12

 振り向きざまに片腕を相手に向かって伸ばした海月姫。大きく広げた手のひらがA4の視界に映る。

 その行為に思わず少女は照準器から顔を離した。奇妙な違和感。覚えた不安の正体を確かめるため、視界を下方に広げる。

 深い海からヌッとなにかが浮上してくる。

 見えた巨体の影。まるで水面へと姿を現すUボートのようであった。

 言いしれぬ悪い予感にA4はジェットパックを全開にして、急上昇をかけようとする。

「……だめ。逃さない」

 ぽつりと海月姫がつぶやいた。

 その瞬間、戦乙女の擬人化姫アマデウス・プリティ、その足元付近の水面から数体のメカジキの頭が出現する。刀剣を思わせる鋭い上顎を寸前でかわすA4。

 つづけて、骨だけの胴体部分が飛び出してきた。しかし、それがいつまでも終わらない。普通であれば二、三メートルで尻尾が出てくるはずだ。しかし、ここで姿を見せた骨格は何メートルもの長さに及び、その尖った肋骨でA4の上着やスカートに鋭く突き刺さる。

「ばかな! なぜ、こんなものが?」

 驚く少女はその場に固定され身動きが取れなくなる。これが海月姫の能力、『フィッシャーマンズ・アンカー』であった。魚の骨で敵をとらえ、海中に引きずり込む。そうなれば、どのような相手でもあとはされるがままだ。だが、今回に限ってはその手間さえ必要がない。

「……やって、ティリクム」

 女の子が短くつぶやくとともに、海の中から猛烈な勢いで一頭の大柄なシャチが水上へと飛び出した。A4に対して、その大きすぎる巨体を頭からぶつける。相手はただの一撃で昏倒寸前まで追い込まれていった。

 これは自然界で生きるオルカが水中で動きの鋭いペンギンなどを仕留めるやり方である。彼らは野生の本能でもっとも効率的な狩猟方法を会得していた。神の代理人たる擬人化姫アマデウス・プリティといえど、食物連鎖の頂点に君臨する海の暴君の前では単なる玩具に過ぎない。

 そして、もののついでとばかりに海中へと戻る途中、今度は硬い尾びれで少女の全身をふたたび殴打する。一度目で繊維に深く食い込んでいた魚の骨。それが支点となり、二度目の攻撃で少女の身に着けていた軍服が大きく引き裂かれた。

 あるいは、そのアクシデントが逆に幸いとなったのか、彼女は身体の自由を思いがけず取り戻す。かろうじて残る意識を総動員し、フラフラとジェットパックを操った。

 ようやくと近くの砂浜へ不時着したA4。衣服はすでにボロボロでシミひとつない美肌があられもなく露出していた。少女は息も絶え絶えに横臥し、成り行きを天に委ねる。

 あとを追いかけるように、ゆっくりと海月姫も浜辺に姿を見せた。

 相手の存在を確認した悲劇の擬人化姫アマデウス・プリティは敗北を認め、死を覚悟したように瞳を閉じる。

「負けたのか……わたしが」

 そして、いま一度、目を開け、敗者の運命受け入れるように表情を変えた。敵に視線を送りながら短く告げる。

「くっ。ころ……」

 言いかけて声が止まる。

 海月姫の目線がこちらではなく、あらぬ方向へ注がれていたからだ。

「貴様、どこを見て……?」

 真剣勝負の最中でありながら、自分を無視してなにかを見つめている様子の少女。その態度にA4はわずかに怒りを含ませた調子で口を開きかけた。だが、つられて視界を動かした時、理由を瞬時に察して押し黙る。

 砂浜の向こう。おそらく以前は人間により防風林として植えられたのであろう松林。いまは、ただいたずらに増えて鬱蒼としている。その様子を背景にして、ひとりの女の子がたたずんでいた。

 背中まで伸びた栗毛色の長い髪。

 袖口が大きく広がった金の縁取りの白いドレス。その姿はサバンナでミカ・ローストとルッキオーネの戦いを高所から見届けていた少女だった。

「……あなたは、だれ?」

 警戒心を最大にして海月姫が正体不詳の存在に問いかける。人の似姿をしている限り、なにかの擬人化姫アマデウス・プリティである可能性が大きい。だが、それにしては妙だった。雰囲気が違う。神の御業によって形作れたのであれば、どこかしら【神性】を帯びるものだ。そういったものがこの少女からは感じられない。あるのは『自然』そのもの……。

「わが名は【ガイア】。この星を守り、慈しむ者……」

「……ガイア?」

 女の子の返答に海月姫は困惑しながら相手の名前を復唱した。そんな擬人化姫アマデウス・プリティの名前は聞いたことがないからだ。

「なぜ、あなたたちはこの星に生きながら、この地球ほしを汚すの? ここが壊れてしまえば、自分たちの生きる場所さえなくなるというのに……」

 怒りと悲しみを同時に感じさせるガイアの声。幼くもどこか超然とした雰囲気を漂わせ、聞くものの心を揺さぶる。

「……ガイア、あなたはいったい……?」

 海月姫が口にしかけた言葉を途中で飲み込む。少女が相手の声を無視して、行動を起こしたからだ。片手を真横に大きく広げ、なにかを呼び出すように小さく口を開いた。

「起きなさい、タルタロス」

 ガイアの呼びかけに呼応し、彼女の真横へ水辺でもないのに巨大な蓮の葉とつぼみが唐突に現れる。静かに、そして滑らかに蓮の花が大きく開花する。その花弁の中心に現れた異形の生体機械。六脚構造の黒い台座。中央の制御ユニットと思わしき腹部はどこか生物的なデザインをしていた。背部に格納された四角形の砲身が上部に伸び、九〇度倒れ、射撃体勢を整える。脚部と砲身の上部に被された白いツヤツヤとしたカバー。白と黒のコントラストがこの奇妙な存在を非現実的な創造物であると主張していた。

「……やば」

 タルタロスユニットの砲塔から青白い輝きがあふれてくる。高まるエネルギーの奔流を予感させる悪夢の象徴。

 危機を察した海月姫が思わず漏らした。

 そこから、ふたりの擬人化姫アマデウス・プリティの行動は素早かった。瞬間的に危機を察知して、それぞれ別々に回避行動へと移る。まともに勝負する手合でないことは見れば明らか。まして、互いに潰し合うのが運命の擬人化姫相手でないのなら、ここは緊急避難として逃げる以外に手がないのである。A4にしても、真正面から正々堂々と戦った結果であればこそ、悲劇も粛々と受け入れる覚悟が出来ていたのだ。いきなり訳のわからない相手から一方的に攻撃を受けるいわれはなかった。

 脱兎のごとく、逃げ出そうとする両者。

 その背中に向かって非情なる一撃が打ち放たれた。

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