第14話 幻覚であれ

まだ震える体を感じながら伊吹は二人に近づいていく。


「……本当に…誰もいなかったか?」


伊吹の質問に二人は同時に頷く。訳が分からなくなった伊吹は結局混乱する頭を抱え、幻覚で片付けることにする。そうしないと頭がおかしくなりそうだった。


「…そうだな…あれは…幻覚だ…」


─そうだといいね。伊吹くん─


風に乗り囁くように聞こえる声にビクッと驚き蒼乃にしがみつく。鬱陶しそうに伊吹を見つめる蒼乃は乱暴に押しのけ再び肉を削ぎはじめる。

ついに幻聴まで聞こえるようになってしまったのか。徹夜の力とは恐ろしいものだ。

伊吹は一刻も早く寝ようと二人を置き去りにして小屋に戻る。そして入るなり隅に置かれていた毛皮を手に取り流れるように床に寝そべる。


「……寝るのか?今起きたばかりだろ。」


「…俺は寝てないんだよ。そのせいで幻聴と幻覚に襲われてんだ。俺に構うなよ、この野郎。」


蓮に八つ当たりし焦る心を紛らわせる、なんとも性格の悪い男だ。蓮はそんな伊吹に近づき額にデコピンする。痛みに呻く伊吹。そんな伊吹を見下ろす。


「えらく顔色が悪いな。そんなに徹夜が身に染みたのか?」


「…それより伊吹くん、幻聴と幻覚って?」


雨音の声に食い気味に答える彼の顔はとても必死だ。身振り手振りでさっきの出来事を伝える。


「さっき泉に変な少年がいたんだよ…でも蒼乃と緋色は幻覚だって信じてくれないし、幻覚にしたら鮮明すぎるし…」


「少年だと?ここには俺たち以外いないはずだが。」


「……だよなあ。やっぱり俺の目が限界を超えていたんだろ…とりあえず寝るわ。」


現実逃避するように眠りに落ちる伊吹を見つめる雨音と蓮。二人は顔を見合せて肩をすくめる。

まさか本当に少年がいたのだろうか。自分たちが見落としていただけだとしたら少年が一人でいるのは危険だろう。そう思った蓮は軽く見回りに行くと言い、こっそり伊吹のナイフを借りて外に出ていく。

しばらく時間が経ち途中で合流したのか、蒼乃、緋色、蓮の三人が揃って帰ってくる。

どうやら異常はなかったらしい。もちろん少年らしき姿も見えなかった。


「だから伊吹の幻覚だってば。無理して徹夜なんかするからこうなるんだよ。にしても、一日寝ないだけで幻覚見るなんて…」


呆れたように髪をかきあげ、再び外に出ていく。

そんな蒼乃についていく緋色。再び小屋は静寂を取り戻す。それぞれ違うことをして過ごす中、雨音、伊吹に続き次は叶多が苦しみもがき、意識を失い倒れてしまった。床に寝かされた叶多は冷や汗を流しながらうなされている。


「ねえ、琥珀ちゃん…叶多くん…大丈夫かな?」


「……大丈夫……唸ってるだけで…死んでないから…」


叶多を見守る二人の目には心配と哀れみで満ちていた。

伊吹が見たという少年の幻覚、謎の苦しみの訪れ。

頭を抱えながら考えるがもちろん答えなど現れない。


「…なんだよ…叶多…どうしたんだ?」


目覚めた伊吹が叶多を見つめている。

しかしすぐに把握する。こいつも俺と同じように倒れたのだろうと。


「…ちょっと寝たらスッキリした。やっぱ幻覚だったんだと思うわ。お前らも夜更かしには気をつけろよ。叶多もゆっくりできないだろうし俺らも外出ようぜ」


ドアを開けて出ていく伊吹について行く二人。

そんなみんなを遠くから見つめる赤い瞳が暗闇に浮かび上がる。


「…ここが"僕等"の居場所だ。」


意味がわからない言葉を吐き出し溶けていくように消える少年に誰も気づくことなく時間は流れていく。さっきまで少年がいた場所にふと視線を向ける伊吹。


「……気のせいか。」


少年の嘲笑いが暗闇に広がる中、伊吹たちはただ黙々と食事をする。



その空間はやけに静かで、どことなく不気味だった。

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