首吊りの坂

まさつき

実話怪談

 病院坂の首吊り屋敷、というものがある。


 推理小説の話ではない。本当にそう呼ばれる場所があったという話だ。


 東京都世田谷区成城町は、かつて作家の横溝正史が暮らした土地でもある。

 その近所に病院坂と呼ばれる坂道があり、この成城三丁目の車道は、今も変わらず存在している。


 横溝はこの地からも着想を得て『病院坂の首くくりの家』を上梓したとの逸話も聞くが、私の話に関係は無いので、措くとする。


 病院坂と名がついているが、ここらにあるのはせいぜい動物病院が一件あるだけで、坂の名の由来となるような病院が存在した記録は、ない。


 というのが、通説であるのだが。


「病院なら、あったよ」と、私の父は言うのだった。


 世田谷区は元々、戦前戦中を通じて軍の施設が多い土地だった。当然、関係する病院も多かった。鉄筋の立派な建屋ばかりではない。古い民家や広い屋敷を接収して、病院としたものも多かったのだ。臨時の病院、療養所、こうした形の施設は正式な記録として履歴に残らないから、病院坂の近くに病院はなかった、ということになったのだろう。


 父が言うには、「古い屋敷が傷痍軍人のサナトリウムになっていた」とのことで、それが病院坂の名の謂れとなったらしい。


 では、首つり屋敷は? となるのだが。こちらも由来らしき逸話があって、やはりこの療養所に纏わる話であったと、父は語っていた。


 曰く、戦地での負傷やトラウマにより、心を病んだ者が多く入所する場であったとのことで。患者の自殺が、絶えなかったというのだ。


 療養所として接収した屋敷には、今となっては珍しく、当時としては当たり前な巨木が庭に生えており、その太枝で首を吊る者が後を絶たなかったというのである。


「これが病院坂の首つり屋敷の正体だよ」と、父は私に語ってくれた。


 父も幼い頃に一度だけ、見てしまったことがあるとも言った。詳しくは語らなかった。ただ、そういう時代だったのだと、寂しげに言うばかりであった。


 そして、そうであるのなら。


 私があの夏の日の夜、売りに出されて空き地になったあの場所で見た、巨木に吊られた幾人もの軍服姿や、それを見上げる女子供たちというのは。


 在りし日の療養所を伝える幻影であったのか。あの土地はたしかに、父が話してくれた療養所があった土地と同じ場所であったと思うのだが。


 私が体験したこと、見たものを話せば、果たして父はなんと言ったろうか。


 それを確かめる術をもう、私は失くして久しいのだった。


    <了>

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首吊りの坂 まさつき @masatsuki

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