第二章 17話 『問答の時間です』

 地方支所の奥の棟、小さな応接間が設けられていた。

 年季の入った丸テーブルを挟むように、ソファが二つ向かい合って置かれている。リオットとクラリスは並んで腰を下ろし、リオットは窓の外に見える大木をぼんやりと眺めた。


 ほどなくして、素朴な木のコップが三つ、テーブルの上に静かに置かれる。支給係の人がそっと頭を下げて去っていくのを、リオットも軽く頭を下げして見送った。

 コップの中でカランコロンと氷が鳴り、リオットは澄んだ音を聞きながらそっと口をつける。


「ウーレンで長く飲まれてきた茶葉だ。百年ものあいだ、人々に愛されてきた代物だ」


 無骨にそう言われ、リオットは素直に頷いた。


「さっぱりとした口当たりで、とても美味しいです」


 その返事にダルクがわずかに口角を上げて頷くのを見て、リオットの胸に小さな確信が灯る。

 ――この人は、本当にこの都を大切にしているんだ。

 支所に来るまでの道すがら、ダルクは何度も住民たちに声をかけられていた。

 それは決して畏怖だけではなく、どこか頼もしさを含んだ視線。彼がこの街の人々から深く信頼されていることが、自然と伝わってくる。

 木のコップを両手で包むクラリスも、どこか感心したように目を細めている。

 

「さて――お前たちのここでの目的を聞いておく。余計な憶測は混乱を呼ぶ。正直に話せ」


 ダルクは椅子の背に肘をかけたまま、短く顎をしゃくって促す。リオットは黙ってコップを机に戻し、背筋を伸ばした。


「……ウーレンの都に、“不幸な子”って噂されている子がいます。名前はルルゥです。さっき、偶然会いました。

まだ憶測ではありますが、彼はきっと祝福者だと私は考えています。だから、その確認をするのが目的です」


ダルクは、ふうと鼻を鳴らす。


「……その子供のことは、こちらでも把握している。確かに、彼の周りで不自然に小さな事故が起きるというのは住民たちからも聞いている。そして、住民たちが彼を恐れていることもな」


 夕暮れの光が、カーテンの隙間を縫って応接間に降り注いでいた。鋭い西陽が、丸テーブルのカップと向かい合う三人の影を、ゆるやかに重ね合わせている。

 その沈黙を割るように、リオットがそっと問いを投げかけた。


「ダルクさんは、ルルゥが祝福者だと思いますか?」


 問いかけに、正面のソファに座るダルクは腕を組んだまま背もたれに体を預ける。落ちかけた夕陽が窓の外を朱く染めるのを一度だけ目で追い、少し間を置いて返した。


「何とも言えん。ただ、世の中には運のいい人間も悪い人間も確かにいる。……カーロイ。逆に問うが、お前は何故、あの少年を祝福者だと考えている?」


「祝福者は、どうしても他人からの目が気になってしまうと思うんです。……あ、もちろん、そういうのが気にならない人もいるにはいますが。それでも、祝福者は自分がそうだと気付かれるのを嫌がるものです。ルルゥ……あの子は異常なまでに何かに怯えていました。彼の祝福を暫定的に“不運を引き付ける”とするなら、彼は今、自分の祝福に振り回されているんだと思います」


「ほう……それで、カーロイ。お前はあの少年が祝福者だと確認して、そのあとはどうするつもりだ? ルルゥが祝福を制御できていないと知りながら、確認して終わりにするつもりか。放っておいて、次の祝福者を探しに行く気か?」


 ダルクはわずかに目を細め、その問いが室内の静けさを容赦なく切り裂く。

 

 リオットは手元の木のカップを指先でそっと押さえたまま、縁に滲むわずかな水滴を見つめている。傍らのクラリスは、声をかけるでもなく、ただ彼の背を支えるようにじっと見守っていた。


 窓の外では、落ちていく陽が刻々と赤さを増し、室内に差し込む光と影を長く引き伸ばしていく。呼吸をひとつ整え、リオットはゆっくりと顔を上げた。


「……いいえ、彼の祝福を制御する術を見つけたいと思っています」


「どうやって?」


「ウィクラーで制御を出来るのでは無いかと、俺は思います」


 応接間の奥に置かれた古びた花刻盤が、ひとつだけ音を刻む。そのわずかな針の音さえ、重い会話の隙間に溶け込んで、静寂を一層際立たせた。

 リオットは自分の首かかるウィクラーに手を当てながら、言葉を続ける。


「俺の首にかけているこのウィクラーは、俺の祝福を隠してくれる代物です」


 ダルクの目がリオットの胸元に向けられる。

 夕暮れの光にウィクラーの金具が微かに鈍く反射した。


「隠す……?」


「はい。俺は祝福を発動すると、瞳に変化が起きて模様が浮かび上がってくるんですが……このウィクラーをかけると、その模様を隠すことができるんです」


「……」


 短い沈黙が、応接間を覆うように広がった。リオットは自分の声が妙に反響するのを感じながら、一度だけ喉を鳴らした。


「俺もすごく驚いたんですけど……でも、こう思ったんです。祝福はウィクラーで制御できるんだって」


「そのウィクラーは何処で手に入れた」


 ソファの背もたれがわずかに軋む。ダルクが低く身を乗り出すと、場の静けさが針のように尖った。


「これは……えっと、特注で作って貰ったやつで」


 リオットの言葉はやや歯切れが悪い。

 夕陽が彼の頬に影を落とし、瞳に浮かぶ不安を余計に際立たせた。

 

「つまり、本部から支給されたものか」


「はい……」


  そう返したリオットは、どこか言い訳を探すような気配が滲んでいた。

 隣に座るクラリスは、その曖昧さをすぐに察したのだろう。伏せることなくリオットを見つめ、心配そうにわずかに眉を寄せた。

 薄暗い応接室。窓から射し込む陽光が、壁にびっしりと詰まった本棚を照らしている。埃の舞うその光の筋が、場の張りつめた雰囲気を際立たせていた。

 カーテンのめくれる音すら、ダルクの低い一言に溶かされる。

 

「本部はお前が記紡者として活動するために、そのウィクラーを特注で用意したのだ。だからこそ、本部に頼ってあの少年のために新たなウィクラーを作らせるなどという考えは捨てるべきだ。我々は記録を残す者であって、慈善活動をするわけではない。ルルゥが祝福者であり、お前がその祝福を記録できたのであれば、その時点でルルゥにはもう用はない」


 ダルクの落ち着いた響きが、重厚な空気に、息苦しいほどの緊張がじわじわと満ちていくようだ。

 それを切り裂くように言葉を投げたのは、リオットではなくクラリスだ。クラリスは唇を噛むと、視線を真っ直ぐダルクへ向けた。

 

「そんな横暴が許されるのですか? 失礼ですが、祝福は私たちにとってとても――」


 今まで黙っていたクラリスが噛み付いた瞬間、古い応接間に漂う重い気配が、かすかに揺れたように思えた。

 だがダルクは、その言葉を遮るように片手を上げる。

 無骨な指先が動くと、長椅子の上に置かれていた小さな金属細工がカタリと微かに音を立てた。

 

「リオット・カーロイ。そして、クラリス・ロゼル。お前たちの旅は、茨の道になるだろう。二人とも祝福者だ。だからこそ、どうしても彼らに肩入れしたくなる気持ちは分かる。だが、すべてに手を差し伸べていては、永遠にお前たちの旅は終わらん。……いや、終わることはないだろう」


 ダルクはそう言うと、上げていた五本の指のうち人差し指だけを残して立て、火のエーテルを解放する。

 その小さな焔は応接間の机の上に置かれた蝋燭に移り、じわじわと燃え上がった。わずかに揺れる炎の光が、ダルクの瞳に鈍い輝きを宿す。


「お前たちも、たった二人でこの世界にあるすべての祝福を記録できるなどとは、思ってもいないはずだ。エルフやハーフエルフのように長命種であるならまだしも……カーロイ、お前も私と同じ、限りある人間だ」


 ダルクは、諭すようでありながらも突き放すようでもあった。ロウソクの灯りで明るくなった応接間で、リオットは 息を吸い込み、目を伏せる。


「エルグラムも、酷なものだな。たった一人の若者に、終わりのない旅を課すとは」


 ダルクは視線を落とし、先ほどまでの鋭さとは異なる表情を浮かべた。


「……それでも、納得して俺はこの旅をしています」


「納得した……のではなく、納得させられたのではないか?」


 問いかけに、リオットの指が膝の上でわずかに動く。

 

「いいえ、そんな事はありません」


 ダルクは肩を揺らし、低く喉の奥で笑った。


「ククッ……すまない。少し意地の悪いことを言ったな。それに、この選択をお前がした以上、その片棒の一端を担いでいるのは私も同じだ」


 古びたロウソクの光に浮かぶその横顔は、先ほどまでの冷徹さをわずかに和らげていた。

 クラリスは一瞬、呼吸を止めると、何かを言いかけるように口を開いた。


「ダルクさん……私は……」


 しかし言葉はすぐに途切れた。ダルクがすぐにそれを包むように続いたからだ。


「地方支所は記紡者を支えるためにある。この支所もそうだが、他の支所も遠慮せずに頼るといい。それと……ウーレン伯とは私個人でも繋がりがある。私の方からも連絡を入れておこう。ウィクラーについても、私なりに手を貸すつもりだ」


 窓の外では、遠くで幻獣の吠える声が空を裂く。応接応接間を張りつめていた気配の棘が、ほんのわずかにほどけていく気配があった。


「ありがとうございます。……けど、ウィクラーの方は個人的に詳しそうな人を一人知っていて」


「そうなのか?」


「いや……でも、助けてくれるかどうか……」


 リオットの脳裏に、あの苛烈な少女――ヴェネリカの顔がよぎる。だが今のところ、彼女と自分の繋がりは無に等しいと言ってもいい。

 リオットが思い浮かべた相手を察したのか、クラリスは何処か気落ちした表情を浮かべ、そっと声を落とした。

 

「リオット……彼女はもうこの街に居ないんじゃないかな」


 囁きに似た音が、夕刻に溶けていく。

 ダルクはそれを聞き届けながら、わずかに顎を引いた。


「アテになるのなら、それでいい。私は私で動かせてもらうとしよう。……今日はゆっくり休むといい。後で案内人を寄こすから、私はこれで失礼する」


 背を向けるダルクの足取りは迷いがなく、古い床板がひとつだけ軋む音を残す。扉の前で一度も振り返らず、片手だけをひらりと振った。


「ありがとうございます……ダルクさん」


 リオットの漏れた礼に、応接間のロウソクの灯りだけが頼りなく揺れて応えた。

 鈍く閉まる扉の音が、その静けさを確かめるように空気を震わせ、部屋に残るわずかな温度を縫い留めていた。


 視線を横にやれば、クラリスは難しい顔をしたまま、テーブルの上のコップをじっと見つめている。

 水面に映る微かな光が淡く揺れ、その揺らめきを見守るリオットの胸の奥に、答えのない問いの残響が、影のように息を潜めていた。

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エルの庭 @mizui_kuuno

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