第14話 門出の風は変革を運ぶ


 王立学問院、晩冬。


 正門の前庭に積もった雪は、日差しに照らされて静かに溶けつつあった。

 二年制の学問院も、ついに卒業の時期を迎えた。


 マリアベルたちは、卒業前の最後の講義を終えた帰り道に立ち止まっていた。

 いつも通りの道のはずなのに、どこか空気が違って感じられる。


「……終わっちゃうのね。あっという間だったわ」


 セラフィーナがため息まじりに言い、肩にかかった雪を払いながら笑う。

 アイリスも、頷きながら静かに続けた。


「けれど、私たち、よくここまで来たと思う」


「ええ。最初は、あんなに孤立していたのにね」


 マリアベルの言葉に、三人の視線が自然と重なった。


 彼女たちの卒業論文は、いずれも“女性の社会的地位”に切り込むものだった。

 各自が集めた追加データや現場の声、法制度や教育、戸主制度への提案は、教授陣からも高い評価を受け、界隈の有識者の目にも留まったという。


 マリアベルは、「女性の政務参画と法整備」において模擬法案の草案まで仕上げ、セラフィーナの「女子教育制度と労働認知」は教育局から研究対象に推薦され、アイリスの「女戸主制度とその再評価」も記録局での整理法案と共鳴するものとして注目された。


 学問院の卒業試験は論文評価と口頭試問をもって代替される。

 最終評定が発表された日、講義棟の掲示板の前には多くの学生が詰めかけていた。


「マリアベル・クラヴィス、優秀」


「セラフィーナ・ヴォルテ、優秀」


「アイリス・フォーセット、優秀」



 その報せに、三人は互いに視線を交わし、小さく微笑んだ。


「――終わったのね」


 セラフィーナがそう言って、アイリスも少しだけ目を潤ませる。


「うん。でも、“始まった”のかもしれない」


 マリアベルが淡く微笑んで返した。


* * *


 卒業を前にした数日間、学内の雰囲気も変化していた。


 セラフィーナが積極的に男子生徒とも議論するようになったことで、一定の距離感を保っていた学生たちとの間に少しずつ会話が生まれた。


「別に敵じゃないって、気づいてくれたのかもね」


 セラフィーナは気軽に笑って言った。


 まだ完全な信頼とは言えない。

 だが、“奇異”や“異端視”ではなく“違う意見を持つ人”として、存在が認められ始めたのは確かだった。


 かつては目を合わせることすら避けられていたマリアベルたちが、今では議論の輪の中に入っていく――それは、入学当時では想像もつかなかった変化だった。


「こういう小さな変化の積み重ねが、いつか制度も変えていくんだと思うの」


 マリアベルの呟きに、アイリスはそっと頷いた。


「……そのために、私たちは学んだんだものね」


* * *


 卒業式の日。澄んだ空気の中、講義棟には最後の張り詰めた緊張が流れていた。


 金糸の縁取りが施された卒業証書を受け取りながら、マリアベルはこれまでの道のりを振り返る。

 試験の重圧、無言の偏見、励まし合った夜――そして今、彼女は確かに“ここ”に立っている。


「マリアベル・クラヴィス。卒業、並びに進路内定。王政事務局・宰相直属補佐官見習いとしての任官が承認されました」


 読み上げられた瞬間、教室内が一瞬だけざわめいた。

 若くして政の最前線に立つ任官は、極めて異例だった。


 マリアベルは一礼し、まっすぐ歩いた。

 目線の先には、決して平坦ではない未来が広がっている。だが、その歩みを止める理由など、どこにもなかった。


* * *


 卒業後の進路も、それぞれ定まっていた。


 セラフィーナは、王都郊外の教育政策支援機構に参加し、若い女子への教育啓蒙活動を始める予定だ。


「私、あの頃“女だから”って閉じ込められそうだった自分を、今は笑ってやれるの」


 どこか清々しい顔で語るその横顔に、マリアベルは心強さを感じていた。


 アイリスは、記録局の法文整理部門に配属される。


「基盤が曖昧だからこそ、記録と制度を整える必要がある。静かでも、意味のある場所だと思う」


 その落ち着いた言葉に、マリアベルもまた頷いた。


「三人三様の場所だけど志は同じ」


「きっと、また交わるわよ」


 春の陽が、三人の足元に影を落としていた。


* * *


 その頃、王宮の一室では――


「クラヴィスの娘が、政務局に来るのですね」


 進級名簿と共に提出された卒業任官資料に、カザエルは目を通していた。


 そこに記された名――マリアベル・クラヴィス。


 ふと、あの政策骨子発表会での論理的な提案が脳裏に蘇る。


 祖母ベルティーヌの名を思い出させる鋭さ、

 女官クラリッサが鍛えたであろう一分の隙もない思考。


「一人の卒業生に、少しだけ未来を重ねてしまうのは……少し甘い感傷かもしれませんが」


 誰に語るでもなく、彼は小さく笑った。


 それでも、“政の場で向かい合う日”が、そう遠くない未来にあることを、彼はどこかで予感していた。


* * *


 その夜、クラヴィス家の邸宅では――


「卒業、おめでとう」


 レオンが短く言い、グラスを掲げた。


「補佐官見習いか。相当な重責だぞ」


「わかっています。……けれど、やってみたい。そこから見える景色があると思うの」


 マリアベルの言葉に、母カトリーナは静かに微笑んだ。


「なら、やりなさい。あなたにはそれだけの覚悟がある」


 祝いの席に呼ばれたクラリッサはテーブルの端でワインを傾けながら、ひとこと。


「ふん。失敗したら、また鍛えてやるから安心なさい」


 マリアベルは、わずかに笑って頷いた。


 こうして、少女は一人の“政治を志す者”へと成長した。

 その一歩は、まだほんの始まりにすぎない。けれど確かに、風向きは変わり始めていた。


 変革の風は、静かに、しかし確実に吹き始めていた。

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