女子高生オムニバス

苺伊千衛

エリカ

 エリカはいつもわがままだ。


 今日も元日だっていうのにいきなり電話をかけてきて、「今から三十分後に駅前集合。一分でも遅れたらファミチキ奢ってもらうから」とだけ告げられ一方的に通話を切られた。慌ててパジャマから着替え、猛ダッシュで駅前に向かったものの着いた頃には五分オーバーしていて、「遅い!」とその端正な顔立ちを歪めながら怒られた。


 どう考えても私は悪くない。悪くない、んだけどエリカにはなんだかんだで逆らえなくて、結局ファミチキを奢るはめになってしまった。


「ん~、おいしい」


 そして今、エリカは私の隣を歩きながらファミチキにかぶりつき、おいしいおいしいとしきりに言って頬を緩めている。モデル顔負けのスタイルでハーフみたいにきりっとした顔立ちをしているエリカがファミチキ片手に食べ歩きする姿は、アンバランスなおかしさがあった。


「おいしいんなら、よかったけどさ」


 そう言いながら私も自分の分のファミチキを齧る。じゅわっと口の中に油が広がって、確かにおいしかった。


 実のところ、今自分たちがどこに向かおうとしているのか私はまだ知らない。新年だし初詣にでも行くのかな、と思ったけど、エリカは明らかに神社がある方向とは違う方面に歩いていて、どうも初詣ではないらしい。エリカとは中二で同じクラスになってから――つまり二年以上の付き合いになるから、ここで目的地を尋ねるのはエリカ的にナンセンスなのはもうわかっている。私はただ、エリカの奔放さに振り回されるしかない。


 年明けの街は結構にぎわっていて、おそらく初詣に向かっているであろう振袖の女の子連れをちらほらと見かけた。こんな地方都市でも駅前に来れば案外人通りは多い。


 だけど、エリカについていくうちに、だんだんと人の数は少なくなってきた。少し郊外に出ればこんなもんだ。閑静な住宅地が並ぶ、ちょっと寂しい街。冬の乾燥した冷気が肌を刺す。個人的に、人混みは苦手だからこっちの方がいい。元日なら、なおさら。


「いやぁ、寒いわね。ね、なんか身体あったまりそうなこと言って」


 早くもファミチキを食べ終わって空の袋をひらひらさせながら、エリカはそんなことを言い出す。


「無茶言わないでよ。なに、身体があったまりそうなことって」

「それを考えるのがあんたの仕事でしょ」

「そんな仕事を始めた覚えはありません」

「えー、ケチ! そんなこと言ってたらファミチキ貰っちゃうわよ」

「あ、ちょっと!」


 言うが早いか、エリカは私の手から無理矢理食べかけのファミチキを奪い取る。そして、すごい勢いでファミチキを食べつくしてしまった。


「まだ二口しか食べてなかったのに……」

「ふぃふぉうふぃふぉふふぁふぁい?」

「『自業自得じゃない?』って言ってる? あと口に物入れたまま喋るな」

「よくわかったわね、あたしがなんて言ってるか」


 口の中に詰め込んだファミチキをきちんと飲み込んでからエリカは感心したように言う。


「それなりに長い付き合いだからね、一応。あ、口元にファミチキのかすついてる」

「え、とってとって」

「自分でとりなよ、まったくもう……」


 しかしエリカが自分でとろうとしないことはわかっていたので、ポケットからティッシュを取り出し、小さな唇の端についたかすを拭ってあげる。


「ついでにファミチキの袋も預かっとくよ」

「ありがと~」


 カバンに入っていたゴミ袋にティッシュの残骸ごとファミチキの空袋を入れる。袋の口をきゅっと結ぶ私を見守るエリカは、やけににこやかな横顔をしていた。


「どうしたの、そんなにニコニコして」

「今日もあたしのために働いてるなぁって」

「私のこと召使いかなんかだと思ってる?」

「あははっ、それいいかも。控えおろう、殿の御前であるぞ」

「エリカに殿は似合わないなぁ」


 なんてことを話していると、ひゅう、と木枯らしが吹いた。一瞬で全身に鳥肌が立つ。


「さむ……」


 思わずマフラーに顔を埋めた。カシミアの暖かさに鼻の奥がツンとなる。この赤いタータンチェックのマフラーは、妹の形見だ。二年前の今日、自ら命を絶ってしまった妹の。


 妹は年子で、幼いころから喧嘩をしつつもそれなりに仲良く育ってきた。私はずっと妹のことを半分初めてできた友達のように思っていて、ちょっとわがままなところもなんだかんだで結構可愛かった。世話を焼くのも、嫌いじゃなかった。


 だけど妹は死んでしまった。小五の冬から登校拒否になった末、中一の年明けすぐにベランダから飛び降りて死んだ。ルーズリーフに綴られた遺書には、『わたしはきっといつまでもみんなと同じ時間を過ごせないんだと思います』という一節があった。きっと妹は確信してしまったのだ。自分はみんなと同じように来年に行くことはできないのだと。止まってしまった時間に留まり続けるしかないのだと。


 妹が学校へ行かなくなった理由はわからずじまいだった。いじめや家庭内の不和は遺書の中ではっきり否定されているし、実際にそんな事実もない。ただ、妹は漠然とした何かに押しつぶされてしまったんだと思う。普通の人ならやり過ごせてしまう何かをやり過ごせなかった。私には理解できない、見ることすらかなわない何かを。


 仕方がなかったんだ、と言ってしまえれば諦めもつくのかもしれない。だけど私は、そんな言葉を吐くことはできなかった。私が妹を救えなかったのは事実だから。ちゃんと毎日会話して、ときどき一緒に勉強したりゲームしたり出かけたりして、ずっと近くに居続けたのに、あの子の心の奥底に積もっていた深い悲しみを軽くすることはできなかった。


 それが痛くて、苦しくて、寂しくて、私も妹と同じ悲しみに落ちてしまいたいと願っていたそのとき、エリカが声をかけてくれたのだ。


『あなたには、あたしがいるじゃない』


 エリカがわがままになったのはそのときからだった。もとのエリカは無口で、控えめな子だった。わがままなのは、妹の代わりになって私の寂しさを埋めるためだ。だから本質的に、エリカはわがままなんかじゃない。誰よりも他人を思いやれる、底抜けに優しい女の子なんだって知ってる。今日、こうして連れ出してくれたのも、どこか行きたいところがあるわけじゃなくて、私の気を紛らせるためだって本当はわかってる。


「ほんと、寒いわね」


 隣を歩くエリカは、コートのポケットに手をつっこみながら笑いかけてみせる。妹のことを思い出して急に黙り込んでしまった私を見ないふりしてくれながら。


「あー、寒い。寒いから、ねぇ、あんたのマフラー、貸してよ」

「うん……」


 うまく発声できなくて、掠れた声で返事すると、エリカは私の首に巻かれたマフラーを優しく、壊れ物を扱うかのような手つきで丁寧に解く。エリカはこのマフラーが妹の形見だということを知っていた。


「ねえ、このマフラー、可愛いわね」


 エリカは穏やかな笑みを浮かべながらマフラーを巻く。おぼつかない手つきは、幼いころの妹に似ていた。


「できたっ」


 目元を擦って、エリカの姿を見る。妹のマフラーを巻いたエリカは、白い肌に鮮やかな赤が映えて、とても綺麗だった。


 そして、すらっと高い背丈も、つんとした大人っぽい顔つきも、タイツに包まれた健康的に引き締まった足も、何もかもが妹と違った。


 気づいた途端、堪えきれなくなって、次から次へと涙が零れ落ちてきた。ぼろぼろと、生暖かい雫が頬を濡らしていく。


「ごめん……ごめんねぇ……」


 私は顔を覆って、俯いて、謝りながらひたすらに泣いた。


「ううん、いいのよ」


 エリカの優しい声が上から降ってくる。だけどその優しさが今はひりひりと痛む。


「もう、大丈夫だよ、大丈夫だから……」


 エリカに、そして自分に言い聞かせるように何度もそう繰り返した。


 エリカはエリカでしかないし、私は私でしかない。それは当たり前で、どうしても変えようのない事実だ。昔の私なら、きっとそんな事実を受け入れきれなかった。


 だけど今は、エリカでしかないエリカを、私でしかない私が好きになりたい。どれだけ時間がかかっても、過去に足をからめとられても進みたいって思える。


「……今度、一緒にマフラー買いに行こう」


 濡れた頬を拭い、顔を上げて、私がそう言うと、エリカは目を丸くしてしばらくこちらを見つめた。


 やがて、ふっと妙に大人びた微笑みを浮かべて、

「それじゃ、あんたに買ってもらっちゃおっかな」

 と言い、くすくす笑い出す。


「いいよ、いくらでも払ってあげるから」

「もしウン十万とかするやつが欲しいって言ったら?」

「腎臓を一つ売ります。エリカの」

「あたしの!? あははっ、あたしのかよ、あははははっ」


 エリカがお腹を抱えて笑い出すので、つられて私も笑ってしまう。あはは、あははははっ、と二人して笑う声が、静かな街の外れに響き渡って、少し寂しいけれど、楽しくて仕方ない。


 この瞬間からようやく、私たちの新年は始まった。

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