そんな彼女に訪れる未来なぞ、疾うに決まり切っている。


 魔物の気配はない。だが危険なのは魔物だけではない。無論、動物や、草原に住まう毒虫も十二分に危険である。森の中で暮らしていたから、それは理解しているはずだが、だが今の彼女には対策する術が無い。裸足のまま歩き、ぼろ布の様な服を纏っている彼女には、何も出来ない。


 癒す事しか知らないはずの彼女にとって、戦うという選択はあり得ないモノ。虫でさえ、殺す事に躊躇する。


 ヒトを殺した。それは決して彼女の意思ではなかった。偶然、本当に偶然、結果的にそうなってしまった。例えそれが彼女が追い詰められた末に起きた奇跡の様な魔法であったとしても、彼女は報復だとも思わない。彼女に善悪の感情は無い。そんなのは教えられていない。

 ただ、耐えられなかった。彼女の意思が、ではなく、彼女の身体が。


 何事にも限界というモノはある。例え自身が感じていないモノだとしてもそれは溜まりに溜まっていつか爆発する。


 彼女の場合は、その爆発の方向性が悪かった。倒れるでもなく、調子が悪くなるでも無く、ただ突発的に、暴発したのだ。

 魔力というモノは不安定なモノだ。主人の意思によってその形を変え、現実を歪めてしまう。本来ならば、彼女程の歳であれば魔力の制御方法くらいは体得して、無意識に魔法が発現してしまうなんて事は起きないはずなのだ。

 だが、彼女は追い詰められた。逃げ場なんて無くて、ただ痛くて苦しいのが断続的に続く。息をするのもやっとの状態になってもまだ続くその行為が、彼女のホルモンバランスを崩し、知らぬ所で暴発した。


 攻撃魔法なんて使えるはずの無い彼女が、まるで最初から使えていたかのように、何の反動も無く、ただ暴発した。

 それは魔力の刃となって村人の首を切り落とし、彼女の眼前で鮮血を噴き出した。


 目に焼き付いて離れない血潮が、思い出すだけで匂いと共に彩をぶり返す。


 あ、殺したんだ。


 そう気付いたのは、その鮮血の勢いが止まりだした辺りだった。服は真っ赤に染まったが、もう黒くなり始めている。


 わざとじゃない。勿論、これはただの事故だ。だが、彼女の意思では無かったと言えばそれは違う。深層心理の奥の奥。村人を一切合切恨んでいないと言い切れるであろう彼女ですら、その最奥に憎悪は宿る。


 痛み、苦しみ、恐怖、雪崩れ込む感情。


 彼女はそれでも村人を信じ助けようと努め、そして壊れた。


 意味は感じていた。与えられた役割は果たさなければと、奮闘した。


 彼女に備わった力は癒すだけの力。傷を癒し、再起の機会を与える力。


 最初こそ感謝された。

 村人は口々にありがとう、と感謝を伝え彼女を聖女であると崇めた。

 大量の魔力を消費し、頭がフラフラになってもそれでも彼女はその感謝に応えるべく村人たちを癒し続けた。


 いつしか、癒される事が当たり前になった。

 感謝は薄れた。

 それでも彼女は癒し続けた。


 何度も


 何度も


 何度でも。


 限界は、早かった。




 白い少女は、大きく息を吐く。血に染まった服もそのままに駆けだしてきた。村人はきっと彼女を探し連れ戻そうとするだろう。


 だからその前に遠くへと逃げないと。戻れば殺される。


 死にたくない。とそう思ってふと疑問を浮かべた。


 『どうして、生きたいんだろう』


 村人の役に立つ。それはきっとイイ事だ。善悪の区別が付かない彼女にとって、それは決して揺るがない事実だ。ヒトの役に立つ事をするというのはヒトが生きる意味でもある。

 だが、彼女にはもうそれが無い。


 未だ村人を恨んでいるという実感の無い彼女にとって、村に戻れなくなってしまったというのは、死ぬ事よりも怖い事でもあった。

 複雑な感情だ。理解してあげる事はきっと出来ない。死にたくないのに、戻りたいと、そう願っている。

 どんな扱いであっても、必要とされている。それは生きているという事に違い無い。


 誰にも知られず生きているという事は死んでいる事と変わらない。


「………………………………………………」



 遠くから、凄く、遠くから、足音が聞こえた。魔物や動物の足音じゃない。それはヒトが靴で草を踏み分ける音だった。


「……ヒト……っ、どうしよう!」


 逃げるべきか、それとも……。


 まだ彼女の存在に気付かれる心配は無い。何せ今の彼女はへたりこんでいるし、足音は凄く小さい。遠くを歩いているに違い無い。それに、こちらへと向かってきているわけでも無いはず。そんなピンポイントでヒトがやって来るなんて奇跡だ────────あぁ、奇跡だったらしい。


「お前……」

「……っ、ち、近づかない、でっ!」


 必死に声を上げて、金切り声の様な音で叫んだ。


 よりにもよって男のヒトだ。今の彼女にとって一番会いたくないのが男のヒト。何せ彼女が与えられたストレスの大半は男によるモノなのだから。


「血の匂い。お前、ヒトを殺したのか」

「…………っ、近づかないでってばッ!」


 怖い。


 それが、ただのヒトであれば、きっともう少しマシな反応だったはずだ。


 自分の魔法の暴発も恐れながら、近づくなと警告を送る。もしもまた、同じように魔法が暴発したら、またボクはヒトを殺してしまう、と。彼女は逃げようとしている。


「怯えなくて良い。俺は……」

「近づかないでって言ってる!」


 心がぶわっと音を立てて大きくなった。感情が、赤に染まる。


「すまない。まずは落ち着いてくれ。俺は君に危害を加えるつもりは無い。大丈夫。落ち着いて深呼吸してくれ」


 その声はとても優しい。


 優しいのに、彼女の目には、彼が化け物に映っている。


 一人、二人、三人……十を超え、二十。もっとだ。もっともっと、居る。ソレは、百の数を越えた。数える事を諦め、彼女は尻もちを着き、後退りする。

 化け物だ。だってこれは、全て、死んだヒトの魂の──。


「………………見えているのか。良い目を持っているな」


 彼は腰に下げていた剣を地に落とし、反対の腰に携えていた小さなナイフさえも手放した。


「敵意は無い。本当だ。見えているモノはきっと本物だろうが……信じてくれ」

「…………………………」


 百を超え、それでもどうしてか、彼は未完成だ。と根拠は無いけれど、彼女の目には彼を構成する全てにおいて、画竜点睛を欠いている様に見える。


「俺は、流浪の者。印を掲げ、旅をしている。お前は?」

「……ボクは………………」


 くぅ~、とお腹が鳴った。少し恥ずかしくて、目を逸らすと、彼はくすりと笑って、


「腹が減っているのか。干し肉であればあるが……食うか?」


 首を横に振る。化け物になんて貰うモノか、と。敵意丸出しで首を振る。


「…………行く宛ては、無さそうだな。なぁ、俺を信用しなくて良い。信頼しなくて良い。化け物だと思い続けてくれて良い。だから一緒に来てくれないか?」


 彼はそっと手を伸ばす。怯えたままの彼女を、これ以上怯えさせないように優しい声色で。


 彼にとっても、ここで彼女を見捨てても、寝覚めが悪い。彼はこれでも一応ヒトのはずだ。良心くらいある。それに彼は流浪の身でありながら印を掲げている。


 その印は勇者の証。だが、それを彼女は知らない。閉ざされた村の中で生きて来た彼女に常識なんて通じる訳も無い。勇者側にも常識があるかは解らないけれど、彼がそれをまるで身分証かのように提示したというのなら、外ではその証がある者は勇者であるというのが一般常識なのだろう。

 彼の印は右目を中心にした幾何学模様だ。


 彼女は伸ばされた手に応える事は無かった。ただ黙って俯いて、諦めてくれるのを待った。


「……」


 勇者もその沈黙に手を引き、仕方ないと、息を吐いた。


「ここは魔物の生息域だ。せめて安全な場所に移動するんだ」

「良いよ、もう」

「良くない。何があったかは知らんが、死は恐れるべきモノだ。それでも死にたいと願うならば、相応しい死に場所を探せ。ここは、お前の様な幼い少女が死ぬべき場所じゃない」

「………………寄らないで」

「悪いが担いででも連れて行く。印を掲げている以上、俺はヒトを見捨てる事が出来ないからな」


 彼はそう言って、彼女の警告を無視して彼女を担ぎ上げる。担がれた彼女はぽかぽかと腕を振り、足を振り抵抗を示すが、彼は意にも介さず担ぎ上げたまま歩き始めた。


「この先は『デグル』との国境だ。生きる意味を見失っているのなら、それを探す事を生きる意味としても良い。とにかくこれからのお前は自由だ。俺とは正反対にな」


 じたばたを続ける彼女の背をぽんぽんと軽く叩きながら彼は歩き続ける。


「離してッ! 降ろして!」

「断る。死なれたら困ると言っただろう。俺が居る限り死ねないと思え」

「……何なんだよ! 何も知らない癖に! 村に戻れないくらいなら、ボクはッ!」

「村人を殺したんだろ? 戻れるはずがないだろ」

「違うッ! わざとじゃ、ない! 魔法が勝手に!」

「……………………猶更放っておけん。魔法が暴発するだぁ? お前自分で何言ってるか解ってるのか?」


 意思により発現する魔法というモノは、先に述べた様に、彼女の歳になればコントロールを完璧に行える。そもそも例え幼子であっても、魔法を使うと強く願わなければ魔法は発現しない。炉心による安全機構が働き、例え暴発したとしてもヒトを殺せるだけの威力には成り得ない。殆どの場合怒りに任せ魔法を使おうとしてもただ魔力が放出されるだけになる事が多い。


 だが、彼女は間違いなく魔法を暴発させた。それも、彼女が本来扱えるはずの無い攻撃魔法を。


 異常事態だ。あり得ないとまでは言わないが、ヒトを殺す程の魔法を暴発させたとあれば、今後、今まで出来ていたコントロールさえも失うかもしれない。その為にはまず、腹一杯になって、身を綺麗にし、心を落ち着かせる必要がある。


「お前、名前は」

「…………離したら答える」

「なら良い。このままお前を担いだままデグルまで歩く。先に言っておくが、一週間はこのままだからな。覚悟しておけ」

「嘘でしょ。どうしてそこまで、君には関係ないじゃんっ!」

「ある。………………魔法に関する事象は全て俺達の責任だ。あの日、護れなかった俺達に責がある。巻き込んでしまったんだ、詫びとして精々受け取れ」

「意味わかんないけど、詫びっていうならまずは降ろしてよ」

「………………」

「もう、逃げないから。逃げれないんでしょ」


 彼は静かに頷いて、彼女をそっと降ろした。


「それと、名前、名乗らない癖にボクにだけ聞くなんて失礼だ。だから名乗らない」

「あぁ、そうか。そうだな、悪い。俺はもう、名乗るべき名は無いんだ」


 彼女は、そういう事もあるんだって勝手に納得して、じゃあボクも名乗らない、と意固地になってしまった。


「食うか?」

「さっき要らないって言った」

「言ってはいないだろ。まぁ、信頼も信用もしてくれなくて良いさ。俺が勝手にお前を生かすだけだ。死にそうになったら、無理やり胃にねじ込んでやる。覚悟しやがれ」


 彼女はぷいっとそっぽを向く。恐怖心さえも壊れてしまったらしい。さっきまで感じていた恐怖は最早無くなっている。


 感じていた恐怖は最初から無かったかのように、彼女の心の中から消えている。そしてどうしてか、今の彼女はやけにテンションが高い。まるで先ほど自分がヒトを殺した事を忘れてしまったかのように。


「…………」


 勇者である彼は、そんな彼女を見て、それでも見捨てる訳にはいかないと、決意を改める。騎士であった彼にとって誰かを護るという事は性に合っている。それも、このようなか弱い女子であれば猶更だ。


「生きていればきっと良い事があるだなんて言えないが、生きていなければ、良い事も悪い事も知る事が出来ない。……お前は一体どんな村で暮らしていたんだ?」







───






 三日。勇者と行動を共にする事にしてから、夜を三度越えた。彼はその間決して眠る事は無かった。その事に、彼女は疑問を抱かない。そんな事もあるか、と。頷いて納得した。


「そろそろ出立だが、十分休めたか?」

「…………………………」


 彼女は一言も喋らず、こくりと頷いた。一夜過ごした後からずっとこの調子だ。なんだかぼぅっと歩いている。

 幸いなのは魔物と遭遇しなかった事。


「デグルに着いたら服、買わないとな。折角の別嬪だ、着飾ってやらないと主に申し訳ない」


 彼は彼女にローブを着せ、深くフードを被らせた。彼女から外界を閉じた。あれから、彼女の中には再び恐怖心が舞い戻って来てしまった。外を怖いと思う事、勇者を化け物だと認識している事。もう村には戻れない事。それら全てが怖い。


 あの日勇者は、彼女の話を全て聞いて、そうか、とたった一言だけ呟いた。掛けるべき言葉が解らなかったのと、もし今までの事を不幸であったと今認識してしまえば、きっと彼女は壊れてしまうと思ったからだ。


 幸せとは何かと考えた時、それは他人よりも不幸な目にあっていない事を言う。他のヒトの幸福を知らなければ、自分は幸せだと笑って居られる。ヒトとは、比べてしまう生き物だ。だから、彼は何も言わなかった。


 だが、きっと外の世界を知ってしまえば、彼女は思い知る事になる。だからその前に、これからに希望を持ってもらわなくてはいけない。


 その後、どうするか決めよう。


「あと、杖もな。癒す専門だって言っても必要だ。今後魔法を扱うのか扱わないのかに関係なく、持っていて損は無い」

「…………………………」


 彼女は依然無言のまま、勇者の隣を歩いている。勇者は彼女の歩幅に合わせている為、一週間ほどで着くと思っていた旅路ももう少し延長されるだろう。まぁそういうのも良いだろう。旅とはそういうモノだ。

 そもそも旅の道中で女の子を一人拾うなんて考えもしなかった事だろう。


 彼らはとにかく南東へと歩を進めている。予定を変更し、デグルにはキャリッジを使う事にしたのだ。途中にある栄えた村にキャリッジの停留所がある。それを利用し、デグルに向かう。予定より遅れている分、取り戻さなくては。

 その為、村に着いても休む暇は無い。着いたその日に出ているキャリッジに乗る必要がある。


 金ならある。彼は腐っても勇者だ。それなりの依頼をここに来るまでこなしている。魔物の討伐に、荷物の配達。護衛。様々な依頼をこなし、路銀は潤沢にある。でなければ少女一人拾おうなんてしない。

 …………彼の性格上、金が無くとも見捨てる様な事はしない様に思うが……。まぁ細かい事は良しとしておこう。





 ともかく彼らは南東を目指している。平原を抜け、丘を越え、再び森に入り森を抜け、沼地に足を取られ、小さな山を越え、そして、計、七度の夜を過ごした。


 そして辿り着いた村でキャリッジに乗り込んだ。キャリッジは言うなれば馬を使った交通手段だ。勇者である彼は冒険者の身分を使い、護衛として雇ってもらう事を条件に、格安で切符を手に入れた。

 勿論彼女も一緒だ。


 デグル行きのキャリッジで大体三日程掛かる。彼は歩いて一週間だと考えていたが、それは夜も歩き続けた場合の計算だ。ヒトの形をしている癖に眠る事を頭に入れていないのはどうかと思う。

 彼女に思われている様に、彼は彼できちんと化け物なのだろう。勇者だからって寝ないで良い訳じゃないはずだ。


「魔物だ……!」


 その声を聞いて勇者がすぐにキャリッジを飛び出した。手にした剣を日に輝かせながら、魔物を認識した途端、その足を加速させる。


「猛ろ、星導」


 小さく呟いたと同時に、剣が魔力を帯びる。同時に最早駆けているのではなく翔けているのではないかと思う程、大きく前へ飛んで剣を振りかぶる。


 前方に確認した魔物は、一般的に魔猪と区別され呼ばれる巨大な猪の姿をした魔物だ。強靭な牙が口から伸び、それは鋼鉄をも弾く程硬い。そしてその巨体から繰り出される突進も、牙が突き刺さってしまえば、最早助かる術も無いと言われる程危険だ。突き刺さってしまえば、殆どの場合治癒魔法でも治る事は無い。貫通してしまえば、大抵の場合即死の為だ。


 魔猪は高速で駆ける彼を視認したと同時に、魔法陣を描く。それは突進攻撃の予兆行動。

 魔猪の突進が危険な理由は、その牙だけが理由じゃない。繰り出されるその速度。それは魔法によって弾丸が如く速度を上げる。例え牙が刺さらずとも、あの巨体から繰り出される質量に耐えられる生物は殆ど存在しない。ヒトであれば、例え魔力障壁を展開したとて、簡単に破られてしまうだろう。


 あの巨体から、勇者と変わらない速度で突進するとなれば、その脅威も伝わるだろう。


 そしてこの角度、この速度。このままではキャリッジを巻き込んでしまう。


 互いに一撃で決まる。

 必殺の一撃を以て、勝者は決す。


 彼が掲げた剣は輝きを宿す。星導ほししるべ。星より賜るはずだった剣のその代わり。

 だがそれ故に、あらゆる魔に対する特攻を疑似的に再現する、ヒトの手に墜とされた異界武装。階位を喪失し、されどヒトの為に在り続ける残骸。

 彼はその輝きを振り下ろし、そして────────


「星に還るが良い、魔の導。


 輝きは放たれる。彼の剣から放出されたそれは無数の光の粒子となって魔猪を襲う。その一つ一つが斬撃となって魔猪を切り裂いていく。彼は魔猪を軽く飛び越え、突進の余波さえも受けつけない。

 そして骨だけになった魔猪は、それでも暫く進んだが、岩に躓きその形を瓦解させた。骨はバラバラに散らばって、最早血も肉も残っていない。どこにも。先の攻撃を見ていない者が見れば、最初から白骨死体が転がっていたと勘違いしてしまうのではないかと見紛う程に跡形も無い。


 これが勇者の力。印を掲げた者が持つ、ヒトには余る武装、輝きの果て。東方の大陸にて千年前に観測されたきり、一度も観測されなかった、希望の光。

 だが、何故。勇者といえどそれは星の意思によるモノ。本来、印と星の意思は別物のはずだ。だが、贋作ではあるが彼はその両方を手にしている。


 あり得ない。起こり得ない奇跡だ。…………唯一あり得るとすればそれは、アグレシオン……否、か?

 納得はいかない。だって今更だ。アグレシオン、ネドア共に崩壊からどれだけ経ったと思っている?


 二千年だ。正しい数字は不明だが、凡そ二千年前、二つの国は終わりを迎え、エクスタニアに魔法が溢れそして現在の国が興った。全ての事柄におけるターニングポイント。魔法事象の原点。

 彼らの責とはつまり、あの日、国が滅んだ日、彼らが守り得なかったモノ達への贖罪。





 彼女はその光をその目で見ていた。美しき流星のその全てが魔物を屠る刃となって命を奪うその瞬間を。

 その剣を美しいと思ったし、同時に言い知れない恐怖が宿った。

 特殊な目を持った彼女の目にはその美しさの裏に、百にも上る亡霊たちが一斉に魔物へと押し寄せる姿が見えていた。亡霊たちはあの光を武器としその全てが魔物を切り裂いた。それはまるで騎士団が一斉に魔物に掛かったような、そんな光景。それぞれがそれぞれの役割、四肢の筋肉を切り裂き、顎を切り裂き、牙を砕き、心臓を貫き、そして削ぎ落す。その工程を全く同時に行ったのだ。


 そんなのは剣戟じゃない。魔法ですらない。あの亡霊はなんだ? 何故たった一人にこれだけの数が憑いている? そして何故、それでも未完成だと感じるのだ。


 少女は息を呑む。到底、ヒトであると信じられなくて、到底、起こってしまった現実であると受け入れられなくて、彼女は目を逸らした。目撃したモノを忘れてしまおうとした。そうすれば楽になる。

 何も知らなければ、知らないフリをすれば、いつまでも幸せのまま居られる。


 だから忘れた。考えなかった。あの時も、今も。


「道は開いた。これで進めるだろう」


 いつの間にかキャリッジに戻っていた彼は、ほぅと息を吐いて彼女の隣に座った。


「あ、あんさん、えれぇ強いんだなぁ……」

「偶然だ。偶然弱い個体と遭遇した。それだけだ」

「んな訳あるかい。まぁ良い。とにかくあんさんの言う通り道は開けた。感謝するよ」


 キャリッジには何人か乗り合わせている。殆どのヒトが先ほどの勇者の一撃を目にした。ただ一人の乗客を覗いて。それは少し離れた所に座っている青年。巨大な剣を傍らに置いて外を眺め続けている。

 その視線の先には何も無い。ただ木々が広がっているだけ。


 とは言え、キャリッジ内は静かだった。誰も勇者に声を掛ける者は居ない。賢明な判断だ。勇者のヒト柄は知らないが、あの一撃を観た後で話をしようなんて思う者は居ない。強いヒトではなく、怖いヒトなのだ。


 魔物とはヒトにとっての脅威。それを意図も容易く一撃で討滅した彼に恐怖を抱くのはごく自然な事だ。

 だから少女も恐怖心を抱くのは当たり前のはずだ。


「…………………………」






 キャリッジは進む。そうして三日の時間を掛けて、デグルの首都、ブルーキャピタルに辿り着いた。何度か勇者による魔物の討滅はあったが、無事に。


 デグルは海上国家。特色としては、架学を用いた発展を続けている国だ。


 架学とは魔力と科学の融合。ヒトを一歩前に進ませる技術。単純に言えば、魔力感知式の自動ドアだとか、昇降機だとか、魔銃だとか、そういったモノを作り発展した国だ。


 少女は、生まれて初めて海を見た。独特の潮の匂いに鼻を掻いて、広い海を目に収めた。


 信じられなかった。少女が知るのは精々小川くらいで、目の届く範囲全て、いや、その先さえも水に満たされている場所があるなんて想像もしなかった。


 口に含んで驚いてぺっぺっと吐き出して、その様子を勇者に笑われた。うぇぇ~、と暫く残る塩辛さに食欲を失った。


 ブルーキャピタルで、まずは服を買った。一応デグル行きのキャリッジに搭乗する際、あんな血まみれの服ではいけないだろうと、一着だけ購入していたのだが、勇者は折角の別嬪だ、と言って都会らしいオシャレな服を彼女にプレゼントした。

 彼女は無言だった。


 次に、海に来たのだから海鮮料理を食さなければ意味がないと言って、レストランに足を運んだ。


 魚は何度か口にしていたが、全て白身のモノ。赤身の魚や大きな貝を口にするのは初めてで、その美味しさに舌を巻いた。


「さて、これからの話をしよう」

「………………」

「俺は暫くデグルに滞在し、目的を達した後カルイザムへと向かう。お前は、どうする」

「…………………………」

「すぐに答えは出さなくて良い。まだ時間はある。お前がしたいことをすれば良いさ。何せデグルは広い。お前が居た村よりも沢山ヒトが居るし、沢山の服も飯も本も、娯楽もある。触れた事の無いモノに触れて、自分がどうしたいか考えると良い」


 彼女は無言のまま、俯いた。


「ここが当分の宿だ。本当は別の部屋にしたかったんだが……満室だって事で、我慢してくれ」

「…………?」

「あぁ、部屋を貸してもらっているって事だ」

「…………………………」


 そういえば、知るはずもないのだった。宿なんて村には無かったんだから。今の彼女に一般常識は無い。そういえばそうだった。


「………………まずは一般常識を覚える所からだな。俺も言う程自信がある訳じゃないが」


 村の中で独自に築かれたコミュニティの中で養われた常識なぞ役に立たない。


「さて、まずは礼儀作法からだが──────」


 そうして、勇者は彼女を椅子に座らせみっちり三時間ほど掛けて日常生活で必要な作法を叩きこんだ。一番重要だったのはお金の概念。どうやら彼女の村では物々交換によって成り立っていたようだが、外じゃそうもいかない。

 幸いな事に小さな計算は出来た為、軽い買い物くらいならば出来るくらいには叩きこんだ。


 ヒトを殺してはいけないとかそういう倫理的な常識は持ち合わせているだけまだマシだ。意外と殺伐とした村は多い。食人村とか、勇者は旅をする中で小耳に挟んだ事がある。遭遇はしたくないものだ。


 礼儀作法については、古臭いモノだったがきちんとしつけられた様に思う。まずお辞儀は、背筋を正したまま片足を下げ、下げた方を少しだけ折り曲げ、決して頭を下げず相手の顔を見て挨拶を行う、カーテシーと呼ばれる作法。スカートを軽く抓むのを忘れてはいけない。これが出来ていれば大抵の国で何とかなる。


 食事については、これもまた、背筋を伸ばす事が基本で、背もたれにはもたれかからない。決して手をテーブルには置かず、膝にはナプキンを敷く。


 彼は終ぞ気付かなかったが、これは貴族の礼儀作法でありマナー。一般的な家庭でこんな事を求められる事は稀だ。彼は彼女をどうしたいというのだろうか。貴族にでも売る気か?


 他にも色々と実演しながら彼女に礼儀作法を叩きこんで、ざっと三時間。案外身に着くのは早かった。これら礼儀作法は本来生活を繰り返す事によって身に着くモノだが、急ごしらえとしては良い出来だろう。


 それに、彼女が勇者の言葉にすんなり従ったのも意外だった。


「こんなモノか」


 彼は満足したのか、ほぅと息を吐いた。


「そういえばお前、読み書きは出来るのか?」

「…………………………」

「まぁ、言葉が通じている事だけは救いだな。たまにあるんだよ、独自言語の村」


 どうやって成り立つのかは解らないが、言語体系が全く異なった村を散見する事がある。大抵の場合、そういった村は余所者を嫌う為、勇者が立ち寄る事も無いが、一体どうやって生活しているのだろう。


 礼儀作法について教わっても彼女は未だ無言を貫いている。本当に稀に喋るし、女の子らしく可愛らしい反応をしたりする──海水を口にした時とか──のだが、会話をしてくれない。


 さしもの勇者もヒトと一緒に居て会話が無いと少し寂しいのであった。


 彼は小さく溜息を吐いて、剣の手入れを始める。彼女はその様子をじっと見つめている。その剣がいつか自分に向くのではないか、と恐れているのだ。


「……………………剣、握ってみるか?」


 彼女は慌てて首を横に振る。剣なぞ怖くて持てない。何かを殺す為の道具だ。そんなの怖くて堪らない。


「そうか。明日、杖を見に行こう。デグル製のならば、良いモノが揃っているだろう」


 杖は基本的に魔法の行使を手助けするモノだ。魔法自体は杖を使わずに使う事が出来る。杖による手助けは、身体の中を巡行する魔力の流れを補佐し、漏らさず魔法へと変換させるというモノ。これにより、魔法を行使する際にどうしても漏れ出てしまう魔力の欠片を全て魔法に変換する事が出来る。


 魔力効率の向上。それを目的として作られるのが杖であり、魔法使いにとっての武器。


「よし」


 剣の手入れを終えた彼は、そのままベッドに横になる。


「俺は眠る。……後は任せた」


 まだ眠るには早い時間だが、彼はすぐに目を瞑ってしまった。


「──────────────」


 息をしているのは解るが、これまで眠っている姿を見せなかったのにやはりベッドの誘惑には勝てないのだろうか。あの様子、まるで眠るという機能を必要としないようだったが。


「……………………ふぅ」


 ようやく、一息。彼が寝静まったのなら、やっと落ち着ける。


「……なんなんだよ」


 言葉を久々に口にした気がする。


 ヒトが沢山居た。こんなに沢山のヒトを見るのは初めてで、なんだか気持ち悪くなった。その前に海の水を飲んだからだろうか。彼女には胸を込み上げてくる気持ち悪さがあった。


「…………………………」


 今にも泣き出しそうになりながら、彼女はぼふんっとベッドに浸る。こんなふかふかに包まれるのは初めて。あぁもう全部初体験だ。この七日間で色々な所を巡った。楽しいとは全くもって思えなかったし、死んでしまいたいって気持ちが消えている訳でもない。


 村に戻れないくらいなら、ヒトの役に立てないのなら、死んだ方がマシだ。それは良いコトじゃない。悪いコトだから。悪いコトを積み重ねるくらいなら、死んでしまえ。

 そう教え込まれて生きて来た。彼女にとって良いコトは村人の役に立つ事。どれだけ自分が散々な目にあったとしても、彼女にとってそれが当たり前だ。彼女は村人たちを癒す為に在る。ただそれだけの存在だった。


 こんな世界が広いだなんて思わなかったし、こんなに大きな水たまりがあるのも知らなかった。魔物は沢山種類が居て、外はとても怖いけれど、森に囲まれたあの村じゃ、空の広ささえも知らなかった。

 綺麗だとも思った。


 だけど、それでも。


 綺麗だと思った事と、この先、どうすれば良いかは別だ。


 生きる事は別に良いコトではない。

 死ぬ事は別に悪いコトではない。

 誰かを癒し続ける事が彼女の良いコトであって、ただそれだけが生きる意味だった。


 ヒトを殺す事は悪いコトだ。


 何もおかしい事はない。彼女はヒトを殺した。悪いコトをした。だから村には居られない。それだけの事だ。


 彼女が村から居無くなれば、あの村はそう遠くない内に滅ぶだろう。彼女の生まれ育った村は、彼女を中心に廻っていた。彼女は、知らないだろうが。


”ボクも、寝よう”


 ふかふかに包まれて、目を瞑る。きっといい夢が見れる。そんな気がした。




───




 それで、約一ヵ月が過ぎた。


「ねぇ、あれは? あれは何?」


 と勇者の袖を引く。


「あれは……なんだろうな?」

「勇者も知らないの?」

「俺が何でも知ってるとは思わないでくれ。旅をしているから知識があるように見えるだけだよ」


 彼女は、打って変わってとても明るい態度で勇者に接していた。もう、村の事なぞ覚えていない。それが、幸せではないと気付いたから、彼女は無意識に排した。両親の記憶さえも。もう顔も名前も憶えていない。


 幸福とは何か。前にも述べた様に、それは他人より不幸ではない事だ。デグルでの生活は不自由がない。自分が幸福なのか知りたければ、自分より不幸なヒトと比べれば良い。

 お勤めも無いのだ。彼女にとってそれだけで幸福だった。もうあんな痛い想いをしなくて良いし、ふかふかで眠れる。過去の自分と比べて、どちらが幸せかと言えば、後者だ。


 悪いコト、良いコトは、もう多分関係無い。関係無い事にした。そうしないと幸福じゃないから。きっといつか思い出して死にたくなるけれど、今はそれで良い。


「杖はだいぶ馴染んだな」

「うん。歩きやすいし」

「そういうモノではないんだがな」


 彼女が買ってもらった杖は、先にランタンが付いている。魔法の行使を検知すると、ランタンが淡く水色に光るのだ。その様子をとても気に入った。


 まぁ、夜道の灯りにもなるから、というのもあるが。


「今日は何するの?」

「何をしような」

「決めてないの?」

「あぁ。勇者として来ている訳ではないからな。王への挨拶は非公式なモノだったし、勇者としてこの国で出来る事はもう何も残ってない」

「ならこの国を出る?」

「…………あぁ。お前は、どうする」


 その問いに彼女は口を閉ざした。どうする? どうしようもない。一人じゃ生きられない。だから、着いて行くしかない。死にたいという気持ちは無い。


 デグルは彼女にとって良い刺激を与えたと思う。とは言え、今こうして喋ってくれているのはデグルの環境ではなく、ただの時間経過によるモノだろう。記憶を封じた彼女にとって暗いままで居る理由は無い。

 無かった事にしたのだから、それに引き摺られる事も無いだろう。


「ボク一人で生きていけないけど」

「胸を張って言う事じゃないな。なら着いて来るか? それしかないだろう」

「うん。着いてく」

「後悔しないか? この選択は、お前の人生を決定付けるモノになる」

「もう無いと思っていたモノだし」

「拾った命だ、最後まで見る義務はあるとは思うが……しかし、お前はまだまだ若い。旅に着いて来るというのなら、残りの人生に大きく傷を付けかねない」

「傷だらけなのに今更」

「…………………………」

「着いて来て欲しくないんだ?」

「足手纏いになるとか、そういう訳じゃない。お前の治癒の能力はそれこそ誰よりも高く買っているとも。欠損した部位すら治せるだけの魔法なんて、現状この世界に十人も使える者は居ないだろう。技術の無い状態でそれだ、もしお前がこの先魔法を学べば、蘇生も可能になるかもしれない。だがそれは、お前にヒトの道を捨てろという事になる」

「もうヒトじゃないよ」

「馬鹿言え。よく考えろ。お前にはまだ、普通の幸せを手に入れられる道がある。それを棒に振ってしまうのは、あまりに」

「勿体ないと思うなら、勘違いだよ」


 勇者にとって想定外なのはやはり、少女に一切の願望が無い事だ。勇者も心のどこかでは理解している。もし少女をここに一人残して行けば、きっと明日には───。

 勇者としての彼が取るべき選択は既に一つしかない。彼女を旅に同行させる事だ。


 だが、それは……生を得る事と引き換えにヒトとしての道を捨てる事を意味する。


「お前は選ばれていない。……勇者とは責務だ。その目的は魔王の討滅、そして、これは俺個人の目的だが、魔法の根絶の二つだ」

「魔法の、こんぜつ? とうめつ?」

「根絶は、無くす事、討滅は、簡単に言えば殺す事だ」

「魔法を無くすの?」

「あぁ。責任を果たさなければならない」

「ふーん? 魔法、無くすんだ。どうやって?」

「方法はある」

「なら着いてく。ボク魔法嫌いだし」

「…………………………お前は、あの村で生きる意味を持っていた。それは魔法から由来するモノだ。村人の傷を癒し、村人の役に立ち助ける。例えその暴発で誰かを殺してしまったとしてもお前の生きていけるだけの意味ではあったはずだ」


 それを無くすと言っている。軽率な考えで適当に否定するべきではないはずだ。それに、そもそも魔法を無くすなんて荒唐無稽な事を簡単に受け止めてしまう程に現実を知らない。


「お前は、勘違いしている。世界は広いというのは十分に理解したはずだが、自由である事を理解していない。お前の治癒魔法があれば生きていくには困らない。冒険者にでもなれば良い」

「知らんし。良いから連れてってよ」

「……これからカルイザムへと向かう」

「かるいざむ?」

「魔法によって繁栄した国だ。ここから、遥か西のな」

「どうしてそこに?」

「迎えに行く」

「なにを?」

「この世で一番強い魔法使いだ」

「へぇ」


 勇者はその返答に困惑の表情を浮かべる。その短い返事が、なんとも感情が全く見えない。

 魔法は嫌いだと言った。だったらそれを扱う自分も他のヒトも嫌いなのだろう。

 もしも魔法なんて使えなければ、幸せだったのかもしれない。なんてそんな事を思っているのかもしれない。いや、それは違うか。地獄な惨状でも、それを地獄であったと認識したのは、ここ最近の話だ。

 彼女はただ、信じていた。村人を助ける事が良いコトで、彼女にしか出来ない事だ。だから、村人たちが求めるのは仕方のない事だ。例えそれが理不尽にも似た搾取であっても。

 誰かに求められている事は幸せなのだと。


「……………………言いたい事はたくさんある。着いて来るか? と聞いたのが間違いだった。俺は馬鹿だ。あまりに愚かだった。軽率に言葉を発するべきじゃないと、言われていたのに」

「諦めて、連れて行って」

「解った。だが、カルイザムまで、だ。そう、デグルだとちょっと生活が合わないんだよ、きっと。好きな事が見つかればきっと留まることを選ぶさ」


 知らないから、着いて行くしかないのだろうと、勇者は無理矢理納得する。色々と娯楽や生き方を教えたつもりだったが、残念ながら勘違いだったらしい。冒険者という働き口も最低限生きていけるだけ。幸せになれるかどうかは運次第。


「はぁ」


 彼女は何も響いていないのだろう、首を傾げた。勇者は少女の事を半ば諦めているのだろう、溜息が多い。何を言って聞かせたとしても、少女は必ず勇者に着いて来るだろう。生まれたばかりの雛が一番最初に視たものを親と認識してしまうのと同じように、村を出て初めて見たヒトに縋るしかないのだ。

 一人では何も出来ない。生きられない。かと言って今は生に執着なんて無い。だから、もし勇者が置いていくというのなら、明日にでも己で命を絶つだろう。けれど勇者はそれを許す事は出来ない。

 元の人格もあるが、勇者という枠に当て嵌められた以上、相応しい態度を見せなければならない。でなければその印は効力を失うだろう。


「…………俺はお前の事が苦手だよ」

「気が合うじゃん。ボクもボクの事苦手だよ」


 勇者は今までで一番大きな溜息を吐いて、止めていた足を再び歩かせる。


「いつ出発?」

「明日。カルイザム直行便がある。大陸の中央フィア・エドルとの境界のギリギリを進む最速便に乗って向かう」

「そか」

「今日中にお前の準備を整えるぞ。服を何着か新調しておく必要がある。何日か我慢出来るなら必要無いが……直行便でも二か月は掛かる旅だからな。服というのは案外精神を安らげてくれるものだ」

「せーしんじょうたい……良いよ! 今! 凄く!」

「お前のそれは振り切っただけだ。良い訳じゃない」


 嘘の様に会話をしてくれるようになった。それは彼女の精神が安定したから、ではない。寧ろその逆だろう。躁鬱とでも呼ぶのだろうか。こうして会話しているだけでも、勇者からすればなんだか痛々しい。


「なら買い行こ?」

「……はいはい。どんな服が良い?」

「なんでもいー」








 そうして彼らは馬車に揺られる。残念ながら料金は通常。勇者の常套手段である護衛としての依頼は既に枠が埋まっていたようだ。護衛は必要ではあるが、そう大人数も要らない。既に護衛としての依頼を受けた者は、ブルーキャピタルに向かうキャリッジにも乗っていた大剣を持つ青年のようだ。


「魔法使いを迎えに行くって言ってたけど、誰かって解ってるの?」

「いや、知らん。俺と同じく印を掲げている者が居るという事以外、性別も解らん」

「でもカルイザムに居るって?」

「魔法使いとして印を掲げる者ならば、魔道国家に属しているはずだ。そういうものだろう?」

「いや知らないけど。ボク外知らないし」

「居なければまた探すだけだ」

「無計画ってやつだ」

「…………………………」


 勇者はその言葉に何も言えず、外に視線を送る。言い訳も誤魔化しも出来ない。事実彼は見切り発車で旅を始めた。やらねばならない事だけは解っているが、その手段は彼の手の中には存在しない。

 彼が勇者という印を掲げてどれだけの時間が経ったかは解らない。もしも、ネドアやアグレシオンの者であるというのなら、彼は二千年の時を越えてここに居る事になるが、それはあり得ないだろう。

 確かに長寿な種は存在する。エルフが最たる例だろう。だが、彼は見る限り耳無し。エルフでも獣人でも無い。

 そんな彼が二千年も生き続けている訳が無い。 可能性の一つとしては、あの亡霊たちが関係しているのだろう。もしくは彼もその一部なのか。


 暫く車輪と馬の蹄の音だけが響く。キャリッジに乗っている客は、勇者と少女を含めて七人。勇者と少女以外は全員個人で乗っているようだ。それ故か会話が発生しない。

 本来であれば、先ほどの会話もあまりヒト前で行うべきモノではないだろうが、少女は天然だから無駄だろう。……一般常識と一緒に教えておくべきだった。


「…………っ! 魔物だ、頼む冒険者殿!」

「────あぁ」


 大剣を携えた青年はキャリッジから飛び降りる。苦戦する事があるのなら、手助けに行こうと、勇者も剣に手を伸ばし待機する。少女はとてもつまらなさそうにそれを見ていた。


 魔物の姿がはっきり認識出来た時、彼は大剣を握っているとは思えない程の軽やかさで地を蹴った。


 対する魔物はエドル・ドブラ。巨大で丸い黒いもじゃもじゃというのが一番簡単な表現だろう。魔物はそのもじゃもじゃとした黒い触手を伸ばして、青年を絡めとろうとする。その距離二十メートルは越えるだろう。

 青年は長く伸びた触手を高く飛び上がりそれを回避して、身体を横に向け、剣の重さと遠心力を使って回転しながら叩きつける様に剣を振り下ろし触手を切断する。

 ドスンッ! という重厚な音とザグッと小気味いいまである斬撃音が重なる。彼はすぐに態勢を立て直して再び地を蹴って、エドル・ドブラまで距離を詰める。


 身体の一部を切り落とされた魔物は怒り狂い何本もの触手を伸ばす。その全てをスピードを落とさず駆け抜ける。


『ボブド』


 小さく呟いた彼が剣に魔力を集中させ、至近距離まで詰めた間合いの中でその斬撃を放つ。縦一閃のみの斬撃だが、巨大なもじゃもじゃを一撃で真っ二つに切り裂くほどの威力があった。

 魔物の断末魔は無かった。ただ静かに死んでいる。彼はそれを確認すると剣に付いた血を払って鞘に戻すと、キャリッジへと戻る。


「懐かしい匂いがする」


 勇者がそう呟いたのを少女は聞き逃さなかったが、どうせ聞いても教えてくれないか理解出来ないだろうと、無視してしまった。


「ありがとう、冒険者殿」

「仕事をしたまでだ。それより道は拓けた。先に進んでくれ」

「助かるよ」


 一瞬の出来事だった。確かに彼一人で護衛は成り立つだろうと納得してしまう程に彼は強いのだろう。それこそ勇者と並ぶかもしれない。


「…………」


 勇者はそんな彼を怪しんでいた。だが声を掛ける事はしなかった。懐かしい匂いがすると口にした以上気になっているのは明白だが、しかし確証が無いのだろう。


 そうして馬車は再び悪路を進んだ。







「また魔物だ! 冒険者殿!」


 キャリッジに乗ってから、二週間が過ぎた。御者はルートを完璧に覚えているらしく、その道中、夜を過ごせる場所を的確に選んでいた。そのおかげか、疲れをあまり感じない。少女は暇で暇で仕方ないようだが、外の景色には飽きないらしい。視た事の無い世界が広がっているのだ、興奮もするだろう。道中の森は心底つまらなさそうだったが、草原や高原を見ると興味深そうに見ていた。

 初めて見た時は絶望していたが、やはり慣れというモノなのだろうか。


 青年は御者の言葉に応え、キャリッジを飛び降りる。これで魔物と遭遇した回数は十三回に及ぶ。魔物の生息域を避けて進んではいるが、やはり逸れというのはどこにでも存在する。空を飛ぶ相手なら猶更遭遇するだろう。

 とはいえ今回は大蛇が相手だ。飛ぶような相手ではない。


「……ブロードバイパーか」


 彼は剣を抜くと走る。ブロードバイパーは猛毒を持つ。その強靭な牙に噛まれてしまうと全身に毒が回り麻痺してしまい、胴体に巻き付かれじっくり骨を砕き柔らかくした後丸呑みするのだ。


 そして忘れてはならないのは、ブロードバイパーは群生であるという事。

 勇者はその事を知っていてか青年と同じようにキャリッジから飛び出す。その勢いのままブロードバイパーの一体に飛び掛かり、胴体を切り裂く。

 ブロードバイパーは体長五メートルに及び、胴回りが六十センチを超える大蛇だ。それを彼は一撃で切り裂いた。確かに魔猪よりも楽……なのか?


「数が多い。手を貸そう」

「悪いな、この分の報酬はきっちり山分けさせていただく」

「要らねぇよ」


 二人は十匹程のブロードバイパー相手に剣一本で戦っている。勇者の様な片手で扱う剣を持つ場合盾を持つのが一般的だが、そういえば持っていない。魔力障壁があるからと言って油断してはいけないが、何故持っていないのだろう。


『ドゥームブレイカー』

『ボブド』


 次々とブロードバイパーを切り裂き掃討していく。彼らは奔りその全てを掃討し、同時に短く息を吐いた。

 そして


「「お前、何者だ」」


 と同時に問う。彼らは互いに眉を顰める。勇者が剣を鞘に納めると、青年も彼に倣って剣を納める。


「俺は、勇者だ」

「…………異界に選ばれた者か。……にしては懐かしい匂いがする。その目の紋章はそういう事か?」

「あぁ。懐かしい匂いがするというのは同意見だ。お前、さては──」

「俺は戦士だ。騎士の名を捨て、印を掲げた。お前が勇者というのであれば、祖国の為にと誓ったこの剣、今こそ世界の為に振るおう」


 青年戦士は彼に一種の敬礼の様な儀式を行って見せる。どこかの国のモノだろう。騎士と言ったか。であれば王家か何かへの忠誠を表すものか?


「それで、あの少女は何なんだ?」

「さぁ? 何なんだろうな、本当に」


 戦士は手を伸ばす。


「…………オレの手を取れ。取ったならばオレはお前と共に旅を続けよう。あっさりとした出会いだが、出会いとはそういうモノだろ?」

「かもしれない。しかし良いのか? 印を掲げたとは言え、行動を共にする必要は無いだろう」

「魔法使いを探しに行くと聞こえたんだが、もしそうなら目的は一緒だ。オレ一人では魔王を下せない。解っているのならば手を取り合うべきだ」


 そうか、と勇者は簡単に納得して、よろしく頼む、と握手を交わした。


 あまりに簡単に戦士という仲間が旅に加わった。少女は納得しなかった。初対面のヒトはまだ怖いのである。






 夢を見ていた。

 小さな村の夢だ。それは過去の残影。彼女が歩んだ記憶が悪夢となって彼女を蝕み始めた。


 ある日、その村は盗賊に襲撃された。村を構えた森の中は強力な魔物が出現する事は滅多に無いが、勿論村を魔物から守るために武器を持つヒトは居る。だが彼らはあくまで武器を持つだけでまともな戦闘訓練なんて受ける事は無い。閉鎖的な村で剣術や戦術が突き詰められる事なんて無かった。

 だから盗賊が来た時、成す術も無く蹂躙された。


 少女は、たまたま水汲みに出掛けていた。近くの小川から水を汲んで運んでくる簡単な仕事だ。往復一時間の仕事の間に、村は焼かれていた。子供は攫われ、その親は惨殺され、家は破壊され、食料は持ち去られ、畑は荒らされた。彼女にとって不幸中の幸いだったのは、親が死んでいなかった事のみ。

 何も知らず戻って来た彼女が見た光景は、炎と血だった。たった一時間で村は壊滅した。

 それが彼女にとっての地獄の始まりだった。


 少女は瀕死の両親の元に走った。どうにかしないとって周りを見て────どうしようもなくて泣き叫んだ。死んでしまう。居なくなってしまう。その絶望が、炎と共に迫りくる。


 その零れ落ちた涙が魔法となった。彼女の魔法の発現はその涙だったのだ。たったそれだけで千切れた腕を再生する程の強力な治癒魔法をその身に降ろした。

 天才だと称するにはあまりに環境が劣悪だった。


 彼女が扱えるのは治癒魔法のみ。それ以外何も無い。けれど、村人たちは彼女を聖女だと崇めた。あらゆる傷を治す希望であると、村人たちは彼女を囲んだ。


 魔物がやって来た。鍛冶師は死んでいた。盗賊に武器は奪われていた。戦える者は居なかった。けれど、どうにか岩や木の棒を振り回して魔物を追い払った。先ほども述べた様にこの森に強力な魔物はやって来ない。

 今思えば彼女の地獄はそうやって延々と続いたのだろう。強力な魔物が来て一瞬で殺されてしまえば治癒は出来ない。弱い魔物で怪我で済む所為で、彼女は苦しむ羽目になったのだ。

 何度も魔物はやって来る。鍛冶によって武器を作る技術は、彼らの手から失われ、魔法も使える者さえ居ない。

 成す術もなく、何度も何度も大怪我を繰り返す。その度に少女は治癒魔法を使い続けた。

 腕を繋げ、足を繋げ、抉れた腹を再生し、視えなくなった目を元に戻し、そうして魔力は無くなった。


 無くなったのなら補充しなければいけない。


 魔力を補給するには呼吸や食事、睡眠などが有効だ。息をするだけでエーテルを体内へと送り、それを魔力に変換出来る。

 だがそれでは足りない。だから他者から魔力を譲渡するという方法を取った。

 本来、魔法を扱える者同士であれば、触れて魔力回路のパスを一時的に繋げ、魔力の流れる速度を調整チューニングする事で魔力を譲渡する事が出来る。だが、前述の通り、村人には魔法が使える者は居なかった。


 だから、最後の手段を彼らは取ったのだ。


それは粘膜によ──────────────




「…………、」


 目を覚ました。馬車の強い揺れに驚いて目を開けて、伸びをした。勇者は隣でじっと外を見つめている。


「起きたのか」


 目を覚ました事に気付いた勇者が少女に視線を送る。こくんと頷く。


「今ってどの辺り?」

「丁度カルイザムに入る頃だ。とは言え、都市はまだ遠いな」

「そか。……かなり経ったよね。夜が……五十三回くらい来た?」

「それくらい経ったな。やはり一切の寄り道無しに向かう距離では無かったかもしれない」


 実際、このキャリッジ以外にカルイザム直行便というのは無かった。少女には明かしていないが、飛空艇という移動手段もあった。そちらの方が何十倍も速いのだが、流石に金が掛かりすぎる。勇者とは言え名を挙げている訳ではない。依頼は相当数こなしたが、結局それらは街で噂になる程度のモノ。大金持ちになれるとかそんなたわけた事は無い。

 現実的な移動方法としてキャリッジを使ったが失敗だった。勇者一人であればこういう旅も良いだろうが、少女にとっては過酷だ。ただ座っているだけというのも旅にしてはつまらない。景色は変わるが体験は変わらない。そんな旅に意味はない。

 まぁ、楽しませるのが目的ではないのだが……。


うなされていたが大丈夫なのか?」


 急に戦士から声を掛けられて、彼女はびくっと肩を揺らした。


「すまない、まだ怖いか?」

「…………」


 怯えたリスの様な顔をしながら、彼女は首を縦にも横にも振らず、戦士をじっと見つめた。それはまさしく警戒心。その無言は肯定だ。


「いつかは慣れるだろう。俺の時も案外早かったしな?」

「そうなのか? まぁゆっくりで良いさ。女の子に嫌われるのは慣れてる」


 戦士は自嘲気味に言って、少女は首を傾げた。勇者の時は、慣れとかだったのだろうか。未だにどうして少女が勇者に懐いている素振りを見せるのか理解出来ない。


「カルイザムで魔法使いを確保したとして、魔王の居場所は掴めているのか?」

「解りやすく国でも作ってくれていれば良かったんだがな。残念ながら掴めていない。だが見つけ出す事自体はそう苦労する事は無いだろう」


 二人は少女を置いて二人で話している。そもそも魔王とは何かさえも解っていない少女は話を聞こうにも理解出来ない。


「ねぇ」


 だから仕方なく口を開いた。勇者が戦士と話している間は声を掛けづらく思っていたようだが、流石に旅の目的は明確にしないといけないと思ったのだろう。


「どうした?」

「魔王って、何?」

「あぁ、そうか。知らないのか。魔王というのは、ヒトを種族関係無く絶滅させようと企む絶対悪だ」

「えっと、じゃあもう攻撃とかされてるの?」

「現状はまだその脅威は発揮されていない。これを幸と取れる内に、討滅しておく必要がある。何かされてからでは遅いんだ」

「居るのは確認されてるってこと?」

「勇者とは魔王を討滅する為の安全装置カウンターの様なモノだ。だから魔王が存在しなければ、俺という存在はあり得ない。そして、俺達が勇者という証はこの印にある。これは魔王が俺達を敵であると認めた証でもある。どういう仕組みかは不明だが、勇者と戦士、そして魔法使いの三つを印として役割を相応しきヒトに与える事で、魔王という機能が拡張される。つまり俺達二人は魔王に認められているという事になる」

「ごめん、やっぱりよく分かんない」

「すまない、俺がもっと上手く説明出来れば良いんだが、どうにも俺の知識にも偏りがあるらしい。戦士は詳しいか?」

「…………そうだな、オレが知っているのは、勇者やオレと似たような奴のはずだという事のみだ。オレ達が魔王に認められたという理由で戦士と勇者なのであれば、アレは一体何に選ばれたというのか。一切が不明だ。星や異界の意思の可能性、ヒトがそうあるべきであると願った幻影。逆に、ヒトを絶滅させるという目的だけがはっきりしているのが不気味な程、何もかも不明だ」

「…………うーん。ほんとにわかんない。なんか、行動する意味がボクには解らないんだけど。選ばれたから魔王を倒すって、なんで?」

「…………オレは剣に誓った」

「俺は、国に誓った」


 だから、必ず倒さなければいけない。と二人して言う。少女にとって全く意味の解らない言葉だった。国に誓った、剣に誓った。だからって人生捨てて魔王倒すってどういう事? 旅に着いて行くって言った時、あれだけ言っていたのに、その本人があやふやな理由だけで旅を続けているのは本当に意味が解らない。

 彼らは確実に何か大切な事を隠している。


 少女の中で不信感が募っていく。


「(目的があやふやで手段もあやふや。何がしたいんだこのヒト達。魔王を倒すというのは、確かに目的としてはっきりしているけれど、攻撃された事も無ければ、存在も確証している訳じゃない。それに印が魔王に勇者や戦士として選ばれた証って、訳が分からない)」


 少女は頭を悩ませ続ける。


「(本当はもっと早く訊くべき事だったのかな。そもそも勇者以外の印とかそんな話ちゃんとされてこなかった。だって言ってた事って一番強い魔法使いって事だけ。印がどうとか言ってた? 言ってないよね?

 確かに、お前は選ばれてないって言ってたから、他に選ばれたヒトが居るかもしれないって可能性はあったけど、解るかそんなもん)」


 大きく溜息を吐く。少女はそれでもなんとか、彼らの行動理念を理解しようとして、凡その推論を立てた。

 二人は魔王の正体について知っている。ヒトを絶滅させるという魔王の明確な目的は、魔王だからではなく、魔王になった者の個人的な願いであり、魔王という機能によるモノではないと考え、ならばそれを知っている二人は、その正体に心当たりがある、と。

 推測というより妄想だ。訊いても答えてくれないのであれば、仕方ない。

 二人の得体は余計に知れなくなってしまったが、勇者の後ろの亡霊を視れば今更だったと納得出来る。


 彼女は大きく息を吐く。思えば、勇者は着いて来てほしくない素振りを続けていた。無理に着いて来てしまった少女に明かせる事なんて何もないのだろう。旅に着いて来ただけの部外者を、まだ引き返せる状態で留めている。

 それは勇者としての優しさか、それともただの無責任か。ともかく、彼女がまだ少女のままであるならば、彼らはこのまま彼女一人を置いて先へと会話を進めていくだろう。


「魔王を倒して、魔法を無くして、それでその先はどうするの?」

「それで俺は終わりだ。その先に道はない」

「むせきにん」

「視えているのなら解るだろう? 俺は責務を果たす為だけの器だ。それを終えてしまえば俺は消失する。だから魔法を根絶した後、どんな世界になるかさえも俺には解らない」

「魔王がめちゃくちゃ悪いやつっていうならさ、勇者も似ているね」

「……そうかもしれない。確かにこの世に魔法が溢れて以来、ヒトは著しい発展を遂げた。だがそれは、間違った発展だ。間違った幸福だ。アグレシオンに収められし十三の武装。その欠落によって起きた大感染パンデミック。あらゆる魔法事象の責は俺達にある。勇者として、間違った選択かもしれない。あくまで俺は魔王を倒す為の存在だ。個人の感傷は許されない。それでも俺たちは、間違った世界を正さなければならない」


 その曲がる事の無いであろう意思はどこから来るのだろう。国に誓ったと彼は言った。国とは、そこまでの意思を与える程に偉大なモノなのだろうか。

 少女は村に誓えるだろうか。それだけの覚悟と意思を。名前を捨ててまで進み続けた彼らの様に。

 ──────考えるまでもない。


「…………そんなの無理だよ」


 彼はその言葉を聞いて、まるで微笑んだような顔をする。ヒトの真似をしようとして失敗している。笑顔なんてした事無い癖に、その微笑みは一体何のつもりなのだ。


「理解を求めている訳じゃない。ただのエゴだ。魔王と似ているって言われても仕方ない。だから、この意思は死んでも曲げられなかったんだ」


 その言葉に、少女は何も返せない。村の中で生きて来た彼女にとって、彼は唯一、話が出来るヒトだ。けれど、あぁ、言葉を選ばずに言うのなら、こんなイカれた頭をしている奴に拾われたのは不幸だったのかもしれない。

 魔王によって選ばれるだけの特異性があって、事実魔法を無くすと宣った。今を生きるヒトが吐く言葉じゃない。生きては、いないようだが。

 それでも彼が発した言葉は、到底勇者が放つ言葉じゃない。魔法は生活の基盤になりつつある。少女が暮らしていた村は特殊なモノだったが、しかし、ブルーキャピタルでは当たり前に魔法が使われていた。魔法と科学の融合、架学で発展した国。そんな世の中から魔法を無くす? 事情は知らないが、それは明確な悪で、絶対悪だろう。


「……………………ボクはたぶんずっと解らないよ」

「それで良い。お前はまだ戻れる」







 カルイザムは魔道国家という名称に恥じない荘厳な国だった。デグルとは違い、架学をあまり取り入れていないが、その代わり、純粋な魔法を扱い国のインフラストラクチャーを整えている。

 例えば魔力を送る事で水を生成する魔石や、岩で作られた板が階段として空中に並べられていたり、あくまで魔法がメインであり、架学はその補助という扱い……だろうか。

 とにかく、彼らが訪れたカルイザムの王都、アルタイルブリングスは魔道国家と呼ばれるに相応しい様相であった。


「やっと着いた………………」


 疲れ切った少女が大きく溜息を吐く。魔法によって作り出される不思議な光景より、疲労の方が大きくてリアクションを取る元気もない。


「宿を取りに行くが……流石に男二人女一人で同じ部屋って訳にはいかないと思うんだが、お前一人で平気か?」

「だいじょーぶでしょ。ブルーキャピタルと同じだよね」

「基本は同じのはずだ。細かな設備は変わっているだろうが、ブルーキャピタルの時と同じように過ごせば問題無い」

「うん。ならほんとにだいじょーぶ。はやくやすみたい……」

「同意見だ。オレも流石に疲労を感じてる。今日はゆっくり休みたい」

「そうだな。宿は……どっちの方向だろうか。ちょっと待っていてくれ」


 勇者は戦士に少女を預け、一人道を聞きに行ってしまった。少女は置いて行かれた事に不安を抱きながら、戦士と少し距離を取る。


「……まだ、怖いか?」

「………………勇者は、幽霊だった。けど、君は、違う。生きてるヒトでも、死んでるヒトでも無い。だから、怖い」

「良く視える眼だな。そうか、だからオレは怖がられているんだな。………………そうだな、話せる範囲で伝えるならば、オレはアグレシオンの騎士なんだ」

「あぐれしおん……。勇者も言ってた。なに?」

「国の名前だよ。オレはその国の騎士だった。けれどある日オレ達は選択を間違え、遥か時を進みながら、贖罪の方法を探し続けた。そしたらこんなんになっちまった」

「……いつか帰れると良いね」

「そうだな」


 少しだけ戦士の事を知って、それでもやはり得体が知れなかった。少女にとってアグレシオンという言葉は聞き馴染みのない言葉だし、勇者に教えて貰った国の中に、アグレシオンなんて国は無かった。

 その国の騎士だと言われてもピンと来ない。


「待たせた。場所が解ったから向かおう」


 戻ってきた彼に連れられ、大通りを進む。


「ヒトが多いな」

「時間帯も丁度昼時だからな。出掛けるヒトも多いだろう。王都というのもあるし、ここらは魔法大学が近いらしい」

「魔法を学ぶ、か。一時期オレも魔法を手にするために勉学に励んだっけな」

「なんだ、お前も魔法に憧れていたクチか?」

「あの時代は誰だって憧れていただろうよ。まぁ、魔法を気に食わない奴も居たんだけどな」

「そうだろうな」


 二人は雑談を交わしながら歩き、少女はその後ろをきょろきょろと見回しながら着いて行く。


 暫く大通りを進んでいくと、奥の方から何やらぞろぞろと歩いて来る集団があった。馬車も連れ、大通りのど真ん中を行進している。


「騎士団か?」

「先頭のは魔法使いのようだが、そうだろうな。しかし、強力な魔物でも出たのだろうか」


 騎士団、魔導士団も含め勢揃い。パレードでも開くつもりかと疑うくらいの軍勢だ。しかし、今日は何の記念でも無い。だとしたら魔物か何か出たのだろう。騎士が出る程強力な魔物が。


「明日、喫茶ギルドに顔を出すとしよう」

「気になるのか?」

「嫌な予感がする」

「そうか。そりゃ確かめるしかないな」


 彼らは少女を置いてまた二人で話を進めている。きっと少女の事は置いていくつもりだろう。それは仕方ない。結局部外者である事に変わりない。


 勇者からすれば、強力な魔物とあれば出張るしかないのだろう。魔王を討滅するという責務を背負い、戦うのが勇者であるが、その前提として彼はあらゆるヒトの窮地に駆け付けなければならない。勇者とはそういうモノだからだ。


「ここだ」


 宿に着き、三人は部屋を取る。勇者と戦士は同室。少女だけ別室だ。彼女は貸し与えられた部屋の扉を開けて、少しだけ感嘆の声を漏らした。今までは二人部屋で、勇者の荷物もかなり多く狭く感じていた為、以前借りていた宿より今の方が広く感じるのだ。

 というか、一人部屋というのは人生初である。空いた馬小屋で夜を過ごした事はあるが、あんなのは部屋とは呼べないし、初めてという事で良いだろう。


 杖を降ろし、着の身そのままベッドにダイブする。


「むふーっ」


 枕に顔を押し付け思いっきり息を吐く。彼女にとってふかふかは幸せなのだ。キャリッジでの移動の間は味わえないモノだし、なんだかんだ言ってブルーキャピタルで過ごした日々よりもキャリッジで過ごした日々の方が長い。なんだか不思議な感覚。


 もう三か月も前の事になるのだ。


 ヒトを殺し、村から息も絶え絶えになりながら逃げだした。けれど、彼女は既にその事をもう頭のどこかへと追いやって、無かった事にしてしまっている。ヒトを殺した事も、村に住んでいた事も、大切な両親の事も、全部全部無かった事だ。そう、夢のようなモノで、現実じゃない。

 そうじゃないと、こんな生活を幸福だと思ってしまうのは、彼らに対しての裏切りだ。

 きっと既にあの村は魔物によって滅ぼされているだろう。捨て身覚悟の防衛を彼女の治癒魔法でどうにか繋いでいただけに過ぎない。それが無くなった今、彼らには手段がない。


「──────────」


 彼女は、もう覚えていない。今を楽しいと、幸福だと比べてしまったから。彼女は二度とあの村には戻れない。


「はぁ」


 今度は小さく息を吐いた。そのまま彼女は目を瞑って、疲れた身体を癒す為に眠り始めた。服に皺が着いてしまうが、まぁそういう日があっても良いだろう。旅なんて初めての経験だ。キャリッジに乗っての移動だから、まだマシだったとは言え、もしも彼らに着いて行こうとするのなら、徒歩での移動も増えるだろう。今の内に英気を養っておかなければ。


「……すぅ……すぅ……」


 とものの数秒で彼女は眠りに着いた。規則正しい寝息が小さく部屋に響く。木造と石造の混じった不思議な構造をした宿の中、彼女はようやく安心して休めるのだ。


 それを見下ろすモノがあった。勇者に憑く亡霊たちだ。彼らは彼女をそっと見守っている。すぐにベッドに突っ伏してしまった為、バレてはいないだろう。

 彼女の眼は特殊なモノだ。魔眼と言えば聞こえは良いだろうか。その効果はエーテルに刻み付けられた記憶の残滓を読み取るモノ。魂はエーテルであり、記憶もまた魂に刻まれる。そうして死んでいった魂の記憶は星のエーテルに還れず現世に残ってしまう事がある。それが、俗にいう亡霊だ。

 そして、視えるだけであれば珍しくはあるが、魔眼でなくとも良い。彼女の場合は、その強度。亡霊の声さえも聞こえ、そして届ける事も出来る。だがそこじゃない。彼女の真髄はそこではなく、彼女が持つ一番の力は、その記憶、その意思を星に還せるというモノ。平たく言えば成仏させるということ。


 だが、そんな彼女でも、勇者に憑いた亡霊は視る事しか出来ない。盗賊に襲われ殺された村人たちもその全てを彼女は視た。視て、見送った。助けられなかったヒト達をその眼でしかと見た。

 だから余計に解ってしまう。この亡霊たちは異常だ。そもそも個人に百を超える数が憑いている時点であり得ないが、その一体ずつの存在強度があまりに濃い。エーテルに残った記憶や意思などではなく、魂そのものに視える。


 勇者が指示でもしたのだろう、彼ら亡霊はじっと見守るだけで微動だにしない。その姿形はぼやけているがそれら全てが統率の取れた動きをしていた。勇者の剣戟、技のほぼ全てに亡霊が関わっている。

 まるで騎士団の様な統率の取れた動き。それぞれがそれぞれの役割を完璧に真っ当する、その従順さ。そこらの亡霊では成せない統率だ。


 そもそも亡霊を使役する時点で到底信じられない。あれが魂そのものだというのなら猶更だ。


 少女が寝返りを打つと、亡霊は少し警戒した様な様相を見せる。彼女が少し腕を動かしただけで、見守る亡霊たちが慌てふためいている。なんだこいつら。


 少女が目を覚ましたら気付かれてしまうだろうに、ご苦労なことだ。


 規則正しい寝息が続く。亡霊たちは完全に寝静まったのを確認して安心したのか、数体を残して退散した。

 そうして、彼女は昼過ぎからたっぷり朝まで眠ったのだった。





 喫茶ギルド。単純明快に説明するならば冒険者が集う集会所だ。喫茶というのは、そのままの意味で大抵の場合ギルドは喫茶と併設されているため、混同して呼ばれている。喫茶が併設されているというのは、別れの場であるからだ。最後の憩いとして彼らは食事を共にし、依頼へと発つ。冒険者とは命のやり取りを延々と続ける職業。それ故に、死はいつだって隣で微笑んでいる。勇者や戦士、少女の様に旅をする者にも言える事だが、積極的に魔物と関わろうとする彼らとでは生存率はかなり変わって来る。いつだって別れの挨拶は済ませてあるのだ。


 しかし、わざわざ勇者がギルドに足を運び、情報を集めるというのは、やけに慎重に思える。確かに印を見た事がなければ勇者とはバレないだろうが、彼の顔に着いた印は誤魔化しようがない。実際、その印を見て、何人かが訝しんでいる。


「すまない。俺達は昨日アルタイルブリングスに辿り着いた旅人なのだが、丁度宿に向かう際、騎士団を見かけてな、何か近くに強力な魔物でも現れたのか?」

「あ? あぁ、なんだタイミングが悪い奴だな。そう、デカイのが出た。下手をすれば都市丸ごとぶっ潰す様なやばい奴だ。確か、グローヴメイデンって魔物だ。その所為で俺達冒険者は待ちぼうけさ。あまりに危険だからな」

「そうなのか……。道中そんな気配は無かったのだが、目を覚ましたという事だろうか」

「恐らくそうだろう。山を背負ったような奴だ、魔物を探知出来るような魔法を持つ奴が居なきゃ、眠っている間にゃ見つからないだろうよ。山と見間違えて登っちまう事もあるくらいだからな。眠っている間は動かねぇのさ」


 冒険者は案外簡単に情報を譲渡してくれた。彼らにとって情報は生命線。安くはないはずだが、まぁこんな事街を歩けば手に入るモノだ。勇者達が周囲に訊いてみようとせず、最初から喫茶で聞き込みをしようと決めていただけで、歩いているヒトに聞けば解る事だった。例えば宿の主人とか。

 まぁ、それは良い。過ぎた事だ。問題は、


「そんなに危険なら騎士団が負けた事の事は考えないのか? 全員落ち着いているが」

「まぁ……本当は逃げるべきなんだろうが、俺達には騎士団長様が居るからな。あのヒトならなんとかしてくれるだろう」

「…………騎士団ではなく騎士団長への信頼か。そこまで言わしめるヒトなら、一度会ってみたいな」

「そうだな、会いたいってだけならグローヴメイデンの討伐が終わったと連絡があった後、湖畔へ行くと叶うかもしれないぞ」

「湖畔? 何故だ?」

「仕事終わりはそこで休んでる事が多いってだけさ。まぁ話しかけるのは止した方が良いかもしれないがな」

「そうか。情報感謝する」


 勇者はそうして冒険者の一人に軽く手を振って別れを告げると、戦士の元へと戻る。


「依頼は受けられないようだ。騎士団からの要請で、現在城壁の外にグローヴメイデンが出現し討伐中。その為、冒険者に対する依頼は停止中らしい。冒険者にとっちゃ迷惑な話だが、文句を言ってないのはどうしてだろうな?」

「それも聞けよ」

「知る必要はないと思って聞かなかった。大抵の予想は付く。依頼を受けられないのであれば、先に王へとご挨拶に伺おう」

「そうだな。勇者が居るのならオレも顔を出すべきか。王であればこの国に印を持つ魔法使いが居るかどうかも知っているかもしれない。けれど、謁見出来るのか? 印を持つとはいえ一般人だぞ、オレ達」

「王族であれば、伝承されていると思うが……。デグルでは無事に伺えた。非公式という形ではあるが、勇者というモノが存在するという事は知っていた様だぞ?」


 魔王の出現は、どの国も予見していた。それを勇者が現れた事によって確信するという一連の流れを繰り返していた。だが、どの国もそういう訳じゃないはずだ。


「……行くか。思う事はあるが、やってみないと解らない。オレ達はこの国出身じゃないが、礼儀を慮り、作法を弁えれば首を叩き切られる事は無いだろう」


 そうして、凡そ騎士だったとは思えない適当さ加減で、彼らは王城へと足を運ぶ。長く生きると適当になっていけない。今一度自分の行動を鑑みて欲しいものだ。


 彼らはその足で王城へと赴く。カルイザムの王は、冷酷な方だ。その噂は他の国でも耳にする程。だが無慈悲という訳ではない。冷酷ではあるが、民を第一に考え、王族は民の見本たれ、と魔法を極めんとする。現在のインフラストラクチャーの整備は彼の王によるモノ。

 彼の王の冷酷という評価は、功績というよりも、その性格故だ。指示に従わない者は首を断つというそんな暴虐無人な一面もあるという訳でもない。

 王族特融のその重圧や、言葉遣いから来るモノ。そして誰もその笑みを見た事が無いという事。色々な事が合わさって冷酷であると評価された。

 決して他国だけの評価だけでなく、カルイザムの民ですらそう言う。だが、恐ろしいとは決して謂わない。


 巨大な門の前に立つと、衛兵が彼らへと寄る。


「何用だ」

「印を掲げ、魔王を討滅せんと奮起する者です。どうか王との謁見を」

「…………印、その顔のモノか?」

「はい」

「しばし待て。おい」


 衛兵はもう一人に合図を送ると、送られた方の兵士は敬礼を行い、すぐに門の中へと走って行った。


「歓迎しようと言いたい所だが、その真偽を確かめる必要がある」

「証明する為であれば何なりと。こちらの者も印を掲げた者です。真であると証明するには、我々は何をすれば良いでしょう?」

「何、難しい事じゃない。すまないが、武器を預かっても?」

「勿論。重いですのでお気をつけて」


 二人は衛兵に剣を預ける。にしても、良く戦士の剣を簡単に持ち上げられるモノだ。さてはかなりの手練れだろう。衛兵に着いているのだから当たり前か。しかし、騎士団は現在出払っているはず。実力者を残した状態でも、グローヴメイデンを討伐出来ると踏んだという事か。


「勇者の出現は、我が王も予見されている。ちと厄介は話になるやもしれんが、失礼な態度は取らぬようにな」

「心得ています。寧ろ、突然の訪問に門前払いされると思っていました」

「突然なのは仕方ないだろう。お前達に王族へのツテがあるとは思えん」


 王が勇者という存在を認知しているというのであれば、謁見はきっと叶うだろう。彼らにとってはありがたい話だ。ややこしい話を順序立てて説明する必要が無い。


 彼らが何故王に謁見するのか、魔王を討伐した際、どこかの国に勇者達が属しているとあった場合、その功績は勇者と、その属した国のものになる。それはあってはならない事だ。その時点で、政治的優位性をその国に与える事になってしまう。世界を救った国であると、政治の場での発言も自ずと大きくなるだろう。

 勇者としてはそれは勘弁願いたい。彼曰く、魔王を討滅すれば消失するとの事だし、余計にこじれた話になってしまうのを嫌っているのだろう。

 だから彼らは名前を名乗らないし、掲げた印の役割を名前として扱う。勇者と戦士、そして魔法使い。彼らが掲げた覚悟とはそういうものだ。


「良し、通って良いぞ。このまま真っ直ぐ行った扉の先が謁見の間だ。くれぐれも失礼のない様に」


 彼らは互いに敬礼を行い、勇者達は王城の中へと進む。


 王への謁見というのは何度か経験がある。デグルでも少々事情があり非公式な場として謁見し、その声を謹聴した。けれど慣れる事の無いこの感覚、緊張が彼らを包む。

 どのような王か、彼らは知らない。ただ冷酷であるという。だから彼らは最大限の注意と敬意を払い、謁見の間の扉を開いた。






 少女は、気分転換に外に出ていた。沢山寝て、疲れもすっかりと取れたのだろう、顔色はとても良い。ただ、彼女に見つからない様に着いてきている亡霊が一人居た。あれからずっと見守っているのだろうか。全く、物好きなものだ。


 彼女は行く宛てもなくただぶらぶらと歩いている。こういう時何をすれば良いか解らないから、ただ歩きながら景色を見渡していた。

 デグルは架学で発展した国だったが、ここは魔法で発展した国。景色もかなり違っている。そもそも建築様式が……いや、こういうのはどうでも良い。ともかく彼女は、宛ても無く大通りを歩き、気になったモノがあれば注視するくらいの気持ちのままぶらぶらしていた。


 そしていつしか横道に逸れ、きょろきょろと回りを見回す。大通りの遠くに視えていた王城も道を逸れた事で視界に収めづらくなった。道に迷わないと良いが……。


 暫く好き勝手に歩いて辿り着いたのは緑が茂る空間だった。真ん中には小さな泉があって、その周りを囲う様に木が生え、ベンチなどの小休憩が出来るようなモノが置かれている。木々の太い枝に結ばれた、ハンモックの様なモノもある。

 所謂湖畔だが、ほぼ全ての施設が魔法によって成り立っているこの都市で緑の空間というのは少し異色に見える。

 自然を大切にしようとかそういう思想でもあるのだろうか。


 見れば、何人か子供達が駆けまわっている。良い遊び場になっているのだろう、泉もそこまで深くないようで、整備されているのだろう、子供がその中に入っても止めようとする大人は居ない。

 彼女は、なんだか懐かしくなって周囲を見渡しながら、大きく深呼吸した。暫くここに居よう。そう決めて、彼女は近くにあったベンチに座った。


 何かを考える事もせず、ただぼぅっと泉を眺める。小さな湖畔だけど、やっぱり自然の匂いが濃くて、彼女からすればとても落ち着く環境だ。故郷に似ているから。


 彼女について来た亡霊は、自分がバレていないと思っているのか、隣に腰掛ける様に移動した。少女の眼も、視えるだけで現状は感知出来る訳ではない。いつか出来る様になるかもしれないが、今は視界に収めないと認識出来ない。だから亡霊は彼女の隣に座ったのだろう。

 だが、その亡霊も何をするでもなく、ただ少女と同じ様に風景を眺めているだけだ。


 この亡霊が一体何者かは解らないが、やはり勇者によって見守る様に指示されているのだろう。亡霊一体でもあの剣戟の光の一つと考えれば、確かに安心だ。


 少女は、少しだけうとうとし始める。たっぷり眠ったはずだが、やはり懐かしい匂いと、暖かな気候には睡魔はやって来る。


 そうして暫く、うとうとしながら、いやいや外で眠る訳にはっ、と耐えていると後ろから声を掛けられた。


「やぁ、隣、良い?」


 と簡潔に。亡霊は驚いて立ち上がり、ふわふわと浮かび上がり、声を掛けて来たヒトを見た。少女も驚いて振り返る。


 黒い少女だった。服が黒一色で統一された少女が、彼女の斜め後ろに立っていた。ワンピースにケープコートを羽織り、ブローチで留めている。黒いニーソックスを履いて、機能上何の意味も無いだろうガーターベルトを太腿に付けた黒い少女が、微笑みかけている。頭にはとんがり帽子を被って、その様相はまるで魔法使いだった。

 恐らく同年代だろう。

 正直、綺麗な子だと思った。殆ど肌は隠れているが、見える部分の肌は白く、きめ細やかな肌をしていて、黒い髪も艶がある。顔も整っているし、何より、眼が凛としている。


「……えっと」

「ここ、私のお気に入りなんだ」


 流石の少女も、とても困惑してしまった。お気に入りだからと言って、ヒトが座っている所に声を掛けるだろうか。他人だぞ?


「ここじゃないと落ち着かなくてさ。良い?」

「え、うん……はい」


 しどろもどろになりながら少しズレてスペースを作ると、そこに黒い少女が座った。


「ありがと」


 彼女は、短く礼を言うと、大きく深呼吸した。落ち着くぅ~、と、伸びを加える。


「えっと……その」

「見ない顔だね、アルタイルブリングスのヒトじゃないね?」

「…………………………」


 このヒトは何者なのだろう。魔法使いだろうという予想は立てられるが、それは何者であるかの証明にはならない。

 お気に入りの席を誰かが使っているからと言って隣良い? と聞いて座って来るような変なヒト。他にもベンチは空いているというのに、だ。

 それに、やけに距離が近い。普通、端に寄せたのだから、反対の端に座るのが普通だろう。なのに彼女は開けたスペースのど真ん中に腰を下ろした。

 その時点で、なんだこのヒト? と訝し始めていた。


 更には、ベンチの前を通りすぎていくヒトビトの視線が少し変だ。見知らぬ白い少女が居るからではなく、その視線は全て黒い少女へと向かい、そして少し会釈するような素振りを見せる。彼女はそれに応える様に手を軽く振っている。

 一体何者だ?


「旅? してる?」

「なんで疑問形?」

「君は?」

「私はアルタイルブリングスの住民だよ。生まれてこの方ここにしか住んでない」

「…………」


 少女は聞いた癖に何も答えれずに居た。純粋に何を喋れば良いのか解らないのだ。村に居た同年代の子は全員攫われた。今はもう生きているかも分からない。それも随分前だ。だから、同年代の子と話すって、どうすれば良いか解らなくなってしまった。


「キミは魔法使いなのかな」


 黒い少女は杖を見ながら、そう問う。確かに杖を持っているのだからそう思われても仕方ない。けれど、どうだろう。そう呼べるのだろうか。


「い、一応?」

「そか。一応か。デグルの有名な杖技師の作品か。治癒系の魔法への補助がかなり手厚い。良い杖だね」

「見て解るの?」

「私も魔法使いだからね。杖を握る機会は多いから、目利きだけは出来るようになったんだ。あまり役立たないけどね」

「そうなんだ。でも、ボクはたぶん、魔法使いって呼ばれるのは違うと思う」

「どうして? こんなに立派な杖を持っているし、魔力量も十分だと思うけれど」


 相手が女の子だからだろうか、とても話しやすい。そういえば、村を出てから男としか話した事が無い。

 なんだか安心する。黒い少女が纏う雰囲気が柔いというのもあるだろうが、やはり彼女の心の病は、男が原因の大半を占めている為、男に対し苦手意識を持ってしまっているのだろう。女性と話すのは、少しだけだけど初対面であってもリラックスできる。

 それに、彼女がとても柔らかい話し方をしてくれているからだろう。なんだか落ち着く声をしている。優しいけれど、芯のある声……というのだろうか。恐らく声を張る事が多いんじゃないだろうか。とても綺麗な声だ。


「ボクは、治癒魔法しか使えないんだ」

「治癒魔法だけ?」

「うん」

「………………治癒だけ、か。うーん……」

「そんなに、変?」


 黒い少女はその問いに唸り続ける。言葉を選ぼうとしているのか、少しだけ口をもごもごさせている風に見える。そうして彼女は、


「あのね、それはあり得ないんだよ」


 選びに選び抜いた結果彼女は、あり得ない、と言い切った。


「あまり、難しい話はしたくないから、簡潔に伝えると、魔法はつまり意思の力だ。こういう魔法を使いたい、こういう状況を作りたいって意思。ここに、魔力による制限や、世界からの抑止力による魔法の収束事象が関わって来るんだけど、ともかく、キミは自分をそれしか出来ない奴だと思い込んでるって事」

「でも、ボクは実際に治癒魔法しか」

「キミはきっと、優しいんだろうね。誰かの傷を癒したいって根本の願いがキミの中で一本柱を作って、決して折れなくなってる。だから、キミは治癒魔法しか使えない。キミの心にはそれしかないんだ」

「……………………」


 そう。彼女にはそれしかない。治癒魔法に縋るしかなかったのだ。村人たちの傷を癒してあげたい。それは確かに少女が唯一掲げた願いだ。でもそれはきっと、優しさから来るモノじゃない。

 善悪の区別が無かった少女にとって、村人たちからの横柄な態度は全て自分の所為。自責に駆られるしかなかった。だから、唯一出来る治癒魔法で村人の役に立ち続けた。

 彼女はそうしないと、生きて行けなかった。あの村では盗賊に襲われて以降飢餓を凌ぐ術は少なかった。その中で何も出来ない少女が一人居てもきっと見捨てられる。

 生きていくには役に立つしかなかった。たまたま発現した治癒魔法という能力は、彼女にとっての生きる術となった。それしか、生きる術が無かったのだ。

 だから、それ以外は捨てた。


 自分を騙して生きて来たのだ。……良い事をする? 悪い事はダメ? 役に立てば皆が喜んでくれる? 違う。そんなのは彼女が心を護る為に作ったデタラメ。意味の無い言葉の羅列だ。

 彼女はずっと、縋っていたのだ。


「顔色が悪いね。何か嫌な事でも思い出させてしまったかな。だけどこれだけは言わせて、キミは治癒以外の魔法も使えるよ。攻撃は出来ずとも、その高い魔力量を以てすれば、キミはきっと凄い魔法使いになれる。私が保証するよ」


 彼女には知識がない。治癒だけしか知らない。だから治癒魔法に縋る。使えないんじゃない、使おうとしないのだ。彼女の性格上、攻撃魔法は使えないかもしれない。誰かを傷付けるのは、今だってずっと怖い。でもきっと他の道がある。


「使える様に、なりたい?」


 黒い少女の問いに、彼女は目を見開いた。もしも、治癒魔法以外を使えるのなら、勇者達は連れて行ってくれるだろうか。旅の仲間として迎え入れてくれるだろうか?

 生きる術を治癒魔法しか持ち合わせていない彼女が、もしも他の役に立つ魔法を手に入れたのなら、きっとそれを覚悟であると認めてくれるだろうか。


 解らない。だって少女は勇者の事も戦士の事もロクに知っちゃいない。話だけ聞いて知った様な口を聞いているだけだ。彼らの言葉を要約すれば、つまりは覚悟が足りないのだ。彼女にはそれが無いのだ。だから連れて行こうとしない。必ず後悔するから、と。故郷は捨てた。名前は明かさなかった。理由は、無い。どこにも。生きる為だなんて言えば、他にいくらでもあるだろう、と否定されてしまう。

 でも、それでも、


「ボクは、なりたい。使えるようになりたいっ!」


 例えそれが暗い道の始まりだったとしても、知らない場所で見放されて置いて行かれるより何千倍もマシだ。沢山使える様になれば、向こうから是非と言ってくれるかもしれない。覚悟なんて知るか、する必要なんてない。最初から残されていないんだから。


「解った。じゃあ、明日また夕方頃、ここにおいで。私が魔法の使い方を教えてあげる」


 初対面の少女に、彼女はどうしてか全幅の信頼を置いてしまった。


 あぁ、思えばこれが最初だった。少女にとっての星。少女にとっての唯一の使


 黒い服の少女は、にっと笑う。白い服の少女は、その笑顔に照れくさそうに眼を逸らした。







 謁見の間に通された二人は王のご尊顔をその眼に膝を着く。


「顔を上げよ。貴様らの活躍はの耳にも届いている。遠路はるばる良くぞ参った」


 何故だろう、顔を上げる事が出来ない。許しが出たというのに、二人は未だ顔を上げられない。

 重圧だ。まるで上から押さえつけられているかのような緊張感。その重く苦しい程の圧に、二人は顔を上げられないでいる。

 王という権力者との謁見は何度かおこなったが、ここまでの圧は初めてだ。大抵の権力者はその権力に見合う人格を持つ。彼の王もまた、その権力に見合うだけのカリスマを手にしているのだ。


 国を、民を引っ張って来た経験が重圧となって王を纏っている。それだけで二人は彼を良き王であると感じ取る。

 もしも、もしも我が王がこのようなお方であれば……と、考えてしまう程に。


「どうした、顔を上げよ。余が赦しているのだ、躊躇う事はない。顔を下げたままでは話も出来ぬだろう」


 王はひじ掛けを指でトントンと突き、少しの苛立ちを見せている。


「王よ、無礼を承知で伺います」


 勇者が重圧に打ち勝ち、顔を上げ、問う。


「この国に印を掲げた者は居りますか?」

「ほぅ、此度の来訪の目的はそれであったか」

「我々のみで魔王を討滅する事は不可能だと考えております。三人揃ってようやく魔王の討滅を成せる。選ばれた我々だからこそ、戦力の差は把握しているのです」

「良い。言わなくとも解る。ここは魔導の国。隣の大陸を含めないのであれば、条件を満たすであろう人材が多い国は他にあるまい。いや、隣の大陸にも負けるつもりはないのだがな。ともかく、候補はあるとだけ答えよう。だが、本人にその意思があるかどうかの確認をせねばならん。余は民に国を捨てよと申す訳にはいかぬのだ」

「その御心、私めも良く理解しています。貴方様は印を掲げてしまった者の末路をご存知なのですね」

「無論だ。だからこそ、余が民に伝える訳にはいかぬ。王ではなく、一人の同じヒトとしてそんな言葉を口にしてはならぬのだ」


 印を掲げた者は国を捨て、魔王の討滅に全てを捧ぐ事になる。それは長い旅になるかもしれないし、案外すんなりと結末を迎えてしまうのかもしれない。けれど、成した後、そうして訪れるのは孤独だ。

 王は、選択させるつもりなのだ。たった一言、行けと言うだけでその者の人生は決定される。王としては正しいのかもしれない。だが、それはヒトとしては間違った行動だ、と。

 ヒトには選択の自由がある。生まれによってある程度決まってしまうが、しかしそれでも決められた中でも何度も選択の時がやって来る。それを奪うというのはヒトならざる者が行う事。


 だというのに、民を導く王が国を捨てよ、と。勿論、そう口にする訳ではない。勇者と共に魔王を討滅せよ、と民に告げたとして、それは国を捨てよ、と同義なのだ。


 口に出来る訳がないだろう。護るべき民であるのなら猶更だ。


「ならば、我々に幾ばくかの間の滞在許可を。候補にあるという者の決断をこの耳で聞いてから、再び発ちましょう」

い。貴様達が理解ある者である事、深く感謝する。宿はこちらが用意しよう。余の我儘で滞在させるのだ。それくらいは都合しよう」

「しかし……」

「黙って受け取れば良い。余はこれでも貴様達には敬意を払うべきだと思っているのだ。国を捨て、恐らくは時代をも超えた旅人。本来であれば、膝を着き、頭を垂るは余の方だったのだ。権力の問題ではない。その覚悟と人生に敬意を、敬礼を。そして祝福を。貴様達の武運を祈っている」








 翌日、言われた通り夕方になると、少女は湖畔へと向かった。道は一度通った道と全く同じ場所を通れば迷わない。昨日帰る時は、結局あの黒い少女に道を教えてもらったのだ。けれどもう大丈夫。


 湖畔に着くと既に黒い少女はベンチに座って、杖の手入れをしていた。


「やぁ、来ないかもって思ってた。どう見ても怪しいし」

「皆、君を見ると軽く頭を下げるような所作をするよね。昨日も何人かしてた」

「良く見てるね。そうだね、私も出来る限り答える様にしてる」

「うん。手を振ったりしてた。だから大丈夫だって思った」

「そか。じゃあ始めよっか」

「うん」


 彼女は杖の手入れを丁度終わらせて、身体を少し少女へと向ける。


「キミは魔法の事をどれくらい理解してる?」

「…………よくわからない。急に使えるようになったから」

「急に? まぁそういう事もあるか。じゃあまずは基礎を覚えよっか」


 さて、と彼女は一呼吸置く。


「まず魔力。これは私達の体中に通っている魔力回路を使って全身を巡っている、不可逆性物質だ。あらゆる可能性を秘めながら、一度変化してしまえば元に戻る事はない。変質した魔力は魔法事象として私達の前にその性質を表す。例えば──」


 と、黒い少女がその手に炎を宿す。小さな球の様な炎がゆらゆらと揺らめきながら、しかし風に強く吹かれようと消える事が無い。


「こんな風に炎となった魔力は、炎から魔力に戻る事はない」


 彼女が炎を握り潰す様に手を閉じると炎はぼふっと消えてしまう。熱くないんだろうか。


「ヒトの魔法、初めて見た」

「初めて? ほんとに?」

「うん。嘘吐かない」

「そっか。そういう事もあるのか。……あるか? いや…………」

「ねぇ」

「あぁごめん。最初に断言しておくね」

「うん」

「私はキミに攻撃魔法は教えない。使えないモノを教えても意味無いからね。だから、私が教えるのは、旅をするにおいて役に立つ補助的な魔法。例えば、テレポートや、強化魔法、行動阻害、認識阻害といったものだね」

「そがい?」

「動けなくしたり、見つけられなくなったり。そういう魔法。旅は戦うのが目的じゃないからね」


 彼女は、旅をした事があるのだろうか。教えるという事は使えるという事のはず。攻撃魔法も、補助魔法も全て使えるのなら、彼女は相当な実力者のはず。……そんな奴がどうして魔法を教えてくれるのだろう。


「まずは魔法を識る事から始めよう。一つ一つ、理解するまで説明するから、根を上げない様にね」

「…………やめたくなってきた」


 黒い少女……そういえば名前を聞いていない。


「ねぇ、そういえば、名前、は?」

「あぁ、名乗って無かったね。私は──────」


 彼女が名乗ろうとすると、白い甲冑を着た大柄な男性が駆けよって来るのが見えた。彼女は、はぁと溜息を吐いて、


「何用だ」


 と厳格な態度で問う。


「ご報告を」

「……………………」


 彼女は白い少女と騎士を交互に見て、小さく舌打ちして、


「早急に済ませ」

「一つ、王都から南下地点に、赫灼狼ディアドバゼルが出現。冒険者の撤退を急いでいます」

「ディアドバゼル? 何故こんな所に……厄介だな、民に避難勧告を出せ。騎士並びに魔導士達に出撃準備もさせておけ。私も出る。それと……」


 彼女は迅速に指示を出しながら、ちらちらと少女を見ている。何か、気まずい様子だ。隠すつもりだったんだろう。


「承知しました。次に二つ目、王がお呼びです」

「……………………そう。ディアドバゼルの討滅後、顔を出す事にしよう。他に特筆事項は?」

昨日さくじつ、勇者が王に謁見をしたようです。恐らく王の呼び出しはその事でしょう」

「そうか」


 彼女は、小さく息を吐いて、先に戻っていろ、私もすぐに戻る。と伝えると騎士は敬礼し、すぐに駆けて行った。


「ごめんね。仕事の時間だ。魔法の事はまた明日」

「う、うん」


 状況をまだ飲み込めていない少女は、首を傾げる。


「恥ずかしい所を見せたね。今の事は出来れば忘れて欲しいな」

「が、がんばる」

「ごめんね」


 彼女はそう言って、杖をこつんっと突くと姿を消してしまった。

 テレポート、したのだろう。そんなに簡単な魔法ではないはずだが。


 やる事を無くしてしまった彼女は仕方なく帰路に着いた。


 そうして宿に戻る途中、勇者達に偶然出くわした。彼らは昨日から宿を別にしている。王による厚意で用意された宿に泊まっているのだ。

 残念ながら少女の分は無い。


「どこか行くの?」

「王からの指令でな、力を見せて欲しいとの事で、王都から南に出た──」

「ディアドバゼル?」

「その通りだが、なんで知ってるんだ? オレ達もさっき聞いたんだが」

「………………ボクも行きたい」

「ダメだ」

「治癒は出来る」

「ダメだ」

「……お願い」

「どうしてだ? お前に戦う理由はないだろう」


 勇者に問われて、そうだけど……と彼女は俯いてしまう。


「でも、行きたい」

「……………………行ってどうする。治癒が使えるからと言って、戦闘の基本も無いお前を連れて行く方がリスクが大きい。相手はディアドバゼルだ、死ぬぞ」

「死なない」

「いやダメだ。危険すぎるし、理由がない。戦う理由がない奴を連れて行っても死ぬだけだ。そもそもこれは俺達に課されたモノだ。お前を連れて行くわけにはいかない」

「でもっ、お願い。きっとボクはそれで決断出来るから」

「ディアドバゼルをお前は知らないだろう」

「………………魔物」

「どんな魔物だ?」

「……………………………………」

「知らないだろ? 相手は下手をすれば都市を壊滅させる程の魔物だ。そこに素人を連れて行くわけにもいかないだろ」


 騎士団も居る。一片の隙も無い程、彼女には理由がない。何故、行きたいと口にしたのだろう。ディアドバゼルに何があるというのだ。いや、ディアドバゼルではなく、あの騎士団長にあるのだろう。


 相手は何者かを開示した。騎士団長という立場を示した事は不服ではあったようだが……だというのに、少女はまだ名乗ってすらいない。旅をしているというのも曖昧な答えだった。


 どうして魔法を教えてくれようとするのか。

 どうして初めて会ったのにフランクに話し掛けてきたのか。

 魔法の事とか、彼女自身の事とか、もっと知りたい。


 それでも、これらは戦う理由にはなり得ない。命を張る理由にならない。


 それが普通のヒトの感性だ。たったそれだけの理由でヒトは命を張る理由にはしないし、懇願しない。

 だが、


「……お願い」


 彼女にとってはそれだけで理由になる。生きる意味を抱えない彼女にとって、行き当たりばったりが唯一の生きる術だ。彼女は幸福を知ったし、他の生きる術も、きっと見つけられるだけの器量はある。

 でも、本人に意思がない。このまま勇者がこの国に置いていくというのなら、彼女は生きる事を辞めるだろう。意味を、持ちえない彼女にとって、空虚で無駄な時間でしかない。


 ヒトを殺した。赤い血が彼女の頬と服にべったりと着いた。そうして村を出て勇者と出逢って、村の事を忘れようとした。色々な理由を付けて、生きなければって思った。そうしないと本当に死んでしまうから。

 でも、それもいつか限界が来る。


 ──────────見つけられなかった。


 探せど探せど、彼女が生きる意味を見出せなかった。馬車の中から見た景色はとても壮大で、綺麗で、目を奪われたけれど、別にそれだってどうでも良い事だ。


 だというのに、行きたい、と。連れて行ってとお願いしている。それは彼女が初めて見せた意思。


 あの村を出て初めて女性と話し、魔法を教えてくれると言った。そんなヒトが今ディアドバゼルという少女にとっては未知の恐怖と戦おうとしている。

 なら、行かなければいけない。当然これも、確かな理由という訳じゃない。だからどうした、と言われてしまえばそれまでだ。理由としては薄すぎる。


 だから、何度もお願いを繰り返した。どう言葉にしていいか解らず、どうしたら許可してくれるかも分からない。ひたすら勇者に縋る様に続ける。


「連れてって」


 その声に、勇者は大きく溜息を吐く。


「お前がここまで強情にモノを言うのは初めての事だ。だが、それを叶えてあげることは……」

「別に良いんじゃないか? 今回はオレと勇者だけの依頼って訳じゃない。騎士や魔導士も居る。例え相手がディアドバゼルであっても、命を落とす事はないだろ」

「だが、危険な事に変わりないだろう」

「ここまで連れて来た時点で危険だって言い訳は通らないだろ? 魔物と遭遇する可能性があるルートを選んだ時点で、お前にはその言い訳は使えない。それに、お前も言った様に初めての我儘だ。一度くらい付き合ってやるのが男だろ」

「…………………………解った。いや、納得はしていない。今も連れて行くのは反対だ。ただの少女を魔物との戦闘へ連れ行くのはリスクが大きいのも変わらない。戦う理由がないに等しいのも、お前が死ぬかもしれないという事も、何も変わらない。それでも、どういう由来かは知らんが、その意思の強さだけは評価しよう」


 勇者からすれば、意味が解らない状況だ。何故かディアドバゼルの襲来を知り、そして着いて行きたいと言う。彼に縋って生きているような状況の彼女が、何故かいきなり、ヒトと同じように意思を持って訴えたのだ。

 混乱するだろう。余計に連れて行くべきではないと判断するだろう。

 けれど、勇者として、ヒトの意思を無理に捻じ曲げるべきモノではない。


「……良いの?」

「二度は言わない」

「じゃあ、行くぞ。騎士達を待たせるわけにもいかない」


 そうして彼らは少女を連れ、城壁へと向かった。











 赫灼狼ディアドバゼルとは、でけぇ狼である。




 






 赫灼かくしゃくとはつまり、炎。本来輝きを意味する言葉だが、太陽の様な輝きを放つモノとしてそう呼ばれている。

 一つの都市をその炎で焼き尽くす、巨大な狼。如何に優秀な騎士、魔導士といえど、その炎を前にしては意味がない。近づく事すらままならないのだ。あれは本来やり過ごすのが最適。

 出逢ったのなら、終わりである。それが王都の南下地点に出現した?

 ──────あり得ない。


 ディアドバゼルは姿を現す事自体が稀だ。生きている中でもし遭遇する事があったのなら、その人生には価値があったと言えるだろう。


 それでも尚、あの騎士団長の少女は厄介だな、とだけ言った。厄介程度で済むものか。都市一つ、下手すれば国だって滅ぶ。ドラゴンと同列に語られる化け物だ。

 虚勢だと思いたいが、あの様子を見るに、きっと本当に厄介程度に思っているのだろう。


 この国の騎士団はそれ程優秀なのか。それともあの騎士団長が常識を知らないのか。

 ディアドバゼルの名を聞いて、冷静というのも納得しがたい。百歩譲って、倒せるだけの力があるとしても、かなりの犠牲を払うはずだ。

 ただの面倒事で片付けるにはあまりに敵が強大だ。


「……良いか、お前は絶対に前に出るな。出たら死ぬからな」

「解ってる」

「なら良い。大丈夫。俺は勇者だ、絶対にお前を巻き込んだりはしない」


 勇者はそう言って、彼女の頭を雑に撫でた。ちょっとむっとしたが、我慢して頷く。


 アルタイルブリングスから南に十キロ程の地点にある平原に、ソレは居た。


 炎を纏う狼。その周囲は熱によってか揺らめいている。


 まるで生ける炎。赫灼狼の名に恥じぬ輝きとその熱。それでもまだ視認出来るだけ幾分かマシだ。あれはまだ騎士団たちを脅威とすら思っていない。敵として認識していないのである。

 そりゃそうだ。ヒトがアリをわざわざ敵視する事が無いように、あの狼にとってヒトはその程度の認識なのだ。

 逆に言えばアリがいきなり噛みついてきたらヒトだって驚いて隙が出来る。それに賭けるしかない。


 騎士団長が杖を突く。カンッ! と鋭い音が響くと同時に、一斉に魔導士達の杖がバッと空を切り、狼へと向けられる。


 まずはあの炎をどうにかしなければならない。勇者達に攻撃魔法が使えるモノは居ない。彼ら二人は魔法を許されていないのだ。少女に関しては、攻撃魔法は永遠に使えるはずがない。

 だから、勇者の力を見せよと言われても、どうしようもない。


 魔導士達は杖の先に魔法陣を描く。


『大いなる源、星の大元。全ての命の祖たる雨よ、曇天よ、我らの願い聞き遂げよ。降らせ、降らせ、降らせ。枯れた大地に注ぐ天の雨、眠りを覚ます雷霆よ、巡り来たり、廻る息吹を齎す恵みとなれ。降れ、天覆い注げ星の恵みイスティスカー・レイニンバス


 空へと魔力が集まって行く。魔導士全てが描く魔法陣の先から、空へと流れて行っているのだ。

  それは渦を巻き、空で停滞して小さな水の分子へと置換される。それらは結合して冷やされ雲となる。空を覆う曇天は、大量の雫を落とす。

 雨を降らす魔法だなんてかなり大規模なものだ。だがそれを複数人で行う事で容易に行えるようにしている。

 複数人で一つの魔法を行使する。これはかなりの練度が必要な技術だ。魔力を空へと流す速度を完璧に合わせた上で、同じタイミングで魔法を完成させる。一瞬の誤差も許されない。そうでなければ、魔法は反発しあって即座に消えるだろう。

 だがそうはならない。魔法は一つとなり、空に浮かぶ沈みかけの太陽をも隠し、ザーザーと滝の様な雨が注ぐ。


 大粒の雨が頬を伝う。ディアドバゼルは突然の雨に戸惑う様子を見せるが、すぐに天に向かい口を開く。


「アオォォォオ────────ォォオンッ!!」


 轟く咆哮と共に、開いた口に魔法陣が描かれる。


「雲を散らすつもりか」

「そうはさせねぇッ」


 勇者がその様子を見て、奔り出す。戦士もそれに倣い、駆ける。あの魔法をどうにか逸らさなければならない。折角降らした雨、それを鬱陶しく思っているのなら、散らさせてはいけない。


 二人は剣を抜き、同時に構える。


『ドゥームブレイカー』

『スレド』


 二人の剣が輝きを放つ。さしもの二人でも討つまでは至らない。とにかく魔法を空から逸らし、雲を散らさせない様にする。


 同時に跳躍し、放たれた剣戟がクロスを描く。硬い毛皮に二つの剣戟が激突する。


「硬い……なッ!」


 勇者が更に力を籠め、ボゴンッ! とまるで鋼鉄をへこませたかのような音を響かせながら、狼の頭を逸らせる。


 その間にも魔法は完成していく。魔法陣の先に火炎球が創り出される。あれを空で爆発させれば雲も散るだろう。それくらいの威力はあるはずだ。


「ラ、ァァアッ!!」


 戦士は雄叫びと共に、放出した魔力を加速に充てる。ギリギリ……と狼の頭が少しずつ逸れて行く。バランスを崩し掛けているが、狼もただでやられる程軟じゃない。狼は勇者達を睨みながら、脚に力を入れ、踏ん張りながら、天を見上げ続ける。

 その間にも狼が纏う炎が二人の身体を燃やし尽くそうとする。何がどうして炎なんて纏えているのかは知らないが、例え魔法を行使したとて、その炎は止まらない。永続に魔法を行使している様に見えたが、そうではないのだろうか。


「そこの二人、上に逸れろッ!」


 団長の声が遠方から届くと同時に、二人同時に剣を基点に逆立ちする様に身体を逸らす。


 ドッッッッッガンッ!


 と狼の頭を氷塊がぶち抜く。その衝撃にさしもの巨大な狼もバランスを崩しそうになっている。その隙に、勇者が再び剣を輝かせる。


『ロードリオン』


 放出された光が、狼の頭を殴る。百を超える亡霊全てが頭を叩いたのだ。


 ズドンっ、とそうしてようやく狼が身体を倒し、地面に頭を叩きつけた。そのはずみで火炎球がその場で爆発する。


 だがそれでも尚、ディアドバゼルは無傷だ。かなりの爆発だ、雨でも消えない程の炎が草むらを燃やしている。

 勇者と戦士の攻撃をも物ともしないどころか、団長の氷塊の魔法でさえ傷を付けられていない。双方かなりの威力のはずだ。大抵の魔物であれば一撃で吹き飛ばす程の威力。ただの毛皮とは思えない。


 あまりに硬い。何なら通じるのだ。確かに雨によってディアドバゼルが纏う炎は弱まっている……様に見える。見えるか?


「流石、赫灼狼かくしゃくろう。その名に引けを取らない轟炎。近づくだけで大火傷か」


 二人は狼から距離を取り、少女の元へと戻る。


「け、怪我っ、治すからっ」

「頼む」


 少女は、二人の背に触れ、小さく息を吐く。触れた部分が少し熱くなり、その熱がゆっくりと全身を回る。怪我した部分だけでなく、全身を治癒するのは彼女がそれしか方法を知らないからだろう。

 彼女の治癒魔法は、対象の治癒能力のリミッターを外して、対象の能力を使って治すモノだ。だから余計に魔力を消費してしまう。だが、この魔法であれば、治癒が早い。

 彼らが火傷した部分が迅速に治って行く。


「……助かった、ありがとう」


 少女は頷くと、二人の背中をちょんと叩いて、リンクを切る。


 団長が杖を鳴らす。こつんっと、響いたそれを合図に魔導士達が杖を構える。立ち上がろうとしている狼に対し、彼らは魔法を放ち、止めようとしているのだ。


『全ての命の祖たる水よ、我らに恵を齎したる母なる水よ、しかし今は突き穿て。濡らし満たせ、焔を断つ水の穿突。閃穿、茨の水槍シレーヌ


 魔導士が詠唱を終え、その杖の先にそれぞれ水の槍を作り出す。ディアドバゼルはそれを認識しているのか、魔法陣を描き始めている。口ではなく、身体の周りに、だ。

 その数は十を超えて、その全てが炎を成す。


 杖が響く。それに応える様に騎士達が大盾を構え盾へと魔力を送る。


『パッシブシールダー』


 ダンッ! と盾の淵を地面に突き刺し、彼らの盾が魔力の障壁を幾重にも展開する。青白い薄い膜の様な障壁は、何枚も何枚も重なって、その効力を何倍にも跳ね上がる。


水槍すいそう待機、騎士達よ、全力で持ちこたえろッ!」


 団長の一声で魔力の障壁が更に硬く、厚くなっていく。良く見ると、団長も何やら魔法を行使しているようだ。恐らく騎士達の戦技と似た魔法だろう。

 狼が創り出した無数の炎は彼らを目掛けて高速で放たれる。魔力障壁にぶつかる度に轟音と衝撃を響かせ、魔力の障壁を打ち破ろうとする。


 だが、騎士達は少し呻きながらもなんとか障壁を維持する。彼らが破れれば一巻の終わり。都市は焼き尽くされるだろう。意地と根性で彼らは無数の火炎を防ぎきった。


「良し、水槍、照準合わせカウンタースコープ。…………撃てェッ!」


 団長の合図で障壁が消え、生成された水の槍が放たれる。


 蒸発する。水の槍たちはディアドバゼルの身体に触れると蒸気となって立ち込める。それを鬱陶しく思ったのか、狼は纏う炎を一気に放出し、身体に当たる前に槍を蒸発させてしまう。

 団長はその行動によって出来た隙を見逃さず、再び氷塊を作り出し、射出する。


 ドゴンッ! と激突した衝撃で氷塊は砕け、同時に砕けた氷たちが狼へと襲い掛かる。ザグザグザグ! と氷が突き刺さる。様に見えたが、動きを止めた程度。大したダメージにはなっていない。


 団長は舌打ちすると、杖を鳴らす。


 放出した炎はまだ戻っていない。勇者と戦士はその機を逃さず高速で翔る。剣を翳し、光を放ち狼へを襲う。


『イングレシオン』

『バーンピッカー』


 二人の斬撃はディアドバゼルに直撃する。勇者の放つ光の斬撃に負けぬほどの威力を戦士の三連の斬撃は誇っている。

 二人同時に左右からディアドバゼルの首を周りながら切りつける攻撃だが、それでも傷を付ける程度で、深手には成り得ない。

 鋼鉄をも凌ぐその毛皮を切り落とすには、今のままでは不足らしい。勇者としての力をふんだんに利用して尚、彼らは首を落とす事が出来ない。


 近づけたとしても炎が邪魔をする。だから今の内だ、と何度も剣を振り翳す。だが、やはり傷をつけるのがやっとで、魔物の特性上、こんな傷はすぐに治ってしまうだろう。


 騎士達は次の攻撃に備え盾を構え、魔導士は既に指示を待っている。

 団長はその様子を一瞥し、新たな令を出す。カンっ! と響く音と共に、魔導士達が杖を振る、バッという音が鳴る。

 勇者達はそれを合図であると捉え、後方へと飛び退く。


「硬すぎる。幾らなんでも硬すぎだ」

「…………大剣を弾かれる事なんてあまりないんだがな。バーンピッカーでもダメとなると人生初か?」


 戦士は、大剣を一度鞘に戻す。


「……?」

「あぁ、鞘に戻している方が、魔力の充填が早いんだ。それより、おい、どうする? 魔導士達の魔法も殆ど効いてないようだが」


 魔導士達は既に詠唱を始めている。今度は何を撃つつもりなのだろうか。


「……勇者の力を見せよ、と言われた以上、折れる訳にはいかない。しかしあの硬さ、ディアドバゼルが持つはずの無い特徴だ。あの炎、あの熱。それらを溜めてしまわない様に本来皮膚や毛皮は柔らかいはずなんだが」

「…………結論を出すか。あれは、人工的に作られた魔物だ。それも、ただこの一瞬の為に生きている。時間を稼げばあの熱で自滅するだろうが」

「被害は大きいだろう」


 あれは恐らく魔王によって作られた魔物。カルイザムを襲うのは、勇者や戦士、魔法使いの候補が集まっているからだろう。一度に潰せるのならば万々歳。勇者の言葉によれば、勇者、戦士、魔法使いを選出すると魔王が強化される……というような話だったが、選出した後ならそれらが死んでも魔王の力はそのままなのだろう。


「ねぇ、アレ」


 二人の思考を割く少女の声。二人はその声に釣られ、再び狼へと眼をやる。


「……まずいぞ」


 ディアドバゼルが態勢を立て直し、開いた口の先に魔法陣を描いている。雲を散らす事をやめ、ちくちくと刺してくるうざったらしい生物を蹴散らそうとしているのだ。


 口の魔法陣が完成すると、それを真似するように、口の周辺に魔法陣が次々と描かれる。その数は十を超えて、その全てに火炎球が生成される。一個で雲を散らすだけの威力を持つ火炎が十。

 騎士達の魔力障壁では防ぎきれないだろう。


 エーテルがうねっている。あの魔法陣に送られる熱と魔力が周囲の風景を捻じ曲げている。ぐらぐらと揺れる光景が眼に焼き付く。

 雨を一瞬で蒸発させながら、炎は大きくなっていく。その熱で周囲の景色をゆらゆらと揺らしながら、ディアドバゼルは魔導士達を睨む。


 二人はどうにかしなければ、とディアドバゼルへ距離を詰めようと足に力を籠める。だが、


「待てッ!」


 静止された。その声は団長の声。彼女は、杖をカンッと突いて、小さく息を吐く。魔導士達の魔法は完成した。しかし、それは攻撃魔法であり防御を行うような物じゃない。氷のつぶてが無数に生成され空中で待機している。


 団長が杖を天へ翳す。柄を握り、荒々しく乱雑に。同時に、彼女の眼の前に魔法陣が描かれた。


『聞け、命の源、枯れ果てぬ我らが母よ。我が願い、聞き遂げよ。其は芽吹きを齎す豊潤の証。其はあらゆる生命、あらゆる文明を飲み込む大いなる濁流。荒々しくもこの星を包む美しき水達よ、我らを護る盾と成り、押し流せ。ノーア・アクチャピッド』


 団長の魔法陣は高速で回転を始め、小さな水の球を生み出したかと思うと、それが一気に膨らんだ。

 それは分厚い層となりながら、魔導士、騎士達を全て包む程の水の壁となる。


 ディアドバゼルは火炎球を放つ。ジュッドンッ!! 水の壁は蒸発しながらも一つの火炎球を受け止めた。蒸発した分は、即座に新しく水が生成され、すぐに蒸発した部分に宛がわれる。

 ディアドバゼルが放った一つの火炎球は様子見だったのだろう。様子見を終えた狼は九つの火炎球を一度に放つ。


「…………ッ!」


 団長はすぐに更に魔力を水へと置換し、もっと分厚く、もっと多くの水を生成する。


 ドッッッッッッッッゴン!!!


 火炎球たちが水の壁にぶつかると、その炎は水の壁を包み込む様に広がった。しかし、水の壁はそれでも決して熱を魔導士や騎士達に届かせない。水蒸気が視界を奪う。炎は雨と水の壁に阻まれ、暫くして消える。

 とてつもない量の水蒸気が立ち込め、魔導士達の照準を邪魔している。


 団長は杖を横に振り、再び魔法を構築し始める。大規模な魔法を使ったすぐ後だというのに、彼女は止まる気配がない。

 彼女はすぐに風の魔法で水蒸気を吹き飛ばし、魔導士達の視界を確保し、そのまま待機したままの氷のつぶてを射出させる。


 だが、少し遅い。ディアドバゼルは再び炎を纏い、氷のつぶてを全て纏った炎で溶かし蒸発させた。


 これでは勇者達は下手に近づけない。最初の様に火傷覚悟で特攻する事は出来るが、それで傷を付ける事が出来る程度なら、意味がない。


 狼が駆ける。両足を強く踏み込んだ初速は狼の特性を活かし、コンマ一秒で最高速度に至る。ずっと遠距離で牽制しあっていたが、痺れを切らしたのか、狼は魔導士達へと距離を詰めようとしている。

 勇者達の攻撃よりも、魔導士の魔法を厄介であると踏んだのだろう。実際、降らした雨は、彼が纏う炎の勢いを少しは軽減しているはずだ。


 戦士が奔る。あの巨体、ただの突進だけで壊滅する。確かに騎士達の防御は硬いが、距離を詰められ、その質量で押し潰そうとするのなら耐えられない。あの魔力の障壁は、魔法に対しては高い防御性能を誇るが、物理的なアプローチに対してはめっぽう弱い。

 故に突進されてはひとたまりもない。


 避けようにもなまじヒトが多い所為で、迅速な回避も難しいだろう。

 戦士はその脚力で狼を追い越し、騎士達の前へ出る。剣を地面に刺し、剣に魔力を籠める。


『問え、己の名を。疑え、己の声を。従え、姫の声に。我が剣はここに、この剣こそが城の健在を示す────パラディオーフ・デュラアグレシオン』


 溜めた魔力を放出する様に切っ先を天へ翳す。

 それは概念防御。あらゆる魔法、物理攻撃を無効化する彼の戦技。簡単に言えば無敵。

 ディアドバゼルは速度を維持したまま、戦士へと突進する。纏った炎そのままにその巨体で押し潰されてしまえば、例えどんな傑物だろうが、簡単に死ぬだろう。

 掲げた剣を彼はディアドバゼルへと向ける。彼自身が無敵だろうが、衝撃を受け流す事は出来ない。あの質量をそのまま喰らえば吹っ飛ばされる。それでは結局騎士や魔導士を護れない。

 つまり、激突前にこの質量を止めるしかない。


 ならばどうするか。あらゆる魔法、物理攻撃を受けても傷付かない究極の防御。彼はそれを剣のみに適応した。

 あれを受け止められるだけの力はない。確かに彼は人並み外れた膂力の持ち主だ。魔法は使えないが、有り余る魔力を全て身体能力の強化に充てている。それも無理やりだ。ずっと火事場の馬鹿力を発揮しているような状態に近い。魔力を全身に廻らせ、放出する。それだけでヒトの能力は各段にあがる。

 魔法が普及した現在でも、魔法を得意としない者達が扱う常套テクニック。彼はそれを常時行っている。本来であれば魔力切れを起こすのだが、彼の炉心は特別製だ。異端マギカダウナーに触れた者の特典というべきか。ともあれ、彼は魔力を放出しながら、同じ速度で魔力を充填出来る。

 だから、彼は常時身体強化を行っても魔力切れを起こさない。戦技を使えば話は別だが……。


 切っ先を向けた剣を引き絞る様に構える。両手で持つ剣を片手で握り、反対の手で照準を合わせる様に翳す。


「スゥ────…………フンッヌ」


 戦士はそれを全力で投げた。彼が保有する身体強化を投擲へと全て充てる。魔力を全て消費し、この一撃を以て、今回の仕事納めとする気のようだ。実際、彼の攻撃で狼に傷は殆ど着かなかった。今回の戦いで彼が今後役に立つ事はないだろう。

 だから、今日の分の全ての魔力を籠めた。


 剣は空気を裂き、ソニックブームを起こしながらディアドバゼルへと突き進んでいく。

 どれだけディアドバゼルが巨大で強力であろうとこの剣は砕けない。概念防御とはそういうものだ。本来全身に纏うもので、剣に適応だなんて使い方するモノじゃないのだが、戦士というモノに選ばれるだけの傑物だ。そういう事も出来るだろう。納得は……出来ないが……。


 剣がディアドバゼルと激突する。その衝撃でディアドバゼルの頭が天を向いた。


 ダッッッッガン!!!!


 とほんの一瞬遅れて轟音が少女の耳を襲って思わず耳を覆った。態勢を崩されたディアドバゼルが足を引き摺り停止する。


「止まった……?」


 騎士の誰かが呟く。しかし止まったからと言って危険なのは変わりない。今ここで魔法を使われてはひとたまりもない。


 戦士も全くの役立たずになってしまった。搾りカスである。


「悪いがオレはもう戦えない。後は任せる」

「おいおい、あの剣、誰が運ぶってんだ」


 勇者は溜息混じりに呟いて、仕方なしに走り出す。少女は遅れて着いて行き、騎士達の横に隠れる様に立つ。


 態勢を崩し、怒り心頭のディアドバゼルは大きく口を開く。


「アオォォォオ────────ォォォオンッ!!」


 と轟く咆哮に魔力が乗っている。それは周囲の大気中のエーテルをも揺らす。


「息を止めろ」


 戦士を引き摺りながら勇者はすぐに少女の隣に立ち、彼女の口を塞ぐ。エーテルが揺らぐと、ヒトは簡単に酔ってしまう。息を止め、出来れば目を瞑るのが最適な対処法だが、まぁ大丈夫だろう。少女は驚いて息を止める。


「良し、いいぞ。ここに居てくれ。ここに居れば騎士がどうにかしてくれるだろう。そうじゃなくとも俺がなんとか護ってやれる。戦士はこの通りもう役に立たないから期待するな」


 少女は、う、うんとどもりながらも返事をすると、勇者は、剣を構える。騎士達もそれに倣うかの様に、盾を構えた。


 こつんっと杖を突く音が聞こえ、魔導士達が杖を構える。何人かエーテル酔いを起こしてしまったヒトも居て、それを介抱しているヒトも居る。


 しかし、勇者も攻めあぐねている。あの炎をどうにかしない限り、近づけばまた燃やされてしまう。

 中身が化け物でも痛いモノは痛いのだ。


「いけるの?」

「やるしかない」


 彼は低い声で答え、駆ける。


 魔導士達は氷の魔法を形成、総射し、狼の炎を消し止めようと狼へとぶつけ続ける。


 ディアドバゼルの炎は魔法によるモノではない。炎を生み出す為の何かしらの器官を持っているのだろう。故に例え魔力切れを起こした所であの炎を消し止め続ける事は不可能に近い。

 氷や水をぶつけても一瞬で蒸発させられてしまうのであればあまり意味がない。どうすれば良いのかなんて考える暇はない。

 魔導士もいずれ魔力切れを起こしてしまう。そうなっては最早倒すどころか撃退することも不可能だ。


 故に勇者は炎を顧みず走る。その身を炎で焦がしながら、その剣を掲げ、印を掲げ翔る。


 死にはしない。身を焦がした所で砕ける魂ではない。


「猛ろ、星導」


 小さく呟き、輝きを纏う。同時に、勇者の顔の大きい印が青白く光りを放つ。


『沈め魔の導。お前の魂を星に捧ごう。我は魔を断つ剣。星辰よ、我が成す清廉なる行いギバラディラーグラメィランを照覧あれ』


 星に呼び掛けながら、ディアドバゼルの爪や尻尾による攻撃を避け、隙を伺っている。だが、例え爪や尻尾、牙を避けたとて、炎は襲い掛かって来る。炎を避けても熱は避けられない。どれだけ避けようと尽くしても身は焦げる。


 自ら傷を負う愚かを犯してでも、アレは討滅しなければならない。どれだけ傷を負おうともアレを討伐し、進まなくてはならない。アレが魔王が作ったモノであるのなら猶更だ。


『遠き過去からの栄光をここに。我は騎士、我は己が使命を果たす。篤と見よ、蒼き時代の者どもよ! 騎士は螺旋となりて魔を討たんレジデュアル・ネドアッ!』


 少女に見えた光景は、亡霊たちが一つになり、巨大な剣を模した光景。一切のブレもなく、ズレもなく、亡霊、騎士達は勇者が掲げた剣と共に、巨大な斬撃となって放たれる。

 今まで彼が放ってきた剣技と何もかもが違う。ディアドバゼルの炎を物ともせず、亡霊たちは振り下ろされる。

 それは星とヒトを繋いだ最初の剣。原典はここに無くとも、それを識る魂が、百を超え再現せんとしている。

 魔を断つ剣。星剣スタァライトオーダー。遥か過去にヒトが星より賜った一本の剣。その再現体リコンストラクタ


 星が定めた魔に対して絶対的な力を誇るそれを完全に再現するというのは、不可能だ。故に、星が定めた魔、ではなく、勇者が定めた魔となっている。無論威力は落ちる。だが、それでも今までの様に傷しかつけられない程度の威力ではない。

 場合によれば、この一撃で決まる。──────だが、


 ガッギンッ!


 ディアドバゼルはその剣を真正面から受け止める。奴が放出した魔力が、壁となって勇者を阻んでいる。エーテルを揺らがせエーテル酔いを起こさせるのが目的ではなかったのだ。あれはあくまで副次的な効果にすぎない。その規模故に、勇者でさえ勘違いした。あれは魔導士共を止める為に放出したのだ、と。

 だが、そうじゃなかった。こいつは最初から障壁を生み出す為に魔力を放出した。


「……ぐ、ッぁ────ラッァァァァッァァア!!」


 勇者を炎が襲う。障壁を越えて、炎が、熱が勇者の身を焦がす。それでも彼は一切力を緩めない。このまま魔力障壁を切り伏せ、ディアドバゼルの首を、


「落とすッ!」


 ギリリリリリ、と亡霊たちが震える。魔導士達の氷が援護する様に魔力の障壁に激突する。数十発の氷の槍。だがそれでも障壁は消えない。

 退かない。退けない。身を焦がすまでの捨て身を、無駄には出来ない。故に彼らは止まらない。亡霊と共に、彼はこのままでは気を失うのではないかと心配になってしまう程に力を籠める。


 ────────ッズドン!


 と一際大きな氷の塊が、障壁を攻撃する。団長の魔法だ。彼女は巨大な氷塊を複数生成し、それを撃ち出す。


 最早魔導士達の魔力は底を尽きかけている。団長はそれを知ってか知らずか、退却命令を出している。だがその手は止めない。魔法陣は廻り続けている。


 残念だが、魔導士と騎士達は、足手纏いであると判断したのだろう。彼らの攻撃は効かなかった。騎士の防御も絶対的なモノではない以上、これ以上戦えば死傷者が出る可能性が高い。


 騎士、魔導士達は団長の命令に従った。彼らは決して振り向く事なく、退却を始めている。彼らは何があっても振り向かない。それが、団長に対する最大の信頼である。

 騎士、魔導士が居ない方が、彼女の実力は発揮される、と彼らは知っている。彼女が挙げた功績を称え、団長という地位を得てしまった。その所為で彼女は自由に動く事が出来なくなった。無数の功績を挙げ、終わらぬ魔物との戦いにおいて民に希望を与え続ける。彼女が団長の席に就かねば誰が着くというのか。

 その地位が彼女自身を縛るモノであっても、後世に語り継ぎ、希望を与える為に、彼女はその地位に就いた。

 そうして彼女は騎士、魔導士の育成に尽力し、己の存在を最終兵器であると称した。


 己が居なくなろうとも、国を守るだけの力を残す為に。


「キミはまだ、戦意はあるかい?」

「……え?」


 団長が、少女に問う。


「やってもらいたい事がある」


 彼女はそう言って、少女の前に立つ。


「これから私は極大魔法を使う。けれど、それだけでは不安だ」

「……うん」

「だから、キミに強化をお願いしたいんだ。やり方は教える。勇者が抑えている間に、早く」

「……出来ないよ」

「出来るさ。どうしてここに居るかは問わないが、とにかく勇気をもってここに来たんだろう? なら出来る。その勇気を持っているのなら、キミは出来るよ」


 団長は少女の眼をじっと見て力強く答えた。


「信用出来ない?」

「正直」

「そか。でもやらなきゃ。このままではキミの仲間が焼き殺されてしまう。そうなれば、最早アレを止める手段はない。ディアドバゼルの特異個体とでもいうべきか、あの分厚い外皮を切り裂くのは難しいだろう。けれどキミの強化魔法があればきっと貫ける!」


 大丈夫、と彼女は少女の手を取る。


「どうして、ボクなの? 魔導士だって居たはず」

「どうしてって、キミは特別だからだよ。私の魔導士達では力不足だ。けれどキミなら、キミのその才があれば、きっと貫ける」


 少女はその言葉を信じる事が出来なかった。治癒魔法しか使えない彼女が、いきなり強化だなんて難しい魔法を使えるとは思えない。

 教わった所で、ぶっつけ本番で成功するはずがない。


 けれど──


「わかった」


 それでも可能性があるのならば、と彼女は頷いた。元はと言えば、団長の事を知りたいというあり得ない程薄い願いでここに着いて来たのだ。今更、無理だ出来ないだなんて言えない。我儘を突き通したんだから、今度は付き合ってくれたお礼をしなきゃ。


「よし、杖を構えて。工程や骨子は省こう。時間無いからね。ゆっくり慌てないで私に続いて詠唱してね」

「うんっ」


 杖を構え、は~っと息を吐き、眼を瞑る。


『接続開始』

『────接続開始』

『続け、動け、繋げ』

『────────続け、動け、繋げ』

『奥底に眠る力、芯より来たれ』

『─────────────奥底に眠る力、芯より来たれ』


 そう口にした途端、身体がふっと何かに吸い込まれるような感覚があった。身体が火照った様に温かい。これは、

 少女と団長の感覚が繋がったのだ。少女は、そうして理解した。魔法の構造は解らずとも、何をすれば良いか理解した。何を以て強化とするのか、何を以て魔法とするのかは解らないが、それでも視えてしまえば解る。治癒と感覚は同じだ。


 繋がってしまえば、後は治癒と同じようにヒトの能力のストッパーを一時的に外せばいい。腕が千切れるほどの大怪我であればこう簡単にはいかないが、小さな怪我程度なら、対象の治癒能力を引き上げ治す。これもいわば強化魔法。故に彼女は感覚を知っている。


「…………これで、いい?」


 と、少女が目を開けた瞬間、眼前に炎が迫っていた。


「──────────え?」


 ボウッ! と燃えるそれが、高速で迫っているはずなのにスローモーションに見える。勇者は未だ魔力障壁を破らんと奮闘しているが、ディアドバゼルは自身の魔力障壁は破られないと悟り、攻撃対象を二人に変えたのだ。

 彼女に防御の手段は無い。そんなのは知らない。教わってない。


 ────────死ぬ。


 迫る熱に髪の先を焦がされながら、眼を瞑ろうとした瞬間、眼前に水が広がった。


 ボゴンッ! と水は蒸発しながら、炎を消し止める。噴水の様に打ち上げられた水が熱湯に変わりながら周囲に降り注ぐ。その中で団長は、深呼吸をしていた。

 炎が完全に消えると同時に水のカーテンは消え、代わりに団長が翳した杖の先に魔力が収集される。

 その光景はなんだかキラキラして見えた。魔力が集まって行くのもそうだが、炎を反射し輝く水滴たちが視界に乱反射して、幻想的な光景を作り出したのもある。空を覆う曇天から注ぐ雨と蒸発した水達が混じって地面に落ちる。けれど不思議と火傷をする事が無い。

 少女の肌に水滴が落ちた時、それは既に冷え切ったただの水となっているのだ。きっと団長が何かしているのだろう、と彼女は団長を見つめた。


 けれど、続く火球に対し再び水のカーテンが遮る。


 再び、ボゴッ! という音が響き、爆風の中、蒸気が駆けて少女の視界を奪った。だがすぐに団長が風の魔法を使ったのか、蒸気は晴れ、少女の眼には杖を構える団長が映った。


 大気中のエーテルが急速に減少している。なんだか冷えてしまった大気の中で、少女は眼の前で起きた現象について考えていた。

 魔法を使える者達の中で誰しもが持つ共通の認識。エーテルは決してそのままヒトには扱えない、という常識を目の前の魔法使いは否定した。


 それはエーテルを魔力に急速に置換し、杖に溜めている。

 

 過重魔法陣オーバーロード


 無論、少女はそんな名称は知らない。だが、目に映る光景が、感覚が現実を受け入れろと殴りかかってきている。

 本来魔力とは炉心を通して全身へ廻るモノ。魂の老廃物を炉心を通し魔力へと変換する。確かに魂を構成する物質はエーテルであるが、しかし炉心を介さぬ限り、ヒトは魔力を生み出せない。

 だがこれは違う。目の前の少女は、その前提を覆した。


 エーテルを魔力に加工、置換し、己のモノとして杖へと送る。理屈は不明だ。原理も不明だ。何しろあり得ない。二千年続く魔法史を完全に否定する現象だ。

 魔法史をロクに知らなくとも、感覚で解ってしまう。


 だから、騎士達を、魔導士達を撤退させたのだ。見られてはいけない。見せてはいけない。だってこれは異端そのものだ。


“あぁ、きっと。きっと勇者が探している使はこのヒトだ。彼女こそが魔法使いなんだ”


 少女は、使。間違いないだろう。こんな芸当が出来るモノなら、魔王に認められ魔法使いという印を得てもなんら不思議はない。というか、これ以上の適任は居ないはずだ。


 使


 魔法使いは落ち着いた口調で、


『さぁ、起きて。仕事の時間だ』


 と、優しく言い聞かせるように詠唱を始める。


『第一層、開門。永久に我らを見守る星達よ、我が魔法御覧じよ』


 彼女の吐く息に魔力が混じっている。エーテルを変換して作り変えた魔力だけでなく、彼女は体内の魔力を練り出し、魔法へと繋げようとしている。

 確かに、体内の魔力を使うのが本来の魔法だ。彼女のエーテルを魔力に変換する方式はヒトには赦されぬ領域外の所業。だからこれが正解だ。正解なのだが────量があり得ない。ヒトには限界がある。ヒトだけでなく、あらゆる生物は、魔力を当人の体積以上保有する事は出来ないのだ。

 そしてそれは最大値の話。ヒトは炉心の規模によってその魔力総量を決定する。ヒトによっては、魔力を殆ど持たぬモノも居る。

 だが……だが彼女はその体積以上の魔力を有している。見えぬ物質なだけで、確かに存在しているのが魔力という代物。どれだけ炉心が優れていようと、ヒトという箱から溢れてしまえば意味がない。

 それを彼女は体内に押しとどめていた。圧縮に圧縮を繰り返し、魔力を極限まで小さく、濃くし、体内で巡らせる。

 魔力を操る事は簡単だ。操作に長ければ、騎士達が行った様な防御も可能だ。だがそれを体内で、となると話は別だ。ヒトは体内を流れる血液には干渉出来ない様に、体内を巡る魔力には干渉出来ない。出来たとしても、あまりに繊細な魔力操作を要し、少しでも間違えれば身体が爆発四散する。

 それを彼女は延々と行っているのだ。


 あり得るか、そんな話。


 彼女の眼前に魔法陣が描かれる。青白く光り輝くそれは、異端の第二歩。


『第二層、展開。大源エーテルより換装。接続開始、第一層、砲台設置バレルドスコープ


 二層目の魔法陣が描かれると同時に、一層が回転を始め、収集した魔力を魔法に置換する。それは、魔弾。属性を持たぬ、原初の魔法。


『第三、第四、第五、開門。拡張装填マギカバレル・イディミナ概念武装ヴァジュラーバ月剣アニマスオーダー疑似展開プレ・ダコール


 彼女とディアドバゼルを繋ぐように三つの魔法陣が設置される。それは高速で回転を続けながら、主の指示を待ち続けている。拡大増幅複写を目的とした三つの魔法陣は、歯車の如く回転を続け、同時に周囲のエーテルを主へと送る。


『存分に唄え、私の魔法!』


 彼女の声と共に、魔法陣は輝く。第一層に輝く魔弾は、魔力を一点に集中、圧縮したモノ。属性を捨てた事により熱さえもそこには無い。ただあるのは現象のみ。

 魔力を贄に、あらゆる物理現象を引き起こすのが魔法というのなら、これは物理現象を否定する魔法だ。光をも通さず、熱を持たず、重力にも従わない。本来魔法とはこういうモノだ。

 属性を与えられた聖方魔法とは格別された原初の一。それが魔弾であり異端。

 それは星の意思より与えられるはずだったモノ。魔法という超常をヒトのサイズに当て嵌めた小さな奇跡。


『マギカプルーフ・スパイラル』


 第一層を彼女は杖でぶっ叩く。それを合図に、魔法陣は停止し、形成された魔弾が発射される。

 第二層を通過すると、それは更に加速し、瞬きの間に第三、第四、第五を通り増幅拡大し、そして三つに複写される。

 三つは螺旋を描きながら、ディアドバゼルへと直進する。ソニックブームを起こしながら、最早少女の眼には追えぬほどの速度。


 魔弾は光を吸い込みながら、着弾する。魔力障壁による防御も、この魔法には通じない。何せ空間ごと抉り取るのだ。防御なんて許すはずがない。

 故に音は無かった。螺旋を描く三つの魔弾はディアドバゼルの分厚い魔力障壁を抉り、一瞬の隙を作った。たった一瞬。コンマ一秒にも満たない隙だ。魔力障壁は一瞬で修復されてしまう。


 だが、それを見逃す勇者ではなかった。コンマ一秒にも満たぬ一瞬の閃きの後、自由となった彼の身体は、重力に従いディアドバゼルの首元へとその剣を届かせた。

 其は、魔を断つ剣。星の剣、スタァライトオーダー。その再現体。原典よりも性能は劣ろうとも、勇者の力が加われば、真に迫る事は可能だ。


 シュンッ、と小さく空気を切る音と共に、ディアドバゼルの硬い外皮を切り裂いた。


 その光景を少女はしかとその眼で視た。彼女の眼に映った魔弾はまるで星空を凝縮したかのような美しい魔法だった。一つの魔弾の中に、沢山の彩があった。決して派手な魔法ではなかった。ただ、美しく力強く、凛とした態度の魔法使いと相まって、とても綺麗に映ったのだ。

 彼女にとって魔法とは忌々しいモノだ。生きて来た中で魔法を使っていたのはいつも苦しい時ばかりだった。村人の傷を癒し続け、魔力が尽きれば泥の様に眠る。

 絶えぬ事の無い盗賊共によって傷付けられる村人たちを魔力が続く限り癒し続け、果てにホルモンバランスを崩し、魔法を暴発させた。その結果がヒト殺しだ。

 忌々しい以外の何物でもない。


 だと言うのに、それを美しいと感じた。


 この先、色々な魔法を識る事になるだろう。だが、それでも彼女が扱う魔法以上に美しいモノを視る事はないだろう。

 きっとそれは魔法だけを美しいと思ったからじゃない。術者をも、美しいと思ったからだ。


 ただ、言葉は出なかった。ディアドバゼルの首が落ち、戦闘は終わったのだと、頭では理解していようとも、言葉を奪われてしまったかのように、何も口に出来なかった。勝利の悦びも、魔法に対する感想も、勇者に対しての労いも、何一つ少女の口からは出なかった。

 ただ圧巻され、今の魔法に、ボクの強化魔法はどれだけ関与したのだろう、と余計な考えだけが頭を巡っていた。


 もし、とても貢献していたのなら、嬉しい。あの美しい魔法に自分も少しは手を加えているのだ、と誇れるような気がした。


 だから、彼女は気付かなかったのだ。ふぅ、と一息吐く魔法使いの左目を中心に青白い紋章が浮かび上がっていた事に。










 騎士団長は、大きく溜息を吐いた。王の眼の前で、膝を着き、何事かと来てみれば、他愛の無い雑談ばかりを繰り返され、全く本題に入る気配がないのだ。

 討伐の後、顔を出すと伝えていたはずだが、随分と待たされたぞ! と憤慨していた。


「王よ、ご用件は」

「……もう暫く歓談に耽っても良いではないか」

「なりません。ご自身の立場を今一度見直して頂きたい。もう夜も更けます。ディアドバゼルは討伐し、アルタイルブリングスは護られましたし、しかとこの眼で勇者の力を拝見しました、と報告は致しましたが」

「…………つまらん。成長してつまらなくなってしまったな、娘よ。団長なぞになりおって、貴様はそういう立場を一番嫌うはずであろうに」

「私以外、誰も成りたがらないのです。……話は以上ですか?」


 顔を上げ、問う。王は少し拗ねたような顔をしながら、はぁ、と溜息を吐いた。


「久しぶりの親子水入らずだと思ったのだがな」

「私は元より継承権の無い身。王家の庇護にあるのは成人するまでと、王がお決めになったのです。これ以上の贔屓は、民の顰蹙を買いかねません」

「……民もお前の事を認めているさ。しかし、そうだな本題に入ろう。少し寂しいが、待たせるのも悪い。明日には答えを出さねばな」


 王は玉座から腰を上げ、団長に顔を上げ、立ち上がれと命じた。同じ目線で話をしようというらしい。それは、昔からの合図。王としてではなく、一人のヒトとして話をするための合図だ。権力によって互いの発言を縛る事の無い合図。


「だから人払いを済ませていたのですね」

「あぁ。……余はお前に問うべき事がある」


 王は低く、冷静な声で話す。


「お前はお前のその左目に、何を意味する」

「…………気付いて、居られたのですね」

「馬鹿者、誰であろうと気付く。これ以上ない適役だろう。この国一の魔法使い、我が娘よ。貴様は往くのか?」

「はい。覚悟は出来ておりました。私が選ばれた理由も明白でしょう。しかし、同時に疑問も残ります。私が思う条件であればきっと貴方が選ばれるべきだった」

「……この老いぼれにそんな力はあらぬ。買い被りも大概にせよ。余も衰えるのだ」


 王は、彼は眼を伏せ、魔法使いから眼を逸らした。その視線の意味に、魔法使いは、はっと息を呑んだ。


「これが私の使命なのです。どうかご理解なさってください」

「しかし……しかし、貴様は……ッ。──────いや、良い。お前がそう言うのなら、余に止める資格は無い。だが忘れるな。過去を捨て、名を捨て、地位を捨て、全てを捨てたとしても、余は貴様の事を永遠に忘れる事はない。我が娘だった事に変わりはないのだ」

「……………………はい。承知しております、お父様」

「往くが良い。余は貴様を魔法使いであると認めよう。だが努々忘れるな。我らカルイザムの民は、一瞬たりとも貴様を忘れる事はない。我らカルイザムの民はお前を愛している」

「えぇ。私も、愛しています」


 互いに歩み寄り、ほんの少しの抱擁の後、彼女は再び膝を着いた。


「我が愛しき娘よ。遥か未来に轟く輝きの砲台よ、貴様の旅路は祝福に満ちている。余が保証しよう。必ず魔王を斃せ」

「拝命しました。我が身、我が命捧ごうとも、必ずやこの手に」


 その言葉に王は、一瞬複雑な顔を浮かべた。


 魔法使いはそれに気付くことなく、立ち上がり、深々と頭を下げ、王に背を向けた。


「…………どこまでも翔るが良い。我が娘よ。美しき蝶よ、お前がどれほど苦しい旅を経験するかは知らぬ。選ばれてしまったのだから、と過去を捨てる愚かさに、余は目を瞑ろう。だが、願わくば、どうか無事で────────」


 それは、父としての短く、最大の願いだった。大切な娘が、いつまでも健やかであれと願う、一人の父としての願い。血の繋がりなぞどうでもよい。王家を継ぐ者ならば他に居る。だが、それでも、娘である事は変わりないのだ。


「………………往かれたのですね、我が愚妹は」

「あぁ」


 謁見室に現れたもう一人の男性はこの国の王子。たった一人の実の息子。唯一、王位継承権を持つ王家の血筋。


「お前は何もしなくとも良いとあれ程言ったというのに。……実に誇らしい愚妹です。だが……だが、あまりに周りの事を考えない。あの様子だとディグベルへの挨拶もしていないでしょうに」

「良い。アレはそうであるから決断出来るのだ。余が同じ立場であれば出来ぬ。そして貴様もな。手に入れた地位を捨て、国を捨て名を捨てて、終わるかどうかも解らぬ旅に出るその愚かさを、余は認めた。…………認めたのだ」

「……筆舌に尽くしがたい。私は王子ですが、アレの様にはなれない。己がどうなろうとも周りが幸せならば良いと早々に結論付けたアレの様にはとても。ですが──」


 王子は、見えなくなった背中から目を逸らし、王を凛とした眼で見つめる。


「ですが、私にも譲れぬモノがあります。王家の矜持だけは、この胸から決して零れない。アレが去ろうとも、私がやるべき事は変わらないのです」

「良い心掛けである。ようやく自覚が芽生えて来たな、息子よ」








 少し時間は巻き戻る。魔法使いが謁見室に入る前である。


 勇者と少女は、戦士のあまりにも重い剣を二人で一生懸命運んでいた。


「クソ、重すぎる。こんな事に勇者としての力を使わなければならないのか……ッ!」

「いや、すまん。少しは魔力は戻ってきてはいるが、一瞬持ち上げるのが限界だ。筋肉も委縮してしまっている」

「お前、どんな魔力回路してるんだ? 俺でも持ち上げるのがやっとだとは……ッ」

「その剣は誇りの重さだ」

「冗談言ってる場合か、クソ、視線が痛い。俺は勇者なのに、どうしてこんな痴態を晒さねばならんのだ!」

「いやほら、ちゃんと騎士達は護れただろ?」

「そうだが……ッ!」

「が、頑張れ勇者。応援してる。ボクは力になれない……」

「く、お前は危ないから離れていなさい! 手を切ったら大変でしょうが!」

「過保護な親かよ」


 柄の部分を支えるようにしていた少女が手を放す。


「そうだ、教えて貰った強化魔法っ」

「いや、良い。休め、疲れただろう。こいつは俺がなんとかする。なんとかしないと怒られるッ!」


 誰に? ……亡霊か。しかしこの剣、少女の倍程の長さだが、どうやって鞘に戻しているのだろう。不思議だ……どう考えても腕より長いのだから、鞘から抜く事なんて出来ないだろうに。魔法だろうか。


 城門から城まで続く巨大な公道を通り、王が用意してくれた宿を目指して歩く。騎士や魔導士達は、団長を城門で迎え、凱旋を迎えた。騎士として、魔導士として何も出来なかった事を悔やみながら。だが、赫灼狼の前に立ち塞がった勇気は称賛に価する。

 実際、あの狼は推定ではあるが魔王によって改造をされた個体。生命として矛盾した魔物であった。アルタイルブリングスを焼き尽くした後、あれは死に絶えていただろう。だが、その代わり、凶暴性は増し、攻撃を通さぬ外皮を得ていた。勇者と戦士の剣で傷を付けるのがやっとである程に。

 魔法使いを殺す為に送り込んだのか、それとも勇者を殺す為か。或いはその両方か。どれにせよ、ディアドバゼルは討伐された。思惑は一旦は阻止されたと見て良いだろう。


 騎士、魔導士達はそれに臆する事は無かった。実力は足りずとも、その粋は褒められるべきだろう。そも、ディアドバゼルは遭遇すれば命は無いモノと思えと言われる程の魔物だ。都市を壊滅させる事なぞ造作もない。出力こそ落ちていたが、まさしく決して砕ける事の無い鋼鉄を攻撃し続ける様な虚無感であっただろう。

 当たれば即死の攻撃が絶え間なく飛んでくる。少しでも防御の陣形を崩せば壊滅だった。死を眼の前にして、冷静に団長の指示を聞く。綺麗な統率であった。これは団長だけでなく、彼らが彼らを信用しなければ出来ない事だ。

 

 だから、安心して彼女も魔法使いと成れる。魔法使いがこの国を出れば、襲われる理由も無いはずだ。今後このような魔物が出現する心配はない。


 思えば、勇者達がアルタイルブリングスに辿り着いた頃出現していたグローヴメイデンも魔王が用意したモノだったのだろう。

 なんというか、後先を考えないのだろうか。


「ぜぇ、はぁ、悪い、休憩させて、くれ……。一体何キロあるんだ」


 ガシャンッ! と巨剣を地面に置き、膝に手をついた勇者は、汗を額に浮かべ息を切らしている。


「やっぱ手伝う」

「やめろ、これは意地だ。男としての、なッ!」


 数秒の休憩の後、彼は再び巨剣を持ち上げた。意地、プライドである。同じ男、同じ選ばれた者だ、こんな剣軽い軽いッ! 本当にくだらない意地だ。なんか負けた気がするから、と彼は巨剣を一人で持ち上げ運ぶ。


「もしかして馬鹿なの?」


 少女は疑問をそのまま口にした。流石の彼女の眼にも馬鹿みたいに映ったのだろう。


「うるせぇ、馬鹿だろうが鳥だろうが関係ねぇ! 俺は勇者だ、この程度の試練、造作もないッ!」


 見苦しく思えて来た。亡霊たちはその様子をクスクスと笑っている。少女はそれを冷めた眼で見て、小さく息を吐いた。


 そうして暫く、ようやっと宿に着いて、勇者はガシャンッ! と再び剣を地面に置いた。


「階段は無理だッ!」

「だろうな」


 あろう事か、彼らの泊っている部屋は二階にあるようだった。流石の勇者も無理だと諦めてしまった。


「しかし助かった。ここまで来れば部屋に運ぶくらいはなんとかなるだろう」

「外に置いておいても誰も盗れないだろ」

「馬鹿言え、この剣はオレの誇りだ。忠義だ。手放す訳にはいかん」

「なら投げるな、馬鹿」


 そうやって馬鹿な話をしている間に、いつの間にか背後に人影があった。


「や」


 と短く陽気に挨拶したその影は、少女の眼の前に立って、じっと顔を見つめている。


「団長さん?」

「こんばんは」

「騎士達はどうしたんです?」

「彼らは既に帰路に着いたよ。私は個人的に君達に挨拶をしておこうと思ってね。これから厄介な話になるだろうから、一言でも、と」

「わざわざ申し訳ない。本来なら俺達から行くべきだというのに」

「今日は助かった。君達が居なければ、騎士、魔導士達に死傷者が出ていた事だろう。ありがとう」

「こちらこそ、貴方の魔法が無ければ、あの装甲は切り落とせなかった」

「それはこの子の強化魔法があったからだよ。私だけでは届かなかったはずだ。君達は英雄だ。勇者の到来を民は喜ぶだろうね」


 彼女は少女をじっと見つめる。少女は照れたのか勇者の後ろに隠れてしまった。


「それじゃ、また明日。良いニュースをお届け出来る事を確約しよう」


 彼女の左目に浮かんでいた紋章は消えている。印を掲げていたはずだが、今の彼女にはそれが見えない。化粧か何かで隠せるとは思えないが、何かの魔法でも使ったのだろうか。


「良いニュース?」

「君達がこの国に来た目的を果たそうって事だよ。とにかく、また明日。本当はゆっくり話をしたかったんだけれど、王に顔を見せなくちゃいけなくてね」

「そうですか」


 にしても、なんだか意外だ。勇者は案外権力のあるヒトに対しては丁寧な言葉遣いを心掛ける事が出来たのか。少女も少し驚いている。確かに団長相手に粗相をしては大問題だ。だが、これまで見て来て出来た彼のイメージとは少し違って見える。

 とはいえ、ヒトは色々な側面を持つものだ。そういう事もあるのだろう。


「じゃあね」


 団長は少女に対し小さく手を振って、踵を返し王城へと足を運ぶ。少女は、勇者の影から手を振り返した。


「オレ達がここに来た目的か。そうじゃないかとは思ったが、なんというか捻りが無いな」

「予想通りではあるがな。あの魔法は、この時代のものじゃない。古い時代の原初の魔法。そんなモノを扱えるのなら、そりゃあ魔王だって選びやすかったろう」


 勇者は小さく溜息を吐いた。


「しかし、選ばれたからと言って、あのヒトは俺達とは行動を共にする事はないだろう。あれだけの地位と名誉を捨てて魔王の征伐へ向かうなど、通常じゃありえない。同じ立場であれば俺は旅をしていないだろう」

「オレは……どうだろうな。解らない。だが確かに、あの地位と名誉を捨てるというのは中々に惜しい」

「……俺はこいつを宿まで送る。ここに泊める訳にはいかないだろう。戦士は剣をちゃんと運びこめよ」

「了解した」







 翌日、少女は朝にきちんと目を覚ました。昨日の疲れはまだ落ちていないが、朝なので起きなくては、と目を開いた。


「…………」


 彼らの話を彼女はきちんと理解していた。彼らは魔法使いを見つけた。目的は達し、団長の返事がどうであろうと、この国を出るだろう。

 その時、彼女は一人になる。最早勇者達が彼女を連れ歩く理由も道理も無い。ここまで世話してくれた時点で、責任は果たしている。


「……………………」


 ボクはどうしたいんだろう。とベッドから起き上がる事が出来ないまま思考を巡らせた。自分に出来る事、したい事。良く解らない。ただ生きる為に魔法を使っていた人生だ。例えどれだけ忌々しいと思っていても、その事実は変わらない。

 彼女は魔法が使えたから生きている。その事実が余計に彼女の心を締め付けていた。

 どれほど憎たらしく忌々しくとも、彼女の命を助けていたのは魔法だ。魔法が無ければ、最初に死んでいた。食料にもありつけず、雨も凌ぐ事は出来なかっただろう。

 村人たちは生きる事に必死だった。だから彼女は消費されたのだ。彼女を消費すれば傷は治る。

 聖女と崇めながらも、ヒトとして扱う事は無く、彼女を使い続けた。少女は決して拒む事は無かった。そうすれば皆は笑ってくれる。そうすれば皆は幸せだって思ってくれるかもしれない。だから、自分が傷付いたって構わない。


 でももう彼女には何もない。治癒が出来た所で何の役にも立たない。ここは村じゃない。身体を求められる事も無い。だから、生きる意味がない。

 魔法を教えてもらおうとしたのも、結局ただの気まぐれだ。あのヒトの事を知ろうとしたのも気まぐれ。何もかも気まぐれだ。

 だって理由がない。理由がなきゃ生きられない。


 今思えば少女の暮らしていた村は元より変わった村だった様に思う。生きているから生きるだけという事を決して許さない。生きるのならば生きる意味を持て、と村人たちは口々に言う。繋ぐ為に、意味を問う。でなければ、閉じたコミュニティである村は死んでしまう。

 自分の為ではなく他の誰かの為、ひいては村全体の為に生きて働く。子供であろうが関係無い。畑を耕し種を撒く。水が無くなれば水を汲みに小川へ行き、魔物が出ればなけなしの武器で戦い撃退する。子が生まれれば世話をし、肉が無くなれば狩りへ行く。

 これら全て大人も子供も関係ない。生きる為に、意味を問う。


 生きる意味とは、誰もが無自覚に手にしているモノ。例えそれを認めがたいモノであろうと、必ず一つは手にしている。死ぬのが怖いからという者もあるだろう。生きる為に誰かの役に立ち、良いコトを続ける。それが村における掟の様なもの。


 だから今もそれが頭から離れないのだろう。生きる意味が無くとも生きて良いとそう思えたのなら、こうも卑屈にはならなかったろう。だが彼女にはそれが耐えられない。小さい理由で良いから意味が欲しい。

 けれど、けれど彼女にはそれが無い。その小さい理由さえも見つけられない。求められた事に答え続けるのが彼女の人生だ。生きる意味だ。

 だが、もう求められる事はない。勇者は、自由を知れという。自由とはなんだ、意味はあるのか? 彼女の話を聞いて、そうか、と短く返しただけの冷淡な男にそんな事言われる筋合いは無い。お前の方こそ自由じゃない癖に。


「………………………………」


 仕方なく身体を起こした。眠気は取れない。する事が無いのだ、眠っていた方が考える事が無くて気楽だ。

 ただ、勇者達がこの国を離れれば、この宿屋も出ないといけない。支払いは彼がしてくれている。だから彼らが居無くなれば、支払い能力の無い少女は追い出されてしまう。


 戦ったとは言えないが、一応初めて戦闘には参加した。彼らの傷を癒した。あの魔法をこの眼に焼き付けた。それを美しいと思ったし、今もまだ目を瞑ればそこにある。

 あれこそが勇者達が探し求めていた魔法使いであると、理解した。あれだけ凄い魔法が使えるのだから、選ばれて当然だ。


 解らない。忌々しい癖に美しいだなんて、どうかしている。


「星、綺麗だったな」


 とそんな事を口にぼやいていると、とんとんっ、と部屋のドアがノックされた。


「っ! ひゃいっ」


 驚いて声を裏返しながら、返事をすると、あ、起きてた。と女性の声がした。


「……だ、んちょうさん?」

「そうそう。開けて良い?」

「う、うん……良い、ケド……」


 どうしてこんな所に来たんだろう。彼女が行くべきは勇者達の所だろうに。というかなんで知ってるんだろうか。


 がちゃっと、ドアが開かれると、帽子を脱いだ彼女が居た。その左目には紋章があった。


「……そっか。やっぱり」


 少女は小さく呟く。バレないように小さく溜息を吐いて。


「話をしに来たんだ」

「話?」

「うん。大切なお話。これから旅をするにあたって、女子二人でお話出来れば良いなと思ってさ。ほら、色々入用だろう?」

「え…………………………っと?」

「うん?」

「あの、ボク、旅にはいけない、よ?」

「うん??? あれ? でも昨日は一緒に……」

「あれはボクの我儘だもん。ボクはここでお別れだよ」

「そうなの? あー……そっか……そうなんだ……」


 なんだかかなりショックを受けているようだ。そんなにも意外だったのだろうか。まぁ、確かに男二人の所に女の子一人だなんて不安だろう。魔法使いは腕を組んで困ったような表情を浮かべ唸っている。


「着いて来る気はないの?」

「勇者がダメだって」

「理由は?」

「ボクに理由がないからだって」

「そっか。そうだね。理由は無い……のか。過去の事は深く詮索するつもりは無いけれど、普通じゃ考えられないもんね」


 理由がないのに、どうしてか勇者達と共に街に現れた。確かに普通じゃ考えられない。こちらに来たのも我儘だ。生きられない、と我儘を言って無理に着いて来た。昨日だってそうだ。我儘ばかりだ。これ以上はもう……。


「でも、理由が無くとも、行きたいと思うんでしょ?」

「……………………生きられないから」

「着いて行けば生きられるって思ったの?」

「……うん。でも選ばれていない者を連れ行く訳にはいかないって」

「戻れる内に戻しておこうと考えたのか。確かに、人生はめちゃくちゃになるだろうね。名前を、故郷を、過去を捨てて魔王の征伐に命を賭す。それが印の意義だ。でもね」


 魔法使いは少女の手を取る。


「決して、選ばれたからと言ってそれが魔王征伐に加わる理由にはならないんだよ。確かに選ばれた者は魔王を征伐すべきだと思う。けど、これまでの人生を全部棄てるなんて普通のヒトには出来ない。流石に、私だって少しは躊躇う。だから同じ様に、印が無くとも征伐に加わる事はダメな事じゃないと思う」

「……違うの。ボクは魔王の征伐になんて興味無いんだ。生きる理由も無い。ボクはヒト殺しだ。誰かの為になんてもう生きられない。魔王を斃すのは、自分の為じゃない。誰かの為だ。だったらボクには印があろうとなかろうと、資格なんて無いんだ」


 ヒトを殺した者が誰かの為に生きるなんて今更許されない。例えそれが事故であろうと、事実は変わらない。


「攻撃魔法を使えないくらい誰かを傷付けるのが嫌いなキミがヒトを……?」

「…………そうだよ。ボクは魔法でヒトを殺したんだ」


 魔法使いは、まるで度し難いモノを視るかのような顔で、少女を見つめた。ヒトを殺したという罪に対してじゃない。魔法の仕組みを理解している彼女にとってそれはあり得ない事にしか思えないからだ。

 少女が攻撃魔法を使えないのは、彼女が心の底で嫌がっているからだ。魔法は結局は意思の力。その意思が否定しているのだから使えようもない。だから、ヒトを殺しただなんてあり得ない、と彼女は納得し難いのだ。


 でも、彼女がそういうのなら、何か壮絶な理由でもあるのだろう、と察した。それも魔法で、だ。


 魔法使いは、彼女から手を放し、その手を彼女を抱きよせるのに使った。


「え」


 驚いた少女が素っ頓狂な声を出す。魔法使いは何も言わず、優しく抱きしめている。


「ど、うしたの?」


 こうして誰かに抱きしめられるのなんていつ以来だろう。母親に抱きしめられたのが最後だから、十年くらい前だろうか。花の様な柔らかい匂いがする。


「……ごめん、上手く言葉が思い浮かばなくて、でもそんな顔をされたらこうしないとって」

「…………抱きしめて欲しそうな顔してた?」

「そうじゃない。そうじゃない、けど。死にそうな顔してた。ごめん、嫌かな」

「嫌じゃ、無いよ。落ち着く。でも、びっくりした、から」

「キミは、きっと何も悪くない、と思う。私はキミの事は殆ど知らないけど、キミの特性上、ヒトはおろか魔物を攻撃する事だって出来ないはずだ。癒すのがキミの本分なんだ。だから、キミは多分悪くない」

「……うん」


 抱きしめたまま、魔法使いは少女の頭を自分に寄せる。


「今まで苦しかったね。でも大丈夫。生きる意味なんて無くても生きて良いんだ。生きる意味っていうのはね、死ぬ時に、あぁ生きて良かったって思えば勝ちなんだ。それが生きる意味なんだよ」

「……………………そうなのかな」

「今はちょっと疲れてしまっただけだよ。私の言葉に納得出来ないなら、一緒に旅をして見つけよう。一人では生きられなくとも、一緒なら生きられるでしょ? それに、キミが居るなら私も嬉しい」

「………………………………うん」

「私も勇者の説得してみせるからさ」

「……うん」


 少女も少女でどう答えれば良いか解らなかった。どうしてここまでしてくれるのだろう、とか、関係無いだろとか、色々言葉はあったけれど、どれも口からは出なかった。

 魔法使いの言葉は多分嬉しいモノだ。なんだかズレた事を言っている様にも思えるが、生きる意味についてばかり悩んでいた彼女にとって、最後に良かったと思えば良いという言葉は、少しだけ心が軽くなったような気がした。


「それじゃ、まずはどうやって勇者を説得するかだね」


 少女から離れた魔法使いは、うーん、と腕を組み考え始める。もう少し抱きしめられていたかったな、なんて思いながら、少女も考えるフリをする。

 暫く無言の時間が続いて魔法使いが口を開いた。


「ねぇ、キミは嘘を吐くは平気?」








 一目見た時、あ、この子は凄い子だ、と思った。纏う魔力の形が変質しかかっていた。最初からずっと治癒魔法を使う為だけに魔力が生成されている。戦士や勇者が行っている様な自身の身体強化さえも出来ない。治癒魔法にのみ特化した魔力だ。

 通常、そんな事はあり得ない。魔力は本来、魂から発せられる、オドリオンという物質と混ざり合う事で魔法として発現する。オドリオンはいわば感情の波。感情によって性質を大きく変える物質だ。

 だが、少女のそれは、魔法を使わずともほんの少しオドリオンが混ざっている状態になっている。全身を巡る魔力全てが、だ。

 あり得ない話ではない。魔力を恒常的に枯渇させ続けながら、それでも同じ魔法を使い続けようとすれば、オドリオンがその波を覚え続けてしまうだろう。少女の場合、傷を癒したいという強い願いが、そうさせたのだろう。だが、それは劣悪な環境下でのみ起こり得る現象だ。

 その過去を詮索するつもりは無い。けれど、あぁ、きっとこの子はどこか壊れているのだろうと思った。

 別に団長だからとか、そういうのじゃない。ただの気まぐれで魔法を教えてあげようと思った。何も持ちえなかった自分が、魔法を手にして変わった様に、彼女も変わるかもしれない、なんてそんな事を夢見ながら。


 結局、今教えられたのは雑な強化魔法だけ。けれど、その強化魔法はかなり強力なモノだった。普段なら一つが限界なのに、強化魔法を受けた時、拡大増幅複写が可能だと絶対的な確信があった。そうして三つとなった魔法が障壁を食い破ったのだ。


 あの子の治癒、いや、支援魔法は天性のモノだ。才能だ。天才だ。彼女を連れて行けば、必ず魔王を斃せる。


 生きる意味がないなんて悲しい事を言わないで欲しかった。そんなの当たり前だ。生きる意味を自覚して生きているヒトの方が珍しいはずだ。最後に笑って死ねたらそれだけで良いじゃないか。何を迷う事がある。


「ずるいな、私は」


”わたしは、彼女を利用する。それが最低な行為だとしても私は──”







 手を取った。伸ばされた手に、小さな明かりを見つけて、手を取った。


 解ってる。理由はない。意味はない。そんなのはきっと見つからない。


「ねぇ」


 と魔法使いに声を掛けると、彼女は、うん? と微笑み返してくれた。


「ボクは、幸せになれるかな」

「さぁ。どうだろう。今は解らないけど、生きていれば解るよ」

「……そうだね」


 生きろ、という。生きる意味は無くとも、生きて良いんだと言う。解らない。どうしてそう言えるのだろう。ヒトは生きる意味がないと生きちゃいけないのに。どうして彼女はそんな事を言うのだろう。

 少女にとって、その言葉は、信じられないモノだ。村では意味がないとダメだった。実際、意味が無かったら、彼女はとっくに死んでいた。どんな事があろうと、村人たちを癒さないと、って。


 じゃあ、なんで逃げた。どうして逃げたのだ。村人を殺して、なんで逃げた?


 その時点で生きる意味は無くした癖に、どうして逃げた。あの時死ねば良かったじゃないかッ!

 それが、村の教えだろう。


 “死にたくないとどうして思ったんだろう。生きたいってなんで思うんだろう“


 でも、彼女の言葉で心が軽くなったのは事実だ。優しい言葉だと思った。村の外に出て出逢った勇者と戦士は生きる意味を明確にその手に握っていた。剣に、国に誓って征伐の旅に出た。どんな険しい旅になろうとも必ず成し遂げる、と彼らは口にする。

 それが彼らにとっての生きる意味だ。


 だから、余計に何もない自分を責めてしまったのだ。誰もが生きる意味を持っているって勘違いしたのだ。


 苦しくて、仕方なかった。旅に着いて行けば見つかるかもしれない、と彼女は強引にカルイザムへの旅に同行した。

 でも結局見つからなかった。

 でも旅をする理由は出来た……と思う。生きる意味を探す旅だ。自分を探す旅に出るとか、まぁそんな感じ。それなら十分理由になるはずだ。


 旅を続けよう。勇者に反対されようとも、理由なら出来た。着いて行く理由は……思いつかないけれど、少女には彼らしか居ないのだ。縋って縋って縋りつくしてやる。そうじゃないと生きられない。生きる方法を知らないのだ。


「大丈夫?」

「だいじょーぶ」


 魔法使いは少女の顔色を窺い、心配そうに見つめる。彼女は吐きそうな顔をしていたらしい。


 魔法使いは手を繋ぐ。少女右手を取って、隣を静かに歩く。緊張しているとでも思われたのだろう。これから、少女は一世一代の大嘘を吐く。到底騙せるとは思えない。けれど、魔法使い曰く覚悟の問題だから大丈夫だと言う。


 確かに、勇者は最初から印を気にして少女を連れて行かないと言った訳ではなかった。人生に傷を付けるだとか、後悔するだとか、そういう事を言って嫌がっていた。

 ならばそれ相応の覚悟を見せれば良い。


 ゆっくりと息を吐く。やっぱりちょっと緊張しているようだ。ヒトに嘘なんて吐いた事が無い。初めての嘘が人生において一番大きな嘘になる。これ以上の嘘なんて存在しないだろうってくらいの大嘘だ。例えそれが自分の人生を大きく決定付けるとしても構わないと思えるだけの大嘘だ。


 旅に着いて行くと決めた。だからもう後戻りはしない。


 彼らが泊っている宿が見えると、その下に二人が居た。彼らはこちらに気付くと、戦士が手を振る。


「さぁ、ここからはキミ次第だ。きちんとバックアップするから頑張ろうね」

「……うん」


 彼女は力強く頷いて、大きく深呼吸する。言う、言うしかない。言うしかないのだ。


「おはよう」


 戦士は少女に声を掛け、彼女は足を止めた。


「お……は、よう」


 詰まりながらもなんとか声を返す。魔法使いも少し遅れておはよう、と口にする。


「改めてよろしく。貴方達が魔王を討滅するというのなら力を貸そう。輝きの砲台はここに、貴方達の道行く先を照らそう」

「……そうか。やはりお前の魔法は、異端だな? 遥か時を超え、お前にのみ継承されたか。それが選ばれた理由だな?」

「いや、扱えるのは私含め二人だよ。決して私だけって訳じゃない。あるヒトから継承したんだ」

「そうか……。まぁ詳しい話は伏せておくか。ずかずか踏み込むべき領域ではないな」


 そうして勇者は少女を見つめた。


「それで、お前はどうしたいんだ?」

「…………っ」


 そう聞かれて、彼女は口ごもった。言うべき事は一つだけと解っているのに、やっぱり緊張しているらしい。


「大丈夫、落ち着いて」


 魔法使いは少女の手を握る力をほんの少し強くする。


「ボ、ク……は。その……」


 少女は、握られた手を放して、もう一度深呼吸する。そして、震える右手を左手で支えて、彼らの見せびらかす様に翳した。


「ボクは……、僧侶、だ。だから、着いてく。良いでしょ?」

「………………そうか。よろしく頼む」


 彼はとても簡単に、あっさりと認めた。嘘だなんて丸わかりだ。声も震えて、嘘を吐いていると自白している様なモノ。けれど、彼はそれを信じた。覚悟というのはそういうモノだ。名乗った以上引き戻れない。

 僧侶と名乗る事に、抵抗が無い訳じゃない。選ばれてない癖に、まるで選ばれたかのように振る舞うのは心底気持ち悪い。


 解らない事は沢山ある。少女自身、自分が何を思って何をしようとしているのか理解出来ていないのだろうか。生きる為、だと思う。ただそれだけの為に、人生を捨てた。

 矛盾しているが、だが彼女の中では一貫しているつもりだ。旅の果てに、生きる意味を見つけられたのなら、それは何よりも良いコトだ。彼女にとって、意義がある。


 確証はない。何も持ちえない彼女では、旅をした所で得るモノは何もないかもしれない。彼女がどれだけ治癒魔法を使おうとも、彼女にとってそれは当たり前の事で、何も無いのと変わらない。

 彼らにはは『特別』がある。それぞれ特異な体質や特性を持っているが、しかし僧侶には何もない。普通とは言えないが、ただの女の子だ。過酷な旅に着いて行ける保証はない。


 でも、一つだけ確かな事がある。確信している事がある。誰かに否定されても、これだけは絶対にそうだと言える事が一つだけある。


 どうして、生きたいと思ったのか。

 どうして、カルイザムまで着いて行こうとしたのか。

 どうして、ディアドバゼルとの戦闘に着いて行くなんて言ったのか。

 どうして、魔法を使える様になりたいと言ったのか。

 どうして、簡単に魔法使いに従えたのか。

 どうして

 どうして、

 どうして……


 その答えは、僧侶の中で出ている。簡単な事だ。

 バカバカしいと思うけれど、でも彼女にとってとても大切な事だ。


 初めて抱いた感情……だと思う。同年代くらい……の女性と話をするのなんて何年振りだろうか。同年代の子供達は全員攫われたから、何を話せばいいのかとか解らなかった。


 この感情の正体は知っている。心の中でもやもやと燻る感情は、簡単に形容できる。けれど、それを認めると、なんだか節操が無いみたいじゃないか。言葉にしてはいけないと思うし、これを理由にしちゃいけないと思った。


 確かに、彼女がカルイザムに来た理由はこれじゃない。その時は知らないのだから当たり前だ。でも、どうしても、そうなんじゃないかって思ってしまう。思えてしまう。それだけの力がある。

 もしも理由があるのなら、きっとこうであれば嬉しい、なんて願望だ。全ての理由がこれに帰結する。


 正直自分でもなんで? と思っているし、実際意味不明ではある。まだ友達だとかそういうレベルになる程話した事がある訳じゃない。たった数日で、交わした言葉も少ない。

 けれどそれでも、あの綺麗な魔法も、他人の自分にとても優しくしてくれたりとか、気遣ってくれたりしたらさ、そんなのされたら仕方ないじゃないか。


 知らないんだ。何も。何がどうすれば、そう呼べるのか。何を知って、何を聞いて、何かを考えても、結局解らないって言うかもしれないけれど、ただ一つ、大まかな事だけれど言える事がある。


 何も特別じゃない。誰だって持ちえる感情だ。それをヒトビトがどの様に紡ぐかはそれぞれだ。言葉にすべき類のモノでは無かったりもするだろう。もしかすれば彼女のそれもそういう類のモノかもしれない。


 そう、理由が無い。いや、それは正確ではないな。あるにはある。だが、彼女がそんな感情を魔法使いに抱いてしまった理由なんて、ちっぽけなものだ。ちょっと優しくされたからって、そういうとてもチョロい話。きっとそれは魔法使いじゃなくてもいい。もしも全く関係の無いヒトに声を掛けられて優しくされたら、同じ感情を抱いていたと思う。だからこれは一時の迷いだとも言えるだろう。だが、それでも、人生なんて一時の迷いで劇的に変わるものだ。


 勇者に認められたのが嬉しかった。だから、ちょっとだけ漏れてしまったんだ。


「ボクは、きっと君に会う為にここまで来たんだ」


 過去全ての記憶が、足跡が、彼女と出逢う為だった。そういう事にしてしまえば、単純だけれど何だって幸せだと思えた。だから、もう大丈夫。気分は落ち込まない。変にハイテンションになったりしない。


 魔法使いはその言葉に微笑んだ。その微笑みは、どういう意味なのか、解らなかったけれど、思わず目を逸らしてしまった。照れてんじゃねー。


“ボクは、魔法使いちゃんに出会う為に、生きて来た。だからこれからは……”


 あぁ、しまった。そうだ、これが生きる意味だ。なんだ、旅を始めるまでも無かったじゃないか。

 仕方ない、だったらこうしよう。


“ボクの生きる意味は、君と一緒に居る事だ”

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第一節 そして君と出逢う。 成瀬。 @narusenose

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