第6話 幼馴染みに誘われる回

 かがみ文月ふづきには、桐生きりゅう貴虎きとらという異性の幼馴染みがいる。小学校と中学校の九年間は、同じ学校に通っていた。実家の位置は近く、親族同士の付き合いが深い。貴虎は幾度となく『シックスティーンアイス』を訪れており、その経営者たる文月の母方の祖父母からは“もう一人の孫”の扱いを受けている。文月は貴虎の父方の祖母・早苗さなえとは携帯電話でメールをやりとりする仲――いわゆる“メル友”だ。


 九月九日。今日は、お互いの高校の二学期が始まってから最初の日曜日にあたる。


「ごめんごめん!」

「お! 来た来た!」


 夏の日差しに焼かれて、少し焦げ茶色の肌をした短髪の少年。貴虎は、こちらに向かって謝りながら走ってくる文月の声が聞こえて、携帯電話の画面から顔を上げた。白くてもふもふの大きな犬・もふもふさんは、文月の後ろを小走りでついてきている。


「準備をしていたら、家を出るのが遅くなっちゃって……」


 今日の服装は、昨日の就寝前、枕元に用意しておいたものだ。天気予報は晴れだが、気温は高い。今シーズンは厳しい残暑となりそうだ。


 ノースリーブの白いワンピースに、薄手の黄色いカーディガンを羽織っている。屋外はムシムシとしているが、屋内は冷房が効きすぎている場所が多い。冷風で体調を崩さないようにと、出かけるときには上着を一枚、必ず持たせられる。もふもふさんの助言だ。


 しかし、自動的に荷物がひとつ増えてしまう計算になる。ハンカチやら制汗剤やら、こまめに水分補給をしなければならないから水筒やら、必要そうなものをバッグに入れていくと、ついついバッグが大きくなってしまう。できればバッグは軽いほうがいい。


 あれこれと整理していたら、今度は携帯電話を家の中でなくしてしまった。探し回っていたら、待ち合わせの時間に間に合うギリギリの時間に家を出発する羽目に。朝からてんやわんやである。なお、携帯電話は座布団の下に滑り込んでいた。七階の祖父に電話をかけてもらって、所在地が判明している。


「全然待っていないぜ。おれが早く着き過ぎちゃっているだけ!」

「時計を見ろ。待ち合わせの十一時ぴったりすよ」


 もふもふさんが鼻先で公園の時計を指した。ここはタコさん公園。その名の通り、タコの形をしたすべり台の遊具がある。


「そうそう! もふもふさんの言うとおり!」


 高校生になったら、もうちょっとするものだと思っていた時期が文月にはあった。しかし、文月自身は何も変わらない。実家暮らしから祖父母の家の一個下の部屋への一人暮らしに変わっても、特に大差ない。


 入学試験があったぶん、同じ学年には同程度の学力の生徒が揃っている。地域の公立校であるところの深川南中学校には、上は『難関大学への進学率』の高さを謳う高校に合格した者から、下はの天助高校にすら合格できないと言われてしまった貴虎のような者までいた。ピンからキリまでの環境から変わったものの、ちょうど中間地点にあった文月の成績に大きな変動はない。なんとかかんとかで高校の勉強についていっている。


「うん……」

「で! 鏡は、どこに行きたいんだ?」


 誘ったのは文月のほうだ。金曜日の放課後に『侵略者討伐部』の活動を終えてから、貴虎にメールを送った。貴虎からの返信はすぐに届き、日曜日の午前十一時に、ふたりの実家から近いタコさん公園の時計の下で待ち合わせ、と決定している。


「あ、えっと、今日は、行きたい場所があるわけじゃないの」

「? そうなのか?」

「桐生くんとお話ししたくて、呼び出しちゃった。ごめんね。……迷惑だったかなあ?」


 メッセージのやりとりなら、メールでいい。会話をしたければ、電話をかければいい。携帯電話の普及した二〇一二年の日本で、会って話をしたい。


「い、いや、全然! 鏡に誘ってもらえるのなら、全然! 迷惑じゃないぜ! おれ、暇だし! いつでも駆けつけるぜ!」


 貴虎は首を横にぶんぶんと振って否定した。もふもふさんは、おやおや、と、犬らしく舌を出してにやける。


「去年の今頃は、文化祭に向けての練習で忙しいって言っていなかったっけ?」


 文月なりに、遠慮はしていた。中学時代はケガをして引退するまで野球部に所属していた貴虎だったが、高校では軽音楽部に入部している。


 去年、文月は貴虎から送られてきた文化祭の招待状を持って、ライブを見に行った。文月には音楽の善し悪しがわからないものの、貴虎がボーカルとして一生懸命歌っていたのを見て、文化祭の来場者アンケートに「軽音楽部のステージがかっこよかったです」と書いている。本人にもメールで「すごくよかったよ」と感想を送っていた。


「バンドは辞めたぜ?」

「そうなの!?」


 聞いていなかった話をあっさりと言われて、文月は驚く。文化祭に犬は連れて行けなかったので、もふもふさんは「ほーん?」と軽く流した。


「音楽性の違いってやつだぜ。おれは今、パソコン部にいる」

「そうなんだあ……」


 貴虎は『音楽性の違い』の一言で、解散理由をまとめた。文月はこれ以上の追及をやめてしまったが、詳しくいうと『貴虎以外のバンドメンバーはメジャーデビューを目指すべく、本格的な音楽活動をしたかったのに対して、貴虎はバンド活動を“高校時代の思い出作り”と捉えていたため』である。熱量に差があった。


 貴虎が脱退した後のバンドメンバーたちは、新しいボーカルを迎えて、今度の文化祭でのライブに向けて活動している。その新しいボーカルは、一人でオリジナル曲の作詞作曲をして、動画投稿サイトにアップロードしていた女子生徒だ。音楽活動に熱心に取り組んでいる。これなら、うまくいくだろう。


 文月は残念そうな顔をしているが、貴虎自身は納得していた。これでよかったのだと思っている。


「だから、アイス屋に毎日のように来ていたんすね?」


 もふもふさんは、夏休み中の出来事に触れる。二〇一二年の夏休みは、九月の二日まで続いていた。九月の三日が月曜日となれば、三日が始業式の学校が多い。長い夏休みだった。


「そうそう。おじいちゃんから聞いたよ。桐生くんが『シックスティーンアイス』でアルバイトしていたって。練習で忙しいだろうに、よくやっているなあ、と思っていたんだけども、辞めていたのね」


 アイス屋。文月の祖父母が経営している『シックスティーンアイス』のことだ。暑さには冷たいアイス。夏休み期間はかき入れ時だ。平日は学校に通っていて来られないような子どもたちが、時には大挙して押し寄せる。


「おれは、その、最初は、鏡に会いたくて行っていたんだけれども、もふもふさんが『今日は出かけている』って言うからさ。文月のおじいさんは忙しそうだし『おれも働きますよ』ってね」

「今日は……?」


 だ。文月は、もふもふさんを見る。


「出かけてはいただろう。青嵐といっしょにに」


 もふもふさんは悪びれない。半分は合っている。貴虎は、文月ともふもふさんを交互に見て、腕を組んだ。


「鏡が、尾崎と、旅行に?」

「うん。ブルーと『侵略者討伐部』の活動の一環として、いろんな国に行ったんだあ。誕生日以外は、毎日外国にいたかも!」

「すげー! さすが尾崎家! マネーパワーがすごいぜ!」

「ブルーが全部プランを組んでくれて、わたしはついていくだけだったなあ……あっ」


 思い出した。文月はバッグをガサゴソと漁って、貴虎へのお土産を取り出して、手渡す。もし、貴虎が文化祭まで多忙であった場合には、文化祭の当日に渡そうと考えていた。


「これは?」

「開けていいよ」

「んじゃあ、開けるのは座ってからにするぜ。ずっと立ち話していて、鏡、疲れてない?」

「……実は、ちょっと思ってた。座ろ座ろ」


 ふたりと一匹は公園のベンチに移動する。落ち着いたところで、貴虎は包み紙を開けていく。


「えーっと?」


 中から出てきたのは、謎の生き物を模したぬいぐるみだった。不気味な姿をしている。もじゃもじゃの髪の毛を再現するように毛糸がくっついていた。人形なのかもしれない。


「これは、どこの国だったかなあ……」

「覚えてないのか」

「いろんなところに行ったからねえ」


 十二月二十一日。デッドラインははっきりと決まっているのに、倒すべき『侵略者』は見つかっていない。


 そこで『侵略者討伐部』は国内ではなく国外へと調査範囲を広げた。――というのが建前だ。青嵐の本音は、部活動にかこつけて文月とふたりきりで出かけたい、である。


「持っているだけで呪われそうな見た目すね」


 もふもふさんは率直な感想を述べた。文月がムッとした顔をしたので、貴虎はもふもふさんに同意するのをやめる。


「国は覚えていないけれども、これ、わたしが作ったの。ぬいぐるみ工房で、オリジナルのぬいぐるみを作りましょうって話になってね。ブルーは、ブルーのお父様へのお土産として作っていたなあ」


 文月は言い訳をするように、思い出話を繰り出した。青嵐の完成品や工房に並べられていた職人の手による商品と見比べると、完成度は低い。芸術が『3』だった文月にもわかる。


「おれがもらっていいのか?」

「うん! だって、桐生くんのために作ったものだから!」


 貴虎は「わかった。もらっておくぜ!」とお礼を言って、包み紙で包み直した。青嵐は青嵐を大事にしている父親のために作ったというのに、文月は貴虎のために作っている。この意味を突き詰めていくと、ぬいぐるみがどれだけ不細工だとしても、邪険には扱えなかった。


「貴虎の身代わりになってくれそうすよね」


 一度は『呪われそう』と言った口で、もふもふさんはポジティブな意見を出した。謎の生き物のぬいぐるみ、ではなく、やはり人形なのかもしれない。


「おれの身に何かあったときは、この子が守ってくれるのか」

「そうだねえ。きっと、そうだと思う」

「最近は、どう?」


 バッグを持ち歩いていない貴虎は、文月から受け取ったお土産をひざの上に置く。話題を『夏休み』から『新学期』に切り替えた。


「鏡さ、メールで『魁泰斗が転校してきた』って、送ってきたけど、この話をもっと詳しく聞かせてくれない?」

「そう! その話!」


 文月が今日、貴虎に会いたかった理由。お土産を渡したかったのはあるが、主目的はこちらだ。


「魁泰斗ってさ、あの『仮面バトラーフォワード』の、だよな?」

「うんうん!」


 貴虎もフォワードのファンだ。小学六年生の頃のふたりは、フォワードという共通の話題により同じ教室で学ぶ『同級生』から『友だち』へと関係性が変わった。


「なんで?」


 だからこそ。

 文月と同じ疑問を持つ。


「実はね、転校してきたサキガケくんは、宇宙人なんだって!」


 このとき、タコさん公園にが吹いた。もふもふさんの毛が、ふわっと揺れる。


「お、おう」


 文月が屈託のない笑みを浮かべながら話したが、対する貴虎は少しだけ身を縮める。サキガケには『秘密ですよ✨』と念を押されていたが、このやりとりをしたのは文月ではなくもふもふさんだ。もふもふさんと入れ代わっている間の記憶は、ない。文月は、もふもふさんからの報告でサキガケが宇宙人だと知った。もふもふさんはサキガケに『秘密ですよ✨』と言われたくだりを、文月に伝えていない。


 文月は、なんでも話してもよいと、判断している。貴虎もまた『侵略者討伐部』のメンバーの一人、のようなもの。他校生であり、青嵐はメンバーであることを納得しないだろうが、文月にとっては、貴虎も青嵐も、同じ友だちであり、仲間だ。


「フォワードにハマって『魁泰斗』の姿になったサキガケくんは、わたしたち『侵略者討伐部』の一員として、侵略者と戦ってくれるんだよお。心強いねえ!」


 文月の横に並んで座っている貴虎は、もふもふさんに視線を向ける。もふもふさんは、その巨体をぶるぶると震わせた。その周囲に抜け毛が舞い散る。貴虎の視線に気がついて、後ろ足で耳を掻いた。


「天助高校に、宇宙人の転校生。しかも、魁泰斗の姿で?」

「うん!」

「……すげーじゃん! おれも天助高校を受ければよかったぜ!」


 貴虎は、なるべく明るく答えた。不思議な点はあるけれども、文月は楽しげである。心優しく、友だち想いの貴虎だ。指摘はしない。


 天助高校は、もふもふさんの人間であった頃の姿・香春隆文の卒業校である。


 文月が天助高校への進学を希望したのは、もふもふさんの強い勧めがあったからこそだ。青嵐は文月が進路調査票を提出した時点でお父様を説得し始めている。貴虎には、天助高校に合格できるだけの学力が足りていなかった。たとえ受けていたとしても、不合格だっただろう。


「宇宙人かあ。じいちゃんにも話しておこうかな」

「桐生くんのおじいちゃん、発明家だものね。宇宙人にも、興味ありそう!」


 貴虎はこの話を、敬愛する祖父に相談することに決めた。発明家の祖父には、昔から自由研究を手伝ってもらっている。実力は確かなもので、特許技術も開発していた。

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