本物
ダッチマン
第1話本物
ある日、男が家に帰ると──
玄関の前に、自分と全く同じ顔をした人間が立っていた。
その姿を見ても、驚きはなかった。
むしろ、そうなることをずっと予感していたような、そんな気さえした。
男はその人間と一瞬だけ目を合わせる。
だがすぐに視線を逸らし、無言のまま鍵を差し込んだ。
扉のラッチがカチリと鳴る音が、夜の静けさにやけに大きく響いた。
扉を少し押し開けた、そのとき──
「……私は、あの人が好きだった」
後ろから落ちてきた声に、男の手が止まった。
数秒の沈黙の後、彼は振り返ることなく答えた。
「だろうな、お前は俺なんだから」
低く静かな声。
決して怒りではない。
それはむしろ、受け入れてしまっている諦めのようでもあり、嘲りにも似た自己否定のようでもあった。
人間──コピーは、その言葉に小さく戸惑いを見せる。
ほんの少し唇を動かし、言葉を探す。
だが先に、男が続けた。
「……なんでわざわざ、それを言いに来たんだ?」
扉は開いたまま。
男の背中越しに、その声だけがわずかに漏れる。
「……わからない。でも、伝えずにはいられなかった」
コピーの声には、自分でも抑えきれない衝動のような震えがあった。
男は小さく息を吐き、ようやく言葉を絞り出す。
「……それで、俺になにを求めてるんだ?」
コピーはそれに、言葉を返すことができなかった。
男はそのまま家に入りドアを閉めた。
「ガチャン」
ドアは閉められ会話は終了したが、コピーはまだ玄関の前に佇んでいた。
背後では街灯の明かりがかすかに揺れている。
遠くで車が走る音と、風の音だけが夜を満たしていた。
コピーの中で男の言葉が繰り返す。
「だろうね、お前は俺なんだもんな」
「……なんでわざわざ、それを言いに来たんだ?」
その声は、ただの呟きのようでいて、
深く自分を切り裂く刃のようだった。
やがてコピーはポケットからメモを一枚取り出し、
何かを記して、ドアの隙間に静かに差し込んだ。
その背中には、何かを背負っているような重さがあった。
たぶん、男の苦しみを思い、自分がその原因になったという自覚があるだろう。
言い訳はしない。
ただ、何も言わないまま帰るわけにもいかない。
けれど──
「……謝って済むなら、本物はひとりでいいんだよな」
そう小さく呟いて、
彼は**“自分の家”へと歩き出す。帰りを待つ人がいる場所へ**。
男は1人きりで部屋に佇む。
あまり物のない、生活感の薄い空間。
少し前までは「俺の部屋」だったはずの場所は、今やただの「どこにも属さない場所」になっていた。
ソファに腰を下ろしながら、男はコピーの顔を思い出していた。
──自分の顔。
──自分の声。
──自分の仕草。
「……あいつが現れなければ、全部俺のままだったのに」
そう呟いたあと、
口の中で自分の声が妙に空虚に響いた気がして、思わず男は苦笑した。
「ああ、俺が“俺”だって……誰がわかるんだよ」
今や、過去を知ってる誰もが“コピー”を「本物」だと思っていた。
学校でも、職場でも、友人も──あるいは、あの人も。
男は叫ぶように吐いた
「なんで俺が偽物になったんだ!」
「なんで、アイツが本物になったんだ!」
「なんで、なんで、なんで……」
男が気がついた時はもう朝だった。
玄関を見ると何か紙が挟まっていた。
紙には、こう記されていた。
「これが“代わり”になるとは思ってない。
でも、君が君として息をしてくれているなら、それでいいと思ってる。
たとえ、誰にもそう見られなくても──俺にはわかる。
君は“俺”だった人だ。
それだけは、失いたくなかった。」
男は部屋に戻り、紙を捨て、ネクタイを持ってドアへ向かった。
本物 ダッチマン @trystophan_7k15d
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