社畜、刺されて異世界へ。もふもふと自由気ままな魔獣牧場はじめます
塩羽間つづり
第1話社畜、刺されて異世界に
社内で利用されているチャットに怒涛のメッセージが入る。
『相山さん、こちらの企業も担当お願いします』
『ビデオ会議の日程組みますね』
『要望書送ります』
新たにタスクが追加されていく。
まだ了承もしていないのにお構いなしだ。
「……残業決定」
古びたエアコンが「ゴオオオ」と唸りを上げる。
必死に働く様が俺に似ている。頑張っても頑張っても、褒められるどころか「暑いなぁ」と文句を言われるところまで。
俺の日常にイレギュラーなんてものは起こらない。
基本的に社畜の日々。スケジュールは、仕事、仕事、仕事。朝早く家を出て、月明かりと共に帰宅をする、そんなありふれた社畜だ。
多少頑張ったところで、手にするのは微々たる残業代くらいなものだというのに、どうしてこうも会社に人生を捧げてしまうのか。
「おい、相山ー。例の案件どうなってんだ。早くやっておけって言っただろ!」
今度は課長の怒鳴り声が響き渡った。
この課長は前日に嫌なことがあると、社員に当たることで有名だ。
ターゲットは男が多い。中でも、俺は特に目をつけられている。
なにが気に入らないんだか、迷惑極まりない。
「それなら昨日提出しましたが? 残業までして仕上げたのに、気づかれてもいないなんて残念です」
笑顔で皮肉を返すと、課長はピキッと青筋を浮かべた。
「提出したらなら、朝そう報告しておけよ。役立たずが」
役立たずはどっちだよ。
笑顔を浮かべたまま心の中で罵倒を飛ばす。
きっちり連絡は入れただろ。
それでいて話しかけると、無駄話をしてくるなとキレるくせに。
不快な気持ちのまま目の前のモニターに目をやれば、見慣れたタスクリストが今日も元気に主張していた。
ここに新たな案件か……。
諦観に浸っている俺の背中に声がかかった。
「相山さーん、ちょっといいですか?」
振り返れば、後輩の
その手には、見ただけで胃が重くなりそうな分厚いファイル。嫌な予感。
「これ、お願いできませんかね……?」
やっぱり仕事の打診か!
「いやー、ちょっと厳しいですね。俺、今案件大量に抱えてて余裕ないですから。ほら、見ての通り、スケジュール真っ黒」
事実をキッチリ、ハッキリと伝える。モニターを指差して、現実の共有まで試みた。
だが相手も譲らなかった。
「でも、これならちょっと残業くらいですよね?」
それは俺に終電退社しろと言いたいのか。
雨宮はこの暑い中羽織ったカーディガンの袖をちょっと伸ばして、萌え袖にしながらチラッと見てくる。
「無理なら資料作成を手伝ってくれるだけでもいいんです! この取引先の方、ちょっと気難しいみたいで、前回も相山さんが上手く対応してくださったって聞きましたし……」
ああ、あの人か……。
あのときの胃痛が蘇る。
「上手く対応した」というよりは、「魂を削ってなんとかした」が正しい。
とはいえ、厄介な顧客なのはたしかだ。後輩の雨宮には荷が重いかもしれない。
黙ったまま考えこんでいると、雨宮が思い出したように手のひらを打った。
「そういえば今日、田中さんが、出張のお土産の鳥皮を持ってきてくれたんですけど……相山さん、よかったらどうですか?」
「食べもので釣るのか?」
「そんなまさかぁ。でも、九州で有名らしいですよ。皮がパリッパリで、炭火の香りがたまらない絶品の鳥皮と、これまた絶品のチーズ。キンキンに冷えたビールに合わせたら、もう最高だって!」
「……」
炭火焼きの鳥皮。絶品のチーズ。ビールに最高。
……抗いがたい響きだ。ここ数日、適当なコンビニ飯ばかり食べていた俺の細胞が、喜びの声を上げている。
「お願いします! 今日ちょっと見てくれるだけでいいんです!」
「……わかったよ」
負けた。
決して食べものに釣られたわけではない。
「やった! これで怒られなくてすむー! それじゃ、あとでデスクに持ってきますねー」
雨宮は足取り軽く自分の席に戻っていく。
ふわふわと揺れる彼女の巻き髪を見ながら、俺はガックリとうなだれた。
自らタスクを増やして……なんて愚かなんだ俺は。
深海よりも深いため息とともに、山積みの仕事に取りかかった。
◇
就業時間後、カタカタとパソコンの音がいたるところで響いている。
俺たちと同じ残業組が、こんなにもいる会社……まさしくブラック企業。
「相山さん、これでいいですかぁ?」
間延びした声で、雨宮がチェックを促してくる。モニターに映る資料を確認して、修正箇所を探すが、問題はなさそうだ。
「大丈夫そうだ。ただ、相手は突っこんだ質問もしてくるから、対策しておくといい」
「はぁ、胃が重い。転職しようかなー」
……転職か。
俺もできたら転職でもするか?
そんなことを思いつつ、帰り支度をする。
「あ、私も帰ります! 駅まで一緒に行きませんか?」
「いいけど、早く帰りたいから待たないぞ」
「えー、つめたぁい」
ケタケタ笑いながら、パソコンをシャットダウンする雨宮。
そして、そろって会社を出て、駅までの道を歩いて約百メートルほどしたところで、黒いジャンパーに黒の帽子をかぶった男が突然前に躍り出てきた。
なんだ? 酔っ払いか?
警戒していると、男はジロッと俺のとなり……後輩の雨宮を見た。そして、叫ぶ。
「おまえ、やっぱり浮気してたんだな!?」
「なっ、違うわよ! この人は会社の先輩! だいたい、なんでこんなとこにいるのよっ」
「会社会社って、こんな遅くまで仕事があるか!」
こんな時間まで仕事あるんだよなー。
さては君、ホワイト企業の人間だな?
なんて羨ましい……。毎日定時退社。ブラック企業で働く社畜の夢だぞ。
「浮気したら殺すって言っただろ!」
「してないって、言ってるじゃない!」
お互い肩を上げて声を荒げながら反論している。
それにしても……これって、どう見ても修羅場だよな?
まさか俺、巻きこまれてる?
勘弁してくれよ。帰りたい……。
遠い目をして現実逃避をしていると、彼氏だと思う男が、鬼の形相で雨宮の長い髪をつかみ上げた。
「痛い! 離してよ!」
悲鳴が響き、俺は思わず間に入ってしまった。
社会人として、懐から名刺を取り出し、まずは素性を明かしてから穏便にすませようとした。
「落ち着いてください。話し合いましょう。俺は本当にただの先輩で……」
「るせぇよ」
ズブっ。
そのときの音を、どう表現したらいいかわからない。
嫌な感触がした。
右わき腹が、燃えるように熱い。
目の裏が赤く染まって、口からごふっとなにかが溢れてくる。
「きゃああああああ!」
雨宮の悲鳴が響き渡った。
口に手をやれば、自分の手のひらが真っ赤に染まっていた。
「……は?」
まさか、刺された?
おい、冗談だろ。
俺は、ただ、頼まれただけで、仕事を手伝っただけ。
間違いで殺されましたとか洒落にならんが?
全身にかかる重力が一気に増えたみたいに、体が重くなり、前のめりに倒れた。
「相山さん! 先輩! きゅ、救急車を! だれか!」
雨宮の声が遠くに聞こえる。
ああ、関わらなきゃよかった。
もう遅いが。
ダメだ。目はもうアウト。音も……聞えなくなっていく。
こんなことになるなら、もっと好きなことをしておけばよかったか。
そうだ。俺、ペット飼いたかったかったんだよな。
今は空前の猫ブーム。
SNSで見る猫がかわいくて、俺も飼ってみようかと思ったが、残業ばかりの男の家にいるのはかわいそうかと思って、止めたんだったな。
世界一周旅行もしてみたかったんだ。そんな時間ないからと諦めていたが、まさか死ぬことになるなんてな。
……そうか、死ぬのか。
呆気ない人生だった。
会社に人生を捧げて、社畜として死ぬのか……。
なんて無意味な人生……。
ふっと意識がなくなり、そして、突如意識が浮上する。
ハッと両目を開いた。
なんだ? どこだここは。
うつ伏せで寝ていたようで、目の前には土と草。アスファルトではない。倒れた場所から運ばれたか?
病院でもないってことは、あの男に連れ去られたか……。
それにしても喉の渇きが酷い。カラカラだ。
自分の手を喉にやろうとして、違和感に気づく。
なんだ? なにかが、変だ。
俺の手はもっと浅黒く、骨張って、年季の入ったおっさんの手をしていたが、ささくれ程度しかないピカピカの手だった。
なのに、この手は豆だらけだし、切り傷も多い。それに、白いし張りがあってみずみずしい。
そっと、顔に手をやる。
ふにふにとして、弾力がある気はするがわからん……が、まぁ、いつもの触った感じとは違うような。
そうだ、声だ。
「あ、あ、あー…………」
いつものおっさんの声ではない。
やや低めのアルト声。まだ若さを感じる青年の声だ。
……って、ちょっと待て、これはだれだ!?
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