第12話 進級の春、支え合う力


 王立学問院の中庭には、春を告げるクロッカスが咲き始めていた。


 冬の終わりとともに、進級試験の時期が近づいている。

 マリアベルは講義後の図書室で、参考文献に目を通していた。すると、斜め向かいの席から、そっと声がかかる。


「……集中してるところ、悪い」


 顔を上げれば、銀の瞳の青年が立っていた。王太子、カザエル・グランレイド。


「どうしてここに……?」


「学園の視察だったんだ。ただ……君を見かけて、少し寄ってみた」


 その言葉に、マリアベルの心は一瞬だけ波立った。


「先日の口述試験、見ていた。

 緊張していたようだったけど、答えは的確だった」


「……ありがとうございます」


 彼の声は穏やかで、決して上から目線ではなかった。

 むしろ、どこか“確認”を求めるような、そんな眼差しだった。


「僕は、王政の未来に必要なのは“多様な視点”だと思っている。

 ……君のような存在が、それを体現しているのかもしれない。

 進級試験も励んでほしい」


 それだけを告げて、彼は去っていった。


 背中を見送りながら、マリアベルは気づく。

 彼の言葉は、上から与えられる“庇護”ではなく、対等な“観察者”の視点だったと。


* * *


 進級試験の日は、春の嵐のような風の吹く朝だった。


 今年度の筆記試験は三日間にわたり、政務分析、法規運用、国家統計の読み解きなど、現実に即した内容が並ぶ。


 マリアベルは、父から贈られた黒いペンを手に取った。

 最初は重すぎるように感じていたペンが、今では指先にすっと馴染む。

 幾度となく文字を綴ってきたせいか、握るたびに“前に進んでいる”という感触が蘇る。

――私の“戦う道具”なんだわ――


 これまでの一年間――孤立、偏見、試験、論戦、連帯……そのすべてが、今このペンの芯先に込められていた。


「――よし」


 息を整え、彼女はペンを走らせた。


* * *


 数日後、成績発表。


 学問院掲示板に貼り出された紙に、三人の名が並ぶ。


 マリアベル・クラヴィス――進級

 アイリス・フォーセット――進級

 セラフィーナ・ヴォルテ――進級


「やった……!」


 セラフィーナが思わずマリアベルに抱きつきそうになり、寸前で照れて腕を引っ込める。


「べ、別に……当然って思ってたけど。……まあ、よかったじゃない」


 アイリスは静かにうなずいた。


「これで、来年も“同じ場”に立てる」


 その言葉に、マリアベルは小さく笑う。


「……うん。ありがとう、二人とも。きっと、私一人じゃ、ここまでは来られなかった。でもね――」


 マリアベルは二人をまっすぐに見つめた。


「もしこの先、もっと大きな壁にぶつかっても。私たち三人でなら、きっと越えられる。

そう信じられる仲間がいるって、すごく心強いの」


 セラフィーナが

「いいこと言うじゃない」と笑い、

 アイリスも小さくうなずいた。


 春風が吹き抜ける中、三人は並んで歩き出した。

 足音のリズムが、どこか心地よく重なっていた。


* * *


 その夜、クラヴィス家の王都邸。


 父レオンは、夕刊に掲載された進級者一覧をじっと見つめていた。


「……一年目で、よくやったな」


 母カトリーナは微笑み、娘の成長を嬉しそうに見守っている。


 「でも、まだ道半ば。これからは“仲間”とともに進む日々が始まるわ」


 クラリッサは記録局で模擬答弁集の更新に取りかかりながら、そっと呟いた。


「ふん、来年は“もっと面倒な男ども”が絡んでくるでしょうね。

 だけどマリアベル――あんたはもう、一人じゃない。だからこそ、強くなれる」


* * *


 王宮の書斎。


 カザエルは、王立学問院から届いた進級者一覧に目を落としていた。

 整った筆致の名簿の中で、一つの名前に視線が留まる。


 マリアベル・クラヴィス


 春に見かけたときとは、彼女に向ける自分の視線がわずかに変わっているのを、カザエル自身が自覚していた。

 論理で人を導こうとする姿勢。

 気負いすぎず、だが確かな意志をもって前に進むその姿――


「……やはり、記憶に残る者というのは、こういう者なのか」


 名簿から目を離し、カザエルは椅子にもたれかかった。

 ふと脳裏をよぎったのは、かつて記録局で語られたある名だった。


 ベルティーヌ・クラヴィス

 学識において王政を陰から支えた、かの名文官。

 そして、彼女の志を、今また孫娘が引き継ごうとしているのかもしれない。


 マリアベル・クラヴィスを指導していると聞くのが女官クラリッサ・リース――

 彼女の目と手は鋭いが、決して感情で動くことはない。

 “手をかける価値のある相手”にしか鍛錬の場を与えない人物だ。


「クラリッサが動くということは、彼女を“政に上げてもよい”と判断したということか……」


 そう呟いた声に、かすかな含みが混じる。


 カザエルは冷静だ。

 誰かを特別扱いすることにも、甘い幻想に浸ることにも慎重だった。

 だが、マリアベル・クラヴィスという存在だけは、どうにも目を引かずにはいられなかった。


「……将来、対等に政を語る相手になるかもしれない。

 それとも――」


 そこまで言いかけて、言葉を飲み込む。

 その先を想像するには、まだ早すぎる。


 だが、あの目を思い出すだけで、自らの中にかすかな期待が芽吹くのを、カザエルは否定できなかった。


* * *


 王立学問院、春の終わり。


 進級したマリアベルたち三人は、学内の片隅で開かれた開かれていた“ささやかな祝賀会”に三人は並んで座っていた。


 男子に比べて数の少ない女子学生。けれどその中で、彼女たちはもう“点”ではなく、“線”で結ばれていた。


 相変わらず男子生徒と打ち解けることはないのだが、それでも入学当初とは異なり無視されたり妨げられるようなことはなくなっていた。


 存在は認められるようになった、というだけでもこの一年の大きな収穫なのかもしれないとマリアベルは思うのだった。


「これから、もっと“変わっていく”と思う。私たちも、学問院も」


 マリアベルの言葉に、アイリスが頷き、セラフィーナが軽く笑う。


「いいわね。“私たち”って言葉。気に入ったわ」


 三人の視線が合った。

 その中心には、まだ誰も知らない未来が、静かに芽吹いていた。

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