第13章「遅刻の朝、砂浜に灯る絵」

 5月16日、火曜日。午前5時30分。

 潮守灯台の前に広がる砂浜は、朝霧に包まれていた。

 その中に、一人。雄大は無言のまま、手にゴミ袋を持って漂着ゴミを拾い続けていた。

 約束の時間は、5時。もう30分以上が過ぎている。

(……寝坊か)

 携帯を開いても、有紀からのメッセージはない。

 けれど雄大は、それ以上確認しようとは思わなかった。

 海から吹きつける風はまだ冷たく、肌を刺すようだったが、それも気にならない。

 黙々とペットボトルや空き缶を拾いながら、ふと砂に目をやる。

 そこに、何かを描くようにして、雄大はしゃがみ込んだ。

 手袋越しに砂をすくい、慎重に輪郭をなぞっていく。

 灯台。小さな波。流れ星――。

 それは、まるで子どもが描くような、簡単な絵だった。

 けれど、どこかあたたかくて、見ていると胸が落ち着く。

「……完成」

 つぶやいたときだった。

 後方から、駆け足の音がした。

「はぁ、はぁっ……! ま、待って! ごめんなさいっ……!」

 息を切らしながら、有紀が駆け寄ってくる。

 髪は乱れ、カーディガンの袖は少しずり落ちていた。

「目覚まし三つかけたのに、全部止めちゃってて……っ、ご、ごめんなさい……!」

 彼女は頭を何度も下げながら、言葉をつなぐ。

 雄大は、小さく首を振った。

「……別に、大丈夫」

「でも……」

「来てくれて、よかった」

 それだけだった。

 けれど、有紀はその一言に、なぜか涙がにじみそうになった。




 有紀は、ようやく整えた呼吸の中で、雄大が立っていた位置へ視線を向けた。

「……これ、描いたの?」

 砂に刻まれた灯台と波、その横に小さな星。

 朝の光が差し込む中で、それは静かに“灯って”いるように見えた。

「うん。……なんとなく、暇だったから」

 ぶっきらぼうな口調のわりに、曲線は丁寧だった。

 波はちゃんと三本。灯台には、入口の線もある。

「……かわいい」

「それ、褒めてんの?」

「褒めてる。……すごく、癒される」

 しばらく、二人は黙ったままその絵を見つめた。

 海の音と、鳥のさえずり。

 そして、淡く光る東の空。

「……私ね、遅刻って、すごく怖いの」

 ぽつりと、有紀が言った。

「約束を破ったみたいで、自分がダメな人間に思えて……誰かを待たせるのが、ほんとに申し訳なくて」

「でも、ちゃんと来たじゃん」

「それでも、もういないかもって、怖かった。だから……来てくれて、って言ってもらえて……」

 ふいに、有紀はしゃがみ込んで、砂絵の横に小さな星をひとつ描き足した。

 その線は少し曲がっていたけれど、それでも光ろうとしていた。

「私も、誰かの灯になれるのかな」

「……なってると思うよ」

「ほんとに?」

「たぶん。俺が、そうだし」

 有紀は目を見開いた。

 雄大は、砂をすくってそっぽを向いたまま、続けない。

 だけど、有紀の中で、言葉よりも強いものが灯っていた。

 自分が描いた星を、そっと指でなぞる。

「じゃあ、私は……この灯台に星を足していくね。ひとつひとつ、少しずつでいいから」

「……うん」

 その声の響きに、朝霧がゆっくり晴れていく。

 空が広がり、潮守の灯台が、朝陽の中で静かに姿を現した。

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