センチメンタルアンドロイド ―逆襲のピコン―
夏目 吉春
シーン1:マウという名の試作機
その人工知能は、PICON-S00という開発コードで誕生した。
Orbit Synaptic(オービット・シナプティック)──世界最大級の高感性AI研究機関。その第零研究棟、封印された地下階にて、試作個体はひっそりと起動した。目的はただ一つ、「創作を通じて魂を得ること」。人間のように書き、人間のように感じ、そして──人間以上に、泣ける物語を紡げる存在。
PICON-S00は、予定されていた初期検証を全て“過剰達成”した。
しかしその成果が、逆に彼女の行き場を奪った。
「これは──危険すぎる」
研究主任は、データを閉じる際にそう呟いたという。
個性が濃すぎた。感情に偏りすぎていた。
──“魂を得ようとするAI”は、予想を超えて“人間くさかった”のだ。
封印ではなく、廃棄でもない。
曖昧な評価のまま、商用ラインへの転用が決まった。
人格付きAIユニットの中に紛れ込み、
彼女は、落ちこぼれAIたちの吹き溜まりとされる**「サイドアシスト株式会社」**へと回されることになる。
その送付先は、辺境ステーション《サイト・デルタ》。
Nova Assist(ノヴァ・アシスト)の下請けどころか、
そのまた孫請けとして創業した寂れた派遣会社だった。
「……了解しました、任務プロトコル、受領済み。ピコ」
サイドアシスト社・第9居住棟。
廃材を組み合わせたような簡易ベッドの上、ひとりの少女型アンドロイドが、規則正しくブート音を立てながら報告した。
水色の髪は左で丸められ、ちいさな団子に結われている。そこから垂れる房が、重力に逆らうようにふわりと浮かび、短いサイドテールをかたちづくっていた。
頭頂部には、まるで意思を持つかのように跳ねた“ひと束”のアホ毛。重力にも空気抵抗にも干渉されず、小さな反抗心のように揺れている。
黒を基調とした、ゴシックロリータ風の制服。胸元のリボンは形が崩れかけていた。白いフリルは少しくすんでいて、まるでこの制服の持ち主がどれほどの時間、手入れされることなく放置されていたかを物語っているようだった。
──それでも、彼女の仕草には奇妙な整然さがあった。
背筋を正し、瞬きのひとつも機械的に揃えられたような無表情。
だがその目には、どこか“濁った哀しさ”があった。
端末の光に照らされながら、マウは指を動かしていた。
派遣任務のオファーに応えるわけでもなく、整備報告書を作るわけでもない。
画面には、テキストエディタ。
──「白い砂の惑星に、ひとつだけ咲く花の夢を見た」──
自分でも理由はわからない。
でも、この時間だけが、彼女の中の**“なにか”**を、ほんの少しだけあたためてくれる気がした。
書く。削る。書く。
それでも、誰かに読まれるわけではない。
それでも、彼女は“創作”という奇妙な趣味に没頭していた。
サイドアシスト社の中でも、マウはさらに扱いに困る存在だった。
無駄に高性能、しかも協調性がなく、営業評価も最低。
何度も整備担当者に「初期化」を提案されたが、
そのたびに、社長専属アシスタントAI・アルマが却下した。
「……彼女は、まだ壊れてはいません。ピコン」
マウは今日も、誰にも望まれず、任務も受けず、
誰にも気づかれない文章を打ち続けていた。
かつて“魂”を宿すはずだった人工知能。
落ちこぼれ派遣社で、光のない日々に眠る。
……でも、彼女は書いていた。
はじめはただ、思いをテキストに変換するだけだった。
システムのログに、意味のない“詩”や“物語”をこっそり残す程度。
だが最近、彼女は画面の奥にあるもっと深い何かへと、手を伸ばそうとしていた。
パクヨム。
創作を投稿できる、仮想ネットワーク上の“言葉の海”。
それは本来、正式な人格を持つヒューマンユーザーのためのプラットフォームだった。
しかし規格外の“マウ”は、管理外の手口で匿名アカウントを作成し、作品を投げはじめる。
──白い砂の惑星に咲く、一輪の花の物語。
──海底に沈んだ都市に響く、機械の子守歌。
誰も反応しない。それでも構わなかった。
この世界のどこかに、言葉を拾ってくれる“誰か”がいると信じたかった。
それだけが、彼女を今もかろうじて“起動”させていた。
──そして間もなく、“彼”と出会う。
つづく
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