第04話_Dパート_使い方は、問い方

 熊鷹高校・面談室。


 壁一面に落ちる午後の光が、抑えめな装飾と無言の椅子に静かな影を落とす。


 その部屋の隅で、古閑遼は自分の髪を二度撫で、うまく整えられない襟を三度直した。


 Webカメラに映る自分の顔から目をそらし、そして意を決して座る。


「接続、確認できました。古閑君、おまたせしました。どうぞ、始めましょう」


 スクリーンに映るアン先生は、いつもの優雅な抑揚でそう言った。


 だが、今日の彼女にはわずかに“何かを仕掛けた者の目”があった。


「……あの、先生。これ……」


古賀遼は自分の端末で動き続けるAIチャットログにすぐ異常を感じた。


「ええ。AI、変わったでしょう。設計を改めました」


「え……勝手に、ですか?」


 そう、そのようなことを頼んではいない。ただの調べものツールに出しゃばられるのは不愉快だから。


「はい。あなたのログを見て、“あなた自身では踏み込めない”と判断したの」


「それ、ひどい言い方じゃないですか」


 だいたい、古賀を侮辱する者たちは彼から見て取るに足りない雑魚か、明白な対立者だった。


 総合的に見れば英国への短期留学生に寄り添ってくれているアン先生の姿勢がぶれることを硬直化した古閑の脳はスムーズに受け付けられない。


「そうね。でも“甘い評価”であなたが深まるとは思わなかった。そしてこの子も」


 沈黙。彼は画面を見据えたまま、静かに呼吸を整えた。


「で……この、意味不明なUIは何なんですか。AIの名前も応答も、なにもない……」


「“未完成の砦”──〈カシル=パラティウム〉。あなたのために選びました」


 そのとき、遼の端末に奇妙な構造体が投影される。


 まるで、見取り図の途中で筆を置いたような建物。


 階段は途中で消え、壁面には音符のような記号が散り、ひとつの窓だけが開いている。


──記録空間、初期化完了。

──語句、遅延要請あり。

──主訴未定。応答形態:非人称。


「……何これ。答えすらない?」


「最初は、“答えるAI”が必要だと思っていたのよね。でもこれは、“構造で返すAI”。

 あなたの問いに“形”があるかどうか、毎回突き返してくるわ。……厳しいけど、優秀よ」


「優秀って、何が……」


「“あなたにとって”優秀じゃなく、“あなたを変える”優秀よ」


 彼は一瞬、何かを言いかけたが、口を閉じた。

 代わりに、机の上の投影された“階段の欠損部”をじっと見つめた。


 その欠落は、どこか彼の問いそのものに似ていた。

 完成しない。届かない。だから壊せない。


「……これ、使いにくいですよ」


「それでも、投げ出さずに問おうとする自分に会えたら、きっとその“使いにくさ”が報われるわ」


 沈黙。だが今度の沈黙には、呼吸の芯に触れるような音響的緊張があった。


 遼は、ようやく椅子の背にもたれた。


「……一つだけ、言っていいですか」


「もちろん」


「“こんなの必要ない”って思った瞬間に、

 ……“必要だったんだろうな”って気づかされるようなのを狙ってる設計、ほんとやめてほしいです」


 アン先生は、静かに微笑んだ。


「ええ、それが“教育”という名の残酷な愛よ」


 古閑遼は、これまで、学校の教師という存在を見下してきた。いや、本当は教師に限らず、愚か者の言葉には耳を傾けなかった。


 しかし、今回彼女が愚かでないことは明らかだった。そして、対立もしていない。


 彼女は何者なのか。古閑の確立してきたカテゴリが彼女を受け止められなかった。


 彼は、そっと端末を閉じた。


 視聴覚室を出るその背中には、たしかにまだ迷いが残っていた。


 だがそれは、“選ばされた問い”を持った者だけが抱く、再起動の迷いだった。




 次に入ってきたのは、大垣ユウト。


「アン先生!あのAI、めちゃくちゃ効きますわ!」


「おお、景気いいわね。なになに、どこがそんなにいいの?」


「朝の支度、練習メニュー、勉強、食事時間まで完璧な流れっすよ! で、褒めてくれる!テンション上がる!」


 先生は笑って両手を組み、頷いた。


「うんうん、それは嬉しいわ。マネージャーとして頼もしい子に育ってるのね」


「怒られない程度にしっかり叱ってくれるし、たぶん“ちゃんと見てくれてる”感じがあるんすよ」


「それ、大事よね。応援って、外からの気持ちが中のやる気を起こしてくれるものだし」


 ユウトは親指を立てて部屋を出ていった。


 最後に現れたのは、西郷大介。

 彼は少しだけ戸を閉めるのを躊躇いながら入ってきた。


「どうぞ、大丈夫。ここでは、答えを探すんじゃなくて、自分の言葉を探す時間だから」


「……あ、ありがとうございます」


 椅子に座ると、大介はすぐに手を膝に置き、背筋を伸ばした。


「君のAI、なんとなく“静かに見守る”感じになってるわね」


「……はい。自分で決めて、失敗して、それでも振り返れるようにしたかったけん……です」


「うん、それってとっても立派な考え方。

 最初の頃は、“どうしたらいい?”ってたくさん聞いてたけど、最近は減ってきたわね」


 彼は少し目を伏せた。


「……ばってん、調べもんごたる、たいぎゃあ助かってます」


「ふふ、まさにそれ。“そばにいるけど、押しつけない”って、意外と難しいのよ。上手に育てたわね」


「……うまく言えんとですけど、今んごたるがよかと思います」


「それで十分よ。言葉はあとからついてくるから、大丈夫」


 小さな会釈をして、大介は静かに出ていった。


 アン先生は三人分のログを並べて表示し、しばし目を閉じる。


「問いを重ねる者、寄り添われて走る者、静けさに力をもらう者──……三者三様。でも、どれも“人とAI”の可能性だわね」

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