第24話 女の敵は女?揺れ始めた社交界


 王都の冬は、凍えるような風と共に静けさを孕んでいた。


 しかし、その静寂を破るかのように、貴族婦人たちの間に噂が広がっていた。


「ご存じ? 例の制度改革、王太子殿下が彼女の擁護をなさったとか」


「まぁ、あのマリアベル嬢が? 学問院の首席卒業とは聞いていたけれど……王家まで味方につけるなんて」


 その声には、驚きと称賛、そして少しの――嫉妬が混じっていた。


* * *


 王政事務局でも、風向きが変わりつつあった。


 マリアベルは書類の山と向き合いながらも、部下たちの態度の微かな変化を感じていた。


「クラヴィス補佐官見習い、次回の委員会ですが、女性貴族団体代表から“事前面談”の依頼がありました」


 報告を受けた彼女は、しばらく考え込んだ。


(このタイミングで……?)


 制度の正当性が認められた今、表立って反対できない者たちが、別の形で影響を及ぼそうとしている。そんな空気を、彼女は感じていた。


* * *


 その夜。市内の社交サロン「グラシエル」では、上級貴族の婦人たちが非公式の集まりを開いていた。


「――要するに、彼女のやり方には“筋”がないのよ。王太子に庇護されていながら、私たちの意見には耳を貸さない」


「庶民教育に続いて、今度は官吏制度? このままでは“女の地位”を盾にして、すべてを塗り替えようとしているわ」


「今までは黙っていたけれど、もう看過できない。社交界の“規範”というものがあるでしょう?」


 その中心にいたのは、エルミナ・レザン公爵夫人。華やかな衣装に身を包みながらも、その瞳は冷たい光を宿していた。


「ええ、今こそ“本物のレディ”が立ち上がる時ですわね」


* * *


 翌日。マリアベルのもとに、エルミナ夫人から「女性の意見を取りまとめた面談要望」が届いた。


「――社交界からの正式な意見表明か」


 アイリスが苦い顔をする。


「実務とは関係のない場からの“政治的圧力”よ。表向きは“支援”や“協力”の名を借りて、裏では制度を骨抜きにしようとしている」


 セラフィーナは肩をすくめた。


「でも、これを断ったら“敵意を示した”と取られる。彼女たちは、そうやって包囲網を広げていくのよ。上品に、確実に」


 マリアベルは静かに席を立った。


「――なら、行って話してきます。聞きましょう、彼女たちの“本音”を」


* * *


 グラシエルの応接間。


 エルミナ夫人は微笑を浮かべてマリアベルを迎えた。


「まぁ、よくおいでくださいました。補佐官見習いのお立場で、こうして貴族社会の声を聞いてくださるとは光栄ですわ」


「いえ、皆様のご意見は重要です。制度は“上から押し付ける”ものではありませんから」


 マリアベルは静かに返した。


 会話は丁寧に、だがどこか不穏な空気を孕んで進んでいく。


「ただひとつ、気になるのです。この改革……“女性のため”と謳いながら、なぜ私たち貴族の女性には、一度も相談がなかったのでしょう?」


 エルミナの声は柔らかいが、鋭さを帯びていた。


「制度は、特定階層の“特権”を守るためではありません。すべての女性が、自らの意志で人生を選ぶためのものです」


「……では、それが“平等”だと?」


「ええ。“選べる”ことが、平等です」


 エルミナの瞳が一瞬だけ揺れた。


 そして、次の瞬間。


「残念ですわ。あなたには、まだ“育ち”というものが足りないようですね」


 その言葉に、応接間の空気が凍った。


 だが、その直後――


「お待ちください」


 静かながら通る声が響いた。発したのは、紅茶を手にしていた若い公爵夫人、ミレイユ・ド・サンレーヌだった。


「今の話、私は興味深く拝聴していましたわ。クラヴィス嬢のお話には、確かに“未来”を見据えた視点があります」


「ミレイユ夫人? まさか、あなた……」


 レザン夫人が眉を吊り上げた。


 ミレイユは怯むことなく続ける。


「私の妹も、学問を修めておりますが、政に関わる道は“存在しない”と言われて育ちました。けれど本当に、それで良いのでしょうか。――私は、選べる社会のほうが“誇れる国”になると、そう思います」


 彼女の言葉に、他の夫人たちがざわついた。


「まあ……うちの娘も、賢くて」


「書記官の仕事に憧れていると言っていたけれど……」


「でも、本当に可能なのかしら?」


 マリアベルは、一歩前に出て深く頭を下げた。


「可能にするために、私は動いております。制度はすでに形を成し始め、最初の登用試験も、王政の下で準備が進んでおります」


「……それは、確かなことなの?」


「はい。私が責任をもって整えています。だからどうか――今は“怖い”と感じられても、“見ていて”いただけませんか」


 ミレイユ夫人が小さく頷いた。


「声を上げることが、時に風当たりを強くするのは分かります。けれど、マリアベル嬢。あなたの“話し方”には誠実さがある。……私は、それを見逃したくないと思いましたわ」


 その言葉に、マリアベルの胸が少しだけ熱くなる。


 そのとき、レザン夫人がバサリと扇を閉じて立ち上がった。


「結構。ですが、私はこのような無礼な“改革ごっこ”に加担するつもりはありませんわ。失礼いたします」


 靴音を響かせ、レザン夫人は去っていった。


 だが、すべての者がその後を追ったわけではなかった。


 残された数人の婦人たちは、所在なげに顔を見合わせたのち、ミレイユ夫人のもとへと歩み寄った。


「……よろしければ、また続きをお聞かせください」


「ご相談したいことがあって……私の娘の進路のことですの」


 たったひとつの場が、確かに揺れ始めていた。


 “変化”が、いま静かに芽を出している。


* * *


 帰路。


 マリアベルは冷たい外気の中、馬車に揺られながら小さく息をついた。


「“育ち”か……」


 自分が失ったものと、手にしようとしているもの。その両方を天秤にかけながら、胸の奥に静かに灯るものがあった。


(だからこそ、私は……)


* * *


 その夜、クラリッサ・リースは王宮の一室で報告を受けていた。


「社交界が割れ始めています。表面上は平静を装っていますが、貴族夫人たちの間で“二分化”の兆しが出ています」


 報告を聞いたクラリッサは、窓の外を見つめながら呟いた。


「……ようやく、動き出したのね。これまで黙っていた“彼女たち”が。善意でも悪意でもない、“生き残るための声”が」


「問題は、彼女がそれをどう受け止めるかですね」


「受け止めるわ、あの子なら。……苦しむでしょうけど、それが“本当に政を担う者”になる試練よ」


* * *


 夜更け。


 マリアベルは、王宮の執務室で報告書のまとめをしていた。


 社交界の分裂、その波及の予測。


 そして、女性制度改革が次に直面する――「利権構造の反発」。


 彼女はインクを乾かしながら、自らに言い聞かせた。


(政は、正しさだけでは動かない)


(でも、“諦めなかった者たち”が、何かを残す。なら私は――)


 彼女の視線の先には、まだ見ぬ未来があった。

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