第9話 変わり者の教師たちとの出会い


 王立学問院に通い始めて数週間。

 マリアベルはようやく、講義の流れや図書館の使い方、周囲の学生たちの距離感にも慣れてきた。


 とはいえ、慣れることと、馴染むことは別だった。


 彼女の存在は、いまだに“目立っていた”。



「マリアベル嬢。では君に聞こう、“王令”と“勅命”の本質的な違いとは何か」


 財政と憲政を兼任する老教授――セヴラン・コールマンは、講義中、いつもマリアベルばかりを指名した。

 しかも、その声色は明らかに“試す”色を帯びている。


「“王令”は制度執行に伴う公式文書、“勅命”は君主の個人的意思に基づいた命令です。前者は議会承認を必要とし、後者は特例事項として扱われます」


「……ふむ」


 セヴランは口元をわずかに歪めた。


「そう答えるだろうと思った。だがそれは“学問的に模範的”な回答だ。

 君は学者になるつもりかね? それとも、政治家を目指しているのか?」


 教室にくすりと笑いが広がる。


「……実務に生かすために、学んでおります」


「では、次回の講義で“勅命が制度を破壊した事例”について実例を三つ用意して発表してもらおう。

 女だからといって手加減はせん。いや、しては君のためにもなるまい」


 それは指導ではなく、課題という名の威圧だった。


 マリアベルは静かに頷く。だが、心の奥は鈍く冷えていた。



休み時間。廊下の隅で、アイリスが一冊の分厚い書物をめくっていた。


マリアベルが通りかかると、アイリスはふと顔を上げた。目が合い、ほんのわずかに頷いたように見えた。


「……ありがとう、さっきの答え、よかった」


小さな声だった。まるで風のような言葉。


「あなたの言葉、ちゃんと届いてたわよ」


そう続けると、アイリスはまた静かに本へと視線を戻した。


マリアベルはその場を離れながら、小さく笑みを漏らした。


《孤独ではないかもしれない》――そんな小さな予感が、胸に灯った。


* * *


 午後の講義は歴史学。


 女性教員――ハリエット・バートンが担当だった。


 黒衣に近い簡素なドレス。表情をあまり動かさず、淡々と話す女性。


「では、王国初期において“聖職者と貴族”の役割はどのように分化していったか。誰か、説明できるかしら」


 手を挙げた男子にハリエットが促すと、彼は一気に語りだした。


「聖職者は民衆の教育と導きを、貴族は軍事と行政を担いました。王権は中立の立場から両者の均衡を図る役割に――」


「正解。でも、話が“教科書的”すぎるわね」


「あなたの答えに間違いはない。ただ、“誰がその歴史を記したのか”を一度は疑ってみた方がいい。

……私は、王宮の記録局で“書かれるべきこと”と“書かれなかったこと”の両方を見てきた。だから、そう思うの」


一瞬の静寂ののち、ハリエットは何気なく視線をめぐらせ――ふと、マリアベルの方で止まった。


厳しいでもなく、温かいでもない。冷静で、ただ“見ている”目だった。


けれど、マリアベルにはわかった。


《この人は、女性であることを理由に切り捨てられる“視点”の存在を、知っている》


その目は語っていた。


“あなたも見るでしょう、記されなかった真実を”


ハリエットはそれ以上、何も言わなかった。ただ静かに視線を戻し、講義を進めた。


 講義が終わったあと、マリアベルが席を立とうとしたとき、ハリエットがふと口を開いた。


「――マリアベル嬢。……お母様のお名前は、カトリーナ・クラヴィスで間違いないかしら?」


「はい。どうしてご存じで……?」


ハリエットは珍しく、かすかに目元を和らげた。


「昔、記録局でほんの短い間だけ一緒に働いたの。……女性の私にも、意見を聞いてくれた数少ない先輩だったわ」


「母が……」


「“記録に残すことは、未来への証言になる”って言ってたのよ。今でもその言葉、覚えているわ」


「……私も、それを信じてここにいます」


「ええ。目を見れば、わかるわ。あなたなら、受け継げるかもしれないって」


 マリアベルはハリエットのその目に、初めての“味方”らしきものを見た気がした。


* * *


 そして翌日。


 初めて受ける統治論の講義は、噂に違わぬ“変わり者”の登場で始まった。


「はーい、起立、礼、ってやりたい者がいればどうぞ〜」


 講義台に足をかけるようにして座ったのは、ガイル・シュトレム。


 少し長めの髪に緩いシャツ。貴族らしからぬ無造作な服装。

 学生たちは一斉にざわついた。


「さて、今日のテーマは、“君たちが王だったら何を変えるか”。おもしろそうな答えが出るまで帰しません。嘘です、時間は守ります。がっかりした?」


 教室が笑いに包まれる中で、マリアベルは、シュトレムの目が真剣な色を持っていることに気づいた。


「じゃあ、マリアベル嬢。君は?」


 ……やっぱり指されるのね。


「私は、“請願制度”を市民に開放します。

 貴族合議の中に、民からの意見が届く枠を設ける。

 制度設計と官僚の負担は重くなりますが、“王権の正当性”を担保するには必要です」


「……なるほど!」


 シュトレムが身を乗り出す。


「正解なんてないのに“答え”を持ってくるの、好きだな君。論点が明確でいい。ほかに異論ある者、はい、バトル!」


 そう言って全体討論が始まった。


 マリアベルは初めて、“発言すること”が自由であり、価値あることだと感じた。


 講義の終わり、片付けをしていると、シュトレムが近づいてきた。


「マリアベル嬢、君、思ったより面白いよ。上に嫌われるタイプだろうけど」


「……ええ、自覚はあります」


「じゃあ、いい。才能と変革は似てる。“最初は嫌われる”。それを抜けたら、次が見えるから」


 その言葉は、不思議と力になった。


* * *


 夜、自室でノートを開く。


 父から贈られた黒いペンが机の上にあった。

 まだ馴染まない重さ。でも、この国を記すには、これくらいの重みがちょうどいいのかもしれない。


 マリアベルは今日のことを、そっとノートに書き留めた。


「ここには、私を理解しようとする目もある。

 私を試す声もある。

 でも、だからこそ――私は、残る」


 小さな決意の文字が、夜の灯りの中で光っていた。

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