第2話 初めてのカタカナ名の選手 マイク・ソロムコ
マイク・ソロムコ
阪神の外国人選手で一番印象的な選手はと訊かれたら、そら成績から云ったら、神様、バース様やろ。タイガースの石器時代を知る私としては、マイク・ソロムコを挙げる。何せ初めての青い目の外国人選手をタイガースで見たのだ。
1958年に在日米軍キャンプ座間の兵士として来日。1960年春に大阪タイガースにテスト入団。入団1年目(5月位から出て来たような)から4試合連続本塁打、これは当時まことに鮮烈だった。17本塁打を放つ(チーム2位)。この年オールスターゲームに出場、1年目でオールスターはタイガースではその後、マートンまでない。この年のホームラン王はチーム4番バッターの藤本勝己(島倉千代子と結婚した人)の22本だった。入団3年目の長嶋は、首位打者は取ったが16本塁打だった。長嶋は入団時29本・前年27本で連続ホームラン王になっている。そんな時代の17本、それも4打席連続。24歳と若い。俊足・強肩。『外国人長嶋』になるのではと密かな期待した気持ちが分って貰えると思う。わたしの期待が過ぎたのだろう。でも打てない時代のチームにあって、ホームラン20本、2割7分は5番、6番の主軸としては充分であった。1962年にはリーグ優勝にも貢献した。巨人戦に活躍した記憶がある。
世紀のトレードと云われた1963年(昭和38年)オフに行われた、小山-山内のトレードを補う形で、投手若生智男とのトレードで東京オリオンズに移籍。移籍後も5番を打ったが1965年に現役を引退。 若生は隔年ごとに好不調の波のある選手だったが、タイガースでは準エース的な存在感を示した。通算121勝投手ながら、計21年 3球団を渡り歩けたのは、先発・中継ぎ・抑え なんでもこなせる対応力があったからだろう。3球団すべてで優勝を経験した。この複数トレードは成功したトレードだったと云える。
ソロムコは引退後も日本にとどまり、輸入調理器具の訪問販売を行う会社を設立した。1980年代には阪神対巨人のOB戦にも出場、選手時代と変わらないスリムなユニホーム姿を見せた。妻は日本人。
渡辺省三(長年タイガースのスカウトを勤める。小山は渡辺さんを見てコントロールの大切さを学んだと云っている)さんの娘さんが、父の思い出としてこのように書いている。
「父は、ソロムコさんが、イージーウェアを設立したことを知り、ソロムコさんからアメリカの調理器具「鍋」を購入した。当時、この調理器具は30万円近い価格だった。父としては、かつてのチームメイトに対して、景気づけの意味を込めて購入したのだろう。『最高級のステンレスを使用。丈夫で、洗いやすく、美しい光沢は永遠に変わりません。シンプルなデザインともよくマッチし、時代を超えてご愛用いただけるものと思います』だった。当時やっとステンレスの流し台が普及し出した頃で、ステンレス製品は高かったのだ。それにしても、鍋がね!
それから使い込んで50年。鍋はピカピカだが、鍋の持ち手や鍋ふたのつまみは、プラスチック、朽ちて来た。熱い煮物を入れた鍋の持ち手が、突然、ポロっと取れてしまっては大やけどのもと。50年も前の商品のアフターケアなんて、やってないだろうなぁ。と連絡してみた。現在は、社名がイージーウェアズとなっているようだが、同社は、「部品交換はできる」と。50年前、ソロムコさんが、立ち上げたイージーウェアは健在で、50年間、アフターケアを充実させ続けたに違いない。
こういうのを、ほんまもんー「本物の商売」というべきだろう。と書いている。
長くなったが、引退後のソロムコでありました。
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