第8話 暗闇に飲まれる意識
近くの小さな泉で上着を洗っていた蒼乃。
血で汚れた上着を脱ぎながら鼻歌を歌う。
しかし後ろから視線を感じ取りポケットに入ったナイフを握りしめ、勢いよく投げる。つんざくような悲鳴とともに怯えた伊吹が突っ立っていた。
「あっぶねぇ!なにしてんだよ!?」
「…ああ、なんだ、伊吹だったのか。心臓に悪いからやめてよ。」
ナイフは伊吹の頬をかすめ、近くの木に深く突き刺さった。あと数cmズレていたら顔が恐ろしいことになっていただろう。そんなことを考えながら伊吹は身震いする。
「驚いたのは俺だって…血が出たじゃねぇか…」
「ごめんごめん。怪物かと思っちゃった。もしかして僕が恋しくなっちゃった?だからここに来たの?」
木からナイフを引き抜きながら悪戯っぽい笑みを浮かべ、からかうように伊吹の頭を指先で小突く。
「違ぇよ、バカ。水飲みに来ただけだ。」
伊吹はブツブツいいながら手で水をすくい、ゆっくり口に運ぶ。喉が潤う感覚に歓声を上げる。
「めちゃくちゃうめぇ。やっぱ水だよな。」
袖で口を拭いながら水面に映る月を見る。
濁りが月を埋めつくし微かな光だけが2人を照らす。
「緋色が言ってたこと、マジだったんだな。月が濁るって不吉そうでなんか嫌だな。まぁここに来た自体が何より一番の不吉だけど。これ以上の不吉はねぇよ。」
「そうだね。緋色が言ってたことが本当ならしばらくすればまた元の月に戻るのか、それとも濁ったままなのか。…全く、謎が多くて考えれば考えるほど僕たちの心が疲れてくるよ。」
「寝て起きたら太陽が出てるといいな。それか寝ずに月の変化を見るのもありじゃね?」
「そう言っているやつが一番最初に寝るんだって。特に伊吹、君は絶対起きてられないよ。そんなの考えたらわかることでしょ。」
「そんなもんやってみなきゃわかんねぇよ。やらずに結果を先読みすんな。」
「じゃあやってみなよ。その横で僕は爆睡してやるから。」
嫌味を言いながら服を洗い続けるが、汚れが落ちないのか蒼乃は舌打ちし諦めたように立ち上がり、乱暴に近くの木にかける。
「取れてねぇじゃん。汚れ。貸してみろ。」
伊吹は蒼乃の返事を聞かずに上着を片手に再び泉に向かって行った。期待していない様子を見せながら蒼乃はそっと近づく。
「ただ擦るだけじゃ取れないぞ。こうやって力を入れて…」
手馴れたようにゴシゴシと服を擦り合わせる。すると汚れはあっという間に落ちていき、軽く絞りながら蒼乃に見せ、満足そうな顔で頷いた。
「ほら、これでいいだろ。ちゃんと取れたぞ。」
「…すごいね。君も少しは役に立つじゃん。意外だな。」
驚きつつも伊吹の手つきを褒めるように拍手をする。服を受けとりながら近くの木にかけようとして手を止める。誰かに取られるのでは…?と心配しているような表情を浮かべながら結局持ち帰ることに決めたようだ。そんな蒼乃を見た伊吹は小さく吹き出す。
「誰も取らねぇって、そんな服。誰のもの好きだよ。緋色だけだろ。あいつ謎にお前のこと慕ってるじゃん。」
蒼乃が素早く伊吹の首根っこを掴む。まるで蛇に捕まったうさぎのようだ。歪んだ笑顔を向ける蒼乃はとても恐ろしい。
「くそ、お前は短気なやつだな…」
ケラケラと笑いながら蒼乃の肩を優しく叩く。
不満げに伊吹を睨みつけ手を離すと足早に立ち去ろうとする。そんな蒼乃を見ながらクスッと笑い、足を踏み出した瞬間、伊吹の視界がぐらりと歪む。
すざましい頭痛。真っ白になる頭の中。立っていられないほどの痛みに声も出せずに倒れ込む。
「おい!伊吹!」
異常を感じた蒼乃は伊吹に駆け寄り肩を揺する。幸い意識はあるようだが目の終点はあっていない。虚無を見つめ動かない伊吹を抱え、視線を合わせようと頬を叩く。それでも蒼乃を見ない伊吹。無理やり瞳に映り込ませるように伊吹の顔を掴むとかすかに揺れる瞳が蒼乃の姿を薄く映す。荒い息を吐く彼は明らかに様子がおかしい。
「どうしたんだよ一体…伊吹、ちゃんと僕の顔を見てて。そのままずっと。大丈夫?話せる?…話せないならそのままでいい。せめて少しでも頷いて。」
蒼乃の呼び掛けにも反応せず、虚ろな目のままだ。
頭の内部を叩きつけられるような感覚、言葉を発するのも難しい。やがてゆっくりまぶたが落ちていく。
「ダメだ、目を閉じないで!しっかりしろ!ダメだって!」
伊吹の耳に蒼乃の切羽詰まった声が届く。
最後の力を振り絞り、喉に力を入れるが虚しくも無意味だった。反応する間もなくプツリと糸が切れ、完全に意識を失ってしまった。
透けた瞳が最後に映したのは必死で声がけをしながら伊吹を支える蒼乃の姿だった。
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