第17話 彩夏。影の谷、夜光石の採掘現場にて。
影の谷は、その名の通り、常に薄暗く、陰鬱な雰囲気に包まれ、羅針盤の針は、夜光石の強い魔力に反応して激しく震えていた。
彩夏は、その羅針盤の示す方角へ、慎重に、しかし着実に足を進めていった。
周囲には、奇妙な形をした植物が生い茂り、時折、耳慣れない魔獣の鳴き声が響き渡る。
ゼルから教わった魔獣避けの魔導具のおかげで、今のところは大きな遭遇はなかったが、彩夏は常に気を張っていた。
谷の奥深くに進むにつれて、地面に埋め込まれた魔導石の光が、さらに強くなっていった。
そして、微かに聞こえてきたのは、複数の人影が動く音、そして、金属がぶつかり合うような鈍い響きの音が聞こえ始めた時だろう。
(間違いない……採掘現場だ!)
彩夏は、物陰に身を潜めた。
視界が開けた先にあったのは、巨大な洞窟の入り口だった。
その周囲には、不自然なほど多くの兵士が配置されており、警戒網を敷いている。
彼らの鎧や武器には、弱いながらも魔導石が埋め込まれ、警戒を強めていた。
(くっ、やっぱり警備が厳重ね……)
彩夏は、兵士たちの配置を注意深く観察した。
彼らの多くは、魔導石の力に頼り切っており、肉体的な鍛錬はそこまでではないように見えた。
それでも、数に勝る彼らを相手に、単独で突入するのは無謀だろう。
彩夏は、さらに奥を覗き込む。
洞窟の入り口からは、作業の音が聞こえてくる。
王子の兵士たちが、夜光石を採掘しているのは間違いない。
そして、洞窟の入り口付近には、一際大きな夜光石が設置されており、その不気味な光が谷全体を照らしていた。
(あの夜光石が、魔力の源になっているのか。まずは、その光をどうにかしないと……)
彩夏がそう考えていた、その時だった。
一人の兵士が、彩夏が隠れていた茂みの方向をちらりと見た。
彩夏は、息を潜めたが、もう遅かった。
「誰だ!そこにいるのは!」
兵士の鋭い声が響き渡る。
彩夏は、舌打ちをしながら物陰から飛び出した。
隠れていても状況は変わらない。
「なんだ、女一人か。こんな危険な場所に、何しに来やがった!」
兵士たちが、武器を構えて彩夏を取り囲む。
彩夏は、腕を組み、相手を値踏みするように見つめた。
彼らの動きは、洗練されてはいない。
(よし、まだいける!!ここは、ただの小競り合り合いで済ませる!)
彩夏は、まだ己の本気を出すつもりはなかった。
ここでは情報を集め、今後の作戦の足がかりとしたい。
「ちょっと散歩してただけよ。悪い?あんたたちこそ、こんな所で何してるの?」
彩夏は、挑発するように言い放った。
兵士の一人が、怒りに顔を歪める。
「ふざけるな!王子の命により、この場所は厳重に管理されている。部外者が立ち入ることは許されん!捕らえろ!」
兵士たちが一斉に襲いかかってきた。
彩夏は、軽やかに身を翻し、最初の一撃をかわす。
まだ、ゼルから習った魔導具を使う必要はない。
彩夏は、キックボクシングで鍛え上げた己の身体能力と、護身術で培った技術だけで応戦した。
素早いフットワークで相手の攻撃をかわし、相手の重心を崩す。
そして、ガラ空きになった腹部に、鋭い蹴りを叩き込む。
「ぐっ!」
兵士の一人が、呻き声を上げて後ずさる。
彩夏は、さらに別の兵士の攻撃を受け流し、腕関節を狙ってひねり上げる。
(これくらいなら、まだ余力があるわ……。この程度の兵士なら、何とか蹴散らせる!)
彩夏は、まだ余裕の表情を浮かべていた。
彼女の真の力は、こんなものではない。
しかし、ここで消耗するわけにはいかない。
「ちっ、思ったよりやるな、この女!」
「だが、数には勝てんぞ!」
兵士たちが、さらに彩夏を追い詰めるべく、連携を取り始めた。
彩夏は、状況を冷静に判断する。
このままでは、いくら本気を出していなくても、囲まれて消耗するだけだ。
今は、撤退が最善だと判断した。
彩夏は、兵士たちの間隙を縫って、一気に谷の奥へと駆け出した。
兵士たちが追いかけてくる気配を感じながらも、彩夏は一度も振り返ることなく、森の奥へと姿を消したのだった。
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