第4話。ワンマンライブへ



第四話「まさかのカラオケ熱唱と、加速するニンマリ」


カイさんからの「お嬢さんの件で、もう少し詳しくお話を」という、もっともらしいけれど、どこか個人的な興味も隠しきれていないようなお誘いに、わたしとあゆみは、あれよあれよという間に都心のおしゃれなカフェテリアにいた。あゆみの将来の話が一段落し、和やかな雰囲気になったところで、カイさんが爽やかな笑顔で切り出した。


「あゆみちゃん、歌とかは好きなの?もしよかったら、この後、軽くカラオケでもどうかな?気分転換にもなるし」

「え!行きたいです!カイさんの歌も聴いてみたいなー!」

キラキラした目でカイさんを見るあゆみ。いや、あんたのスカウトの話がメインでしょうが!と心の中でツッコミを入れるが、カイさんの「佐藤さんも、もちろんご一緒に」という有無を言わせぬ笑顔に、わたしはなすすべもなく頷いていた。


最新のカラオケボックスの、やたらと広いパーティールームに通された。あゆみは早速デンモクを操作し、流行りの曲を立て続けに熱唱。カイさんも、リクエストに応えて人気アーティストの曲をスマートに歌いこなし、わたしは(場違い感…)と隅で小さくなっていた。


その時だった。

「ブフッ!ちょ、お母さん!お母さーん!見てこれ!ヤバいって!」

あゆみがデンモクの画面を指差し、肩を震わせている。嫌な予感しかしない。


画面には、信じられない文字が躍っていた。

【仏恥義理エンジェルス】

――そして、その下には『仏恥義理ロード』『愛羅武勇!仏恥義理伝説』など、数々の黒歴史タイトルが!


「なっ…!な、なんでこんなものが…!え、嘘でしょ!?誰がこんな…!」

わたしの顔からサッと血の気が引くのがわかった。あゆみは腹を抱えてヒーヒー言っている。

「お母さん!伝説、カラオケにまで刻まれてるじゃん!これはもう歌うしかないって!ねえ、カイさん!これ、お母さんのデビュー曲らしいですよ!」

カイさんは目を丸くした後、興味深そうに画面を覗き込み、「へえ、すごいですね…」と呟いている。その表情は、決して馬鹿にしているわけではなく、純粋な驚きのように見えるのが、また気まずい。


わたしが「ぜ、絶対歌わないからね!」と顔を真っ赤にして抵抗していると、あゆみがさらにデンモクをいじり、「あっ!」と声を上げた。

「うそ…!お母さんのソロ曲まである!『夕焼けセンチメンタル・ロード』!しかもバラードって書いてあるし!どんだけマニアックなの、このカラオケ!」


カイさんの目が、キラリと光った。

「…『夕焼けセンチメンタル・ロード』…本当だ。僕、この曲、本当に好きなんですよ。まさかカラオケに入っているとは…」

そして、真っ直ぐにわたしを見た。

「佐藤さん…もし、もしご迷惑でなければ…ぜひ、聴かせていただけませんか?」


(ぎくううううううう!)

カイさんの、あの純粋で、期待に満ちた眼差し。そして隣では、あゆみが「歌え!歌え!」と無言の圧力をかけてくる。もう、逃げ場はない。

「…わ、私なんかが歌っても…昔のことですし…」

「そんなことありません。ぜひ」

カイさんの優しい声に、観念した。


マイクを握る手が震える。イントロが流れ出すと、心臓が口から飛び出しそうだった。

(ああ、もうどうにでもなれ!)

意を決して歌い出す。最初は声も小さく、音程も不安定だったかもしれない。恥ずかしさで死にそうだった。


――でも。


ふとカイさんを見ると、彼は目を細め、本当にうっとりと聴き入ってくれているようだった。あゆみも、最初は面白半分だったろうに、いつの間にか真剣な顔でこちらを見ている。

(あれ…?なんか…悪くない…かも…?)


ワンコーラス歌い終える頃には、不思議と緊張が解けていた。そうだ、わたし、歌うの、嫌いじゃなかった。この曲、自分でも気に入ってたんだ。誰にも評価されなかったけど。

二番に入る頃には、自然と声量も上がり、気持ちが乗ってきた。歌詞の一つ一つが、当時の切ない思いと共に蘇ってくる。


そして、曲が終わった。一瞬の静寂。

パチパチパチ…カイさんが、本当に心の底からといった感じで拍手をしてくれた。

「素晴らしい…本当に素晴らしいです、佐藤さん。あの頃と変わらない…いえ、深みが増して、さらに心に染みました」

あゆみも「…お母さん、やるじゃん…ちょっと感動したんだけど」と、珍しく素直な感想を口にした。


その言葉に、何かが弾けた。

(そうよ!わたしだって、やればできるのよ!)

さっきまでの羞恥心はどこへやら。わたしはデンモクをひったくると、宣言した。

「よーし!こうなったら、とことん付き合ってもらうわよ!」


「えっ、お母さん!?」

「ま、まさか…」


わたしはニヤリと笑い、入力した。

『仏恥義理ロード』


イントロが鳴り響くと同時に、わたしはソファから立ち上がり、マイクを握りしめた。

「いくわよー!仏恥義理エンジェルス、菜々美!一夜限りの復活よーっ!」

ヤンキー時代の、どこで覚えたのかも定かではない妙な振り付けまで飛び出す始末。

「♪愛羅武勇で夜露死苦ベイベー!♪」

恥ずかしさは完全に吹き飛び、むしろ快感に変わっていた。


あゆみは最初、唖然としていたが、やがてお腹を抱えて笑い転げている。

「お母さん!キャラ変わりすぎ!ウケる!最高!」

カイさんは、といえば、少し驚いた顔をしながらも、終始ニコニコと、いや、ニンマリとこちらを見守っている。その目は、呆れているというより、どこか愛おしいものを見るような…そんな温かさがあった。


『仏恥義理ロード』を熱唱し終えると、わたしは息を切らしながらも、さらにアルバム曲を検索。

「次はこれよ!『エンジェル・ダスト☆ロックンロール』!」

「も、もういいよお母さん!お腹痛い!」

「カイさんも、何かリクエストは!?」

完全に、わたしのワンマンライブ状態だった。マイクを握ったら離さない。何十年ぶりかのステージ(カラオケだけど)に、わたしは完全に酔いしれていた。


数曲ぶっ通しで歌い踊り(?)、ようやくソファにへたり込んだ時には、あゆみは笑い疲れ、カイさんはずっと優しい笑みを浮かべていた。

「…ふう。ごめんなさい、なんか、取り乱しちゃって…」

我に返って、急に恥ずかしくなる。


すると、カイさんがそっと言った。

「いえ…すごく楽しかったです。佐藤さんの新しい一面が見られて…本当に、魅力的ですね」

その言葉は、社交辞令なんかじゃなく、心の底から出た響きを持っていた。


あゆみは、そんな私たちを交互に見て、またニンマリと意地の悪い笑みを浮かべる。

「カイさん、お母さんのガチファンだったりして。あんなに楽しそうに見てるんだもん」

「こ、こら、あゆみ!」


わたしの顔は、きっと茹でダコみたいに真っ赤になっているだろう。

でも、不思議と嫌な気はしなかった。むしろ、心の奥底が、じんわりと温かくなるのを感じていた。


黒歴史だったはずの過去が、こんな形で誰かに受け入れられ、そして自分自身も楽しんでしまえるなんて。

カラオケボックスの喧騒の中で、わたしは、ほんの少しだけ、未来への淡い期待と、カイさんへの加速するニンマリを止められないでいた。


(続く…のか?)

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