『オスマンの海を越えて──バッシャール家興亡記』

ひまえび

第一章……アデル・バッシャール(ルドラの父親)の登場

第1話……アデル・バッシャール:デヴシルメ(徴用)される

『オスマンの海を越えて──バッシャール家興亡記』(第一章第1話)【作品概要】です。

https://kakuyomu.jp/users/happy-isl/news/16818622174036686118


【作品概要】の挿絵は、『東ヨーロッパにおけるヴェネツアの影響圏』です。

出典は、『岩波現代選書「ヴェネツィア」W.H.マクニール著。清水廣一郎訳。巻頭の図』です。


前書き

この章は前章の34年前から始まり、34年後の1573年までの物語である。アイユーブと別れたタジルー・ハーヌム42歳は素性を秘匿するという条件でオスマン帝国への亡命を認めてもらった。タジルー・サイイドと名乗り、カトリックに改宗し、チュクロバ平野の主要な土地を買い占め、大土地所有者となった。綿花プランテーションを大々的に行い、年間100万ドゥカート(2億円)の定期的な収入を上げる農園主である。タジルーは幅広く交易を行い、ユダヤのナスィ夫人よりも資金を動かせるような存在になってきている。子供は長男アデル・サイイド12歳と長女エジェ・サイイド6歳のふたりである。部下はアズイーザ32歳を長とするトゥアレグ族1,000名「男女500名ずつ」と「綿花農家、紡糸職人、織布職人、捺染職人、糸染め職人、仲買商人」たちの集団をそれぞれ10家族抱えている。


1539年7月1日火曜日午後1時:アダナのタジルー綿花農場

アデル・サイイド12歳はアイユーブ・サイイドとタジルー・サイイドとの間に生まれた。母親のタジルー・サイイドは旧姓をタジルー・ハーヌムと言い、元サファビー朝国王イスマイール一世の王妃であり、タフマースブ一世の生母である。アデルはタフマースブ一世の異父弟ということになる。なお父親はアイユーブ帝国の国王であり、彼の息子マージドはアデルの異母兄に当たる。


母はスレイマン大帝との約束を守り、自らの素性(サファビー朝の元王妃)を外部には秘密にしている。サファビー朝からの亡命を受け入れる条件だったからだ。


アデルは母から呼ばれ、母屋に出掛けた。午前中は母から法学と医学および語学「チュルク語、ペルシャ語、ギリシャ語、アラビア語、イタリア語、フランス語」を学び、午後からはアズイーザに弓矢、鉄砲、格闘技を教えてもらっていたのである。


「アデル、宮廷から命令が下ったわ。デヴシルメ(強制徴用)……注①に応じてイスタンブールに行きなさい」


アデルにはデヴシルメの意味がさっぱり分からなかったが、イスタンブールに行けると聞き、大喜びで支度をした。アデルは母から10万ドゥカートの手形を貰い、アズイーザと一緒にイスタンブールへと赴いた。


アデルは母から貰ったお金で色とりどりの綿織物2,000荷を購入し、ヒトコブ半ラクダに積んでコンヤ(コニヤ)まで行き、そこで綿織物を1,000荷だけ売却し、良馬を100頭入手した。


5万ドゥカート残ったので、ブルサでは絹織物を500荷購入し、イスタンブールですべて売却した。何と50万ドゥカートの手形が残った。自分の手元には10万ドゥカートだけ残し、残りをアズイーザに託した。


アズイーザが何を購入するか迷っていたので、とりあえずガレオン船を5隻新造し、残りのお金でイスタンブールの名産品絨毯を買わせた。イスタンブール⇔スィノプ⇔カッファの三角貿易を行なうように指示した。


1539年7月15日火曜日午前10時:トプカピ宮殿

アデルは宮廷の大広間に集められた。12歳から20歳までの少年が30名ほど赤い帽子と衣装を身にまとい、一列に並ばされた。


氏名、年齢、出身地などを質問され、身体検査、学力テスト、体力測定などのあとにひとりひとり面接を受けた。


面接官は大宰相ルトフィ・パシャである。


「アデル・サイイドと言うのか?12歳だな」


「はい、そうです」


「父親はアイユーブ・サイイド、母親はタジルー・サイイドなのだな。ううむ。何処かで聞いたことがあるな」


ルトフィ・パシャは決めかねてスレイマン大帝のところに行った。


「どうした?」


「アイユーブ・サイイドとタジルー・ハーヌムの息子と思しき男が参りまして。私では判断が付きかねます」


「いや、彼は俺が呼んだのだ。他に知っているものはいるのか?」


「いえ、いません」


「そうか。アデルを呼んで来い」


「アデルが参りました」


「アデルよ。お前をデヴシルメに呼んだのは俺なのだ。お前に頼みがある」


「はは、どういったことでしょうか?」


「改名して欲しい。お前と両親および妹の姓をバッシャールに変えてほしいのだ」


アデルにはそうする意味が良く分かりませんでしたが、ここは大帝に従っておきました。


「了解いたしました。私は今からアデル・バッシャール、妹はエジェ・バッシャール、死んだ父はアイユーブ・バッシャール、母はタジルー・バッシャールと名乗ります」


「そうか。お前を宮廷侍従に任命する。明日から宮廷内のマドラサ(学校)へ通うのだ」


「分かりました」


アデルは宮廷侍従に抜擢されたことと改名を指示されたことを母に知らせた。


1539年7月15日火曜日昼12時:小姓食堂

侍従と言っても半人前のうちは小姓と呼ばれ、午前中のマドラサ(学校)へ行っている時以外は宮廷内の雑用係である。宦官たちや他の小姓たちと同じ表宮廷にある小さな食堂で食事を一緒に食べる。


30数名のデヴシルメたちの内で小姓となったのはアデルだけだった。昼食が終わったあと、宦官長のラマザンに呼ばれた。料理長のユスフも一緒である。


ユスフがアデルに金貨1,000ドゥカートを渡し、市場で小麦を購入してくるように命令した。ラマザンもアデルに金貨200ドゥカートを渡し、市場で石鹸と綿布を購入してくるように命令した。


アデルは市場へ行き、値段を調べたあと空き倉庫があるかどうか確認した。空き倉庫が10軒あり、2,000ドゥカートで売ってくれるそうだ。アデルは空き倉庫を10軒購入し、2,000ドゥカート支払った。


小麦は1ドゥカートで1荷売ってくれると言っていたが、2万荷買うから1万ドゥカートにしてくれと値切ると、1万5千ドゥカートならと言うので、もう一度粘って2万荷を1万2千ドゥカートで購入した。


石鹸も綿布も同様に6割に値切って1万荷ずつ購入した。市場をもう一度眺めてみるとぶどう酒が普段の半額「1ドゥカートで2荷」になっていたので、大量に購入するからと更に根切り、「1ドゥカートで3荷」で3万荷購入した。


アデルが市場で値切っているのをじっと見つめている女性たちが居たのにはアデルは気が付かなかった。


宮廷に帰り、宦官長ラマザンと料理長ユスフに品物を渡した。今日の収支は、出費が倉庫購入費2千ドゥカート、小麦1万2千ドゥカート、石鹸6千ドゥカート、綿布6千ドゥカート、ぶどう酒1万ドゥカートで合計3万6千ドゥカートである。残金は6万4千ドゥカートになった。


倉庫にはぶどう酒3万荷、小麦1万9千荷、石鹸1万9千900荷、綿布1万9千900荷入っている。


1539年7月15日火曜日午後3時:表宮廷調理場

アデルはユスフに頼まれ、玉ねぎを切ったり、シシケバブ(串焼き)を作成したりしていた。


味見をしてみたがここのシシケバブは美味しくない。アデルがそう言うとユスフが怒り、そう言うなら今度お前が作ってみろという。


アデルは母親に知らせ、イスタンブールにディヤルバクルから羊を100頭送ってくるように頼んだ。2週間もあれば届くだろう。


☆女官長エミネ24歳

エミネは化粧品を買おうとしてイスタンブールの市場へ行った。白粉と頬紅、口紅を一個ずつ買い、出ようとしたら、見たことのある男の子が店員と値段交渉をしているのに気付いた。


ぶどう酒を大量に買ってやるから半値にしてくれと交渉している。


店員は普段より半値で売っているからこれ以上は下げられませんと断っているが、その男の子は何を言われても自説を曲げず、1万ドゥカート支払ってやるから4万荷寄越せと言って聞かない。


店員が最後は折れて1万ドゥカートで3万荷まで下げた。その子はやっと満足し、ぶどう酒を受け取り、自分が購入した倉庫に搬入した。


おそらく明日全部売り払ってしまうつもりだなと考えた。大量に買うから値段を下げろという交渉は一理も二理もある理屈である。宮廷の料理人もそういう買い方をすれば良いのにとエミネは思い、後宮に戻ってから皇妹のハティジェ・ハトゥンに告げた。注……皇太后ハフサ・ハトゥン(1534年死亡)の亡き後、スレイマン大帝の妹ハティジェ・ハトゥン(マージドの生母)が後宮の実権を握っていた。


ハティジェ・ハトゥンは宦官長のラマザンにその子の名前を聞いた。


「アデル・バッシャール12歳です」


「そうか。アデル・バッシャールを呼んで来なさい」


今回はここまでにいたしましょう。次回をお楽しみに。


後書き

イスタンブールの市場では金貨1ドゥカートに対し、商品1荷が基本です。1荷の定義は商品によって異なり、日本円に換算して2万円で購入できる程度の商品という意味合いになります。綿布の場合は着物2着分が1荷となり、小麦の場合は一家5人の一週間分のパンが作れる量が1荷となります。織物の場合は金貨1ドゥカートに対し、綿布1荷、綿織物0.5荷、毛織物0.3荷、絹織物0.2荷となります。


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注①……デヴシルメ

デヴシルメは、14世紀ごろのオスマン帝国にて成立した徴兵制度。デヴシルメは「強制徴用」を意味し、イスラーム国家体制と共に同国の中央集権体制を支えた。 アナトリア地方やバルカン地方に住むキリスト教徒の少年を定期的に強制徴用し、イスラム教に改宗させて教育・訓練した。 ウィキペディア

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