第09話_Dパート_さようなら、演技の国
午後の陽射しが傾き始めたころ、熊鷹学院の短期留学生たちはグレースカレッジの中庭に集まっていた。芝生の上に並んだ小ぶりなスーツケースと、誰もが名残惜しげな表情で空を見上げている。
「……案外、あっという間だったね」
葵の言葉に、司が小さく頷く。
「一日一日は長かった気がするけど、振り返るとそうかもな。詰まってたよ、いろいろと」
ユウトが荷物のチェックを終え、春日先生に合図を送る。彼は書類を確認しながら、慣れた手つきで搭乗リストを再点検していた。
そのとき、敷地の奥から姿を見せたのは、グレース側の学生たちだった。王子と妹姫、セオとベアトリス、それに筋肉組のボブとハルも揃っている。全員が控えめながらも整った礼装で、別れの儀式に臨む姿勢を見せていた。
「見送りに、これだけの顔ぶれが来てくれるとは……」
一条司が驚き交じりに呟いた。彼の隣ではエリナが微笑を浮かべている。
「“演技の国”の最終幕なんじゃない?」
その言葉に、王子が一歩前に出た。陽を受けて輝く金髪を軽く揺らしながら、彼は静かに言った。
「皆さん、滞在ありがとうございました。私たちの側からも、学ぶことの多い時間でした。特に、“仮想の皇統”の件など──」
セオがわずかに吹き出す。
「それ、まだ言うんですか」
王子は笑い、続けた。
「でも事実です。司くんのおかげで、忘れていた“物語を生きるということ”を、私自身も思い出せた気がします」
ベアトリスが手元の端末を軽く振る。
「“火星皇子”騒動、もうネット上で動いてるわよ。すでに幾つかの記事に名前が出てるけど、匿名のままにしておくから安心して」
「なんだそれ……」
司は頭を抱える。彼の後ろでは、ユウトと大介が苦笑しながら見守っていた。
「ネットに載るまでが演技ってやつか……」
「もう一幕あるんじゃね?」
エリナが、セオとベアトリスに向き直った。
「結局、セオが言ってた“構築者としての視点”って、私にはまだ分かりかけの途中で。でも、少なくとも“そこへ行くには動かなきゃいけない”っていうのは分かった気がする」
セオは、まるで演劇の余韻を噛みしめるように一拍置いてから、頷いた。
「君の言葉の重みは、まだこれから深くなる。──だから、その時が来たら、また話そう」
乗車の合図がかかる。春日先生が手を振って集合を促す。
王女アリアーヌが、芝生の上で最後に一歩前に出た。柔らかい声で言う。
「みなさんの滞在が、グレースの空気を、少し変えました。ありがとう」
その言葉に対して、今度は司が答える。
「こちらこそ。貴重な体験を、ありがとうございました。……演劇の中からにも、本物は芽吹くのですね」
アリアーヌは微笑み、軽く頷いた。
「ええ。その演技を、いつかあなた自身の物語に変えてくださいな」
ベネット氏の運転する大型のボックスカーが校門前に停まる。遠目にもわかる、万全の光沢だ。
荷物はすでに積み込まれ、あとは乗り込むだけ。
「……じゃ、行こうか」
司がつぶやくように言うと、熊鷹の生徒たちはそれぞれ軽く手を振り、歩き出した。
セオが最後に、ふっと肩越しに言った。
「次に会うときは、儀礼の交流じゃなくて、地でも話せるといいね」
エリナが頷き、返す。
「うん、ちゃんと、自分の言葉で」
車がゆっくりと動き出す。窓越しに見えるのは、穏やかに揺れる英国の空。そして、確かにあった“もうひとつの舞台”の終わりだった。
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