第11話 誇りある成績ゆえの試練


 学問院に通いはじめて二ヶ月。最初の試練は、思ったより早く訪れた。


「来週から中間試験になります」


 告げられたのは、憲政史の講義中。

 教授の淡々とした言葉に、講堂がわずかにざわついた。


 数日後、試験が実施された。論述と口述、それぞれで政治理論や法制度の分析が求められる。


 マリアベルは、父からの贈り物である黒いペンを握り、問題に向かった。


(問:現行王政における文官制度の限界と、その改正案を述べよ)


「……文官の選定に王族直下の推薦制度が介在することが、実務の中立性を損なう――」


 クラリッサとの模擬訓練、母の記録ノート、そして何より彼女自身の信念が、言葉となって紙の上を走った。


* * *


 試験結果が発表されたのは、学内掲示板だった。


 マリアベル・クラヴィス――第一位


 その数人下に、アイリス・フォーセット、セラフィーナ・ヴォルテの名も並ぶ。

 女子三名のうち、全員が十位以内に入っていた。


 その瞬間、マリアベルの脳裏に、入学時に聞いたクラリッサの言葉がよみがえる。


「王立学問院はね、“入る”より“出る”ほうがずっと難しいのよ」


「卒業できないんですか?」


「ええ。毎年、数割は進級もできずに去っていく。卒業論文と口述試験のハードルも高いし、成績が振るわなければ政務の道はまず開かれないわ」


 政の中枢を担う人材を育てる場。王立という名前は飾りではない。

 家の格やコネがどれほどあっても、ここでの評価がなければ、誰も相手にしてくれない。


 それが、この場所の“本質”――


 だからこそ、マリアベルは結果を出す必要があった。実力で証明しなければ、“女である”というただの目印に過ぎなくなる。



「……マジかよ」


「クラヴィス家の娘ってだけで枠取ってもらったんじゃなかったのか」


「女三人とも上位って、出来レースだろ」


 陰口は即座に飛び交った。廊下ですれ違えば、小さく笑われることもあった。


 翌日の憲政史の授業で、教員に発言を遮られたり、提出した資料に難癖をつけられる場面もあった。


「この参考文献、少々偏っているのでは?」


「同じものを男子が提出した時は問題にしなかったくせに……」とマリアベルは気づいたが、口には出さなかった。


* * *


 そんなある日、昼休みの図書室。


 マリアベルが本を広げていると、隣に座ったのはアイリスだった。


「……不当だよね。成績って、数字で出たはずなのに」


「……ええ。でも、声を荒げても損をするのは私たちの方」


「分かってる。でも、なんか悔しくて」


 黙ってうなずいたマリアベルの向かいに、セラフィーナがやってきた。


「ここ空いてる?」


 軽やかに椅子を引き、持っていた菓子を二人に差し出す。


「機嫌悪い顔してたから、糖分補給」


「……ありがとう」


「私、基本的に“得にならないことはしない主義”なんだけど。あなたたち、使えるわ」


「使える?」


「そう。真面目で頭がよくて、無駄な感情に振り回されないところ。私はそういう子、好きよ」


 マリアベルとアイリスが互いを見る。何も言わないが、悪い気はしていなかった。


「でもね……」


 セラフィーナはちらりとマリアベルを見た。


「たぶん私は、もうちょっと“好き”が混ざってきてる。……友達って、そういうことでしょ?」


 アイリスが小さく笑った。マリアベルも、微かに頬を緩めた。


 その瞬間、三人の間に“同じ戦場に立つ者”としての連帯が芽吹いた。


* * *


 その夜、マリアベルは日記にこう書いた。


「女であることを“理由”にされるなら、女であることを“武器”にしてみせる。

 正しさで届かない場所も、三人なら届くかもしれない。

 私はもう、ひとりじゃない」


 ペンが止まるころには、心の中に小さな炎が灯っていた。


* * *


 数日後、学問院の講堂で全校朝礼が開かれた。

 いつもより厳しい空気が漂う中、学園長が壇上に立った。


「成績発表の後、一部の学生および保護者から“成績に不正があるのでは”との問い合わせがあった。

 “女性生徒に対するえこひいき”や“成績操作”といった言葉も含まれていた」


 ざわつく空気の中、学園長は一歩前へ出る。


「しかし、私は断言する。王立学問院において、成績操作など一切ない。

 どれほどの貴族の名が背後にあろうとも、我々がそれに忖度する理由は存在しない。

 第一に、そんな手心を加えたところで、今回のように“結果に不満を持つ者”が声を上げるのなら、我々にとっては何一つメリットがないのだから」


 講堂の空気が張り詰める。

 学園長の目が、学生たちを鋭く見渡した。


「自らの成績が思うように振るわなかったとして、それを次に活かそうとせず、他者を貶めることに意識を向ける者が、この学問院に通う資格があるだろうか?」


 その問いは、講堂中に重く響いた。


「我々は、ここに集うすべての生徒が誇りを持ち、自らの力で知を磨くことを願っている。

 男女を問わず、貴族の家格を問わず、王政を支える者としての責任を担える者を育てる場である。

 ――それを胸に、各々の学びに励んでほしい」


 静寂が降りた後、学園長はゆっくりと壇を降りた。

 それは、王立学問院が掲げる“覚悟”の言葉だった。


* * *


 その夜、王都邸に戻ったマリアベルは、母と夕食を囲んでいた。


「……そう。そんなことがあったの。立派な声明だわね、学園長の言葉」


 カトリーナは微笑みながらスープを口に運んだ。


「ええ。私たちの努力が否定されなかったこと、それだけで今日は十分です」


「でも、まだまだこれからよ。敵は、“制度”だけじゃない。“空気”とも戦わなきゃいけない」


 母のその言葉に、マリアベルは深くうなずいた。


* * *


 父・レオンは、食後の書斎で報告書に目を通しながら、ふと顔を上げた。


「――公平であると、あれほど力強く語れる者がいるのならば……」


 口元にわずかな笑みを浮かべ、机の上の黒いペンに目をやる。


「……娘の進む道も、間違ってはいないのかもしれんな」


 その言葉は誰に向けたわけでもなく、ただ静かに空に消えていった。


* * *


 クラリッサは、記録局の片隅で、職員の一人が持ち帰ってきた『学園長の声明についての要旨』をまとめた文書に目を通していた。


「ふん。ようやく、まともなこと言ってくれる上が出てきたじゃないの」


 口は悪いが、目は柔らかい。


「マリアベル、あんたの論理も、そろそろ周囲に響き始めたわね……。

 でも、ここからが本番よ」


 そう呟きながら、クラリッサはまた新たな模擬問答集の作成に取りかかるのだった。

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