第32章「二学期、進む先の不安」

 始業式が終わり、蒸し返すような九月の朝日が教室のガラス越しに差し込んでいた。

 夏の間に日焼けしたクラスメイトたちが、机に向かって成績表の封筒を開く音が、紙の擦れる音とともにあちこちで聞こえる。

「……あー、やっぱ数学、下がってる。あたしのバカ……」

「英語だけ上がってる。灯台プロジェクトでリスニング力アップ、とか書いたら先生笑うかな」

 他愛ない声が飛び交う中、雄大は自分の封筒をまだ開けずに机の端に置いていた。

「見ないの?」

 隣から声をかけたのは有紀だった。彼女もまだ開いていないようで、両手で成績表の角をいじっている。

「ちょっと……怖い。活動してた分、授業中も集中できてなかったし」

「……俺も。なんか、見るのが現実って感じするよな」

 ふたりは苦笑いを交わした。夏、灯台の修復や合宿、イベント。汗と笑顔で過ごした日々の裏に、どこかで置いてきた「自分の未来」の輪郭が、いま目の前に現れようとしている。

 朱音が赤いバインダーを小脇に抱えて教室に入ってきた。彼女はすでに制服の袖を肘までまくり、目つきもいつも通りキリッとしている。

「配り終わった人、進路希望調査票も回収します。第一志望と第二志望、できれば書いてきて」

 彼女の声に、有紀がピクリと肩を揺らした。

「……やば、私、まだ書けてない……」

「書いてないと、朱音先輩に睨まれるぞ?」

 冗談まじりに言った雄大に、有紀は小さく笑ったけれど、その目の奥には確かな焦りが見えていた。




「……じゃあ、次の早朝補習の枠、空けておくから」

 そう言って朱音は雄大の机の上に、赤いペンでびっしり時間割が書き込まれた紙を置いた。

 朝の7時半集合。数学と英語の演習中心。きっちりと5分刻みで構成された時間表に、雄大は思わず顔をしかめた。

「うわ、すご……てか、これ毎日やるの?」

「やらなきゃ、目指す大学には行けないでしょ。推薦捨てたくせに、その程度の覚悟?」

 ズバリと突いてくる朱音に、有紀が目を丸くする。

「え、雄大くん、推薦……」

 言いかけて、口を閉じた。有紀の瞳に浮かんだものを、雄大は見逃さなかった。驚きと、ほんの少しの……痛みのような。

「うん。まだ、正式に辞退してないけど、たぶんそうなる」

 ぽつりと漏らした声に、教室のざわめきが一瞬遠のいた気がした。

「でも、いいの?」

「……灯台、完成させたいから」

 はにかむような笑みを浮かべる雄大に、有紀は視線を落とした。

「そっか……」

 それきり、ふたりの間に言葉はなかった。けれど、その沈黙は不安ではなく、どこか温かいものを含んでいた。

 朱音はため息をつきながら、それでも微かに口元を緩めた。

「ま、やる気あるなら付き合うよ。わたしも、信じてるから」

 それは、朱音なりのエールだった。

 朝の光が差し込む教室で、それぞれの進むべき道が少しずつ見え始める。

 踏み出す一歩は、まだ小さいかもしれない。けれど、確かに前へと向かっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る