第4話 光の糸

ラリンヤとべルックが教会を訪れ、今後について牧師と話を交わしたその日から、魔法と聖の力を制御するための訓練が始まった。


今日も、ラリンヤはジュリアと一緒に教会を訪れていた。日曜日は教会に人の出入りがない休息日で、静けさが広がっている。だからこそ、この日は訓練に専念できるのだった。


訓練の場となるのは、教会の裏にある小さな庭。

垣根でぐるりと囲まれていて、外からは中の様子が見えない。牧師の話では、この庭も含めて教会全体が魔法で守られているらしい。


庭といっても、背の低い草が一面に広がるだけの、質素な空間だった。広さは教会のおよそ半分ほどで、ラリンヤと牧師はその中央に、向かい合って立っている。


ジュリアは、教会と庭をつなぐ扉のそばに立ち、静かに主人を見守っている。長い淡青の髪は高く結い上げられ、その姿はまるで「準備はできています」と語っているかのようだ。


「来てくださって、ありがとうございました」


「よろしくお願いします、牧師さま」


数日前のマナー教室で教わった通りに、ラリンヤは今日着ている深緑のドレスの横をつまみ、軽くお辞儀をした。


遠くから見守っているジュリアは、成長していく主人の姿に目を細め、幸せそうに微笑んでいた。


「牧師さま、どうして私はここで訓練しないといけないの?」


「そうですね。あなたは魔法が使えるだけでなく、聖の力というものも持っています。それが他の人に知られてしまうと、困ることになるかもしれません。今は分からなくても、いつかきっと分かる時が来るでしょう」


今はただ、他人の目に触れないようにしておけば、それでいいのだ。


「では、目を閉じてください。それから、自分の鼓動だけに意識を向けてみてください。しばらくすると、身体の奥から魔法の流れと聖なる力の流れが、少しずつ感じられるようになるはずです。お嬢様は魔力が豊かな方ですから、きっとすぐにわかるでしょう」


ラリンヤは、牧師の言葉に従って目を閉じ、自分の鼓動に意識を向けながら、静かに呼吸を整える。しばらくすると、本来は聞こえるはずのない鼓動の音が、微かに、でも確かに耳に届いてくる。その瞬間、まぶたの奥に、青く揺らめく炎のような光が線を描いて小さく動いているのが見えた。さらに意識を深く集中させると、金色の光がその青い炎に寄り添うように絡みつき、共に流れているのが見えてくる。


「魔法の力と、聖の力を感じ取れるようになったのですね。お見事です」


目を閉じたままのラリンヤの身体は、かすかに青と金の光に包まれている。その光は、彼女の呼吸に合わせて、やわらかく揺れている。


「見えているかもしれませんが、青い光と金色の光が、絡まり合っているように感じませんか?」


「うん、見える。よく見ると、糸みたいに細くて、くるくるって絡まってる」


「そこまではっきり見えているとは、素晴らしいことです。魔法の力と聖の力を併せ持つ者は、魔法を発動する際に、聖の力も同時に現れてしまいます。両方の力が混ざり合っているため、意識して使い分けることができないのです」


身にまとっていた光が消え、ラリンヤはゆっくりと目を開けた。


「混ざり合ってるなら、使い分けなんてできないんじゃないの?」


「一般的には、そうですね。多くの人は、魔法の放出や制御に集中して練習するうちに、魔法と聖の力が自然と混ざり合ってしまいます。その状態で長く魔法を使い続けると、最初から二つの力が一緒に放たれるものだと錯覚してしまうのです。ですが本当は、時間はかかりますが、練習すれば使い分けることは可能です。だからこそ、魔法も聖の力もまだ弱いうちに、それぞれを見分けて制御する練習をしておいた方が、ずっと簡単なんですよ」


「難しい話だね」

ラリンヤは、分かったような分からないような表情で言った。


「大丈夫です。少しずつ練習を重ねていけば、三年か四年もすれば、きっと完全に使い分けられるようになりますよ」


年数を聞いたラリンヤは、目をぱちくりさせた。

「な…長いね…」


「もう少し早く使い分けられるようになるかもしれませんし、もう少しかかるかもしれません。でも、私はこれからもずっとサポートしていきますので、どうかご安心ください」

そう言って、牧師は片手を胸に当てた。


その姿を見て、ラリンヤは心の中で「この人なら大丈夫」と思ったのか、ぱっと表情を明るくして、元気よく答える。


「うん!がんばる!」


「では、もう一度目を閉じて、さきほどの魔法と聖の力を感じてみましょう」


ラリンヤは目を閉じて、呼吸を整える。静かに意識を深めていくと、心の奥に光の糸のようなものが浮かび上がってくる。青と金の光が、ひとすじに絡み合いながら流れ、その輝きは身体の外へとかすかに広がっていった。


「はい。そうです。今は、糸のような光の線が見えるはずです。もう少しだけ、近づくように意識を集中してみてください」


牧師の言葉に従い、さらに深く集中していくと、その光の糸は、まるで視界に拡大されるかのように、ゆっくりと大きく、はっきりとしていった。


「少しはっきりと見えるようになったら、どれでもかまいませんので、絡まっている金色の糸だけに意識を向けてみましょう。そして、その金色の糸を、束の中から引き抜くように、思い描いてください」


そう言われても、ラリンヤにはよく分からなかった。けれど、これができないと、聖の力を隠すことができない。他人に知られたら、何か大変なことになると、そんな予感だけはあった。だから、頑張るしかない。ラリンヤはそう決めた。


もう少し、金色の糸に集中して、もっと、もっと……

何かを掴めそうな感覚が胸に広がったそのとき、ラリンヤの意識が、無数に絡まる光の糸の中の、金色の糸一本と重なったような気がした。すると、その金色の糸が、ほんのわずかに揺れた気がする。


全身が青と金の光に包まれたラリンヤの額には、小さな汗がにじみ始めていた。汗は頬を伝って、ゆっくりと顎の先へ流れていく。


ラリンヤは心を一点にとどめたまま、金色の糸を動かそうと集中を続けていた。およそ二十分が経ったころ、その糸がかすかに震えるようになった。束となって絡まり合っていた光の中から、金色の糸がほんの少しだけ離れたように見える。


パンッ!


意識を引き戻すように、牧師が手を叩く。その音に反応して、ラリンヤは驚いて目を開けた。目の前には、穏やかに微笑む牧師の姿があり、優しく口を開く。


「これ以上は体力の限界を超えてしまいますので、今日はここまでにしましょう。私の許可が出るまでは、教会以外での練習は禁じます」


明らかに疲れの色を見せるラリンヤは、小さく頷く。牧師は教会の中へと戻っていき、遠くからそれを見ていたジュリアが、早足で高級そうなタオルを手にラリンヤのもとへ駆け寄る。


そのとき、裏庭と教会を繋ぐ扉が、誰かの手によってゆっくりと開かれる。気配に気づいたラリンヤは、顔をそちらへ向ける。扉の向こうから、ラリンヤと同じくらいの年頃で、小麦色の肌をした男の子が庭へ入ってくる。彼の群青色の瞳は、まっすぐにラリンヤたちを見つめていた。


「あれ?あの子、誰?」

ラリンヤはジュリアに尋ねた。よだが、ジュリアが答える前に、男の子が大きな声をあげる。


「よっしゃあ!先週の続き、やるぞー!」


教会に入っていた牧師が、木剣のようなものを両手に三〜四本抱えて庭へと戻ってくる。彼は苦笑しながら、来たばかりの少年に声をかける。


「レオネール様、まだお時間ではないはずですが……」


すると少年は胸を張って言い返す。


「良いではないか!私は続きを練習したいのだ!」


わがままそうな男の子は、牧師の手から木剣をひとつ、まるで当然のように奪い取る。牧師が止めようと手を伸ばすが、少年の勢いに押されて、その手は宙を切る。少年はそのまま、ぎこちない動きで木剣を振りはじめた。本人はいたって真剣なようだった。


牧師は申し訳なさそうに眉を下げながら、ラリンヤのもとへ歩いてくる。


「すみません、お嬢様。本来であれば、あと一時間はお時間があったはずなのですが……まさか、今日はこんなに早く来られるとは……」


「牧師さまっ!」


男の子の声が、牧師の言葉を遮るように響く。話の途中で呼ばれた牧師は、そちらを振り向く。


男の子は、ラリンヤを見て眉をひそめる。

「先週の続き。…え? 君、だれ?」


「だれだっていいじゃん」


「お嬢様……」

ジュリアは小声で、注意するように言った。


「は!?無礼者!ぼくのこと知らないのか!?」

怒りをあらわにした少年は、手に持った木剣の先端をラリンヤへと突きつけるように向ける。


「僕は、レオネール・ドミュウシガ。この国の第一王子だ!君の将来の王様になる人間だぞ!」


「え?こんな人が?」


「お嬢様……」

ジュリアは困り顔を浮かべつつ、助けを求めるように牧師へと視線を向けた。


「ラリンヤお嬢様。私と一緒に、教会の正門まで参りましょう」

牧師は静かに一礼し、ラリンヤに声をかける。

「レオネール王子、少々お待ちくださいませ」


ラリンヤはその言葉にうなずき、牧師とともに教会の方へ歩き出す。背後からは、まだ納得がいかない様子の王子の気配が、じっと追いかけてきていた。


「待て!待てってば、無礼者!やあっ!」


怒鳴ると同時に、レオネール王子は手にしていた木剣を勢いよく投げつけた。狙いはラリンヤだったが、剣は彼女を外れ、隣にいたジュリアの腰に激しく当たってしまう。


その瞬間、教会へ向かっていた三人の足が止まる。誰もが言葉を失い、その場に静寂が落ちた。


「ジュリアさん、大丈夫ですか?すぐに手当てを…」


牧師が駆け寄って声をかける。ジュリアは腰を押さえつつも、かすかに微笑みながら首を横に振った。


「いいえ、私は平気です。それより、お嬢様にお怪我はございませんか?」


痛みに顔をゆがめるジュリアの姿を見ると、胸の奥からふつふつと怒りがこみ上げてくる。ラリンヤは迷いなく、牧師が手にしている木剣の束から一本を抜き取ると、レオネール王子に向かって足早に歩み出した。


「お待ちください、お嬢様!」

牧師が慌てて声をかけるが、ラリンヤの足は止まらない。すでに木剣を手に、レオネール王子のもとへ向かっていた。


わがままな王子だが、今の状態はまずいと、誰から言われなくても分かる。


「え、ちょ…待って、まさか本気で…」

レオネールの声がわずかに震える。


天使のような顔立ちをしたラリンヤだが、その瞳には、今まったく笑みがなかった。胸の奥で、なにかが動き始めている。それは怒りの感情だった。自分の中で魔力が乱れ始めたことに、ラリンヤはまだ気づいていない。その乱れは体を巡り、握った木剣へと伝わっていく。木のはずの剣が、かすかに青い光に包まれた。


ラリンヤを止めようと、牧師は急いで駆け寄る。

しかしその動きとほぼ同時に、ラリンヤはレオネール王子に向かって、木剣を振りかざしていた。


「お嬢様、おやめください!」


牧師がラリンヤを止めようと駆け出す。けれど、木剣はすでにレオネール王子の頭上へ振り下ろされようとしていた。

その瞬間、ラリンヤの手にあった木剣が砕け、木片が飛び散る。


目の前で起きた出来事に、レオネール王子は声も出せず、足元から力が抜けるように崩れ落ちた。


牧師は、足元に散らばった木片を一つずつ拾い上げる。その背中を見つめながら、ラリンヤは我に返った。怒りで視界が曇っていたことに気づき、胸の奥に冷たいものが広がる。


「ご…ごめんなさい」


かすれた声でそう告げるラリンヤの目は、さっきまでの勢いを失っていた。


牧師は手の中の木片を静かに見つめ、表情を険しくする。そして、真剣な眼差しでラリンヤに問いかける。


「……何が起こったのですか?」


その言葉は叱責というよりも、確認するような、どこか戸惑いの色を帯びていた。


「わ…わからない……体が勝手に……」


涙をこらえて俯くラリンヤのもとへ、ジュリアが駆け寄る。その瞳には、心配と不安の色が浮かんでいる。主人の体に怪我がないかを確かめるように、肩に手を添え、丁寧に様子をうかがう。


牧師は、手にしたバラバラになった木剣をじっと見つめていた。


これはラリンヤのせいではない……

少女の内に秘められた力は、想像以上に強く、そして繊細だった。このままでは、彼女自身がその力に振り回されてしまうかもしれない。訓練の内容を見直す必要があると、牧師は心の中で決めた。

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最弱国の令嬢、聖騎士の道へ KOMUGI @kimugo_komugi

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