第20話 新しい制度に刻む、女たちの名


 王都の街路に、秋の風が木の葉を舞わせていた。紅葉が石畳に色を添え、夕暮れが早まるこの季節――王政事務局に、小さな“風穴”が空いた。


 その名は――「女性官吏試験制度」。

 長らく制度の対象から外れてきた女性たちに、正式な登用ルートを開くための、新たな試験制度の創設。


「ついに――通ったのね」


 報告書に押された閣議決定の印を見つめながら、マリアベル・クラヴィスは静かに息を吐いた。


* * *


 発端は、女子教育支援制度の中間報告だった。


 無償の初等教育支援の試験実施によって、予想以上の参加者が集まり、母親たちの就労率にも波及が見え始めていた。教育が“家庭”と“社会”の両方に橋をかける可能性――それが明らかになったことで、マリアベルは次の段階に踏み出す決意を固めた。


「制度の出口に、“官吏登用”という明確な道がなければ、学んでも報われない」


 彼女の草案はこう始まっていた。


 女性向けの限定枠ではない。すでに存在する下級官吏試験に、年齢・性別を問わぬ“公募枠”を設け、試験内容の見直しと人事評価の透明化を図る。

 採用は実力による競争。だが、これまで門戸を閉ざされてきた者たちにも等しく挑戦権を与える――それが核心だった。


 ヴァレンティス宰相は草案を受け取った際、しばらく沈黙し、こう呟いた。


「……ようやく、ここまで来たか」


* * *


 閣議での提案は、波乱を呼んだ。


「女性を官吏に? そもそも必要があるのかね」


「能力のある者を登用することは当然だが、“枠”を設ければ逆差別になりはしないか?」


 議場に飛び交う反発の声。そのたびに、マリアベルは淡々と、資料と統計で応じていった。


「“能力のある者”に機会が与えられていなかったのです。その是正が、制度の健全性を保つのではないでしょうか」


「……一理はある」


 その理詰めと、現場の声に基づいた報告は、多くの懐疑を次第に揺さぶった。


 最後にヴァレンティスが口を開いた。


「この制度は“試行”である。だが、制度の持つ重さは試行であれ等しい。これを前例にする覚悟があるか」


 マリアベルは、迷わず頷いた。


「はい。覚悟しております」


 こうして、秋の閣議を経て、王国初となる“女性官吏登用試験制度”の施行が決定された。


* * *


 施行が公示されると、都でも地方でも、波紋が広がった。


 新聞各紙は一面で取り上げ、保守層と進歩派の間で激しい論戦が巻き起こる。


『女子が政務に?』『前例なき賭け』『時代は動く』


 街頭では、若い女性たちが手に新聞を握りしめて語り合う姿も見られた。


「マリアベルさんがやったんだって!」


「学問院の成績首席って本当? 女の人でも、あそこまでできるんだ」


 そうした声が広がる一方で、実施機関となった王政事務局には匿名の批判文や皮肉の投書も届いていた。


「女に任せたら国が傾く」「感情に流される政務など危険だ」――そんな文字列に、マリアベルは眉を動かさなかった。


 ただ静かに、現場の調整と広報戦略に尽力した。


* * *


 セラフィーナは現地の教育機関に通達する案内文を整え、教師たちへの説明会を調整した。


「ここで信頼を得ないと、女子の進学率にも影響が出るわ。中長期的には制度の根幹を揺るがしかねない」


 アイリスは記録局から統計係数の見直しを提案し、記録基準に「性別による通過率の分析」を加えた。


「単なる実施じゃダメ。“継続”させるためには、効果を数値化しなきゃならない」


 彼女たちは、制度の柱となる各部門で、それぞれの立場から支え続けていた。


* * *


 一方、王政事務局の審査課では、マリアベルの父・レオンがその制度設計書を確認していた。


「……試験項目の再構成、評価点数の重みづけ、偏り除去の検証まで組み込んである。……甘さはないな」


 部下が報告する。


「補佐官見習いクラヴィス嬢の原案を基に、現場実務者たちと詰めたようです。現地説明も本人が回るとのこと」


 レオンは頷いた。


「自分で“通す道”を作り、“その先”まで見ているか。――ならば通す。それが制度に仕える者の責任だ」


 そして彼は、書類に自らの印を押した。


* * *


 初の試験日は、秋の終わりに定められた。


 都内各所に掲げられた試験告知の布告文。

 そこに“性別を問わぬ試験実施”の一文が刻まれていた。


 王宮の中庭で、その貼り出しを見つめるひとりの女官がいた。


「……変わるのね、時代が」


 クラリッサ・リースは、そっと微笑んだ。


「そして変えるのは、あの子たち。……いいわ、まだ見届けなきゃ」


その声は、吹き抜ける風に溶けていった。


* * *


その日の夕刻、王宮の一角。とある控えの間。


クラリッサ・リースとカトリーナ・クラヴィスは、静かに茶を囲んでいた。


「……あの子が、あそこまでやるとは思わなかったわ」


カトリーナが微笑む。目元には、誇らしさとどこか遠いものを思うような陰があった。


「私たちには、できなかったことね」


「ええ。あの頃は、“存在する”だけで精一杯だった。でも、いまは“制度を動かす”ところまで来ている」


二人の視線は、窓の向こう、夕空に伸びていた。


「ベルティーヌ様が夢見ていたこと……。いつか、女性も政を担い、未来を形にする日が来るって」


「ようやく、その“礎”ができたのね。あの方が見たら、なんて言うかしら」


「きっと、笑うわ。あの高くて優しい声で」


微かな沈黙のあと、カトリーナがそっと杯を置いた。


「――あの子の中には、私たちの願いも、夢も、全部引き継がれている。だから、もう一歩、歩けるのよ」


クラリッサも頷いた。


「ならば、私たちの役目は“支えること”。手出しも過保護もせずにね」


「ええ。静かに、でも誇りをもって」


紅茶の香りが、秋の夕暮れに溶けていった。


* * *


 夜。


 マリアベルは庁舎の自席で、印刷された受験要項を手に取っていた。


「最初の一歩、ですね」


 誰にともなく呟いたその声は、どこか凛としていた。


 小さな灯がともるように、制度の改正が国の隅々に届き始めている。

 それはまだ小さな波紋にすぎないかもしれない。


 だが、確かに動いたのだ。

 制度の中に、女性の「声」が――「存在」が刻まれた瞬間だった。


(この一歩が、何十年後かの“当たり前”になる日まで)


 マリアベルは、手元の黒いペンにインクを足した。

 まだ、この国の未来を描くページは尽きていない。

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