第13話 熱い想い、変革への序章


 王立学問院、春学期の幕開け。

 二年生に進級したマリアベルは、初日の講義で早々に課題を告げられた。


「今年度末に向けて、各自政策論文を一本まとめて提出してもらいます。分野は自由。ただし、“現実的な実施可能性”を含めた具体性を重視します」


 講義室に軽い緊張が走る。


 さらに教授は続けた。


「なお、本格的な提出は年明けの一月末を予定していますが、その前段として来月末に“政策骨子発表会”を行います。全員、最低限の構想と方向性を示せるよう準備しておくこと。……単なる思いつきで済ませるつもりなら、恥をかくことになります。

 ――各自心して臨むように」


 王政に関わる道を志す者にとって、この論文は“力量の証明”であり、“推薦の材料”ともなる重要な機会だった。


 休み時間、マリアベルは迷いなくテーマを書き出す。


『女性の社会参画と法制度の整備について』


「……また、突っ込んだテーマに出たわね」


 後ろから覗き込んだのはセラフィーナだった。


「面倒な連中から反感買うわよ?」


「分かってる。でも、今この場所に立っている私だからこそ、出すべきだと思うの」


 その言葉に、隣のアイリスが小さく頷いた。


「私も同じテーマを考えていた。……わたしは切り口を地方領地に変えての論文を考えているけれど、一緒に調査できるわ」


「へえ、まさかの共同戦線? じゃあ私は……“女子教育制度の再設計”とか書いてみようかしら。別の視点から援護できるでしょ?」


 三人の意見が自然と重なっていく中、マリアベルは静かに言った。


「……私たち三人で、制度を変えるための“第一歩”を提案してみない?」


その言葉に、アイリスは静かに頷き、セラフィーナは笑って言った。


「面白そうじゃない。やりましょう、その“第一歩”。」


 その週末、マリアベルの王都邸の一室に三人が集まった。

 机の上には参考文献や政策資料が広げられ、何度も意見が交わされた。


「“政務における女性参画の必要性”って言葉、硬すぎるかしら?」


「……内容に説得力があれば、表現は堅くても構わない。ただ、それが“現実味”を持っているかが重要」

 アイリスの静かな指摘に、セラフィーナが頷いた。


「だからこそ、現場の声を入れるのよ。実際に働いてる女性たちの意見を取材したって話、進んでる?」


「ええ。王都の文書管理局に勤めている女性二人と、裁判所書記官補の方に話を聞けたわ。能力はあるのに“責任ある立場には昇格できない”って」


「あと、王都内で働く女性十名にアンケートを取ったの。政務や法律関係に進みたくても、制度や文化の壁を感じる、って回答が過半数を超えてた」


「――それ、論文に盛り込めば、信憑性が一気に上がるわね」


「そのアンケートもできる限り数を増やして、角度も変えて、より具体的な見せ方をしていきましょう」


* * *


 政策骨子発表会の一週間前、論文の概要と発表順が公開された。


 発表順は成績の低い順に近い傾向があり、セラフィーナとアイリスはそれぞれ午後の前半、マリアベルは最後の発表となっていた。


 掲示板には他の学生たちのテーマも並んでおり、仲間内で話題になっていた。


「第一発表はエルヴィン・トラッセンか……『王政下における軍備拡張の必要性』って、ずいぶん勇ましいタイトルだな」


「次のルドルフ・エイマールは『王立資産の再分配と財政改革』。意外とまとも」


「この“貧民街整備と労働規律の強化案”って……また“管理する側”からの視点かよ」


「アドルフ・クラインの“王族補佐官制度における序列見直し案”も、王室に噛みついてみたかっただけじゃ?」


 思惑の見えるテーマ、野心が透ける提言、現状肯定型の政策。

 掲示板に貼られた用紙の前には、学生たちが一喜一憂しながら視線を走らせていた。


 そして、三人の名とそのテーマはこう記されていた。


 セラフィーナ・ヴォルテ

 『女子教育制度の再設計と女性労働の社会的認知』


 アイリス・フォーセット

 『女戸主制度の再評価と法制整備・地位の向上』


 マリアベル・クラヴィス

 『女性の社会参画と法制度の整備について』


 女子三名の提言は、いずれも「既存制度の再構築」に切り込むものだった。


「……目立つね、これは」


 誰かが呟いたその声は、賞賛とも、警戒とも取れた。


 発表会前日の予告掲示には、もうひとつの注目すべき一文があった。


「――本年度の政策骨子発表会には、王太子殿下カザエル・グランレイド閣下が臨席されます」


 会場に張り詰めた空気が走った。

 王政に直結する“目”が、学生たちの言葉を見極めに来る――それは、栄誉であると同時に、容赦のない“審査”でもあった。


* * *


 発表当日。


 セラフィーナは平然と壇上に立つ。


 その発表は、意外なほど論理的で精緻だった。


 「女子教育制度の再設計と女性労働の社会的認知」――

 その口調は華やかさよりも理詰めで、事例と統計を交えて語る姿に、教室の空気が変わる。


 続いて登壇したアイリスは、一転して静かな雰囲気だった。


 「女性戸主制度の再評価と法制整備・地位の向上」――

 言葉は少ないが、その裏付けは綿密だった。地方戸籍制度や判例データまで引き合いに出し、冷静に問題点と改善策を述べていく。


「……意外とやるな」


「いや、むしろ当然か。勉強しかしてないって噂だったしな」


 評価とも皮肉ともつかぬ声が漏れるなか、ふたりの発表は終わった。


 そして――


 マリアベルの発表が近づくと、ざわめきが広がる。


「マリアベル嬢が“女の地位向上”なんて大それたことを言い出すとはね」


「……上位にいるからって、勘違いしてるんじゃないの?」


 そんな声が聞こえる中、彼女は壇上に立った。


「私の論文は、“女性が政に参画する制度の整備”を中心とした提案です。

 現在、文官や助言職における女性の比率は著しく低く、それは制度上の壁だけでなく、意識の壁にも由来しています」


「……その“意識”に切り込むには、法制度からの改革が必要だと、私は考えます」


 簡潔に、しかし熱を込めて語るマリアベルの声は、次第に教室を静かにしていった。


 発表後、数人の学生が手を挙げた。


「制度改革の必要性は理解するが、現実的ではないのでは?」


「この論点に王族や上級貴族がどれほど共感すると思っているのか?」


 厳しい質問が飛ぶ。

 だが、マリアベルは揺れなかった。


「今すぐすべてが変わるとは思っていません。けれど、議論に乗せる価値がある。将来、誰かが動き出すための“土台”にするつもりです」


 その堂々たる態度に、沈黙が落ちた。


 最後の発表者であるマリアベルが壇上から降りたあと、再びざわめきが起きた。


 講師の一人が立ち上がり、全体に告げる。


「ここで、王太子殿下より本日の発表についてご講評を賜ります」


 全員が息を呑んで姿勢を正す中、カザエルは静かに壇上へと歩みを進めた。


「……今日の発表は、どれもよく考えられたものでした」


 落ち着いた声が教室に響く。


「たとえば、“貴族子弟への特別進学枠の見直し”や、“地方行政における歳入改革”など、現状を的確に捉えようとする姿勢は評価に値します」


 男子学生たちの顔にわずかに安堵の色が浮かぶ。


 だが、そこでカザエルは少し間を置いて言葉を継いだ。


「ただし――論文の多くが“現実に近いこと”ばかりを追って、安全な結論に寄っていることは否めません。

 実行可能性の検討は重要ですが、未来を描く想像力を手放しては、制度は停滞するばかりです」


 その目が、ふとマリアベルの方を向いた。


「その点で、“異なる視点”を持ち込んだ発表がいくつかありました。

 特に“構造的な壁”を言語化し、それを法制度から変えようとする発想――あれは、議論の入り口として意義のある挑戦だったと思います」


 セラフィーナとアイリスが、わずかに表情を緩める。

 マリアベルは驚いたように目を瞬かせたが、すぐにまっすぐ前を見た。


「皆さんには、今後の本提出に向けて、“問い直すこと”を恐れずに進んでもらいたい。

 現実だけに寄りかからず、未来に橋をかける気概を持ってください。

 それが、今を支える我々の責任です」


 その言葉に、教室は再び静まり返った。


 そして――拍手が起きた。

 まばらに、けれど確かな熱を帯びたそれは、誰のものか分からないまま、ゆっくりと広がっていった。


* * *


 それぞれの発表会後。

 セラフィーナが、少しだけ声を弾ませて言う。


「悪くなかったわよ。……あんたの言葉、たぶん少しは誰かに届いたと思う」


 アイリスも、小さく頷く。


「勇気の要る内容だった。でも、必要なこと」


 マリアベルは静かに笑った。


「ありがとう。でも、これからよね。本当の“提出”まで、まだやるべきことがあるから」


 三人は互いに視線を交わし、黙って歩き出した。

 講義棟の窓の外、春の雨が柔らかく石畳を濡らしていた。

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