無限来夢

牛嶋和光

第1話 「ん」がつく言葉

それは、言葉を数えていた日のことだった。

 

 ――「『ん』で終わる言葉はいくつあるのだろうか?」


 あん、いん、うん、えん、おん……。

 紙に一つひとつ書き連ねるうち、言葉が増えていく感覚があった。無限に続く組み合わせ。

 この世界は、もしかしたら「言葉」でできているのではないか。そんな奇妙な直感が、僕の頭を貫いた。


 その夜、僕は眠りについた。

 

 目を開けると、そこは見慣れない空間だった。空も地面もない。ただ、浮かんでいる感覚だけがある。時間の流れすら曖昧だった。


 ――「ここは、どこだ……?」


 周囲には無数の文字が漂っていた。「案」「暗」「庵」「杏」……それは、日中に僕が書き出した言葉の群れだった。


 「お前は目覚めつつあるようだな。」


 声がした。いや、声ではなかった。脳に直接「響いて」くる何か。

 その場に突如として現れたのは、人のようで、人ではない存在だった。白い布をまとい、目元を隠した者――その名を、「ヒビキ」と言った。


 「一次元とは点。だが、点にもわずかな縦軸、横軸、高さがある。つまり……存在しない。二次元も、三次元も……全ては重なり、錯覚にすぎない。」


 ヒビキは手を伸ばし、空間に線を描いた。線が面になり、面が立体になり、それがまた線へと還っていく。


 「人は三次元に生きていると思い込んでいる。だが、本当の次元はもっと複雑で、もっと深い。」


 僕は理解しようとしたが、脳が追いつかない。それでも、彼の言葉には「響き」があった。ただの理屈ではなく、魂の中で共鳴するもの。


 「君は『響』を聞きはじめている。それが証拠に、君の見ている世界はもう、現実ではない。」


 確かに僕は夢の中にいた。だが、夢のはずなのに、五感がある。恐怖、好奇心、寒気、感覚すべてが鮮やかすぎる。


 「ここは“はざま”。現実と夢の狭間、そして“次元”の歪み。無限来夢の入口だ。」


 無限来夢――どこかで聞いたことのある名前だった。それは、僕の脳の奥底、言葉になる前の記憶にこびりついていた。夢の中でしか訪れられない場所。死者と眠る者が行き交う空間。


 「そして、そこに入る者には、使命がある。」


 ヒビキはゆっくりと背後を向いた。その先には、幾千、幾万もの魂が、光となって渦巻いていた。


 「『響』を聞く者だけが、虚無の拡大を止めることができる。だが、それには“言葉”を知り尽くさねばならない。」


 僕は答えた。


 「“ん”で終わる言葉を……すべて、見つけるということか?」


 「そうだ。言葉は魂の結晶。音の組み合わせが、次元を創る。その仕組みを知ることで、世界の構造もまた見えてくる。」


 その瞬間、僕の足元――いや、空間の底から巨大な穴が口を開いた。


 「今、お前に試練を与えよう。」


 ヒビキの声が響く中、僕の体はその虚無の穴へと吸い込まれていった。

 光と闇の境界線。

 そして、音のない静寂の中で、ただ一つだけ、確かに聞こえた声があった。


 「和光、お前の魂は、どこへ向かう?」


 その問いに、答えはまだない。

 僕は、言葉の海へと、旅立った。


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