第19話 動き始めた静かな革命


 季節は夏になり、陽の傾きかけた王宮中庭に、マリアベル・クラヴィスの足音が静かに響く。


 公務の合間を縫って設けられた、非公式の面会。――相手は、王太子カザエル・グランレイド。

 彼と再び言葉を交わすのは、学問院卒業以来のことだった。


「ようこそ、お越しくださいました」


 中庭の奥、夏の青空に緑が眩しい白亜のガゼボに立っていたカザエルが、マリアベルに向けて軽く会釈した。


「久しぶりですね。……補佐官見習い、マリアベル・クラヴィス嬢」


「こちらこそ、王太子殿下。お声がけいただけて光栄です」


 儀礼的なやりとりを交わしながらも、互いの視線はどこか探るような、あるいは懐かしむような気配を帯びていた。


「……先日、あなたの報告書を読みました。女子教育改革案、非常に興味深かった」


「恐縮です。支援制度の枠組みだけでなく、父兄への意識改革と、行政連携まで含めて提案させていただきました」


 マリアベルが控えめに答えると、カザエルは微笑を浮かべた。


「“学ぶ機会の欠如は、個人の責任ではない”――その記述には、深く共感しました。……実は、僕もいま、王国東部の教育格差と農村医療の制度再設計を検討しているのです」


「それは……殿下が、ですか?」


「ええ。王太子という立場にある以上、国の“形”に関わる責任があると思っています。けれど同時に、“形を変える”ことも役目だと」


 マリアベルの胸に、じんと熱が宿るのを感じた。


(この人もまた、変えようとしている……)


 学問院時代、たまに接した際の彼の中に感じた理知と柔らかさ。

 それがいま、国を動かす志として形になっていることに、彼女は静かに感動していた。


「殿下……」


 口を開きかけたそのとき、カザエルは少し目を細めた。


「どうか“殿下”はやめてください。今日はあなたを一人の改革者として迎えているつもりですから」


「……では、“カザエル様”と」


「マリアベル」


 彼はその名をまっすぐに呼んだ。


「あなたのような女性が、制度の中で闘っていること。それを誇りに思います。そして……連携を申し出たい」


「連携……ですか?」


「いずれ僕が政権を担う日が来たなら、あなたの知見と実行力は、この国に必要になるはずです。だから、その日までに――信頼を深めておきたい」


 真剣な眼差しに、マリアベルは一瞬言葉を失った。


「……私など、まだ見習いの身です」


「その見習いが、既に政を一歩動かし始めているのです。そこに、身分も肩書も関係ない。必要なのは“覚悟”と“実力”です」


 風が二人の間を通り抜ける。

 芝の香りが混じった春の風が、ほんの少しだけ緊張を和らげた。


「では、ありがたく慎んでお受けします。“未来に向けた連携”として」


「ありがとう」


 カザエルは満足げに頷いた。


* * *


 数日後。


「えっ、王太子殿下と“個人的な政策対話”? それって……!」


 クラヴィス家の応接室で、セラフィーナが声を上げた。


「おおごとにならない形で、という前提よ。あくまで非公式の協議。でも、政権構造に関わることになるかもしれないわ」


 マリアベルは淡々と説明する。


 アイリスは資料の整理をしながら、冷静に問いかけた。


「では、カザエル殿下は、次代の国政改革を意識している……と?」


「そう見ていいと思う」


「……味方かもしれないわね。少なくとも、現体制の維持を第一にする人たちとは違う」


 マリアベルは思った。

 自分が、制度の中で何度も傷つき、悔しさを味わいながらもなお立ち上がり続けている理由。

 それは、誰かの未来のため――そして、同じ理想を持つ人々と手を取り合うためだ。


「セラフィーナ、アイリス。私たちの目標は、ただの夢じゃない。現実として動かす方法が、少しずつ見えてきてるの」


 セラフィーナが笑った。


「じゃあ、私たちも怯まずに行かなきゃね。誰に“女であること”を理由に退けられても」


「“実力を積み上げてこそ、対話が成立する”――あなたがそう言ったんでしょう?」


 アイリスの言葉に、三人の視線が自然と重なった。


 机の上には、新たに動き出した女子教育改革案の展開図。

 地方議会との連携案、指導者育成の試案、長期予算の組み換え――どれも簡単な道ではない。


 だが、彼女たちはその道を歩む準備ができていた。


* * *


 王政事務局の東棟、制度審査課。


 複数部署をまたぐ政策の確認と法整備案の整合性を担うこの部署に、最近になってある草案が提出されていた。


 ――女子教育支援制度、試験実施に関する政令補則案。


 その案件の補正処理を受け持ったのが、政務審査局次長レオン・クラヴィスの部門だった。


 資料を確認した部下が、ふと報告する。


「……今回の草案、政務補佐官見習いのクラヴィス嬢が起草したもののようです。宰相印付きで、審議対象に入っております」


 レオンは特に表情を変えず、静かに頷いた。


「そうか。では、進行通りに手続きを。特別扱いは不要だ。……いつも通りに慎重に通せ」


「承知しました」


 部下が去った後、レオンは手元の書類にもう一度目を落とす。

 娘の名前が、確かに記されていた。


(法案を“持ってきた”のではなく、“自分で書いて出してきた”のか)


 わずかに口元がほころぶ。


 だが、すぐにそれを打ち消すように、目を細めた。


(この法案が通れば、必ず既得権側からの反発がくる。それでも出してきたということは――覚悟の上、ということだ)


 決して声には出さず、誇らしさを胸の奥に沈める。


 父としてではなく、制度を守る一官僚として。

 けれどその奥にある想いは、他のどの案件にもない重みを持っていた。


(制度の壁に挑む娘を、職務の名の下に支える。……それが、父としての“誇りの示し方”だ)


 レオンは再び書類に目を落とし、淡々と朱を入れていった。


* * *


 その夜。


 ヴァレンティス宰相は、報告書に付属されたカザエルの私的覚書を読み終え、静かに笑った。


「……王太子殿下も“動く”か。さて、どう仕掛けてくる」


 彼の机には、マリアベルの最新の報告書も置かれていた。


(若さゆえの焦りもある。だがそこに芯がある)


 そう見ていた補佐官見習いのひとりが、いまや王太子から直接の信任を得た。


 この変化を、どう活かすか――それが宰相としての“読み合い”でもあった。


「制度を守ることと、制度を変えること。その二つが交わるとき、真に必要なのは“均衡”だ」


 ヴァレンティスは、窓の外の夜空に目をやった。


 星のまたたきが、揺れ動く時代の象徴のように瞬いていた。

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