〜最終章〜 第35話 改革の春がいよいよ始まる
暖かな日が増え、雪解けの気配が混じるようになってきた。
凛とした冷たさの中にも、やわらかな温もりが差し込みはじめたある朝。政務庁舎の玄関前には、新たな制服に身を包んだ十五人の女性たちの姿があった。
初の女性官吏たちが、いよいよ初出勤を迎えたのだ。
「……いよいよ初出勤だわ」
その言葉は、小さく、しかし確かに響いた。
マリアベルは庁舎の窓辺からその姿を見つめていた。胸の奥が静かに波打つ。
(ここからが、本当の始まり)
彼女たちの足取りが、未来を刻む歩幅になる。心から、そう思えた。
* * *
「では、これより各自、配属先へ向かってください」
マリアベルは、集まった十五人の女性官吏たちに向けて、そう声をかけた。
緊張した面持ち。けれど、その瞳には確かな決意が宿っていた。
「……失礼いたします!」
「よろしくお願いいたします!」
王政事務局、記録局、民政局――次々に部署へと向かっていく彼女たちの背を、マリアベルは一人ひとり、目で追った。
(始まったのね、ようやく)
誰もが“前例”であり、“未来”となる。
新任官吏たちの配属先では、すでに研修が始まっていた。
書記局では文書の書式、記録局では公文書の保存と管理、民政局では地域対応の初歩……。
「まずは“慣れること”から始めましょう」
そう言ったのは、ベテラン官吏であり、今回の研修責任者でもあるヨルンだった。彼は当初、女性登用に懐疑的だった人物の一人だ。
「正直、最初は抵抗もあった。でも……実際に話して、見て、働いているのを感じた。彼女たちは、やれる」
研修日誌には、そう綴られていた。
* * *
一方、マリアベルは新たな役目を担っていた。
王政事務局に新設された「政策推進室」の室長として、女性関連政策だけでなく、教育、福祉、地方行政まで広く取り扱う部署の立ち上げにあたっていたのだ。
室長辞令を受けた直後、ヴァレンティス宰相は彼女を自室に呼び、こう言った。
「――この職は、宰相の補佐そのものと思ってよい。信頼なくしては任せられぬ」
「……光栄です。けれど、容易ではない道だと承知しております」
「むしろ、容易な道ではないからこそ、お前に託す。風向きを読む眼、民の声に耳を澄ます心、その両方を持ち合わせている者は、そう多くはない」
静かな声には、確かな信頼が宿っていた。
「改革の要は、制度ではなく人間だ。人の意識を変えられる者が、真に国を動かす。マリアベル、お前はその一人だ」
マリアベルは深く頭を下げた。肩書きに酔うことはない。だが――責任の重さは、確かに彼女の誇りだった。
数日後、カザエルもまた、少し誇らしげに言った。
「この役職は、王家直属の政策実行機関として、信頼できる者に任せたかった。君しかいないと思った」
彼女の机の上には、新たな案件が整然と並んでいた。
――教育改革案。
――地方巡回の試験的導入。
――女性参政権に向けた制度見直しの下準備。
その一つひとつに、未来が宿っていた。
* * *
「マリアベル、いい加減、ドレスを見に行ってもらわないと困りますわ!」
そう叫んだのは、アイリスだった。
春の花が咲き始めた中庭で、マリアベルはアイリス、セラフィーナ、クラリッサに詰め寄られていた。
「まったく! 結婚式の準備より政策立案が先だなんて、おかしいわ!」
クラリッサもため息まじりに言う。
「ドレスの最終デザインも、披露宴の構成も、カトリーナ様任せではありませんか」
マリアベルは小さく笑って応える。
「でも、みんなが支えてくれるから、安心して先に進めるのよ」
「それはそうだけど、幸せになる覚悟も持ってよね。
あなたが幸せになる姿もまた誰かの未来の目標になるんだから。」
セラフィーナのその言葉に、マリアベルはふと空を見上げた。
桜のつぼみが膨らみはじめていた。
(幸せになる覚悟……か)
* * *
王太子カザエルは、公式に婚約を発表してからも、多忙な政務の合間を縫ってマリアベルとの時間を大切にしていた。
ある夜、二人きりの執務室で、カザエルがふいに言った。
「……婚約の時の約束の通り、結婚しても君をただの“王妃”にするつもりはないよ」
「……覚えていてくれたの?」
「君は、政治の場でも、社会の場でも、これからの国を導く力を持っている。君の意志が、この国の方向を変えてきたんだ。だから、結婚しても――“同士”として、隣にいてほしい」
マリアベルは、その言葉を噛み締めた。
「……はい。わたしも、隣に立ち続けます。“妻”としても、“仲間”としても」
カザエルは穏やかに笑い、手を重ねた。
春の訪れが、二人の心に静かに芽吹いていった。
* * *
その頃、王立学問院ではさらなる動きがあった。
* * *
その頃、王立学問院では、セラフィーナが“女子進路支援室”で初の相談対応にあたっていた。
「将来、民政局で働きたいんです」
と語る少女に、セラフィーナは真摯にうなずいた。
「あなたがそう願うなら、私たちは全力で応援するわ。必要な科目や課題、すべて準備するから、一緒に頑張りましょう」
同じく、クラリッサも新カリキュラムの導入を控え、貴族学園の講堂で教員たちを前に説明を続けていた。
「これまで女子には避けられていた“政務実技”を、来年度から正式科目に加えます。社会が変わるなら、教育現場からも変わらなければなりません」
そして、記録局では――
「アイリス様、王都行政庁より、女性向け資料整備の監修依頼が来ております」
「わかったわ。……記録局の外から、求められるのね」
数日前、彼女は記録局の“次席補佐”に任命されたばかりだった。
上席との距離が少し縮まったこと、それがどれほど大きな意味を持つか、アイリスはよくわかっていた。
初めて自らの仕事が“外部に届く”実感を得て、胸の奥が少し熱くなる。
(次は、正式な次席……そして、いつかは局長の座も)
そんな未来を、彼女は本気で夢に描きはじめていた。
* * *
マリアベルの春は、花開きつつあった。
十五人の官吏の成長。
教育現場の変化。
そして、結婚準備という人生の一大転機。
すべてが、重なり合って進んでいた。
(わたしは、この国を信じている。人の可能性を信じ続けたい)
政務の机に戻りながら、マリアベルは心の中で誓い直す。
(この春を、ただの通過点にしない。ここから、もっと未来を育てていく)
それが、彼女の“愛”であり、“仕事”であり、そして――“生き方”だった。
改革の春は、まだ始まったばかりだった
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