半年ぶりに帰って来た娘が追放されたかもしれないが、娘は何も言わない

猫野 ジム

第1話 娘は何も言わない

「ただいまぁー!」


 簡素な木の扉を勢いよく開け、一人の少女が元気な声で自らの帰りを知らせた。


 扉の外には牧歌的な風景が広がっており、木々は春の日差しをふんだんに浴び、少し遠くには馬小屋も見える。

 寒村ながら人の姿もあり、それぞれが思い思いに生活をしている様子がうかがえた。

 

 肩まで伸びたツヤのある黒髪に、同じく黒い瞳。前髪を横に流し額を見せているため、声と合わせると明るそうな子という印象だ。

 目鼻立ちがハッキリした少女で、『女性』というよりは『少女』という表現になるほど、その顔にはどこか幼さが残っている。


 それと同じく目を引くのはその格好で、厚そうな生地の服の上に胸当てなど鎧の一部がついており、ライトアーマーと呼ばれるものだ。

 腰には剣を携えていて、それは日々の中に戦いがあることを示していた。


「アイラ!? どうしてここに? 帰って来るなんて手紙には書いてなかったじゃないか」


 そんな少女に向けて、驚きの声と表情で出迎えたその男の名はコウジという。


 自らがアイラと呼んだ少女と同じ黒い髪を短くサッパリと切っており、毎日きちんとヒゲを剃っているのか、清潔感というものがある。

 だがその顔にはどうしても年齢に抗えない部分も表れており、そのシワは彼が産まれてから四十二年という月日を確かに生きてきた証でもあった。


「えへへー、びっくりしたでしょ? お父さんを驚かせたくて!」


「ああ驚いたよ、半年ぶりじゃないか。俺はまんまと期待通りの反応をしたってわけか。それよりもどうした? 手紙には【奈落】に行くと書いてあったと思うんだが」


「それなんだけどね、その前にパーティーとしてお休みを作ろうってことになったんだ。だからお父さんに会いに行こうかなって」


【奈落】というのはとあるダンジョンのことで、どこまで深く潜ろうともまるで終わりがないことから、いつしかそう呼ばれるようになった。


 そこは冒険者ギルドが認定したAランクモンスターの出現が確認されており、そこを探索するには同じくAランクパーティーじゃないと務まらない。アイラはそのAランクパーティーの一員である。AランクはSランクに次いで上から二番目に位置しており、多くの冒険者の憧れだ。


「そうか、そりゃそうだ。Aランクパーティーだって休日くらいほしいよな」


「うん、そういうこと!」


 そしてアイラは簡素な木製の椅子に腰掛け、そこへコウジが温かいスープが入ったマグカップを二つ持って来て、同じく木製のテーブルに置く。

 それを見たアイラは「ありがとう」と言って両手で大事そうにマグカップを持ち、口に近づけた。


「おいしーい! あったかーい! やっぱりお父さんが作るスープ、好きだなー」


 春を迎えたとはいえ、日によってはまだまだ温かいものが恋しくなることもある。今日はまさに絶好のスープ日和だ。


「大げさだなあ。そのくらい誰にでも作れるじゃないか」


「もう、わかってないなぁ。お父さんが作るスープじゃないとダメなの」


「まあ、嬉しいけどな!」と言いながら、コウジは向き合う形で座った。


「ところで念願のAランクパーティーに入った感想はどうだ? 十七歳でAランクパーティーに入るだなんて、異例だからな」


「探索できる場所が増えたってだけで、感覚としてはあまり変わらないかなー?」


「そうなのか。まあ高ランクになった者にしか分からない感覚なんだろうな」


 コウジはそう言うと、まるで何かを思い出しているかのように、ゆっくりとマグカップを口に近づけた。


「だよねー。ねえ久しぶりにお父さんの話、聞かせてよー」


「ええー、特に変わり映えしない毎日だぞ。作物を育て、街まで売りに行き、自分のペースで生きる。それよりも俺はアイラの冒険者としての話を聞きたいよ。手紙だけじゃなくてな」


「もう、しょうがないなぁ。まず私は冒険者になるために、ここから出て王都に行くことにしたの」


「いや、それは知ってるんだが……。今までに手紙をたくさんくれただろう? 俺が聞きたいのは、そこに書ききれなかったこととかの話だよ」


「ふふっ、冗談だってー。お父さん、真面目すぎー」


「何を言う、真面目なのはいいことだ」


「大丈夫、分かってるよー。『真面目に生きなさい』ってのがお父さんの口癖だもんね」


「そういえばそれ、今も付けてくれてるんだな」


「うん! やっぱりいつも身に付けていたいから」


 コウジが言う『それ』とは、アイラが身に付けているペンダントのことで、冒険者をやると言ったアイラのために手作りした物だ。

 日本にいた時に好きだったゲームに出てきた、剣をモチーフとしているマークが描かれたペンダント。なのでコウジが作ったものだと一目で分かる。


 この世界には娯楽が少ない。だからコウジは趣味として装飾品作りをするために、定期的に街まで習いに行っている。


 そして冒険者として生きることを決めたアイラの安全を願って、お守りとして作った物だ。


 こうして久しぶりの親子水いらずの時間はあっという間に過ぎ去り、二人にとって最高ともいえる時を過ごした。




 彼、コウジはもともとこの世界の住人ではない。前世では日本に住む、しがない独身サラリーマンだった。


 大学を卒業して就職した会社はいわゆるブラック企業で、社内の空気感は常に最悪だった。そんな中でさらに不運だったのは、直属の上司が性格的に合わない人間だったこと。


 自分の考え方が絶対的に正しいと誰にも譲らず、人の気持ちなど考えない発言をし、仕事で初めてすることにも関わらず、やり方を聞いても「どうしてこんなこともできないのか」という返事が真っ先に返ってくるような人間。


 もともと人付き合いがあまり上手くない彼にとって、毎日のように顔を合わせる人とそりが合わないことは、まさに地獄のようだった。


 それでも彼は数年間頑張った。もちろん辞めるという選択肢もあったが、ただでさえ人手不足なのに、自分が辞めたら他の人がもっと大変になるという思いと、辞めたいという思いを常に天秤にかけており、どちらにも傾かないまま日々が過ぎていった。


 そんな時に心の支えとなる彼女でもいれば、また違った結果になっていたかもしれないが、そんな上手くはいかなかった。


 そんなある日、いつものように彼が上司からネチネチと八つ当たりされている時に、彼の意識は途切れ、二度と目覚めることはなかった。


 彼が次に目覚めて最初に見たのは見知らぬ天井。部屋の中を見回すと、明らかに現代のそれではなかった。


 天井や床、壁に至るまで木目が分かるほどの簡素な木で作られており、家電というものは一切見当たらない。

 家具についてはベッドに仰向けになっていることは分かるが、それ以外には簡素な本棚やテーブルなどがあるだけ。


 外国か? なんて思ってはみたが、そもそも文明が違うといった感じでピンとこない。


 そして彼は思い出したのだ。目を覚ます前、綺麗な女性に会ったことを。

 走馬灯かと思ったが、彼の人生において金髪の女性との交流なんてものは無かった。


 アニメ好きだった彼は、わりと早く気がついた。この女性は女神様なのだと。

 それはある意味、彼が夢にまで見ていた展開だった。


 だけどそれとは少しだけ違っていた。よくあるチート能力なんてものはなく、年齢も二十代半ばのまま。転生とも転移ともいえる状況だった。


 それでも初めから住む家やお金があるだけで、十分にチートだといえるのかもしれない。

 場所こそ都会から離れた寒村だったが、日本での生活に疲れ切っていた彼にとっては、最高の環境だったのだろう。


 異世界での生活から数年経ったある日、いつも作物を売りに行っている孤児院から、ある女の子をコウジの家に迎え入れてくれないかと話があった。


 彼は「もうそんな余裕はないよ」と断ろうとしたが、彼の元来の性格と、この世界では珍しい黒髪と黒い瞳に同じ日本人として感じるものがあったのか、それを了承し彼は三歳の女の子と住むことになった。


 日本での子育ての経験は無く、異世界に来てからはのんびりとした生活だったので、別に結婚しなくてもいいやと思っていた彼にとって、小さな子供の育て方は分からないことばかり。


 それでも村の人や孤児院からアドバイスをもらいながら、彼は一人で女の子を十七歳まで育て上げたのだ。




 そしてアイラが帰って来てから三日が経った。二人が昼食をとっていると、コウジが何気なくアイラに話しかける。


「アイラ、パーティーのお休みってのはずいぶんと長いんだな」


「えぇー、そう? 三日なんてあっという間だよ?」


 アイラはそう言って父が焼いたステーキを笑顔でほおばる。

 コウジは「そんなもんかね」と特に気に留めなかった。


 さらに四日が経ち、アイラが帰って来てからもう一週間になる。

 さすがに長すぎだろと思ったコウジは、朝食のパンを手に持ったまま四日ぶりに同じ質問をした。


「なあ、アイラ。さすがに一週間ってのは長すぎじゃないか……?」


「えっ……? そ、そう? だって冒険者って戦いばっかりだから、お休みも長く必要なんじゃないかなぁ?」


「俺に聞かれてもな……」


 とはいえコウジは娘が嘘をついているとは思いたくないし、もしかすると本当かもしれないので、まだこの時は納得することができた。


「じゃあ行ってくるから留守番頼んだぞ」


「うん、いってらっしゃーい」


 この日コウジはいつも作物を売りに行っている街へと出かけた。そこはコウジが住む村と比べれば大都会。露店が並ぶ通りもあったりと、いつも人が飛び交う印象があった。


 そこに例の孤児院があり、この街に来た時には必ず立ち寄っている。


 鉄柵で囲まれたその建物にはいくつもの窓があり、部屋数の多さがうかがえる。

 おそらくは子供達の個室にでもなっているのだろう。


「毎度どうもー。コウジです」


「おお、コウジさん。いつもお世話になってます」


 出迎えたのは老紳士。自然にそうなったであろう白髪をオールバックにしており、ネクタイにスーツという姿でその身なりは実にきっちりしている。コウジはこの人からアイラを養子にという話をされたのだ。


「こちらこそいつもありがとうございます」


「ところでアイラは元気ですかな? 冒険者になられたのですよね?」


「実は先日帰って来ましてね。なんでもパーティーの休日を利用したんだとか」


「おお、それはよかった。しかしあんなに小さかった子がもう十七ですか。我々も歳をとるはずですなぁ」


「ははは、まったくだ」


 そんなごく普通の世間話をした後は、冒険者ギルドへ足を運ぶ。ギルドには併設のレストランがあり、そこはコウジが作った野菜や果物を使ってくれている。


「毎度どうもー」


 レストランの搬入口から入ったコウジは、顔馴染みで同い年の男性ギルド職員に声をかけた。


「おお、コウジか。いつものとこに置いといてくれ」


「了解だ。……そうだ、久しぶりに娘が帰って来たんだよ」


「冒険者になるため王都に行った娘さんのことか? 確かアイラちゃんだったか。パーティーから帰省休みでももらったんだな」


「そうなんだよ。もう一週間になる」


「へぇ、冒険者の休みってのは長いんだな。ん? そういえば……」


 ギルド職員は何かを思い出したかのような反応を示した。


「どうした?」


「あぁ……、ちょっと前に王都にあるギルドでけっこうデカい騒ぎがあったみたいでな。なんでもとあるパーティーのリーダーが、メンバーの一人に向かって派手に追放を言い渡していたらしくて。そして言われたほうってのが、黒髪の女の子だって話なんだ。確かアイラちゃんってお前と同じ黒髪だったよな?」


 この世界において黒髪というのは珍しい。忌み嫌われてるというわけではないが、日本における金髪みたいなもので、目立つのだ。


「そうなのか。気になるな……」


 コウジは「まさかな……」と思いながら自宅へと帰って来た。


「おかえりなさーい!」


 アイラはいつもと変わらない明るい声と表情で出迎えてくれる。


 その日の夜。食事を終えたコウジはアイラに向かって聞いてみることにした。


「なあアイラ。お休みが終われば王都まで帰るんだよな?」


 その言葉を聞いたアイラはコウジの目を見ようとせず、下を向いてしまう。


「パーティーのお休みというのはいつまでなんだ?」


 アイラはこの質問にも答えない。この時コウジは何か確信めいたものを感じた。

 その後もアイラは黙ったり話題を変えようとしたり、落ち着きが無かった。


(行ってみるか、王都に……)


 娘が何も言わないならそれでもいい。自分からは言えないことだってあるだろう。だったら自分で確かめるまでだと、コウジは決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る